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第九話 揺れる足元

 アルバニー式馬車、もしくは発祥地の名前をとってハックリー・カブとも呼ばれるこの二輪馬車は、かつてエルブリヒトで開発された小型馬車を原型としていると言われている。


 元のそれは車内に乗客と御者が並んで座る腰掛けが一つあり、後方には従者が立つか荷物を載せるための台があった。

 アルバニー馬車はこれを改良し、後方の単なる台を車体の上部に寄せて座席を付け、ここに御者を載せて屋根もしくは幌越しに手綱を通して馬を操れるようにしたものである。

 これで車内に二名、詰めれば三名の乗客を乗せることができるようになり、アルバニー王国首都ヘレスフォルドにおいては新興の郷紳層や都市富裕層の脚として親しまれていた。


 彼らがこれを好んだ理由は、第一に経済性、次に新規性、そして実用性である。


 通常、この馬車は一頭の馬で引くように設計されていた。

 単純な話として、一頭で引くならば必要な馬は一頭である。

 多頭引きのそれと比して運用コストが低いのは当然のことであろう。


 この馬車を用いる者たちにとって馬車とはあくまで移動の脚であり、求められたのは移動に要する時間コストの低減である。

 権威・権勢・財力の誇示は二の次三の次であったのだ。


 また、ヘレスフォルドの伝統ある市内の通りは、既に交通量が限界に達しつつあり、大貴族が好むような従来の大柄な車体は道を横に塞ぎ縦に居座りと、言葉にこそされずとも邪魔者扱いされつつあった。


 このアルバニー馬車はその隙間を軽快にすり抜ける程度の幅に切り詰められ、市街地交通における利便性を高めていたのである。

 

 現在、この馬車は少々の改良を加えられ、二頭の馬で古代の街道の名残のある道を走り続けていた。


 さて、あのケイロン村の修道院での杞憂からおよそ5時間が経過した午前十一時頃の事である。


 ルクレツィアは今のところ順調に推移する自身の計画への自信を深めると同時に、僅かばかりの後悔を感じていた。


 酔ったのである。


 アルバニー馬車は先程まで乗っていたアレマン馬車に比べ、確かに快速ではあった。


 日が昇り、車窓からの眺めを見やすくなったというのもあるかもしれないが、後方へ過ぎ去る景色の速さも三割程度は向上しているように思えた。


 ここまでは、彼女の想定のうちである。 


 重心を車軸近くに集めた馬車の設計は、舗装路を行く際の安定性を高めており、幅の絞られた車体は重さも削ぎ、人の肩ほどの大径輪は少々の段差を難なくまたげるようにされていた。


 しかし、それらはあくまで整備の行き届いた舗装路の話である。


 そもそも、本来この型は都市内の近距離移動に用いられるのが常であり、未舗装の道を、長距離にわたって長時間移動する事は想定されていなかったのだ。無論、それは不可能という意味では無いにしても。


 車体下部に装備されたスプリングは、車輪からの衝撃を吸収するはずであったが、快速を実現するための軽量化は、やはり「安定性」や「衝撃吸収性」においては不利な特徴であった。

 

 そして、路面の凹凸、放置された石、古い街道の石畳の遺構や残骸、折れた枝と多種多様の障害が存在していた。


 この道はエルブリヒト有数の主要幹線道路ではあるのだが、王政末期の無策から始まる簒奪に革命と既に数年にわたっていた政治の混迷や、革命後の鉄道整備へ傾倒した資本投下の偏り等により、既存道路の整備状態は万全であるとは言いがたいものであった。


 あらゆる障害が車内を物理的に震え上がらせ、「ガタン!」と跳ね上がるような衝撃すら、乗客に味わわせていたのである。 


 無論、ルクレツィアとて事前にこの「逃亡」の困難は覚悟はしていたつもりではあった。

 だがその覚悟が向けられていた障害とは、「革命政権の追跡」が主に想定されており、物理法則や自身の体調は二の次であった。

 いざ実際に強弱さまざまな、絶え間ない振動に襲われる環境を長時間過ごす事は確実に彼女の気力と体力を蝕んでいた。


 アルバニー式馬車は座席の前面が開放されている形式の為、走行に伴い風が客席を通り抜けはしていたのだが、それは王后の体調を救うには到底至らなかったのであった。


「陛下、お具合は大丈夫ですか?」


 主の体調を気遣ってか、背もたれの上にある窓を通して、御者席に座るステファン・マイエンバーグ少尉の声がルクレツィアの耳に聞こえた。


「…………大丈夫。このままいって」


 対する王后の答えは、無論、痩せ我慢である。


 しかし、ルクレツィアはこの計画は全て時間との勝負である事を重々承知している以上、道中で停車しての休息は勿論、速度を緩める事も望んではいなかった。

 既に日は高く昇り、自身が離宮から姿を消した事、そして不審な馬車が西門を通過した事なぞ文字通り白昼に晒されている事だろう。


 革命政府の手際がどれだけ悪くとも、昼には追手がこの街道に差し向けられるであろう事は彼女もわかりきっていた。


 故に、身体が悲鳴を上げているのは確かではあるのだが、それよりも一分一秒でも早くこの西の街道を抜け、東へと転進したかったのである。


「……了解しました。後、2時間もすればアンゲルフェルスの街です。そこで馬の取り替えも兼ねた30分程度の休憩をする予定ですから、今しばらくご辛抱ください」


「…………わかった」


 その意を汲み取ってか、少尉はそれ以上を言うことも無く、その行程を把握していないはずのない計画者に対し、今後の予定を伝えた。


 王后も何も付け加える事なく会話を閉じた。


 一方でルクレツィアの隣に座るラスティナは軽く目を閉じていた。


 先ほど、彼女は御者台に座るステファン少尉に


「夜に備えて私は少し休む。町が近づくか何かあれば叩き起こせ」


 と伝えて、この振動の中、なんと眠り始めていたのである。


 先の乗り換えの後、ルクレツィアはラスティナに計画のより詳しい内容を伝えていた。


 曰く、リューテトゥルムを発った大型馬車をケイロン村で小型に乗り換えた後、県境のアンゲルフェルスの街で一度馬の交換を挟み、エレリア手前のウェルス橋までを幹線道路を使い一息に移動する。

 これは革命政権の追手が動き出すまでに距離を稼げるだけ稼ぐ事が目的である。

 その後、大都市であるエレリアには入らず、川の向こうで即座に東へ転進し、バウネンロート、ベレガルト、カペレンブリュック、クルテナウ、ノイスタウト・アム・イオン、バーレンフェルス、オーベンハイム、ミルクルト、トゥリンゲン、リューネフェルス、ツァルベンと、中央大会の影響力が強く、鉄道駅も置かれているはずの大都市を避け、南部守旧派の影響圏にも近く、帰属がモザイク状となっている上記の中小の街や集落を通り抜けて、エステライエの帝国領邦市であるストラティスブルゴまで駆け抜ける。というものである。


 その全てに、彼女たちは近衛隊員や王党派廷臣、その血縁や知人を通じて選定した、信用できる協力者を置き、逃亡支援のネットワークを、半年近くかけて入念に構築してきていた。


 故に、ルクレツィアにとってこの計画に失敗は、無い。


 その筈なのであった。


 そして、これを聞いたラスティナは、ルクレツィアに対し迂回ルートの有無や協力者についてを二、三聞いた後、僅かに思案し、


「わかりました」


 とだけ告げて、先のように休みに入ってしまっていたのだった。


 ルクレツィアとて別に賞賛を求めていたわけでは無く、まさか批判があるとも思ってもいなかったが、特に訂正や修正もなく確認作業が終わってしまった事に少し肩透かし感を覚えつつも、変更すべき事がなかったのだから実行に備えて休めているのだろうと考えていた。


 尤も、今現在で彼女に襲いかかる不快感も鑑みれば、議論にならなかったのは、ルクレツィアにとっても幸いだったのかもしれない。


 馬車はアンゲルフェルスへの道を走り続けている。


 太陽は、中天へと至りつつあった。

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