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悪夢狩りの硝子工  作者: 藍染三月
第三章
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紫苑─Ik zal je niet vergeten─2

「……すみません、ローデヴェイクさん。どうすれば良いか、分からなかったので。助かりました」


「本当は彼のことを殴ってやりたかったがね。誰のせいでアニカが苦しんでいたと……」


 青空を包んだ両目の奥底に、燎原(りょうげん)の火を垣間見る。穏やかな彼の苛立ちを気取ったのは初めてだ。俺が面食らっていたら彼ははっとして、きまり悪げに苦笑した。


 温かい目顔が垂下する。彼は子供相手にするように、俺と視線の高さを合わせた。円形のアクアマリンには俺の影が宿っていた。


「アニカのことは守れなかったが……君のことはちゃんと守らせてくれ。君だってまだ、大人に守られるべき子供だ。強がらなくていい」


「……ありがとうございます。俺は、大丈夫です。貴方から見たらまだまだ子供かもしれませんが、一応成人していますしね」


 軽い口吻で苦り笑ってみせたら、彼も安心したように愁眉を開く。彼の掌が俺の肩を撫で下ろしていった。緊張の糸が解けた証明か、己の指先が小さく跳ねていた。


 シャツの襟を正してからネクタイを整える。彼が古そうな手鏡を取り出して「使うかい?」と訊ねてきたが、俺はやんわりと断った。掠れた喉を長息で暖め、背筋を伸ばした。 


「ローデヴェイクさん。アニカは、近年この街で度々話題になっている、あの連続殺人事件の被害者達と同様の姿で亡くなりました。貴方の……クラップロース教団では、過去に同じような事件は起きていませんか」


 アニカの死について、ローデヴェイクも警察からの聴取や新聞記事で既に知っているはずだ。俺は彼女が亡くなってから二、三日の間、警察から繰り返し事件当夜の詳細を質されていた。彼女の死に様について警察は『頭部が潰れた不審死体』の事件と同一犯であると判断しており、俺に対する嫌疑はさほど向けられなかった。


 警察は俺の証言──何者かに襲われたわけではなく、彼女の頭部が突然潰れたという事実──をもとに、毒殺や未知の化学物質による殺人なのではないかと話していた。何しろ、これまでの被害者も密室で亡くなっているからだ。今回は俺という目撃者がいたことが、警察の捜査に進展を与えたようだった。


 だが、彼らが目星をつけている科学者や医者による犯行でないことは分かっている。人々が悪魔の存在を信じないことも、理解している。だからこの手で夢魔の犯行を終わらせなければならない。


 ローデヴェイクは気抜けた顔をしてから、顎に手を添えて首を傾げていた。


「ウチの子で連続殺人の被害者になったのは、アニカが初めてだ。図書館で過去の記事を見ればわかると思うが、教団を設立してからウチで亡くなった子はいないよ」


「そう、ですか。すみません。庇って頂いたのに、疑ってしまって」


「疑い……あぁ、今の質問はそういうことか。はは、私も鈍くなったな」


 木漏れ日を浴びた彼が朗色を広げて笑窪を作った。手帳を取り出し、何かを確認していく彼。黒い表紙では純白の花弁が円形に広がっていた。アニカが『静寂の聖域』に入る際、門番に見せていたのも同じ手帳だったのを思い出す。教団の一員である証なのだろう。


 彼は険しい顔をして一人で頷いてから、手帳を閉じた。


「大事なアニカを奪われて、私も大人しくしていられない。事件について調べられる範囲で調べてみよう。元警察官だからね、使えそうなツテが沢山ある。君よりも情報収集は得意だぞ」


「頼もしいです。ありがとうございます。何か分かったら、俺に教えてください」


「あぁ。だから君は、休んでいなさい。まだ辛いだろう」


 先程の手帳には知り合いの連絡先でも書いてあったみたいだ。確かに、こういった捜査は彼の方が慣れているはず。俺も彼とは違う角度から調べ物をしようと思っていたのだが、それを見越した彼は厳しい面持ちで詰め寄ってきた。


 気扱いに感謝が滲むも、それに甘えてはいられない。かぶりを振ると、揺れ動いた赤毛が華燭のごとく精彩を強めていた。


「……休めませんよ。休んでいたら、俺は俺を許せないので」


「アニカのことは君のせいじゃない。君にはどうしようもなかったんだ」


「俺のせいです。俺はアニカを、助けられたはずなんです」


「だが──」


「アニカに、花を供えてきます」


 彼の手から逃がれるように屈んで、落ちていた花束を拾い上げた。悼みの香りがした。百合の花香は弔いの記憶と紐づいている。母の葬儀が断片的に浮き漂い、その破片は頭骨を傷付ける。


 アニカの墓前には白い花が折り重なっていた。人影はとうになかった。注がれる明光はちょうど彼女の墓石に集束していて、俺は小さな笑みをこぼしていた。陽だまりは、彼女によく似合う。


 いくつもの哀悼が咲き香る。刻まれた名前をなぞる指先は震えていた。石は骨よりもざらついて固く、人肌よりも冷たすぎる。


 枯れかけの息吹で、アニカ、と、彼女を呼んでいた。返事もないのに語りかけずにはいられなかった。


「俺が君に声をかけたのは、気まぐれなんかじゃない。君に恩返しがしたかったんです。君のおかげで、俺は生きていられたから。……全部、生前の君に、伝えていればよかったですね」


 独言の音吐は乱れ始める。肺腑が痙攣して、自嘲めいた音を吹きこぼす。悔悟ばかりが思考を占拠していく。


 最期に過ごした夜のことが、頭から離れない。夢魔を狩ったら、沢山褒めてあげるつもりだった。彼女の父親からも守ってやりたかった。明確な愛が分からないなりに、彼女が求める愛情を、不格好になってでも注いでやりたかった。


 彼女の幸せを願い続けていた。初めて声をかけたあの時から、ずっと。そうでなければ、手を差し伸べたりしていない。詩の夢を抜けた先へ、彼女を進ませてやりたかったのに。


 熱を帯びた硝子が溶け出して瞼を繋いでしまう。目を開くことが出来ない。眼球がじわりと炙られていく。


 ──おやすみ、店長。


 気丈に綻びながらも彼女が不安を滲ませていたのを、覚えている。果たせなかった約束が気道を閉塞させていく。自身が憎くて堪らなかった。


 起こしてやると、誓ったはずだ。それがなんだ、この有様は。


 無力さに嘔吐いて、噎せて、やっとのことで現実を眼差した。口元を押さえてから深く息をする。彼女に、いつまでもみっともない姿を見せてはいられない。


 百合の花束を小さな花畑の隅に置いた。包み紙を鳴らして芳甘を手放す。


 口角にはうまく力が入らなかった。なおも彼女の眠る場所へ笑いかけていた。


「アニカ。また、来ます」


 彼女は今も、悪夢の中で眠りについたまま。せめて死後の夢が安らかなものに成ることを、切に願った。


 償いに爪先を引かれていく。真相を探るにはもう一度過去の事件と照らし合わせる必要がある。


 墓地を離れても供花(きょうか)の匂いを感じ、後ろ髪を引かれていた。暗香が届かなくなるまで決して足を止めなかった。俯くな、と。己に言い聞かせる。


 振り返るような甘さは、花と束ねて預けたのだから。


     (二)


 硝子工房ヴェルレーデンは殺人事件の現場として知れ渡ってしまった為、客足が遠のいていた。とはいえもともと閑散としている店だ。来客のない時間には慣れている。


 幾枚もの新聞紙をカウンターに広げて見比べていたら鈴声が響いた。心臓が跳ね、慌てて紙束を片付ける。『いらっしゃいませ』を口にしようとするも、訪れたのはリーセロットだった。


 服装は普段と変わらぬモノトーンのワンピース。荷物だけは珍しく、大きな布製の鞄を肩から提げていた。


 跫然(きょうぜん)と、膝に仕込まれた球体が見え隠れする。彼女の下腿部を編み上げているリボンが、歩行に合わせて揺らぐ。ボンネットの形影が机上に半円を描いた。近付いた距離で見た彼女は痛ましいほど目元を赤く染めていた。


 花瞼(かけん)がまたたく。オッドアイの色差しに佳宵の水面を幻視した。


 青藤の左目は前髪の影に染色されて小暗い。鶸(ひわ)色の右目は月の淡光を湛えている。今にも滴を零しそうなほど、艶めいて。


 リーセロットは俺の襟に焦点を結びつけていた。眼路が交わらぬまま、その桜唇はほどけていく。


「アニカのこと……先生から聞いたわ。どんな顔で貴方に会えばいいか分からなくて……ここに来るのを控えていたのだけれど。私も、葬儀に参列すればよかった」


「……すみません。葬儀の前に、リーセロットにも伝えておけばよかったですね」


「いいの。友達が亡くなったなんて、言いづらいでしょうし。……友達に、なれたのにね」


 寂び返った店内は時が止まったように音を失った。錆びついた鉛の心臓が辛うじて不規則な秒を刻んでいく。


 リーセロットは苦笑を俯かせた。その顔気色が暗影に隠される。華奢な肩が微かに震えていた。暗涙に気付いてしまって、俺は彼女から目を逸らしていた。慰めを差し出しても良いのか、迷情が利き手を彷徨わせる。


 意味もなく指紋を擦りつけたカウンターは霜枯れた幹の冷たさ。無相の冬に覆われていた。指先から体温を奪われ、喉元まで凍りつく。薄氷を溶いたのは彼女の方が先だった。


「ごめんなさい。貴方を励まそうと思って来たのに、私が泣いてどうするのよ……」


「いえ、俺は大丈夫です。無理をしないでください。何か飲みますか?」


「いらないわ。……貴方こそ、無理をしないで。これでも食べて、元気出してちょうだい」


 黒布の鞄から白い紙箱が取り出される。啜り泣きを潜めながら彼女は箱を開いた。甘い匂いが食欲を想起させる。


 彼女からの贈り物は、多彩な果実を生クリームで額装したフルーツタルトだった。まるで円形の型で切り取った花園。薄く切られた林檎とキウイが花弁を模して配置され、シロップの塗られた苺やブルーベリー、葡萄がつややかに箱庭を彩なす。


「これは、買ってきたんですか?」


「違うわ。作ったのよ。観劇に行った日、アニカとミハエルから貴方の好きな食べ物を聞いていて……果物ならなんでも好きだって言うから、タルトを焼いたの。とっとと食べて」


「……ありがとうございます、リーセロット」


 リーセロットはぶっきらぼうに、布に包まれていたフォークを突き付けてくる。銀の曲線には己の微笑が反射していた。その像へ指を重ねて先端を傾ける。


 タルトは既に切れ目が入っていた。おかげで一ピースを抜き取るのは簡単。そこから一口分を掬い上げ、口腔に押し込んだ。


 生クリームはすっと溶けてミルクの甘さを広げる。咀嚼していけば瑞々しい果実の蜜が滲み出す。タルト生地の底からとろりと溢れたカスタードは濃厚で、甘酸っぱい果汁と相性が良かった。生地はほのかに香ばしい。粉状にしたアーモンドだろうか。それにより後味は淡泊。だから二口目を食べたくなる。


「美味しいですね。果物はもちろん、タルト生地もクリームもちょうどいい甘さで」


「傷む前に食べきって欲しいのだけれど、大丈夫かしら。流石に大きすぎるわよね……」


「このくらい余裕ですよ。今日はまだ何も食べていなかったので、ちょうど良いです」


「なら良かったわ。男の人って痩せてる人でも結構食べるものね。──ところで、私が来る前は何をしていたの? 新聞を広げていたでしょう」


 残りは後で食べることにして、一旦フォークを置いた。埃がかからないように箱へ入れ直す。「ああ……」と相槌を打ちつつ、先刻片付けた新聞紙を開いてみせる。


「夢魔の侵入経路について考えていました。付喪神いわく、精霊や悪魔の類は魔力のない人間に物理的な干渉ができない。人間に声を掛けて契約を結び、契約者を介する必要があるそうです。つまり夢魔が人の体外から入り込むのなら、何者かが、被害者達に何かを与えているはずです。毒のように食事などに仕込んで。俺はこの事件の犯人を見つけ出したい」


「……待って、どういうこと? 夢魔が、この事件と関係しているの?」


「恐らく」


 該当の記事をペンで囲っていたため、どの事件を指しているのかリーセロットも一目で分かったようだ。新聞紙の日付は今年のものから数年前のものまで様々。彼女が紙を捲ったら、埃とインクの匂いが鼻を刺した。


「俺は、アニカの悪夢を狩ろうとしていたんです。でも間に合わなかった。アニカの夢世界は真っ暗で、俺は直ぐにそこから追い出されました。現実に戻ってみれば、アニカの頭が見えない何かに食い潰されていた」


「っ……」


 笛声が彼女の驚怖を物語る。説くことだけを考えて喋々(ちょうちょう)していたが、配慮に欠けていた。人が、それも友人がどんな風に亡くなったのか、残酷な詳細など聞きたくないだろう。


 しかしリーセロットは俺を平視した。蒼褪めた氷肌の間で、双眸はしかと面前を見据えていた。


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