暁闇─Maak me wakker─2
「店長おはよー! ミハエルさんがひっついてきたぞ~!」
「連れてきたよ、とかじゃないのかアニカちゃん……」
癖のある金髪を掻きながら、ミハエルが白い外套を揺らしてこちらへ歩み寄る。カウンターに落ちた彼の影絵は陽気に片手を持ち上げた。
「よっ。元気かメイス? と……すげぇ奇抜なお嬢さんだな」
「あら失礼な男。可憐なお嬢さん、でしょう? リーセロットよ」
「俺はミハエル・ダンメルスだ。薬剤師をやってる。メイスは俺の学生時代の後輩なんだ」
リーセロットに握手を求めた彼の手は、虹彩異色の一瞥だけを浴びてそっぽを向かれていた。リーセロットは彼から顔を背け、カウンターの外へ出て行ってしまう。苦り笑う彼に同情めいた眼差しを注いでいれば、彼は革製の鞄を漁り始めた。
「また薬の押し売りですか?」
「押し売り、て。お前が眠れてなさそうだってアニカちゃんから聞いたから、特別に持ってきてやったんだよ。ほら、貰っとけ」
紙袋が乱雑に置かれるも、手を伸ばさずにいたら彼がそれをこちらへ押し出してくる。渋々紙袋を手に取って中を覗き見ると、紙で包装された粉薬がいくつも入っていた。何日分の薬を押し付けられているのか、目で数えようとしたが面倒になり、紙袋の口をそっと閉じた。
「わざわざどうも。あまりこういうモノに頼りたくないんですが……」
「そんなこと言ってるから治るもんも治らないんだよ」
「俺は病気じゃないんで治るもなにもありませんよ」
「はいはい。……で? お前も悪夢を見てるのか? 胡散臭~い、悪夢を治す仕事をしてるらしいのに? 医者の不養生だな」
狐色の両目が意地悪く細められて俺を映し込む。虹彩に反射している俺は頭を傾けていた。悪夢を見ている、というのもアニカから聞いたのだろうが、俺はアニカにそんな話をしたことがない。寝不足に見える一点から勝手に推測してミハエルに相談したようだ。
昨夜の夢を追思しようとして眼裏は黒み渡った。奥深い黒を眺め入っても、そこに形は生まれず。瞼を滑った室内光がチカチカと虹色の点描をあしらう。残夢の一場面すら思い出せず、溜息混じりに首を振るった。
「別に悪夢は見ていません。仕事が忙しくて眠れないだけです。コレはちゃんと貰いましたので、もう帰っていいですよ」
「せっかく来てやったのに追い払う気かよ」
「先輩、ウチの商品を売りつけようとしても買ってくれないじゃないですか」
「買わねぇけどさ。つーか、アニカちゃん借りてもいいか?」
日頃から声の大きい彼がわざわざ声を潜めて耳語してきたため、俺は眉を顰めた。薬剤師たる彼が真剣な面持ちでアニカの時間を求めていることから、彼女も具合が悪いのかと心配になる。
アニカを見遣ると、彼女はリーセロットと話をしていた。笑み交わす少女達から目線を外し、ミハエルへ囁きを返す。
「何のために、アニカを?」
「デート」
面食らった表情筋は呆れるあまり硬直していた。冷眼を持ち上げるとミハエルの意気込んだ相貌が目の前にある。
昨年まで年上の女と付き合っていた彼からしたら、アニカなど子供すぎるだろうに。アニカは良い子だが子供らしい面が多く、彼の好みには合わない気がした。
懇願を訴える視線に耐え兼ねて、俺は大げさな長息を吐き出した。
「……俺の許可は要らないでしょう。勝手に口説いて勝手にフラれてきてください」
「フラれて欲しいのかよ」
「そうですね」
「『そうですね』⁉ 先輩の恋路を応援してくれてもよくね⁉」
彼のことは嫌いではないし明朗な人柄も気に入っている。だが女癖が良いとは言えない男に、ウチの健気な従業員を任せるのは気が進まなかった。娘を馬の骨に渡したくない親心のようなものだ。とはいえ、二人の気持ちが一致するのなら当然応援はするつもりだった。一致するのなら、の話だが。
「はあ……まあせいぜい頑張ってください」
「気持ちがこもってない応援をどうも。結婚式、呼んでやらないからな」
「ものすごい幻覚まで見えてるんですね。ああ、医者の不養生? 先輩が薬を飲んだ方がいいのでは?」
「お前~! フラれなかったら酒奢ってもらうからな! 覚悟しとけよ!」
「はいはい」
彼の唸り声に楽しげな少女の嘆声が重なる。商品棚に寄りかかるリーセロットに、アニカが目を輝かせていた。二人が並んでいるとアニカの方がやや背が低く、リーセロットの方が大人びて見えた。
「リーセロットさんすごいなぁ、グラス作るのに挑戦するなんて!」
「ほとんど見ていただけよ。息を吹き込ませてもらったり、色を選ばせてもらったり、新聞紙で形を整えたり……それくらいしかしていないわ。いつか全部自分でやってみたいわね」
照れくさそうに、落ち着きのない手付きで髪を弄っているリーセロット。螺旋状の灰髪は手櫛で真っ直ぐに伸ばされても、バネのように元の形状へ戻っていく。不意にこちらを向いた彼女と目が合った。それはおよそ一秒間のことで、彼女は既にアニカと向き合っていた。
「リーセロットさんオシャレだから、きっと素敵なグラスを作れるようになるよ。いいなぁ、私は不器用だしドジだから、作るほうは出来ないからな……」
「そうかしら。貴方、一生懸命だからやれば上手くなるわよ。メイスにじっくり教えてもらったら?」
「うーん、試験が終わったら時間が出来るから、店長とリーセロットさんに教えてもらいたいな!」
「わ、私は何も教えられないわよ……⁉」
「でも、一緒に出来たら嬉しい! というか、その、お友達になれたら、嬉しいんだけどな……だめか……?」
喜色満面になったかと思えば不安げに眉尻を下げるアニカ。転がる賽の目みたく表情を変えていく彼女に、リーセロットが僅かに戸惑っていた。他者から好意的に見られることに慣れていないような動揺が、手櫛を止めていた。
それでも嬉しかったのだろう。リーセロットは桜唇を緩めて優しい目で笑っていた。
「っふふ、いいわよ。じゃあ私のことはリースって呼んでちょうだい。アニカ」
「! えへへ! お友達だ、やったぁ! ありがとうなリース~!」
リーセロットに飛びついたアニカが、がっしりと彼女に抱きつくなり嬉々として頭を揺らし出す。リーセロットもアニカの茶髪に顔を寄せて笑窪を作っており、仲の良い姉妹みたいだった。
微笑ましいなと眺めていれば、視界の端でミハエルも温顔を浮かべ、二人を見守っていた。
子猫さながらに甘えているアニカと、お姉さん然として彼女の後ろ髪を梳くリーセロット。割って入るのは気が引けたが、店内でいつまでも戯れていられては困る。万が一商品棚にぶつかったら、いくつもの硝子製品が危険にさらされるのだ。
商品への心配と、仲良くなった二人への温かい気持ちを抱えつつ、冗談交じりに笑いかけた。
「良かったですねリーセロット、初めてのお友達が出来て。アニカは良い子なので安心です」
「……ねえアニカ? 今あの男、ものすごく私に対して失礼な言い方をしていたわよね?」
「え⁉ あ、そうだな⁉ リースも良い子なので安心だぞ⁉」
リーセロットとは付き合いが短すぎてなんとも言えない。だが、初対面時に店のグラスを無許可で食べたことについて、先程改めて謝罪してくれたので確かにしっかりした子だとは思う。
「そうですね」と無味乾燥な声で適当に返したら、リーセロットは威嚇する猫よろしく目尻を吊り上げていた。それはさておき。
「アニカ、ミハエル先輩が君に用があるみたいなので、話は聞いてあげてください。要望を聞き入れるかは君の自由です」
「わ、分かった! ミハエルさん~! どうしたんだ?」
ミハエルは俺達から離れるように、店の出入り口のほうへアニカを手招く。控えめな声で誘い文句を口にしているのか、同じ店内であっても彼の台詞は聞こえなかった。
盗み聞きをする趣味はない為、耳を澄ましたりせず、カウンターの上を整理する。出しっぱなしになっていた新聞紙や書類を束ねていたら、カウンターに手を突いたリーセロットが真っ向から俺を睨んでいた。
「友達、初めてじゃないわよ。……この足になってから学校に行きにくくなって、行っていないから、友達ももういないけれど」
「……なら、よかったじゃないですか。アニカと沢山遊んだらいい」
「……そうね」
頬杖を突いてよそを向いた彼女に、憂慮が沸き出す。彼女も歳相応の少女なのだと改めて認識していた。
スラックスを履けば球体関節の義足は隠せるだろうが、授業や学校行事などで着替える可能性もあり、隠し通せるものではない。義足だと打ち明けて、それでも他愛なく接してくれる者ばかりであれば良いが、腫れもの扱いされる様も想像に難くない。
好きな格好をして、好きな環境で自由に過ごすのが、今の彼女には合っているのだろう。
リーセロットの長い睫毛が、ぱっと跳ねた。アニカがリーセロットの背中側から抱擁し、灰髪の流れる肩越しに顔を覗かせていた。
「店長、ミハエルさんに観劇に誘われたんだが、行ってきても大丈夫か?」
「大丈夫ですよ。客もいませんし」
「じゃ、私も付いていくわ」
「え⁉」
素っ頓狂な叫びをあげたのはミハエルだ。彼は数秒前まで、シャツの襟を整えたり、茶色いベストの皺を伸ばしたり、手鏡と見つめ合っていたが、今や大口を開けたまま凝然としている。彼は白衣に手鏡を仕舞い込み、金の癖毛を払いながら靴音を鳴らした。
「いやぁ、奇抜お嬢ちゃんはお呼びじゃねぇんだけど……もしかして俺に一目惚れしちゃったか?」
「何言ってるのよ、ボサボサ頭の男ってタイプじゃないのよね。アニカが心配だから付いていくの」
「俺不審者じゃないからな⁉」
「心配してくれるなんて、やっぱりリースは良い子だな~……! 私もリースと一緒に行きたい! ミハエルさん、三人で行かないか?」
アニカの菫色の瞳が洋灯の光彩を受け止めて、星空を詰め込んだ輝石のごとく輝く。ミハエルの渋い顔も無邪気な少女の前では簡単に崩れ、覇気のない困り顔へと成り果てていた。
「仕方ねぇ……じゃメイス、両手に花で遊びに行ってくるぜ。一人で営業頑張れよ」
「賑やかそうで何よりです。お気をつけて」
俺に手を振ったミハエルが、そのままアニカの頭を撫でようとする。が、リーセロットが彼の手を叩き落とし、アニカの腕を引っ張っていく。彼の落胆は退店していく後ろ姿だけでもよく分かり、俺は一人で薄笑みをこぼしていた。
三人と入れ違いで、通りすがりの親子が外から店内を眺めていた。硝子製の外壁に貼りついて、棚に並ぶ硝子製品を覗き込む幼い少女。まるで宝石箱でも見つけたかのような笑顔を咲かせていた。母親が子供の手をとって店の入口へ導いていく。
入店した二人に、俺は人好きのする笑みを浮かべてみせた。
「いらっしゃいませ」




