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悪夢狩りの硝子工  作者: 藍染三月
第四章
22/26

月痕─Goedemorgen─3

     (三)


『静寂の聖域』の入り口で、ローデヴェイクは門番と閑談しながら俺を待っていたようだ。信徒の証である手帳がなければ門番が通してくれないからだろう。促されるまま清陰の中へ進み、彼の背を追いかける。


 相変わらず子供達は元気にはしゃいでいた。芝生に集まる少年少女の笑い声は微笑ましい。ローデヴェイクも温顔で彼らを一瞥していた。遊び場を通過して石造りのアーチを潜っていく。


「アニカが亡くなったことは、子供達に伝えていないんだ。家に帰ったんだよ、としか、言えなかった」


「……そう、ですよね」


 肌に触れる風が冷たい。砂埃と朽葉が舞い上がり、目を細めた。


 教会の扉は閉まっていた。屋根に掲げられた十字架の中心では、白銀の花が咲いている。朝暉(ちょうき)で白んだ彫刻を見上げていれば「こっちだよ」と呼びかけられた。


 ローデヴェイクは教会を素通りして更に奥へ。そこには一軒家が建っていた。前回訪れた際は教会の陰に隠れており気付かなかった。彼の住まいなのだろう。白とアイスグリーンを基調とした外観は森閑に良く似合う。


 ポーチへ続く階段を上って、玄関を潜る。広い廊下だ。蔓装飾(スワール)の施されたフラワースタンドが等間隔に並び、花瓶には白い花が挿してあった。それは造花のようで、香りがしない。代わりにお香じみた芳香が漂い、他人の家に上がっている実感を得ていた。


 通された居間は日当たりが良好。シャンデリアが備わっているものの、旭光だけでも十分眩しい。室内に点在する観葉植物も満足に光合成が出来ているらしく、葉は青々と艶めいていた。


 高そうな花瓶模様の絨毯を躊躇なく踏んでいくローデヴェイク。座るよう促され、俺も柔らかなウールに靴跡を刻んだ。


 居間の中央に置かれた椅子に着座すれば、細長い窓明かりを浴びる。隣室へ向かった彼はティーセットの載ったワゴンを引いてきた。水音とともに薔薇の佳芳が跳ね、そこには焼き菓子の匂いも混ざる。


「急に来てもらって済まないね、メイスくん。お茶をどうぞ。お菓子も好きに食べてくれ」


「ありがとうございます。……アニカのことで、渡したいものというのは」


 嚥下した紅茶はやけに甘い。砂糖を多く入れてくれたのは、普段幼い子供達と接している彼の癖だろうか。


 先日も彼は、俺をまだ子供だと言い、親のように微笑みかけてくれた。実年齢よりも下に見られているかもしれないなと苦笑してしまう。


 小花柄の皿にはスコーンとクッキーが詰まれているが、さほど空腹ではないので手を伸ばさなかった。


 ローデヴェイクは懐に手を入れる。机上に置かれたのは見覚えのある手帳だった。黒地に、円形の花が刻まれた表紙。間近で見ると花脈や蕊(しべ)が放射状に描かれており、やはり太陽を連想させる。


「これはアニカの手帳だ。彼女の遺品のほとんどは両親が持ち帰ったが、これは要らないと言われてね。ウチで保管しても良かったが、開いてみたら、彼女らしい詩や日記が書かれているんだ。よければ君が貰ってあげてくれないか」


 白い花弁を指でなぞり、持ち上げた。開いてみると、最初の数ページは教団について書かれている。それ以降のページは自由に使えるよう、元々白紙になっていたようだ。歌詞と思しきフレーズが散らばっていたり、日常であった嬉しいことが書き留められていたり、力強い筆跡はどこか彼女らしい。


 ページを捲っていけば快活な彼女の真面目な面も見えてくる。美味しい紅茶の淹れ方、接客時の反省点、どの硝子製品がどこの棚にあるのか、細かに書き留められていた。『笑顔が大事!』と大きく記され、隅に描かれたスマイルマークのせいで頬が緩んだ。


 明るい文面の合間には、黒く塗られたページも何度か挟まる。塗り潰し損ねた筆致から辛うじて読み取れたのは『お父さんが』『帰りたくない』『私が悪い』──何度も、家庭環境を思い返していた痛みの痕だった。


 数枚捲って、手を止めていた。『店長』と、彼女の声が聞こえてくるようだった。硝子工房での嬉しかった事、俺の好きな食べ物、俺の接客時の癖、俺の誕生日、そんなものを書き留めて何になるのか。そう思うのに、筆遣いがやけに楽しげで呆れることすら出来なかった。意味もなく、一文字一文字をなぞってしまう。


 視界が滲んで現実と白昼夢が混ざり合い、目頭を摘まんだ。手帳を閉じ、ひとまず机の端に寄せておいた。


「ありがとうございます。大切に、します」


「ああ」


 落ち着くために紅茶を飲み下す。一気に飲むと苦味が後味として残る。確かに子供達は砂糖がないと苦手な味かもしれないな、と思いつつカップをソーサーに戻した。


 ローデヴェイクは自身の手帳を捲りながら眉根を寄せていた。


「それと事件についてだが、何人か容疑者は上がっている。とはいえ、全ての被害者と結びつく人物はまだ見つからないらしい。警察で一番怪しまれているのは薬局の関係者だ。被害者全員が同じ薬局の薬を服用している」


 やはりか、と軽く目を伏せた。俺が知っている人達のみならず、俺の知らない被害者達も同じ薬局を利用しているのであれば、そこに黒幕がいる可能性は高い。薬局関係者についてはミハエルしか関わりがないが、彼の発言を思い返すと薬局長が引っかかる。


 とすれば無差別殺人になるのだろうか。誰でもいい、薬を飲んだ者が夢魔に侵されればいいと、そう考えて薬をばらまいているのだろうか。


 ミハエルは薬局長に許可を得て薬を買ったと言っていた。彼と薬局長が親しい仲ならば、夢魔の源となる薬を彼に渡したりしないはず。尤も、ミハエルがなんらかの恨みを買っていれば話は変わってくる。


 思議を巡らせていたら頭が回ってくる。眩暈を覚え、額に触れて目を伏せた。


 気にしないようにしていたが、昨夜もほとんど眠れなかった。そんな状態で座ってしまったせいか、眠気がますます強くなっている。


「まだ、アニカのことを引き摺っているかな。事件の話は一旦置いておこう。顔色が悪い。君も眠れていないんじゃないか?」


「……大丈夫です」


「大切な人を失って眠れなくなるのは、誰にだってあることだ。私も数日の間はあまり寝付けなかった。メイスくん、今も抱えているものがあれば、なんでも聞かせてくれ。人に話して楽になることもある」


 空いたカップに紅茶が注がれる。ローデヴェイクはワゴンからシュガーポットを取り出したが、俺は首を左右に振って無糖の紅茶を口に含んだ。


 花の蜜に似た質素な甘さを喉に通し、褐色の湖面を見下ろした。人影に覆われると水色は色濃くなり、血の色を想起させる。


「ローデヴェイクさんは、警察官になったばかりの頃、残酷な遺体を見て、その血塗れの光景を何度も夢に見たり、魘されたり、しましたか」


「……そうだね。事件を解決するまで、被害者の死に顔は頭から離れなかった。解決したら解放されたよ。だから大丈夫だ、君ももうじき解放される。警察の捜査も捗っているからね」


 警察はきっと夢魔には辿り着けない。次の被害者が出る前に、夢魔と契約している人間を見つけなければならない。


 カップの中で乱れる形影を眺めていれば、視界に彼の手が差し込まれた。その人差し指と親指が摘んでいるのはチョコレートだ。食べやすいように包み紙が開かれていた。


「疲れている時や辛い時は甘い物を食べるんだ。ほら」


「……ありがとうございます」


 アニカをはじめ、子供達の好物である菓子を前に、俺は子供扱いされた気持ちになって肩の力を抜いていく。


 俺が焼き菓子に手を伸ばさないから、好みではなかったと思われたのかもしれない。単に食欲がないだけなのだが、チョコレート一粒ならば胃に入りそうだった。


 チョコレートの薄い膜を噛み砕けば果実のソースが溢れ出す。以前口にした時も独特の風味を感じたが、また変わった味が舌に触れていく。何種類か異なる果実を使っているみたいだ。噛み進めていくとラズベリーの芳甘が強まり、後味はあっさりしていた。


「昔、フランカに言われたことがある。被害者の死に顔から目を逸らすな、ってね。遺体は言葉もなく真実を語る。だから私は、警察の仕事に慣れてからは何度も遺体と見つめ合ったよ」


「母さんは、直情径行なところがあったので。あの人らしいですね」


「そうだろう? フランカはいつだって相手の目を真っ直ぐに見るんだ。被害者の目も、容疑者の目も、弱っている同僚の目も。綺麗なネオングリーンの瞳で貫いて、本音を引き出してしまう。君を見ていると、どうしても彼女の瞳を思い出すよ」


 ローデヴェイクの緩頬(かんきょう)が陽射しで暖かに染まっている。天色の諸目とかち合った視線を、思わずほどいていた。彼の慧眼に己の弱さも全て見透かされてしまいそうで、目線を上げられない。


 二杯目の紅茶を飲み干してから黒目を彷徨わせていた。会話を変えたくて話題を探していた。舌根にまとわりつく紅茶の後味に首を傾ける。もたげた目界には手帳が映り込んだ。白い花の刻印が、晨光(しんこう)をたくわえていた。


「そういえば、これは何の花なんですか?」


「これかい? これはね、クラップロース……雛罌粟(ひなげし)だよ。色々な花言葉がある。赤い花弁なら慰めや感謝。黄色は富や成功」


「この教団の印は、白い雛罌粟ですよね」


「ああ。白い雛罌粟の花言葉は──忘却と眠りだ」


 どうしてか指先が跳ねていた。呑み込んだつばきの甘さが違和感を仄めかす。


 一杯目の紅茶に含まれていた苦味が、二杯目の紅茶にはなかった。同じポットから注がれた、同じ紅茶であるにもかかわらず、その違いはなんだ?


 昼光を浴びた瞼が重い。風景の輪郭が曖昧になり、色だけが出鱈目に散らばる。眉間を押さえて俯いていれば、暄暖が遮られる。


 傍らに立ったローデヴェイクの影に、呑み込まれていた。


「メイスくん。そろそろ、本当のことを話してあげようか」


「本当の、こと……」


 彼の大きな手が背中に回される。その気配に屏息(へいそく)していたら肩を掴まれた。


 臓物が不快感を訴え、吐き気を覚える。うまく呂律が回らない。薬品めいた苦味が胃の奥からせり上がってくる。


「チョコレートには時折、私の血液を混ぜているんだ」


 生温い息が耳殻に触れて、神経が死んでいく錯覚に蝕まれる。鳥肌の立った表皮が寒気を訴え、全身が凍り付いていた。


「この前……アニカが亡くなる前か。あのとき君が食べてくれたチョコレートにも血を混ぜていた。それから悪夢を見たんじゃないか? 私(・)の(・)血(・)液(・)か(・)ら(・)私(・)の(・)魔(・)力(・)を(・)取(・)り(・)込(・)む(・)こ(・)と(・)で(・)夢魔が体に入り込むからね」


「は……」


 吸った一息が喉を塞いで嘔吐(えず)く。血の味を、思い出していた。アニカを失う前、彼のチョコレートを食べた後、確かに血の味を感じた。自分の唇を噛み切ったせいだと思っていた。あの果蜜の中に血液が含まれていたのだ。


 ミハエルは睡眠薬ではなく、"差し入れの菓子"により夢魔を取り込んだのだろう。ローデヴェイクはレイナウトの家にも訪れていたはずだ。レイナウトの寝室にあった黒い手帳と、今手元にある教団の手帳は同じもの。


 机上に放置されている甘い香りの包み紙を、握り潰した。ローデヴェイクの体重が肩に圧しかかる。


 彼は俺の手背を人差し指でなぞった。ゾッとして力が緩んだ隙に、包み紙が攫われていく。


「チョコレートにも紅茶にも睡眠薬を入れておいた。君がどちらに手を付けるか分からなくてね。両方とも口にしてくれたから、少々過剰摂取になってしまったかもしれないな。眠くなってきたかな? その前に吐きたいか? 吐かせてあげよう」


「っ……!」


 背後から伸びた無骨な手が口元を覆う。彼は指の腹で唇の位置を確かめ、五指を器用に蠢かせて俺の口をこじ開けようとした。口腔に、異物が押し込まれる。


 吐き気がした。薬のせいだけではない、擦れ合う肌が、体温が、気持ち悪い。


 咄嗟に顔を逸らし、彼の手から逃れるも意識は朦朧としたまま。瞑目に抗うべく硝子ナイフを引き抜いた。


 すかさず通徹したのは己の片手。付喪神が何かを言っていたが聞き取れず、テーブルに縫い付ける形で自らを傷付けていた。


 肉を刳(く)りなした痛みは氷のように冽としており、頭が冷えていく。だが、睡魔がもたらす熱に敵わない。清(さや)かな氷が解けてしまえば、繋ぎ留めた意識すら溶暗するだろう。


「無駄な足掻きを。どうせ直ぐに眠りにつく」


「っ……どうして貴方は、何人もの人を夢魔に……アニカまで……ッ」


 氷刃を握る手には震えるほどの威武を注いでいる。溢れる羶血(せんけつ)はひどく熱い。赤く染まっていく肌が焼け爛れていくようだった。


 立ち上がってこの刃をローデヴェイクに突き立てたい。なのに全身が痺れて離席すら許されない。


 上体を起こそうとしたが、彼に後ろ髪を梳かれて硬直していた。うなじを掠めた空気に、どうしてか首を絞められていく。


 息が、乱れていた。


「私は君の母親を蘇らせる。いや、君の母親としてじゃない……"私の妻"として、やり直すんだ。フランカが幸せな人生を送れるようにね。彼女と添い遂げる相手は私だ。君の父親(あのおとこ)ではない。彼女の子供は私との間に生まれる子供しか存在しない。分かるかな、そんな世界で君の存在は邪魔なんだよ」


 この男は、何を言っているのだろう。その謬想(びゅうそう)を理解することは出来ず、ただ嫌悪だけが沸き出していた。崇拝混じりの歪んだ情感は不協和音しか奏でない。耳障りだった。


 彼は尚も喉を鳴らす。金属に爪を立てるような口跡(こうせき)で、音吐朗朗と笑み曲がる。


「アニカには申し訳ないことをしたが、君を潰すのなら彼女が適任だと思ってね。必要な犠牲だったんだよ」


 目を見開いたまま現実を直視していた。ローデヴェイクの言葉を頭蓋で反芻していた。


 適任とは、なんだ。


 奴の理想の世界の為に、俺という存在が邪魔で。俺如きを潰す為に、たかがそんなことの為に、アニカは死ななければならなかったというのか。


 意味もなく己の傷口を広げていた。楽器の弦が切れるように、中手骨が折れて指先が震えていた。


「……ふ、ざけたことを……ッ……」


 喘鳴を裂いて唸るも、肺は意念に追いつかず引き攣った。激しく咳き込んで脱力する。側頭部を木目に押し付けて、自らを貫く硝子ナイフに、八つ当たりじみた炯眼を注いだ。


 透いた刀身では陰火が明滅し、網膜に青が焼きついていく。


『なんだその顔は。臆することはない。思い出せ。己の悪夢を狩るのは二度目だろう?』


「──眠りたくないのなら、君が知りたがっていたことを語ってあげよう。聞きたくなければ今のうちに夢へ逃げた方が良い。ほら、目を閉じて」


 付喪神の声とローデヴェイクの耳語が鼓膜で反響する。意識は無意識の水面で溺れていた。いずれ沈淪していくのを悟りながらも、まだ、抗っていた。


『お前の血と刃(わたし)は今結ばれている。このまま落ちればお前自身の夢世界に入れる。だから』


「随分と頑張るんだな。もしかしてそんなに教えてほしいのか?」


「っ、く……」


 重なり合う音容がうるさい。聴覚が壊れかけた現状で、触覚の方が激しく理性を揺さぶった。


 他人の体温が、熱せられた硝子みたいに熱く、背筋を炙っていく。宥めるように何度も背を撫でられるたび、息差しは規則性を失った。


「メイスくん。君の父親は、君のことを──」


 耳朶を嬲った放笑は劇薬だ。過呼吸を鎮めることも出来ず、痙攣する片手で口唇を押さえた。


 自分という存在が崩れていくようだった。ローデヴェイクは語り続ける。憐れみを織り交ぜて、嘲りを滲ませて。


 逃げるように交睫(こうしょう)してしまえば目を開けない。五感が夢裏の淵まで沈んでいった。


 暗闇を彷徨う。瞑色の深潭で、一条の青を見る。


『メイス。いつも通りだ。夢魔を狩れ』


 痛みが片腕に凝集していく。硝子ナイフに誘掖された魔力が、血脈を這い上がっていく。突風が通り過ぎるのを待っていた。足を掬われないように、己を奪われないように、四肢に力を込め続けていた。


 風韻に目を開ける。


 俺は月夕(げっせき)に佇んでいた。満月の鋲で留められた青藍のベールが脆く波打ち、いくつもの光が瞬いては墜落する。


 顧望(こぼう)したのは、天体の墓場だった。



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