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悪夢狩りの硝子工  作者: 藍染三月
第三章
14/26

紫苑─Ik zal je niet vergeten─1


     (一)


 まだ、十五歳だった頃だ。目覚めた頭はひどく痛かった。脳味噌の一点をスプーンで抉り取られたような、風通しの良い虚しさに思考は冷やされていた。自分が何をしていたか、記憶が曖昧で朦朧としている。


 手元のナイフに目を落とせば刀身は青く煌めいていた。付喪神に鼻があったなら彼はそれを鳴らしていたことだろう。


『起きたか。なら、着替えを済ませてこの家を出ろ。お前は一人で生きていくんだ』


「……なんで」


『数刻前のお前が決めたことだ。お前がこの家に居座る理由はない。母親は死んだだろう? "ここにいない方がいい"。お前自身が、そう選択した。覚えていないだろうが、覚悟くらいは残っているんじゃないのか』


 夢の中に漂っている気分だった。まるで見えない糸に引かれるように、立ち上がっていた。何かに突き動かされるまま、両足はクローゼットを目指していく。


「……何も、分からないけど……ここから出て行きたい気持ちは、あるよ」


『そうだろうな。ほら、支度をしろ。自分の居場所を、自分の足で探せ』


「わかってる」


 木材が軋んだ音を鳴らす。適当な服を纏い、硝子ナイフだけを持ち出して、俺はその家を後にしていた。


 付喪神は口うるさい親みたいにアレコレ指示をしてきた。それに従って踏み込んだのは酒場の店内だ。嗅ぎ慣れない酒と煙草の臭いに噎せそうだった。


 大人達の娯楽の場に子供が入り込んだら注目を集めてしまう。自分が目立っているのは理解していた。そしてそれは、今の俺にとって都合の良いことであった。


「住み込みで働けるところを探しています。雇って頂くことは可能でしょうか」


 カウンターの前で思い切り放った声は店中に響き渡った。未成年は雇っていない、と店主が困り顔で唸る。カウンター席で酒を飲んでいた客達も、顔を見合わせて囁き合っていた。


「お前んとこで拾ってやったらどうだ?」


「ガキの面倒なんて見てらんねぇよ……」


「住ませてやるほど余裕はねぇんだよなぁ」


 全身に視線が刺さる中、固唾を飲んで耳を澄ませていた。暫くのあいだ誰もがグラスを傾けず、真面目な声色で子供の扱いについて話し合っていた。良い人達だ。それでも誰かが声を上げる気配は感じられず、俺は諦めて頭を下げた。


「分かりました。他を当たります。突然失礼しました」


 この街の酒場は他に数軒ある。この店にこだわる必要はない。踵を返して店を出た。


 雪の降る夜の風は肌寒く、もう少し厚手の上着を着てくるべきだったと後悔したのを覚えている。白い息を吐き出して、歩き始めた俺の背に、重たい布地が降ってきた。


 肩にかけられたのは野暮ったいコートだ。袖が僅かに焦げていて、かすかに煙草の臭いがした。呆然としていたら頭を軽く叩かれる。


「おい坊主、付いてこい」


「え」


「行くところねぇんだろ?」


 見上げた彼の背丈は高く、首が痛む。体格の良い大塊(おおぐれ)の男が髭を掻きながら、酒臭い息を冷気に溶かす。


 彼は徐にしゃがみこむと真っ直ぐに俺を見た。重たく垂れた瞼の下で、鋭い眼光がこちらを観察する。その目遣いは決して刃ではない。灯火のような熱を感じた。


「……雇って、頂けるんですか?」


「ガキに給料は出さねぇ。……つっても小遣いくらいはくれてやるけどな。飯も食わせてやるし、部屋なら使ってねぇ部屋がある。生活には困らせねぇよ。どうだ?」


 元より、住まいが欲しかっただけだ。彼の提示した条件に不満は一切なかった。大人が子供を雇うメリットなど人件費の削減くらいで、彼の言葉は理にかなっている。


 灰雪が睫毛に絡む。俺は俯いて瞬きを繰り返し、結晶を溶かした。 


「……ぜひ、よろしくお願いします」


「よし、決まりだな。俺はダレンだ。ダレン・ベークマン」


「メイスです。その、ありがとうございます、拾ってくれて」


 彼の手が伸びてくる。どうしてか背筋が震えた。反射的に身を縮めていた。けれども彼は、俺が寒がっていると思ったのかもしれない。雑に掛かっていたコートの襟を正され、ボタンを留められていく。おまけに彼は自身のマフラーをほどいて俺に巻いてくれた。大きな手で俺の頭を包み込むと、荒っぽい手付きで髪を乱していく。


 彼は気怠げな仏頂面を崩さなかった。それなのにその手は、とても温かかった。


「というか、お前な。仕事内容をちゃんと聞けよ。怪しい仕事だったらどうするつもりだったんだ?」


「え、っと、今の俺は、仕事を選べる立場にないので。どんな仕事でもやらせてください。……どんな仕事なんですか?」


「別に、お前に任せるのはただの接客だ。俺は硝子製品を作ってる。硝子や火と向き合うのは楽だが客と向き合うのは好きじゃねぇ。お前は愛想を振りまいて商品を売れ。それで充分だ。……だがその顔じゃ駄目だな。坊主、お前笑えねぇのか? 笑ってみろ、ほら」


 跳ねるボールで遊ぶように、彼は軽い力で俺の頭を数度叩いた。俺は戸惑ってから引き攣った笑みを披露する。と、彼は吹き出すように豪快に笑った。


「下手くそだな。まあ、俺のバケモン面よりはマシか」と彼が怖い顔を作ったものだから、今度は俺が吹き出す番だった。


 その時の俺は自然に笑えていたみたいだ。ダレンが俺の反応に目を丸くしてから、大口を開けて朗らかに喉を鳴らした。


「ちゃんと笑えるじゃねぇか」


 彼は嬉しそうに俺の髪をぐしゃぐしゃにしていく。それが嬉しかった。どこか飢えていた子供心が、慰められていくようだった。原因も分からず熱を帯びていく眼を、瞼で塞いだ。もう一度目を開けて彼を仰いだ。


 彼の顔が、なかった。


 首の上には楕円型の血肉が乗っかっていた。目鼻立ちが分からぬほど抉られた頭部。真っ赤な塊がどろりと零れ落ちて、赤ばんだ頭蓋骨の裏側と見つめ合い──。


「っ……!」


 微睡みから抜け出した体は、木の幹にぶつかってどうにか立っていた。


 神籟(しんらい)たる朗読を聴いていた。現実を、思い出していく。睫毛をほどいて見つめた現前は、黒み渡った墓地だった。喪服姿の人々が一つの墓を取り囲んで祈りを捧げている。


 俺はその輪から離れ、木陰で葬儀を打ち眺めていた。片手の内で花束の包装紙が乾いた音を鳴らした。


 意識を手放したのはどうやら数秒間だけだったようだ。神父はまだ聖書を読み上げている。


 やがて茶髪の女性が涙声で弔辞を紡いでいく。菫色の瞳も、猫を思わせる目元も、アニカとよく似ていた。アニカの笑顔が瞼の裏に浮かぶたび、肺が締め付けられていった。


 彼女を失ってからおよそ一週間、まともに眠れていない。昨夜は葬儀に備えるべく、ミハエルに貰った睡眠薬を用いて入眠したが、眠りは浅かった。無意識の浅瀬でアニカの最期が回想されるや否や、目は覚めてしまっていた。


 ダレンの白昼夢もアニカの姿から連想されたものだろう。握りしめた掌の痛みが、現実感を伴って現実逃避を許さない。夢に逃げようが待ち受けるのはいつだって悪夢だった。脳とは皮肉で出来ている。


「──アニカは、本当に良い子でした。どうかあの子のことを忘れないで。あの子の笑った顔を思い出してください。アニカという、明るくて元気な女の子が、私達の思い出の中にいることを、ずっと覚えていてあげてください」

 

 弔辞は哀韻に呑まれて形を失っていく。嗚咽を漏らすアニカの母を、男性が俯きながら支えていた。沈黙は受け渡され、神父が祈りの言葉を唱え始める。冷たい風が吹いて樹葉が泣いていた。葉擦れの向こうには憂き音が連なり、アニカの学友が手を繋いで涙ぐんでいた。


 アニカを愛していた人がこんなにもいたことを、当人は知らなかったかもしれない。ざらついた喉の奥が痛んだ。感傷に浸るなと、己に言い聞かせるべく掌理に爪を食い込ませていく。


 数日間虚しさに打ちひしがれた。涙はとうに枯れたはずだ。なのに白光が滲み出すものだから情けなさに頽れてしまいそうになる。彼女の声が、まだ、鮮明に思い出せた。無邪気に歯を見せる童顔も、歌声も、脳室から離れない。


 傷口のない痛みが頭部を巡っていく。頭が割れそうだった。額を押さえた片手に前髪が絡みつく。毛先が表皮を撫でた感触に眉を顰める。流血の温度を思い出していた。受け止めきれずに零れ落ちてしまった猩血が、今も両手に沁みついている。


 あの日、生命は溶けた硝子よりも熱く感じた。その熱傷は表面に残らず、けれど内側を爛れさせていく。呼吸のたびに味わう。収縮する臓物の全てが乱壊(らんえ)している錯覚を。膨張するそれらに反して胸郭は閉ざされていき、息が詰まる圧迫感。そこから押し出される胃液の味を、必死に飲み下していた。


 片腕で己の体を掻き抱いて脇腹を押さえた。肋骨の隙間に五指を潜らせるように爪を突き立てていく。物理的な痛みを与えても気は紛れなかった。


 浅い息を繰り返して地面と向き合っていれば、人影が草地を陰らせた。


「まだ、信じられないな。彼女がもういないなんて」


 覇気のない低声に顔を上げる。アニカの担任教師が俺を見下ろしていた。眼鏡の奥で、憂わしげな翠眼が伏せられる。彼、ファビアンは短い茶髪を左右に振るって、気遣いの笑みを形作っていた。


「いや、会えなくなっただけ、か。彼女は安寧の地で元気に生きているさ」


「……そうですね」


「あまり気に病むな。彼女はこの街での悩みや苦痛、悪夢から解放された。これからは自由に過ごせるだろう。だから、幸せを祈ってやればいい」


 微笑を返そうとしたが、頬は乾ききった涙痕で引き攣って、上手く動かせなかった。頷いた顎を持ち上げることが出来ない。やり場のない情動に扼腕(やくわん)していた。


 アニカは、生きたまま自由になるべきだった。この街でのこれからが、あったはずだった。彼女が望んでいた居場所を知っている。望まぬ旅立を笑って送り出せるわけがない。


 鼓膜の奥で夢魔が俺を嘲笑っていた。唇を噛みしめて俯いていたら、ファビアンが革靴を鳴らす。すれ違いざま、彼は俺の肩に手を置いて囁いた。


「君も気を付けろ。身近な人間を、信頼するな」


 弾かれたように面を上げ、彼を振り返る。だが、日陰から抜け出した彼は既にこちらを見ていなかった。マホガニーの後ろ髪が高価な木材に似た艶を生んで陽光を受け流していた。


 ファビアンを引き止めようかと思ったが、背後から腕を掴まれて息を呑む。振り向いたそばから突き飛ばされ、俺は背骨を木の幹に打ち付けていた。取り落とした花束を拾う前に体の自由は奪われる。


 こちらの胸倉を掴み上げた男性が、充血した瞳で俺を睨んだ。彼が弔辞の際にアニカの母親を支えていたのを思い出す。その立場を理解したとき、咽喉を絞めつけられていた。


「お前……! 一体どんな殺し方をしたんだ! あの子の最期の顔すら見れなかった……! お前はあの子と二人きりだったんだろ!? お前が殺したんじゃないのか!」


「っ、いえ、俺は……」


「気まぐれであの子を拾ったんだってな。お前みたいな若造に惑わされたせいで、アニカは!」


「──やめなさい。貴方の気持ちは分かるが、彼だって被害者だ」


 振り上げられた拳から顔を逸らした瞬間、落ち着いた制止が荒れた空気を鎮めていた。固く瞑っていた目を開く。喪服に身を包んだローデヴェイクが、眉尻を下げてアニカの父へ手を伸ばしていた。


 俺のシャツを掴んでいた彼の手が離れていく。ローデヴェイクに諫められ、ゆっくりと下ろされる拳固はなおも怒りに震えていた。ローデヴェイクの背中が俺と彼の間に割って入る。申し訳なさで目の前を直視出来ず、俺は黒目を斜へ流した。目を移した先で、アニカの母が狼狽えながら成り行きを見守っていた。


「大人が無抵抗の子供を殴ってはいけない。それに彼は、アニカにとって大切な人だったんだ。そんな彼を父親が殴ったらアニカが悲しむだろう?」



「っ……」


「あなた、もう、帰りましょう? ね?」


 アニカの母は夫の腕を抱き、俺達に会釈をして遠ざかっていく。花めいた香水の香りに目を細め、一拍の息を吐き出した。


 上風が草原の彩色を掻き乱す。陽射しは花緑青(はなろくしょう)の絨毯に金の象眼をほどこした。ローデヴェイクが俺の双肩をそっと掴んだ。暖色の明かりを背負う彼。深憂に満ちた二つの硝子玉がこちらを視一視する。生傷でも探す目遣いに、肩の力が抜けていった。


「メイスくん、大丈夫かい」

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