ネアロ組
ダンジョンの奥底へ潜るのなら、どれほど腕が立とうと、それ相応の準備が必要になる。
ましてや適性外。
それこそ新人が四つほど飛び越えようとするものなら、少しの対策程度じゃ済まないだろう。
「こ、こんな高いの貰っていいの……?」
「別にあげたんじゃない。その分きっちり働いてもらうからな。問題ねえよ」
街を歩く最中、ホシは緑の宝石を手で転がしながら、どこか引け目を感じてそうなホシ。
そんな彼女の問いに、軽く鼻を鳴らして流す。
宝具、身代わりの宝石。
一度のみではあるが、物理的な致命傷を肩代わりしてくれる優れもの。
比較的出現率が高いことから、そこまで希少で高価とは言えまいが、それでも安価ではない。
ここ二日の稼ぎ。
魔石やら宝具を売り払って、どうにか一つ手が届いた。つまりまた、カッツカツってわけだ。
とはいえ、あるとないのとでは大きく異なる。
残機が一と二。その差はあまりに大きい。
ダンジョンは何が起きるか分からない。どれほど実力が足りていても、時にあっさり人は死ぬ。
そんな魔窟にて、不意の事故を一度だけでも帳消しに出来ると考えれば、まさに宝と言えるだろう。
……ま、無理やり連れていくんだ。
俺のためにも、せめてこれくらいはしないとな。
それより。
それよりも、だ。
──尾けられている。
始まりはギルドを出てから、何カ所か店に寄っていた中で、いつの間にかだったか。
隠れてはいる。だが、隠してはいない。
見ているぞと。
伝わる者には暗に伝えるかのような、一応敵意はない、何ともまあ中途半端な感覚だった。
残念なことに、ホシが気付いている様子はない。
或いは気付いていて、気丈に振る舞っているだけかもしれないが、まあどちらでもいい。
俺に尾行される由縁はない。
誰かに恨みを買っている可能性はないなどと、堂々宣えるほど清廉に生きたつもりはないが。
だが一応。
それこそ、相手が外套の中の正体を知っていたとしても。
こんな往来で見張られるに足る理由を、少なくともここ半年は持ち合わせていないつもりだ。
ということは、つまり。
「……どうにも人気者だな、おい」
「はい?」
皮肉交じりに声を掛けてやれば、クソガキはきょとんと首を傾げるばかり。
まあ、いいとも。
どのみち、鬱陶しいことこの上ない。
おっぱじめる気がないってなら、コソコソ後ろからじゃなく、正面から話でも聞くのが手っ取り早い。顔を拝めば、脳天気なこいつが教えてくれるかもだしな。
買い物は終わり、作戦会議と嗜みのため。
酒場へと向かう中、敢えていつも通る道から外れ、人気のない裏道へと紛れ込んでいく。
「あ、あの師匠? なんでこんな道を──」
「それ、とっとと出てこい。それとも、ああ、お望みなら引きずり出してやろうか?」
立ち止まって振り向き、戸惑うホシをよそに、虚空へ向かって声を掛ける。
誘いがてら、軽く剣の柄へ手を添えてやればそれで十分。
物陰から黒スーツの男が一人、パチパチと拍手を立てながら、こちらへ姿を現してきた。
「良く気付きましたね。これでも、静かに息を潜めていたつもりだったのですが」
「そうか、なら悪い。話がしたいのかと、そう思うくらい露骨だったからよ」
黒スーツに黒眼鏡。
こちらを見下していますと。あまりにあからさまな、厭らしい薄ら笑いがよく似合っている。
きっと、前世はさぞ獲物を弄ぶ類の獣だったのだろうよ。
「あんたは、ネアロ組の!?」
「ネアロ? お前、随分とあくどい場所から借りたんだな。ご愁傷様」
ホシの驚きから出た単語に、俺はつい顔に手を当て、頭を抱えてしまう。
ネアロ組。
この迷宮都市、デスアイではそれなりに名の通った金貸しの一党。
妙に顔の怖い三代目が仕切る、普通に生きていればまず関わり合いにはならない組織。
暴利。野蛮。冷徹。
表に健やかに生きる者であれ、裏で後ろめたく紛れる者であれ。
誰にでも気軽に貸す代わりに、悪辣とも言える利子を吹っ掛け、如何なる手段を以てしても必ず取り立てる。そんな連中だ。
実際俺の知り合いも昔、ネアロ組に金を借りて痛い目を見ていた。
まああいつはギャンブルに大敗し、あまつさえ踏み倒そうとした故の自業自得ではあるのだが。
……思えばあのときは、ちょいと苦労したものだ。
あのクズ、まだ生きてんのかな。……そういえば貸してた金、まだ返してもらってねえな。
「それで? ネアロの下っ端が何の用だ? こいつの取り立てにはまだ数日あるって聞いた。そちらのボスは確か、期日前にネチネチ追い回すなんて真似はしないはずだったが?」
「ええ、ええ! ですから姿をくらまさないよう、組長より監視を仰せつかったのです。何せそちらのホシ様は、その若さにて中々ないほど多額の負債を抱えているのですから。ねえ?」
「……へえ」
ネチャリ、と。
そんな音が鳴っているかと思えるほど艶めかしく。
それほどに細めた目を向けられたホシは、ビクリと体を震わせてから、勢いよく俺の後ろへと隠れてしまう。
……うん。まあ、あれはキモい。
性欲からか。それとももっと、下卑た欲情からか。
いずれにしても、男が男……いや、同性愛者に失礼か。
人が人に明け透けなく向けるものではないと。或いは催促をしに来ただけの男の顔ではないと、そう言うべきだろうな。
「それでホシ様? あと五日の間に三百。ご用意の手はずは整いましたか?」
「さ、三百!? 借りたのは二百だけなんだけど!?」
「ええ、はい。ですが世の中の貸し借りには利子という余分が存在する。常識ですよね?」
声を荒げるホシに、眼鏡の男は不敵な笑みを以て言葉を返す。
それにしても、三百に五日。
そいつはまあ何とも、このクソガキから聞いていた話と違うじゃないか。
「おい眼鏡野郎。こいつの借用書、持ってるなら見せてみろ」
「……申し訳ありません。何分ホシ様の個人情報ですので、部外者にはとてもとても」
「本人が許可する。すぐに、寄越して」
「……ええ、承知しました。もちろん、こちらに確りと。ただし写しではあります故、破る燃やすに意味はないと。それだけは進言しておきますとも。はい」
やれやれと。
両手を上げ、肩をすくめた眼鏡の男は、一枚の丸まった紙を取り出しこちらへと投げ渡してくる。
紙面は、間違いなくホシの借用書。
隣から覗き込んでくるホシをよそに、じっくり目を通し──大きな、大きな息が零れてしまう。
甲は利子分まで含めた額を、指定の日時までに返すこと。
甲は期日までに負債を返さぬ場合、人権の一切をこちらへと譲渡し、返済に応じること。
透かしを入れているわけではないし、小さな字で隠されているわけでもない。
書いてあることが暴利かつ馬鹿なだけで、騙す意志はまるでない、きちんと明記された借用書。
サインする方が馬鹿と。
或いはサインさせられた状況にこそ同情する必要があると、そこまで思えてしまう一枚だ。
「……お前、何でこれにサインしたんだ?」
「し、仕方ないじゃん! あのときはお金必要だったんだから! 急ぎで!」
逆ギレされてもなあ。
どんだけあの眼鏡がキモいにやけ面作っていても、借金作ったのはお前の意志じゃねえか。
……ま、別に構わないとも。
少し多いが、稼ぐ額が増えただけだ。元々のスケジュールから、一日減っただけだ。
掛け合わせれば結構な大事だが、結局やることは変わらないのだから、問題なんて一つもない。
「まあ問題ない。きっちり耳揃えて返すから、五日後を楽しみにしておけよ」
「……ええ、ええ。返すのが当然故、楽しみなぞしませんが。我ら一同、返却さえしてもらえるのであれば、何も言うことはありませんとも」
こちらへ一礼した眼鏡の男は、それだけ言って。
最後に俺の後ろ──ホシをジトリと見つめたあと、踵を返し、そのまま去っていく。
……どうだかな。
顔に貼ってる薄ら笑いと、ホシへの目つき。
お前のそれはどこからどう見たって、金を返されない方が嬉しいって感じの笑みだろうに。
「……本当に、返せるかなぁ」
「お前次第だな。そら行くぞ。飲みながら作戦会議だ」




