第12話
その日の午後、連絡通り、ハルカは学校にやってきた。
「――まったく、東道院さんも四条さんも、晴太さんにまた迷惑をかけて……」
誓って言うが、午前中に東道院と四条に絡まれたことは、俺の口から何一つ言っていない。
それを当然のように把握しているハルカ、やはり侮りがたし。
「いやまあ、ハルカが休みだったわけだし、転校してきたばっかりの俺に気を遣ってくれたんだと思うよ? ……たぶん」
「ふふふ、わかりました。晴太さんがそう言うのなら、私からの“小言”は控えておきます」
小さく言うと書いて、小言。
しかしあの2人の反応を見る限り、どう考えても小さくはないわけで。
「それより、午前中は何かあったのか?」
「ええと、その……」
ハルカは突然口をまごつかせた。
「……実は、父の仕事の手伝いを」
「え? お父さんの?」
高校生にして父親の手伝いをするとは、さすがはハルカ嬢。
俺なら破壊の限りを尽くしてキレられること必至だろう。
「その……やっぱり、変ですか?」
変? 変というのは、親の仕事を手伝うことか?
「まあ学校を休んでまで手伝ってることは驚いたけど、それよりも、俺と同い年で仕事を任されてることにもっと驚いただけだから。凄いよ、ハルカは」
「凄くはないですよ。私に出来ることしかしていないので」
その出来ることっつーのが無量大数くらいありそうなのが遥日宮鏡花という人物である。
「そ、それはそうと晴太さん! 来週は頑張りましょうね!」
珍しくハルカは話を雑に逸らした。
どうにも父親については、あまり触れられたくないようだ。
そもそも、俺はハルカのことを本当に何も知らないことに気付く。
父親のことも。母親のことも。それ以外の家族のことも。
ここまでハルカが自分のことについて話さないとなると、寂しさや苛立ちすら超えて、並大抵ではない事情があるようにも思える。
……でも、安心しろハルカ。
今この場でそれ全部を追及する程、俺も無粋ではない。
それはきっと、いつか、ハルカの口から話してくれるものだと信じたい。
「……って、来週? 何かあるの?」
「あら? 先日連絡ありましたよね? ――第二回定期考査」
「て、定期……考査、だと……!?」
稲妻が急転直下に脳天を直撃する。
「聞いてない。聞いてないよ、俺」
「ですが、連絡があった時に晴太さんは私の隣にいたので……」
「…………」
たぶんそれどころじゃなかった時のことなんだろう。或いは不都合なイベントを光の速さで記憶消去したか。
いずれにしても、ピンチだ。大ピンチである。
「やべえな……テスト範囲、確認しないと……」
「範囲ならわかってますよ?」
なぬ? それは僥倖。
さすがはハルカ嬢。今のあなたには燦然と輝く太陽神の如き後光が見える。
神様仏様、ハルカ様である。
「それで、範囲は?」
メモを片手に、彼女の言葉を聞く。
「全部です」
「……ん?」
なんか聞こえた。
「ごめん、もっかい言って。……なんだって?」
「ですから、テスト範囲は、全部です」
「テスト範囲が……ん? 全部?」
全部、全部ってなんだ。
ヤバい、日本語が詰まる。全部……全ての部分、フルボリューム、オールマイティ……。
「んああああ!? ぜ、全部!? この数ヶ月の全部が範囲ってこと!?」
「ふふふ、そんなわけないじゃないですか」
ハルカはクスクス笑っていた。
「そ、そうだよな! あービックリした……」
なんだ冗談か……心臓が止まるかと思った。
「中学校から今までの、全部ですよ」
「…………」
心臓が爆散しました。
「晴太さん? どうかしましたか? 顔が真っ青ですが……」
ハルカは本気で心配しているようだ。
どうやら俺をからかうつもりは皆無であり、純然たる事実なのだろう。
「いや……すみません、ハルカさん。俺、もうダメっす。落第っす。留年確定っす」
「だ、大丈夫ですよ。欠点は70点なので、それ以上取ればいいだけですから」
「それもだいぶん高いじゃねえですか! この学校どうなってんだよ! 頭良すぎてバカになってるじゃん!」
終わった……。
始まる前だけど色々終わりすぎてた。
ここに来て東道院が言ってた「この学校は甘くない」がめちゃくちゃ効いてきた。
クソムカつくが、全てその言葉通りに背中から押し潰して来やがる。
「だいたい中学からってどういうことだよ! 科目分けできんだろうに!」
「はい、ですから“中学総合”ということで1科目になってるんですよ。あとは古典と現国を含む国語総合、数学総合、理科系は物理地学総合、化学生物総合、社会は歴史総合、国内外情勢総合、情報総合、経済総合、英語総合。副教科は定期考査には出ませんが、テスト後にそれぞれ実習試験が――」
「もうやめてくれ! 絶望の呪詛にしか聞こえないから! 死神がマーチングパレードしてるから!」
総合が多すぎるだろうに。
総合って文字がゲシュタルト崩壊寸前なんだが。
「……ええと、ちなみにハルカは、点数をどのくらい取るの?」
「私ですか? 私は前回、10科目で985点でしたが……」
985点?
1000点中15点しか落としてないってこと?
98点とか99点ばっかってこと?
ヤバくね?
「むしろそこまでいくと、いったいどこでミスったんだよ」
「その……英語のスペルを間違えたり、記号を見間違えたりですけど……恥ずかしいです」
「その点数が恥ずかしいのなら俺はいったい何なんだ? 空気吸うのもおこがましいじゃねえか」
いや、今はツッコんでる場合ではない。
これは本格的にヤバい。
このままだと、全教科赤点フルコンプリート確定だろう。赤点マニアが泣きながら喜ぶ大惨事間違いなしだ。
そして俺は赤点マニアではない。
ただ単に、積み上げられた赤点の山を前に、惨めに咽び泣くだけのバッドエンドにしかならん。
愚姉の言葉を借りるなら、さらば青春、ビバ灰色人生ってところか。
「……って、そんなこと考えてる場合じゃねえ! べ、勉強! 勉強しないと!」
でもどこから? 中学から? 今までの全部?
あー無理。無理無理、無理過ぎる。
いくらなんでも全方位過ぎるだろうに。こんなの無敵艦隊でも全滅不可じゃねえか。
「うはぁぁ、無理だぁ。もう終わりだよ、終わりすぎてるよ……」
もはや泣き言を言うしか、己の心を保てないのであった。
「…………」
ハルカは、じっと俺を見ていた。
そして目元をキリッと締めると、俺の手を両手で強く握る。
「……大丈夫です。まだテストまで、1週間もありますから」
「テ、テストまで……1週間……」
言うまでもない。
1週間“も”、ではなく、1週間“しか”である。
「俺の命も、あと1週間かぁ……」
「せ、晴太さんしっかり! 勉強なら――私が、教えますから!」
こうして、俺の勉強合宿編は準備運動も号砲もなく、突然スタートしたのである。
先にネタバレを言っておこう。
その合宿にてマジのガチで死ぬ目に遭うことを、この時の俺は、知る由もなかったのだった。




