↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
悪夢狩りの硝子工  作者: 藍染三月
第四章
23/26

月痕─Goedemorgen─4

     □(四)


「『静寂の聖域』、ね……怪しそうな名前」


 遠くに見える看板に目を細め、私は思わず独り言ちていた。


 街外れまで足を伸ばすのは初めてだ。街中のように食べ物の匂いはせず、砂と木香ばかりが苦く香っていた。土を蹴って木暗がりを進んでいく。


 先刻、ファビアンが取り出したのは革財布だった。中には家族写真が収められており、彼は『家族を亡くした事件について調べているだけだ』と溜息混じりに事情を語ってくれた。それからお父様の部屋にあった黒い手帳を持ち上げ『今回の事件に関してもこの教団の教祖は怪しい。絶対に関わるな』と言い置いてから立ち去った。


 関わるな、と言われて私が大人しくしている訳がないだろう。忠告に感謝して拳銃は身に着けた。


 教団施設の入り口は賑やかだった。職員と思しき大人を、子供達が取り囲んでいる。笑いさざめく子供達を横目に、私は門番へ教徒の証たる手帳を見せた。


「ローデヴェイクに呼ばれてきたの。通してくれるかしら? 彼はどこ?」


 手帳はお父様のものだし、ローデヴェイクとは会った事もない。平然と嘘を紡ぎながらも緊張感に臓物が締め付けられていた。門番が私を怪訝そうに凝視して、それから手帳を検める。頷いた彼は片手を広げて門の奥を示した。


「ローデヴェイク様なら教会の奥のお住まいに……けど今は他のお客さんと一緒だよ。大事な話だって」


「そう、私もその客の内の一人なのよ。ちょっと遅れちゃって。後からもう一人来るって聞いていない? 言い忘れてそうね、あの人のことだもの」


「──お姉さんはピクニック行かないの? 今日はみんなでピクニックなんだよ」


 虚言を次から次へと喋々(ちょうちょう)していたら、幼い少女に裾を引かれて戸惑った。だが、無邪気な子供が割り込んでくれたことで会話が逸れる。門番も子供達に絡まれ始め、疑懼(ぎく)の霧は晴れていた。


 ほんの少し屈んで、少女の頭を撫でてやる。彼女は嬉しそうに頬を緩め、それから恥ずかしそうにクマのぬいぐるみに顔を埋めていた。


「ピクニック、いいわね。楽しんできなさい。お姉さんは忙しいの」


 幼子に手を振って門を潜る。眺め遣っただけでも建造物が何軒も目に入り、街の一角みたいだ。木々の向こうに十字架が見え、教会はすぐに見つけられた。


 アーチ道を踏み越えて奥へ。庭は整備されているものの、開花の時期が終わっているからか花は咲いていない。緑ばかりが揺れていた。教会は十字架や壁、扉にも雛罌粟のシンボルを装飾としてあしらっている。


 十字架の中心に取り付けられた雛罌粟の彫刻と、十字架の白は僅かに色味が異なっている。雛罌粟は後付けされたものだろう。元々廃教会だった建物を改装して、新たな教会として利用しているのだ。


 そういえばファビアンが言っていた。連続怪奇事件の一件目は、クラップロース教団が設立された年に起きている、と。


 教会に一瞥だけをくれてやり、そのまま奥を目指した。


 ローデヴェイクがいる、と門番が言っていた建物はごく普通の民家だ。二階建ての質素な佇まい。教会を通りかかった時も思ったが、どこからも人音はしない。皆ピクニックに向かったようだ。心躍る言葉で子供達を外出させる──まるで人払い。


 想到してから早足になっていた。ローデヴェイクは今、誰かを家に招いている。人払いはそ(・)の(・)誰(・)か(・)と(・)交(・)戦(・)に(・)な(・)る(・)可(・)能(・)性(・)を(・)見(・)越(・)し(・)て(・)の(・)判(・)断(・)なのではないか。


 玄関を見上げ、白く塗られた階段に爪先を置いて、冷静に息を続けた。爪先立ちを心がけ、極力音を立てぬよう上がっていく。手すりに這わせた手が汗ばんでいた。乾ききった唇を噛みしめて、木造りの扉を開く。


 廊下には絨毯が敷かれており、幸い靴音はあまり鳴らない。白い雛罌粟の造花がフラワースタンドの上で咲いている。正面にある扉は開かれていた。しかしこの位置からでは部屋の隅しか窺えず、室内の人影も見つけられない。


 私は太腿のホルスターから拳銃を抜き出して、壁伝いに歩みながら部屋の中央を覗き見た。


 窓明かりの満ちる場所で、背の高い短髪の男が立っている。虹彩を動かせば、椅子に腰かけている人影も視野に映る。


 男は腰を折って、着座している人物に背後から覆いかぶさっていた。会話は聞こえない。何をしているのか、詳(つまび)らかに認知するべく更に室内へ近付いた。


 男が上体を起こした。隠されていた長髪が目を射る。鮮麗な赤が机上に散らばって、机が受け止めきれなかった毛先はさらりと垂下していた。


 どうしてメイスがこんなところに。


 髪に隠された彼の表情は窺えない。けれども髪筋から垣間見える肌はいつにもまして儚い青白(せいはく)だ。


 眠っているだけ? 生きているの? あの男は今彼に何をした? 音は聞こえなかった、顔を机に叩きつけたわけではないだろう。暴力を振るった形跡は、ここからでは確認できなかった。細見して気付く。彼の片手に、硝子ナイフが刺さっていることに。


 グリップを握る己の拳が震え出していた。あの男を早くメイスから離したい。だが、メイスをこれ以上危険に晒すわけにはいかない。


 逡巡していれば、男は片手を翳していた。拳固を作ったその手を、振り下ろしていた。


 息を呑んで反射的に目を瞑ってしまう。恐る恐る窺察(きさつ)すると、男の拳は硝子ナイフの柄尻に打ち付けられていた。まるで釘を打つように、刃は更に深く埋(うず)まり、メイスの手からは鮮血が溢れ出していた。


「私が彼と話しているのに、人の話を遮って喧しかったよ。もう喋らないのかい? ……なるほど、コレは契約者と共に眠るのか」


 響き渡る独言にぞくりとした。一瞬、私に向けられているのかと思った。あの男は硝子ナイフに話しかけたつもりなのだ。


 確信する。奴が、夢魔と契約している魔法使い。


 ここに来て、体が痙攣していた。夢世界での戦闘でさえ怖かったのに。現実での痛みは空夢にならない。瞬きをしたら痛みが消えているなんて、奇跡は起こらない。


 何を今更。馬車に巻き込まれて両足を失った激痛を思い出す。死の感覚を、私は誰より知っているのだ。同じ苦しみを大切な人達に味わってほしくはない。


 あの男はお父様を殺そうとした。アニカを殺した。何人も殺して、何人も殺そうとして、今はメイスを毒牙にかけている。


 吸い込んだ空気は炎のよう。熱情を噛み砕く。意を決して踊り込み、陽溜まりを睨め掛けた。


 両腕で構えた拳銃。銃口の直線上にはあの男。奴はようやく私に気付いたようで、気抜けた顔を振り向かせていた。その手元では銀の輪が光を散らして揺れている。


「……手錠なんて取り出してどうするつもり。メイスから離れなさい、変態男」


「ははっ、失礼なお嬢さんだ。不名誉な呼び方はやめておくれ。私はローデヴェイク。君が『お父様』と呼んで慕っている男みたいに、気色の悪い性癖を持ち合わせてはいないよ」


 彼は手錠をテーブルに置き、降参の仕草みたいに両手を持ち上げた。細長く伸びる陽光を踏みつけて、私がいる日陰へ歩み寄る彼。


 心臓が熱をもって早鐘を打っていた。やはりこの男は、眠っているお父様に会いに来たことがあるのだ。私が外出した好機を見計らって。私とお父様の関係性も調べ尽くしてあるのだろう。


 ローデヴェイクの嘲笑が木霊して、私は奥歯を擦り鳴らしていた。


「お父様の、何を知っているって言うの。あの人は優しい人よ。お父様を侮辱しないでッ」


「あぁ、君も何も知らないのか? レイナウトも、養子に綺麗な所ばかり見せて卑怯な男だな」


「何をッ……」


「レイナウトは妻の死後、メイスくんを妻の代替品にしていた男だよ」


 お父様は皎潔(きょうけつ)で暖かな正義感を抱いている人だ。私にもいつだって優しくしてくれて、気遣ってくれた。無遠慮に触ったり傷付けるような真似は、決してしない人だ。


 諒解を飲み下せない。"妻の代替品"。それがどういう意味なのか、何度咀嚼しても、それを味解することは本能が拒んでいた。


 凝然と固まった私に、奴はほくそ笑んだ。


「レイナウトはメイスくんを妻の名前で呼んでいた。フランカ、と。息子に髪を切ることを許さず、自分の前では男物の服を着ることを許さなかった。息子に妻の服を着せて、息子を犯し続けた立派な性犯罪者だ」


 語られる言葉の一つ一つが、針となって私を穿刺していく。お父様の夢世界を追想していた。誰かを怒声で支配して、愛を囁く不可解な譫言(うわごと)。夢魔が肉体にしていたのは少女ではなく──少年だったのだ。


 小柄な痩身にはサイズの大きいネグリジェと、肌に点在していた小さな痣。全てが虐待の証だったと理解してしまえば吐き気が込み上げてくる。同時に罪悪感が喉を塞いでいた。


「……嘘、よ、そんな……」


 私が、メイスに思い出せと言った過去が、そんな陰惨なものだったなんて思わなかった。信じられない。私の知っているお父様とは、まるで別人の話を聞かされているよう。


 身動きの取れない私の前で、ローデヴェイクは悠々と踵を返していた。彼はメイスの背もたれに片手を突いて、蒼白い頬に指を這わせる。そのまま赤い髪を掬い上げた。


 銃口が揺れる。彼に触るなと叫び出したいのに、胃が痙攣して声を出せない。


「まぁレイナウトの気持ちも分からなくはない。メイスくんはフランカにそっくりだ。だが、私からすればレイナウトの血が流れている忌々しい子供……いくらフランカに似ていても、血も体も穢れているこの子に何の価値もない」


 掲げた杯から溢れる葡萄酒みたいに、ローデヴェイクの指の間から幾筋もの赤が流れ落ちる。その秀色は皮肉なほど美しかった。


「この子の脳を夢魔に侵させるのは二度目なんだ。一度目は数年前、道端でチョコレートをあげてね。その時はどうにか乗り越えてレイナウトの記憶を砕いたようだが。おかげで彼にとって悪夢の原因となる記憶がなくなってしまって、どうしようか悩んでいたんだが、アニカが役に立ってくれたよ」


「っ……最、低……」


 人の命を、何だと思っているのか。私は熱を帯びていく気吹を吐き捨てて肩を揺らしていた。照準が定まらないほどの情懐に、乱されるなと言い聞かせる。己の唇を濡らす片息は獣さながらに荒れていた。


 血走っていく眼を瞼で覆う。お父様の部屋の薬袋が不意に浮かぶ。ファビアンがあの中から抜き取った包み紙。あれは、お菓子の包み紙だった。


「今回は夢魔だけに任せず、現実世界では私がメイスくんを管理しようと思ってね。逃げられないように閉じ込めて、目が覚めたらまた薬を飲ませて、夢魔が喰らう時までここから出られない……そうするつもりだったんだが」


「穢らわしいのは貴方の方よ。汚いやり方ばかりして、どこまで卑怯なの。そもそもフランカさんは貴方のせいで死んだんでしょう」


 冷眼で射る。彼は不気味に首を動かしてこちらを芥視(かいし)した。


「貴方、お父様のことも、メイスのこともずっと殺したかったのよね。だから数年前、お父様が捕まえた犯人を脱(・)獄(・)さ(・)せ(・)た(・)。そいつがお父様を殺してくれると思ったから、唆して。だけどフランカさんが殺されて、貴方の計画は最悪な形で失敗した」


「……面白い推理だ。いったい誰からそんな話を聞いたんだい?」


「ファビアン・キールストラ先生よ。彼はフランカさんと疎遠になっていたお兄さんだった。妹であるフランカさんの死を知ってから事件について調べ続け、刑(・)期(・)を(・)終(・)え(・)て(・)い(・)な(・)い(・)犯(・)人(・)が(・)何(・)故(・)フ(・)ラ(・)ン(・)カ(・)さ(・)ん(・)を(・)襲(・)え(・)た(・)の(・)か(・)、その真相をずっと探っていたみたいね」


 拳と机の衝突音が、事実の余韻を打っていた。明らかに彼は惑乱している。それでも平静を繕っているつもりなのだろう、うそ笑みは崩れなかった。


「貴方が夢魔と契約したのはフランカさんが亡くなった後でしょう? だからそれ以降、直接的に手を下す形ではなく、夢魔を取り込ませる形でお父様やメイスを潰そうとしていた。いえ、初めから貴方は、自分の手だけは汚さないようにしていたものね。だからこの期に及んで眠っているメイスをその手で殺さない。人を殺す覚悟も決められない小心者」


「……生意気なお嬢さんだ」


「リーセロット・オッセンドレイフェル。それが私の名前よ。それで? 夢魔の本体はどこにいるのかしら。出しなさい。潰してあげるわ。これ以上、私の大切な人達を傷付けさせはしない」


 薄闇を後にしてヒールを鳴らす。舞台に上がる足付きで旺然たる絨毯を踏みつけた。窓から遊離した格子状の赤日(せきじつ)はいやに眩しい。撃鉄を起こして突き付けた火身が爆ぜんばかりに発光している。まるで具象した情動。


 そう、今にも爆発しそうだった。奴の肉塊一片も残さず消し炭にしたいくらい。堪えるのもそろそろ限界だ。


 くつくつと奴は笑う。その笑声に、心火を塞いだ火蓋がぐらついていた。


「オッセンドレイフェルか。思い出したよ。見知らぬ子供を助ける為に、過剰防衛で捕まったのち囚人に嬲り殺された愚かなヒーロー……君はその娘か。父親譲りの正義感を、悔やむことになるぞ」


「……へえ、私の実の父親ってそういう人だったのね。極悪人じゃなくて良かったわ」


 過剰防衛、と唇の裏で唱えた。ふ、と口角が緩む。上等だ。


「血の繋がった娘だもの、父さんと同じ選択をしてあげる。けど捕まるのは私じゃない。貴方のほうよ連続殺人鬼……!」


 自ら切り落とした自制の蓋。流露した怒りで全身に奔る熱。熱い。溶け硝子の燃える窯を思い出す。メイスの表情を、言葉を、回顧していく。銃声が響き、散った火花。滲んだ深紅にグラスを幻視した。


 私はまだ、彼の作ったグラスを受け取っていない。


 奴の黒い外套が翻り、光を奪っていた。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。