いつか、また
ネアロ組。
貧富、老若男女。
如何なる人でも分け隔てなく、誰しも平等に金を貸すが、如何なる手でも必ず取り立てる。
クズでも躊躇うような暴利と悪辣を携える、まさしく悪鬼冷徹の金貸し屋。
そんな彼らの居城。
迷宮都市デスアイの裏路地にて、看板と共に構えられた事務所の最奥。組長室。
部屋に置かれた、立派な木製のデスク。
そして簡素ながら見事な造りの黒椅子へ、深々と腰掛けながら。
無言で資料を見つめるは、傷負う隻眼をした強面の男。
彼の名は、ネアロ。
音に聞こえしネアロ組、裏でさえその名に戦く者多しの金貸しを束ねる三代目組長であった。
「……サーギ。そういえばもうすぐだったよな、お前の担当していたはずの、中々の額を借したあの小娘の返済期限は」
どうしてか、緊張と静寂満ちた事務所にて。
手に持っていた資料をデスクへと置いたネアロはふと、静かに問いを投げる。
問われたのは、そばに控えていた黒スーツに黒眼鏡。
サーギと呼ばれた、薄ら笑いの似合う男。
ボスであるネアロより質問されたサーギは、ニヤリと薄ら笑いを浮かべ、ゆっくりと口を開く。
「ええ組長。ちょうど明日の十七時きっかりでございますが、如何しました?」
「聞いてみただけだ。必ず返すと、この俺に啖呵切った生意気な態度が、ふと脳を過ぎったものでな。あれは、返しに来たか?」
「いえ、いえいえ組長。残念ながら、ええ、本当に残念ながら未だに。彼女はこの事務所へ、足を運んでおりませんとも」
わざとらしく、悪びれもなく。
残念とはほど遠いとばかりに、サーギは愉悦の言の葉に乗せながら、ネアロへ言を紡ぐ。
ネアロの脳裏に過ぎるは、ほんの一月ほど前。
理由は問わず。
されど急務と単身で事務所へ乗り込み、「必ず返す」と大金を借りていった金髪の少女。
ネアロにとって、債務者の素性など些事に過ぎず。
返すか、返さないか。
金貸しとしての興味はそれ一つ。だからこそ、ネアロは小さく息を零すのみ。
「……そうか。そりゃ残念だ。所詮はあれも、口だけのクズだってことだ」
「当然でしょう。あのような小娘が、大金を返せる道理などない。ネアロへの恩を仇で成す結果に終わることなど、ええ、予想の範疇でしかありませんでしたとも!」
サーギは両手を広げ、声を昂ぶらせる。
眼鏡を光らせ、嘲笑を。
それからわざとらしく喉を鳴らして整え、薄ら笑いを貼り付けたまま、ネアロへ綺麗に一礼してみせる。
「もちろん、取り立ての用意は万事ぬかりなく。ええ、ええ。明日の期限を過ぎた暁には、一晩と要さず捕らえてみせましょうとも。このサーギの威信にかけましても。はい」
「……分かってはいると思うが、俺達はあくまで金貸し。如何なる事情であれ、期日を迎えるその瞬間まで、一切の干渉は──」
「ええ、はい。もちろん心得ておりますとも。私とて栄光たるネアロの末席。先代に拾われた恩義に報いるでなく、その名を泥で汚すなどとはとてもとても。……ええ、私はね」
なおも潰えぬ薄ら笑い。
まるでこの世の天下とばかりに、怪しげな眼鏡の男の笑い声は、事務所にひたすら響く。
別段何かを犯しているわけでもないため、決して何も返すまいが。
それでも、相変わらずだと。
ネアロもまた、すぐそばでほくそ笑む男に、怪訝な顔を浮かべてしまうばかりであった。
「……さて、そろそろ時間か。サーギ、俺は上がるが──」
大きなため息の後。
デスクに置かれた時計を見たネアロが、座していた椅子より腰を上げようとした。その瞬間。
コンコンコンと。
三回。
部屋の扉の叩かれる、小気味好い音が組長室へと響いた瞬間、ネアロはギロリと、荒れ狂う獣ですら戦くほどに鋭い、そんな視線を扉へと向けた。
「……入れ」
「失礼します。組長、お客様です……って、おいてめえ!」
「案内ご苦労。邪魔するぜ」
扉を開いた矢先。
ノックをしたであろう部下を押し退け、組長室へと足を踏み入れるは冒険者二人。
一人、ふてぶてしく笑う男の冒険者。
もう一人、男の後ろに隠れるベレー帽を被った、金髪金眼の美少年。
「貴様は、貴様らは……!!」
二人の来訪にサーギは笑みを失わせ、瞠目するばかり。
ここに来るなど、あり得ない。
少なくとも、片方──堂々たる様で、こちらへ勝ち誇った笑みを向けてくるあの男の方はそのはず。
命失うかはともかく、ダンジョン内に転がっている。そのはずなのに。
そんなサーギの動揺を。
眼鏡の男が必死に顔に出さぬよう心がけた感情を。
座すのみのネアロは流し見で一瞥しながら、すぐさま矛先を来客二人へと移す。
「お前は……嗚呼、相変わらずの野蛮だな。今や女に牙を抜かれた犬ころとは思えなんだ。虹断ちの」
「そっちこそ、すっかり目の傷は馴染んだな。前より男前が増してるぜ、三代目」
バチバチと。
互いに闘志を発し、軽口と共に見合う二人。
二人の間に、敵意はある。
ただ悪意はなく、憎悪もない。
凄惨な殺し合いではなく。
例えるのなら、何かしらの競技で試合をするかのような。
そんな完全な、けれどきっかけ一つで命を奪い合いを始めそうな空気に二人以外は強張り、警戒するのみ。
「それで、今日は何の用だ? 俺はそろそろ定時で上がろうとしていたんだが」
「なあに、今日の俺は付き添いだ。このクソガキがお前らの世話になったもんだから、成り行きでな」
ニヤリと。
悪びれもなく笑った男の冒険者は、「ほら」と後ろに隠れていた美少年を前へと突き出す。
よろけながらも、前へ出たあと。
二人の男の眼光に晒された美少年は「ひい」と情けない声をあげるも、背中をバシと叩かれる。
「ほらホシ。どうせ最後なんだから、一言ビシッと言ってやれ」
「……借金返しにきたぞこのクソ眼鏡! よくも襲ってくれやがったな、ばーか!」
そうして。
来訪した男の冒険者──アロンの陰から出た、金髪金眼の美少年ことホシは頷いて。
椅子に腰掛ける男……ではなく。
そばに構え、歯噛みする眼鏡の男へビシッと指差しながら、勝利を高らかに部屋へと響かせた。
とまあ、何やかんやで。
換金終えてすぐ、ネアロの事務所へと乗り込み。
顔の怖い三代目立会いの下、晴れてホシは満額返済。
どういう理由で出来たのかは煩わしい借金とすっぱりおさらば出来たってわけだ。
相変わらず、三代目の顔は無駄にいかつい面してたがそこはそれ。
あいつは金さえ払えば、決してそれ以上の難癖はつけない。
クソ眼鏡のハンカチでも咥えそうな面は、それだけで稼ぎと言えるほどに、実に溜飲が下がったとも。
「本当に行くのか?」
「うん。あの眼鏡野郎、なんかまだ企んでる気がしなくもないしさ。しばらくの雲隠れも兼ねて、世界回ってくるよ」
そして翌日。
街の外へ向かう馬車の前にて、俺たちは別れの挨拶を交わす。
ま、報復は十分あり得る。
確かにネアロ組とは晴れて縁切りとなりはしたが、どうにもあの眼鏡はきな臭い。
とはいえ、あのネアロ組だ。
一線越えれば幹部でさえ躊躇なく粛清する組長の手前、表立って動けはしないだろうが。
そもそも特殊な魔法や宝具による契約に基づかない限り、体の自由権はともかく心の奥──魂までをも縛った奴隷なんざ作れないだろうが。
それでも、煩わしい報復があるかもしれない。
気難しい銀髪の女神様に、忌まわしくも頼もしい補助魔法でガッチガチな俺ならともかく。
何もないクソガキ一人であれば、しばらくはこの街から離れている方が、ずっと安全だろう。
とはいえ。
その選択を咲いてしまったのは、仮にも指導を承った俺の落ち度。
どうせやるなら完全に決着付けたかったんだが、所詮は俺。
「──大丈夫だよ、師匠。もしも全部が綺麗に片付くことがあったのなら、世界を旅したかったんだ。それが夢で約束だったんだ。だから、ぼくはぼくの意志で行くんだよ」
そう言いながら、ホシは頭に乗せていたベレー帽へと手を伸ばし、大事そうに自らの胸へと抱えながらこちらへはにかんでみせる。
屈託のない笑顔。
数日見てきた生意気な面とも少し違う、憑き物の落ちたような笑み。
「……はっ。クソガキが気を遣うんじゃねえよ。自分が情けなくなるわ」
「ちょ、もうやめてよー! 髪くしゃくしゃになっちゃうよー、もー!」
なんかむかついたので。
生意気なクソガキの頭を雑にわしゃわしゃしてやったりしていれば、御者の知らせが時間を告げる。
「それじゃ、もう行くね。ステラさんにもよろしくね!」
「おお。……もう借金作るんじゃねえぞ?」
「善処するー! ──あ、そうだ」
そうして、俺は背を向け。
馬車へと乗り込もうとしたホシは、ふと何かを思い出したとばかりにこちらへ振り向き直してくる。
「ねえ師匠。最後にお願いがあるんだけど、ちょっといい?」
何やら手招きしてくるホシ。
何のつもりだと、訝しみつつ。
刺して警戒することもなく近寄り、耳を差し出して──。
刹那。頬に、何かが触れる。
ほんの一瞬。
優しく、柔らかい何かが触れて、そして離れる。
「またね、アロン師匠! 次会ったら、そのときはぼくの成長で度肝を抜かせてあげちゃうから!」
「あ、おい!」
まるでイタズラが成功したみたいに。
楽しげに笑いながら、ホシは馬車へと飛び込む。
直後、馬車は出発する。
またねー! と。
満面の笑顔で手を振るホシを前に、苦笑せざるを得ない。
「……ませやがって。クソガキが」
未だ感触の残る頬に触れながら。
例え俺が見誤っていて、少年でなかったとしても。
やはりクソガキは、最後までクソガキと。
意外にもそこまで不快感はないまま、馬車が小さくなるのを見送ってやる。
「ふーん。随分仲良さそうだったようね。ただの指導にしては、近すぎるくらい。妬けるわ」
そうして、馬車は見えなくなって。
あいつの声も聞こえなくなって。
俺も元の日常へと戻ろうとしたその瞬間、背後より聞こえる馴染みある女の声。
決して大きくはない。
誰に届くわけでもない。
それでも俺には届き、びくりと身を震えさせるには十分すぎる、ネットリとした一言。
「……見てたのかよ」
「ええ、見させてもらったわ。この目でしっかりと。声も出さずに。じっとね」
どんな面してるかなど、想像に難くないと。
振り返ることなく。
声の主──ステラへ向くことなく、大きなため息を一つ零すばかり。
「……お前も、あれくらい前を向いてくれればな」
「向いてるわ私の幸せはアロンの幸せ。アロンといることが私の幸せ。勝手なこと言わないでくれる?」
「……なら、ダンジョンでガス抜きくらいさせて──」
「嫌よ。私なしでダンジョンになんて入らせない。アロンに何かあったら、私は死んでしまうもの」
ステラの言に、一切の冗談なく。
はっきりと、当たり前のような軽さで。
けれど、だからこそ。
何よりも純粋で、どこまでもどこまでも、どうしようもなく重い。
再度、自覚する。させられてしまう。
どこまでいっても、自分のためでしかないが。
それでも、だからこそ。
こんな愚かで痛々しい女、見てられない。
かつての夢挑む、誰よりも野望に燃えたお前を知っているからこそ。
まだ十九。まだこれからだというのに、その全てを俺なんぞで棒に振ろうとしているお前を。
お前の掛けた呪いのような補助魔法を。
或いは、何よりもお前自身を縛り付けている鎖と枷を。
必ず解いて。しがらみのない、対等な立場で向き合う機会を取り戻して。
そして俺はもう一度。
俺のせいで立ち止まらせてしまった、お前を──。
「それじゃ、帰るわよ……ああ、せっかくだし今からデートしましょう? どうせ暇でしょ?」
「……なんか奢れよ。腹減ったわ」
「!! ええ、ええもちろん! 何食べたい? そうだ、店ごと貸し切っちゃいましょうか?」
抱いた想いは、決しておくびにも出さず。
ぎゅっと。
強く強く、しがみつくように俺の手を掴んだステラと共に、街中へと消えていく。
「ところでアロン、随分お疲れね。まるで本気で剣を振ったときみたいに、腕がプルプルしてるけど、ただの指導でどうしてそうなってしまうの?」
「……さあ?」
「そう。その辺含めて、じっくりと話しましょう。ええ、いくらでも付き合ってあげるわ。だって私、あなたの仲間だからね」




