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悪夢狩りの硝子工  作者: 藍染三月
第四章
20/26

月痕─Goedemorgen─1

     *(一)


 箱の中で眠り続けた時間は、何十年になるのだろうか。久方ぶりに浴びた光がやけに眩しい。それは燭明ではなかった。後に知ったことだが、私の寝ぼけ眼を焼いたのは電気照明という代物らしい。


 擬似的に作られた日の目を背負い、男が私を覗き込んでいた。やけに窶れた男だった。己の不幸を嘆くような、情けない顔をしていた。


 男は私を箱から取り出すと、刀身(カラダ)の端から端までを観視し始める。私という存在を、確かめる目遣いだった。


「私の声が聞こえるか、ナイフの付喪神よ。私はレイナウト・ヘルブランディ。他の付喪神と契約している魔法使いだ」


 この男が魔法使いであることは触れた時点で感じていた。人間には分からない感覚かもしれないが、魔力を包含した体温は人のそれと異なる熱を帯びる。


『ああ、聞こえている。それで? 私とも契約を結びたいのか?』


「いや……貴方には、私の息子と契約を結んで欲しい。貴方は夢世界に入れるな?」


『当然だ。我ら付喪神は、人の夢想から生まれ落ちた存在。夢世界は我らの故国のようなもの。どんな付喪神であろうが、そこに契約者を連れ込むことも容易だ』


 彼は強張っていた表情をようやく緩めていた。安堵を湛えた黒目は弧を描く。それはおよそ一秒間だけで、彼はすぐに色を正す。生真面目な面差しが項垂れて私を覗き込んだ。


「良かった……息子を、私の夢に連れて行って欲しいんだ」


『それは構わない。だが何故だ?』


「私の夢世界は、今や悪魔に侵されている。その悪魔を、貴方の刃で狩って欲しい。私が契約している付喪神は戦闘に役立つものではないからな……」


『ああ……"夢魔"か。昔から時々現れる悪魔だ。前の契約者と何度も狩ったことがある。だが、アレを狩るとお前の記憶は欠落するぞ。悪夢の元になっている記憶が取り除かれるんだ。私の力で記憶を硝子化し、遺してやっても構わないが、どうする?』


 レイナウトは戸惑いも迷いも見せなかった。知っていたのか、覚悟はしていたのか。ただ深く息をして、室内を見回していた。


 テーブルやソファ、木造りの家具に囲まれたリビングルーム。中央の机上には焼かれた紙屑が何枚も散らばっている。空になったレターケースと額縁が乱雑に積み重なっていた。思い出の灰を見返して、彼は吐き捨てた。


「砕いてくれ。私は彼(・)女(・)を、忘れた方がいい。そうすれば、私は息子を、もう一度愛してやれるかもしれないんだ」


『だが、お前の息子とやらは戦えるのか? 戦い方も分からず、刃を握っても怖気付くようならば、夢魔に喰われるぞ』


「問題ない。昔は、息子に毎日色んなことを教えたものだ。よその家の子達はスポーツに夢中になっているのに、ウチの息子には戦い方を叩き込んだ。逮捕術をはじめとした格闘術も、拳銃やナイフの扱い方も教えた。私や妻のように、息子にも警察官になって欲しくてね。ここ数年は……私が正気でいられる時間があまりなかったから何も教えられていないが。今でも戦えと言えば出来るはずだ」


 夢世界に入り込んだ人間の死は、魂の死を意味する。魂が現実世界に帰ることが出来ぬまま、現実には形骸だけが残る。突然死、病死、そういった死因を付けられて埋葬される肉体。哀れなものだ。尤も、私の契約者はそうはならない。だからこれはかつて同胞から聞いた話だ。


 扉が開く音がどこからか響いて、レイナウトは顔を上げていた。


「ああ、ほら。息子が帰ってきた」


 レイナウトは私の視野を広げるように刃を傾ける。廊下を進んでくる靴音。華奢な少年が階段の方へ向かおうとして、人気に気付くなり足を止めていた。


 さながら炎に実体を与えた赤が、目を射った。赤髪が靡く。銀燭の光を浴びた雪肌は造り物のように心細(うらぐわ)しい。息子、と聞いていなければ、私は彼を少女と誤認しただろう。


 赤髪の少年はレイナウトを見るや否や蒼褪めていく。父親が帰宅していると思っていなかったのか、第一声は「どうして」だった。


 はっとして言葉を断ち切った少年は「ごめんなさい」と引き攣った声を上げ、括っていた長髪を慌てた手つきでほどいていた。


 少年は自分の格好を見下ろしてから両手を彷徨わせ始める。まるで買ってもらったばかりの服を汚してしまった子供の仕草。だが、彼が着ている衣服に汚れは一つも見当たらなかった。シャツもスラックスも新品の綺麗さ。なのにネオングリーンの眼差しは階段と床を落ち着きなく行き来する。


「す、すぐに、着替えてくるから……」


「いい。手を出せ」


「っ……!」


 レイナウトに片腕を引っ張られ、少年は顔を逸らして縮こまっていた。これが本当に戦える生き物なのかと心配になる程、今にも崩れ落ちてしまいそうな羸弱(るいじゃく)さが滲んでいた。


 掌に私(ナイフ)をのせられて、少年はおずおずとこちらを見る。レイナウトは少年の片手を力尽くで包み込んだ。掌理に刃が沈むと少年の息が掠れていた。私に対する態度と打って変わって、息子に乱暴な契約を強制させる様には咨嘆(したん)してしまう。


 詳細も知らされず契約を結ばれる少年に憐れみをかけ、一旦仮契約だけを結んだ。稲光に似た青が爆ぜる。少年は片腕を跳ねさせていた。 


「契約は結べたか?」


「な、なに……何の話を……」


『声は聞こえるな? 小僧』


 少年は目を瞠って私を見下ろす。開いた手から血を零(あや)し、浅い小息を繰り返す彼。彼にとっては非現実的で、理解が追い付いていないはずだ。


 それでもレイナウトは説明もせず、さっさと彼に背を向けて靴音を鳴らしていた。


「そのナイフの言葉に従えば、お前は私の悪夢に入れる。私の悪夢を狩ってくれ。そうして私の記憶を持ち出し、その記憶を砕いてくれ。全てはその硝子ナイフが導いてくれる。私が眠るまで、そばで待っていろ」


 凝然と立ち尽くす少年をそのままに、レイナウトはソファへ体を委ねた。目を伏せ、物言わぬ彼。少年はしばらく立ったまま硬直していたが、足音を潜めて空席に腰を下ろしていた。


 私を膝の上に置いて、もう一度髪を結び直す少年。レイナウトの寝息が響き始めてから、少年の纏う雰囲気は変化していた。花物のように萎れてしまいそうな風采は既になく、顔気色は歳不相応な冷艶に満ちていた。


 少年がナイフを握って立ち上がる。眠りについたレイナウトを見下ろして、彼が切っ先を下方へ構えていた。そのまま父の心臓を貫いてしまいそうな彼の注視を、青い燐光で奪ってやった。


『正式に契約を交わそう。小僧、お前の名前は?』


「え、あ……メイス。メイス・ヘルブランディ。契約って、さっき……」


『先刻のは代償を必要としない"仮契約"だ。付喪神にもよるが、私は魔力のない人間とは話せない器物でな。とはいえ、仮契約によりお前に与えた魔力は一時的なものでしかない。じきにお前の魔力は失われ、私の声も聞こえなくなる。夢世界に入るには正式に契約を結ぶ必要がある。その為には代償が必須。だから私は、お前の意志を確かめてから契約を結びたかったんだ』


 少年は逆手に握っていた刃を順手に翻す。慣れた手つきだった。溶いた新葉を閉じ込めたような、鮮やかな翠眼が私を視一視する。


 感情の読めぬ童顔と見合い、人肌に似た西日を浴びていた。


『メイス。私との契約が正式に完了すれば、お前の死後、その肉体は余すことなく硝子となり、私の餌となる。人としての遺体は残らない。私はお前の全て、骨の髄までを食い尽くす。構わないか?』


 紅鏡の中で彼は僅かながら瞼を持ち上げた。吃驚というよりも感嘆に近かった。子供相手だからと柔和な音吐を心掛けたが、きっとその必要はなかったのだ。


 彼は花笑みを湛えていた。綵花(さいか)の仮面ではなかった。胸裏を探ろうとして気取った全てはしめやかで瑰麗(かいれい)。恐れを知らぬ純粋な瞳が、きかと向けられていた。


「いいよ。もし俺が死んでも、弔ってくれる人なんていないから。貴方にあげる」


 そうかと頷きながらも苦味を噛み締めていた。人間はもっと空葬を恐れ、悩むものだ。無知ゆえの愚かさならばまだ笑い飛ばせた。この童はおそらく聡明。だからこそ寒慄(かんりつ)を抱かぬ澄んだ諦念に唸りたくなる。


 さりとて、惰弱な人間の覚悟に応じぬのは無礼千万。私は刀身に青を走らせた。


『もう一度刃で掌を切り、その手で私を握れ。お前の血を私に飲ませるように』


「わ、かった」


『私が詠唱をする。もし契約を中断したければ途中で手を離せ。契約を交わしたければ最後まで握りしめて聞き届けろ。いいな』


 頷いた彼は白刃を肌に向ける。既に抉られていた傷口を、更に深くこじ開ける。表皮を破って肉を抉る感触がこの身を染めていく。


 やがて無傷の手から血塗れの手へ、柄を持ち替えた彼。血の雫は一滴たりとも落下せず、螺旋を描いて私にまとわりつく。


 情景を覆っていく血の色に、ほの蒼き光華を重ねた。


『〈求めるは鮮血。赤き枝を結べ。纏繞(てんじょう)する血紅に我は青を実らせる。我らは生命の巡る果樹。持ち得ぬ彩が流るる時、我らの魂は嬋媛(せんえん)に絡み合う。汝の在り果つ様を見届けるまで──命を結べ〉』


 室内に青があまねく流れたのは玉響(たまゆら)。彼が瞬いたとき既に蒼茫は霧消していたはずだ。硝子に付着し留まっていた血液が、融滌(ゆうでき)する氷のごとく滴り始める。


 彼は数度睫毛を上下させ、私の言葉を待ち懸いていた。


『契約は果たされた。安心しろ。私は契約者を裏切らない。お前は私が必ず弔ってやる』


 ぼんやりとしてから頷いた少年は、どこか嬉しそうに朗色を広げていった。無邪気な子供の面影が、まだ彼の底に残っていた。


 私から詳細を聞いた彼は、期待を瞼に閉じ込めて夢世界へ踏み入る。彼は詠唱の直前、掠れ声で独り言ちていた。父の悪夢を砕いたら昔みたいに戻れるかもしれない、と。


 だが現実は残酷だ。彼は夢世界で、母の姿をした夢魔を殺すことになる。当然、幼い少年は何度も躊躇い、死にかけていた。


『アレはお前の母ではない。お前の母を冒涜している悪魔だ。お前の母が利用されているままでいいのか? あの化物から母を解放してやれ。母を救え』


 私がそう言い聞かせ、鼓舞してやり、ようやく偽物の母を貫けた彼。母だったモノの核たる硝子を砕き、日常に戻った彼だが、その後地獄のような日々を送ることになる。


 いや、私と出会うまでも、ずっと地獄にいたのかもしれない。記憶の圧砕は解放と結びつかず、ある種の執着を強めただけだった。


 ある時から彼は悪夢に魘され始める。あの時の彼の顔を、私はよく覚えている。


 ──いま目の前にいる青年が、私にそんな過去を追蹤(ついしょう)させていた。私を持ち上げた彼はこのまま刀身をホルスターに収めるだろう。そうなる前に、私は光耀を散らした。


『メイス、お前、悪夢を見ているんじゃないか』


 青白い顔が私をかえりみる。翠玉めいた明眸(めいぼう)は、見開かれてもなお色濃い影を被っていた。下瞼には隈が刻まれ、彼の不調を明かしている。


「え……いえ。恐らく、ただの夢です」


『嘘を吐くな。あの頃のお前と同じ顔をしているぞ。悪夢に耐えきれなくなり、私に相談してきた頃も、ずっとそんな顔をしていただろう。……覚えていないか』


 遮光幕が閉じられて旭日の光が淡くなる。メイスは私をレッグホルスターに収め、衣擦れの音を響かせた。日頃の身支度から推察するに外套を羽織ったのだ。そうして靴を鳴らし、部屋を出て行く。


「それは、俺が父の記憶を砕いた時の話ですか?」


『……さあな』


「あんたは俺が忘れた全てを知っている。だから教えてくれませんか。夢魔に侵される前、俺はいつもと違うことをしていた? 誰かと、接触しましたか」


 レッグホルスターの革蓋だけを眺め入り、階段を下る跫音(きょうおん)に耳を傾けた。メイスの音容は淡々としていた。しかし時折滲むざらついた低声。そこに静かな瞋恚(しんい)を垣間見る。


『人間が忘れた記憶については干渉しないことにしている。とはいえそれは制約ではないし、私の口を縛る鎖もない。ゆえに私も、口は滑らせるが』


「お願いします。俺は、夢魔の本体を潰したい」


『……悪夢を見始める前、お前は家を飛び出した。私を持たずにな。その後のことは何も知らん。だからいつも言っているだろう、私を置いていくなと』


 言い返す言葉もないのか、寂と静まる。今、メイスが渋面を浮かべているだろうことは手に取るように分かる。どうせ私に対して、うるさいな、などと思いながらも悔いているのだ。


 くつくつ笑っていればけたたましい鈴の音が響き渡っていた。確か電話というやつだ。滅多に鳴らない機械の為、私は未だこの音には慣れられなかった。


 耳障りな報せは止まって、メイスの明朗な作り声が虚空に喋りかける。


「はい。硝子工房ヴェルレーデンです」


 相手の声は聞こえず、メイスが相槌を打つだけの会話が沈黙を揺らす。その相槌も、漸次に堅苦しいものへと変わっていった。


 威儀を正した返事は、砥がれた刃を思わせた。



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