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悪夢狩りの硝子工  作者: 藍染三月
第一章
4/7

誰そ彼─Wie is dat?─3

     (三)


 硝子工房の二階は生活スペースになっている。とはいえ、出入りするのは前店主から俺に与えられた部屋と物置部屋くらいだ。それ以外にも扉はあるが、未だ開けたことがなかった。前店主が故人とはいえ、他人の部屋を勝手に開けるのは気が引けてしまうのだ。


 自室のソファに腰を下ろして、左足にナイフ用のホルスターを巻きつけていく。机に歩み寄ると収める武器を探した。卓上には新聞紙が乱雑に放られている。昨夜自分が広げていたものだ。読みながら眠りに落ちたのを思い出し、己に唖然として額を押さえた。


 散らばった紙を丁寧にまとめ始める。真新しい紙もあれば、年華の染みが咲いているものもあった。一年前の記事を拾い上げ、視線はおのずと見慣れた文字に結ばれる。


 ダレン・ベークマン──行き場のなかった俺を拾ってくれた、前店主の名前だ。不審死を遂げた彼の死顔は分からなかった。大きな獣に喰らわれたかのごとく、彼の顔は全て失われ、脳味噌も潰れていたらしい。後頭部の頭蓋骨だけが辛うじて残っていたそうだ。骨の残骸は(いびつ)に波打ち、その形は『食物を噛み千切った時の断面に似ていた』と記者が綴っている。


 同様の怪奇事件はダレンの一件のみならず、この街で何度も起きていることであり、今朝の新聞にも同一犯と見られる見出しがあった。


 紙面を睨めつけていれば、古紙の向こうで光芒が散る。『おい』と不機嫌そうな呼声が響いて、俺は小息を吐きながら新聞紙を片付けた。机上がようやく露わになり、無色透明の硝子ナイフが存在を主張する。触れたら溶けてしまいそうな透徹。室内光で煌めく柄を掴み上げると、白刃が唸った。


『私を置いていったな。間抜けめ』


「ええ、今朝は寝過ごしたので忘れていました」


『顔色が悪いな。なにかあったのか』


「別に何も。……付喪神(つくもがみ)


 呼びかけに応える眼光はない。ただ刃だけが静かに光り、こちらの形影を薄らと映し出す。姿を持たぬ精霊が、なんだ、と言わんばかりに燐火の青を硝子へ走らせていた。


 まばたきに伴われたのは回顧だ。聖堂での夢はただの夢に過ぎない。それでもざらついた不快感が喉を塞ぐ。唾を飲み下してから、机に手を突いて俯いた。


「……俺も、夢魔に憑かれていた頃があったんですか?」


『なんだその質問は。何か思い出したのか』


「『誰が』『何を』といった具体的なものはわかりません。ただ、夕方の室内を……思い出していました。いえ、あれは……現実に起きたことではなくて、単なる夢なのかもしれませんが」


 青ばんだ華燭が項垂れる影を欺く。それは月光に似ており、人型をした夜の縮図が机上を絵取る。そこに星は流れなかった。キャンバスを塗り潰そうとした痕跡のような、出鱈目な木目だけが暗色を乱していた。見えやしない本色を探って頭が痛む。


『あまり深く考えるな。人間はその曖昧な部分に、正解かもわからぬ形を勝手に当てはめてしまうこともあるからな。そもそも、夢は夢だろう』


「……そうですね。分かっています」


 背筋を伸ばして一息吐き出す。手首を返し、順手に握っていた刃を逆手に持ちかえると、そのまま左足のホルスターに収めた。部屋の明かりを消して階段を下る。


 店外はとうに夜燭が点々と灯り、家屋から溢れる光が軒並みの輪郭をなぞっていた。人気の少ない石畳に己の歩みが高く鳴る。無意識の規則的な速度は、脈拍に準じているのだろうか。


 静かだった。或いは、しめやかに在れるよう努めていたのかもしれない。足取りに迷いはない。角を曲がれば水煙草の独特の匂いが鼻を刺す。広場に面した街路には様々な店が並び、この時間でもいくつか営業している様子だった。レストランの窓から談笑とカトラリーのさざめきが幽かに聞こえる。置き去りにされた花車を通り越し、水の枯れた噴水をぐるりと回る。


 生まれ育った家を去り、何年が経ったかあまり覚えていない。そもそも、何故俺は、あの家を出たのだったか。母の葬儀を終えてからも、数年はあの家で過ごしていたはずだ。

 ──たった一人で?


 滲出した疑念が脳髄を突き刺した。ふらついてぶつかりかけた街灯を片手で掴み、足を止める。爪先を睨みつけてから顎を持ち上げると、目的地は既に見えていた。


 住宅地に続く階段と隣接した二階建てのタウンハウス。室内から広場がよく見える角部屋が、俺の生家だった。


 煉瓦造りの外壁を見上げ、白い窓枠を窺うもカーテンは閉じられている。だが暖色の明かりが零れていて、室内に誰かがいるのが分かった。あの人形少女が待ち受けているのを思うと溜息が溢れかける。それを噛み潰して敷地へ向かったら、白を基調とした玄関(ポーチ)に人影が見えた。


 眼鏡をかけた男性が、シルクハットを被って革靴を鳴らす。彼は入れ違いになる俺と顔を合わせるなり、礼儀正しく会釈をして通り過ぎて行った。スーツ姿の彼は帰るところなのか、それとも仕事に赴くところなのか。怪訝(かいが)に軽く目を伏せつつ、真鍮の叩き金を鳴らした。


 ダークブラウンの分厚い扉が開かれて、現れたドレスの黒が視線を奪う。首をもたげた少女の灰髪が柔らかに揺れた。華奢な右肩の上でひとまとめに流された髪は、螺旋状にゆるく巻かれており、さながら逆さにしたソフトクリーム。白猫を思わせる青と金のオッドアイがこちらを冷たく見据える。苦笑を返して軽く頭を下げた。


「こんばんは。お待たせしてしまいすみません」


「ええ、遅かったわね」


「悪夢を診る為に、もう少し遅い時間に赴く場合もあるので一応早い方なのですが……ところで、今出て行かれたのはお父様ですか?」


「違うわ。アレは学校の先生。お父様は上にいる。入りなさい」


 寄木細工の床板を鳴らして彼女の背中を追いかける。数年ぶりに入室した家の間取りは変わっておらず、壁に掛かっている絵画にも見覚えがあった。リビングを後目にかければ母を思い出す。一緒にパンケーキを焼いて、笑い合って。暖かな日々の終わりから逃げるように今を見つめた。


 少女が向かったのは二階だ。彼女は奥にある扉を開けた。俺が住んでいた頃は、そこがなんの用途で使われていた部屋だったか、あまり覚えていない。


「この部屋よ」


 臙脂の絨毯に靴跡を刻んで室内を見回す。棚には分厚い本が何冊も収められていた。机の上に紙や万年筆、インク瓶が乱雑に置かれている。ゴミ箱を一瞥すれば丸められた紙が幾枚も目に入り、書類仕事をする人間の部屋みたいだ。


 橙色のランプがベッドサイドのテーブルを照らしている。紅燭は黒い手帳と紙袋を色付けていた。紙袋には百合の絵と店名が印刷されており、薬局のものだと分かった。睡眠薬の類だろうか。気にはなったが、自身の仕事に集中するべく、ベッドを眼差した。


 窓際に置かれた大きなダブルベッドで、壮年男性が眠っていた。カーテンの隙間から夜闇が滲み出し、彼に深い陰影を落としている。


 窓が開いている訳でもないのに夜の冷たさを感じて片腕を抱いた。柄にもなく緊張しているのか、手が、震えていた。前腕部に爪を突き立てて、痛みという冷静を掻き集める。開いた唇は乾いており、作り笑いで簡単に罅割れた。血の味を微笑でもって誤魔化していく。


「彼が……貴方のお父様ですね? 悪夢についていくつかお聞きしたかったのですが、もう眠ってしまったんですか?」


「お父様は半年近く眠り続けているわ。それでも魘されている姿はほとんど見なかった。ここ最近は毎日、ずっと苦しそう」


「半年も……?」


 眠り続けて半年も生きていられる人間など聞いたことがない。固形物を食べさせることは出来ず、水やスープを辛うじて与えられたとしても、栄養は不足していくはずだ。にもかかわらず彼の外見は健康体に見えた。痩せこけていない頬、しかと筋肉のついた体。入眠したばかりに見える寝姿が、不気味に思えてくる。


 それでも平然と相槌を打ったのは、己が『魔法使い』であり、彼もそうなのではないかと推し量れたからだ。


 眠っている男性が眉根を寄せていく。唸り始めた彼に、一歩歩み寄った。


「とりあえず、貴方のお父様の夢に」


「『貴方のお父様』『お父様』って、貴方……ちゃんと彼を見ているの? 彼を見て、何も思わないの? 赤の他人みたいに淡々として……ッ」


 震え声に思わず振り返っていた。少女は俯いていて、その相貌は窺えない。噛み締められた息差しは泣き出しそうな音をしていた。何を言えば良いのか分からぬまま、しかし黙っていることも出来ずに、事実だけを吐出していた。


「え、っと……俺とこの人は、初対面ですが……」


 苛立ったヒールの音が響き渡り、目界が大きく揺らされた。息が詰まりそうになる。それは心理的な閉塞でもあり、物理的な窒息でもあった。少女の腕は真っ直ぐにこちらへ伸びていて、五指は俺の胸倉を強く掴んでいた。


 熱情で鮮やいだ星眼(せいがん)に角膜を焼かれそうになる。まるで直視してはいけない天体。だのに結ばれた視線をほどくことはかなわなかった。襟を引き寄せられれば余地は狭まり、鎖骨に触れる彼女の吐息がひどく熱かった。


 間近で見た少女は、人形などではなくて、ありふれた子供の顔をしていた。堪えることも誤魔化すことも知る前の、純粋な幼子を幻視する。


 押し殺されることのなかった心火が、しゃくりあげる息吹を起端にして(おこ)された。


「──貴方の! お父様でしょう⁉」


 甲走った怒りに鼓膜が貫かれ、金属音じみた高い余韻が耳底にまとわりつく。しんと掻い澄んだ空気を、彼女だけが静かに乱していた。不規則な呼吸音にこちらの脈まで惑わされていく。重なった影の中で見交わしたまま、互いに目を逸らせずにいた。


 彼女の赤ばんだ両目は水鏡のようだった。つやめいて俺の顔まで映し出そうとする。今、自分がどんな顔をしているのか、見たくはなかった。己の表情が険しくなっていくのを感じていれば、彼女が先に顔を背けた。


 襟を引っ張っていた力が緩んで、ほの赤く色付いた素手が(くう)を握り込んでいた。手骨が白く浮き上がっていくのを見下ろしながら、熱のない閑言をささめく。


「……落ち着いてください、貴方は、何か誤解しています。俺に父親はいません」


「なんなのよ……お父様のことを全部忘れたって言うの? 本当に何も思い出せないって言うの……⁉ お父様がどんな気持ちで貴方を……ッ!」


「っ話を、ちゃんと聞かせてください。そもそも貴方のお父様だと言っていたじゃないですか……?」


 八つ当たりの拳が力無く俺の胸を打った。そのまま留まった拳固は布地に皺を作るだけで、骨を軋ませる強さすらない。けれど、小刻みに痙攣しているのは布越しに伝わってきていた。


 どう慰めるべきなのか。おずおずとその手に片手を伸ばしたが、触れる前に弾かれる。乾いた音が沈静に染み入る前に、彼女は踵を鳴らし、遠ざかった。


「私はお父様に──」


「ううっ……!」


 低く嗄れた呻きが、軋む古木のように寂然を締めつけていく。眠る男性はひどく魘され、上体を捻ってはシーツを波打たせた。意識の通っていない腕が無意識のままもう一方の腕に爪痕を刻む。痛みを堪えているのか、それとも自罰の表れか。


「っお父様……‼」


 少女が床に膝を突き、男性の片手を両手で包み込む。灰髪が左右に揺れた。制止を願っているのはその後ろ姿だけでもよくわかった。


 凝視してみれば、彼の袖には酸化した血痕が染み付いている。悪夢による自傷は今回が初めてではないのだ。それに気付いて、俺は己の足に手を伸ばした。


 レッグホルスターの金具を弾いて刃を引き抜く。掌理に収めた硝子ナイフが何かを言っていたが、付喪神の軽口に応じている余裕などない。


 机のほうから椅子を手繰り寄せ、少女に影を落とす。少女は真横に置かれた椅子を打見して、それから俺を見上げ、瞠目していた。凍り付いた目が切っ先を映し続けている。少女は男性の手を放すとスカートの裾を握りしめていた。


 俺は椅子に腰を下ろし、男性の骨ばった手を右手で掴む。左手のナイフは己の胸元に添えたまま、深く、息をする。


「少しだけ、俺は意識を失います。が、お気になさらず適当に待っていてください」


「どういうこと? ちゃんと説明してちょうだい。それ……お父様を傷付けるつもり?」


「違います。彼には傷一つ付けさせません」


 立ち上がった少女の両足で、赤い編み上げリボンが踊った。こちらを下瞰(かかん)する諸目は険しく、異色の虹彩に不安と疑いを泳がせていた。


 背もたれに寄りかかって彼女を見上げる。何から説明するべきか、唇を結んで潜考する。途切れた会話は彼の唸りだけが繋いでいた。


「これから魔法を使って、彼の『夢世界』に入ります。連続する悪夢は、特定の記憶に巣食った『夢魔』によるもの。夢世界で夢魔を狩れば、彼の悪夢は終わります」


「……なら、私も付いていくわ」


「それは、難しいかと。夢世界に入ることが出来るのは魔力が流れている人間のみです。通常、人の肉体には魔力なんて流れていません。魔力をその身に宿す方法は『付喪神と契約すること』。ですが、付喪神とは『長い年月のあいだ大切にし続けた器物に宿るもの』。なので、今この場で貴方に魔力を与える方法がありません」


 少女の仏頂面がぎこちなく顔を傾けていく。錆びた人形を思わせるそばめに、小息を吐いてからベッドに向き直る。彼女も諦めたことだろう。己の仕事に集中するべく柄を握り込んだ時、隣に丸椅子が叩きつけられた。


 飛び乗る勢いで着座した少女は、腕組みをしてこちらを虎視していた。


「……いるわよ、付喪神。だから連れて行ってちょうだい」


 早くしろと言わんばかりに細い顎が逸らされる。彼女に魔力があるのか否か、その真偽を確かめている時間も惜しい。苦悶に呻く患者を前に、押し問答を続けるわけにもいかず、今度は俺が仏頂面で首肯していた。 


「俺の右手……手首でいいので、掴んでいてください。それから、俺に続いて詠唱を」


「わかったわ」


 男性の手の甲に重ねている俺の右手。その手首を彼女が決然と握り込んだ。彼女の覚悟がこちらの肌骨(きこつ)を歪めていくものだから苦笑してしまう。吐き出した一呼吸ののち、心持ちを切り替えて刃を返した。


 掲げた短刀の影が、重ねた手元に落ちる。薄藍の影を打ち眺め、眼を細めていく。


「──〈繋げ。空夢は現と化す〉」


 定められた台詞の余韻を、少女のかすかな声が追いかける。諦視した刃が青く光り出し、その色彩は持ち主の肌まで侵食していく。蒼白の光を帯びた静脈は稲妻さながら。全身に伝播していく魔力が鮮少の痛みを滲ませ、硝子片と皮膚の擦過を錯覚させた。


 背筋が粟立つ感覚に未だ慣れることは出来ていない。強く、固く握り潰した柄の先で、青びれた光華がまたたく。眩しさに耐え切れず瞼を下ろしても、暗影は照らされていた。


 点滅と同じ拍で、精霊は淡々と紡ぎ出した。


『〈閉目せよ。我は鍵。汝は蝶。解錠の音を聴け。ほどかれた琅琅を。擦り切れぬ璆鏘(きゅうそう)を。開目の刻、籠は開かれた〉』


 目を開けた先になにが広がっているか、今の俺は分かっている。憂慮を抱かぬ精神が、ただ夢に向かうだけ。


 現実に残された形骸は、けだしく項垂れるだろう。

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