表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
6/14

第六話 杞憂の村

 王家近習の青地紋章が記された大きな馬車が森を抜ける頃には、既に夜は明け、東の空が白み始めていた。


 時にして朝6時の半ば頃。


 森の木々が途切れるすぐ近くには幾らかの人家が存在しており、その茅葺きの屋根から突き出す煙突の内には既に煙を吐くものも幾つかある。


 「近代」の到来で、「外観」も「内実」も急速に移り変わる都市の様相とは異なり、その大波に未だ飲み込まれぬ、ありし日の光景がそのままに続けられていた。


 尤も、この村においても、その中心にあるだろう教会の鐘楼にすら、「L」「E」「P」の三つの文字が記され、三つの色で彩られた旗が掲げられていたのではあろうが。


 ともあれ。


 第2関門チェックポイントのケイロン村における、彼女たちの予定とは馬車の乗り換えであった。


 これまで王都から走らせ続けてきた、ファーレンス伯爵より借り受け、そしてこの近辺で放棄する事となる、重厚六輪の大層派手で立派なアレマン式大型馬車から、軽装二輪で快速のアルバニー式小型馬車への変更である。


 ところで、ルクレツィア・エステライエの「逃亡計画」を簡潔に言い表せば、「およそ国の中央に位置する首都を発して、一旦西に旋回してから東部国境を目指す」というものになる。


 単純化した話ではあるが、国土の半分ほどを横断する大旅行をするのであれば、当然大容量に荷物を運搬し、大きなばねも組み込まれ、どっしりと安定した大型馬車の方が快適に移動できる。


 しかし、これも当たり前の話であるが、重い物は、遅い。


 馬に対する負担も大きく、交換の頻度も、そもそもの用立てねばならない総数も増加し、そして勿論、目立つ。


 また、これが王室そのものの亡命であれば、単純な逃亡の人数の増加に加えて、王室の財貨に、権威を示す諸々の衣服に装飾に物品にと、あれよあれよと荷物は増えていたのかもしれないが、今、ここで行われている事は女2人の逃避行である。

 道中に要する紙幣の一束と金貨及び銀貨の一袋、小物の宝飾品の幾つか、食料品や水、そして次の変装への着替えが運ぶ事ができれば十分であった。


 故に、「逃亡者は貴族である」という印象を強める必要がある瞬間があった王都さえ抜けてしまえば、この大型馬車はお役御免であったのである。


 次に、そのような切り詰めた荷物の中にわざわざ「替えの衣装」が存在する理由を記す。


 それは、「「喪服」と「近衛隊制服」の女二人組は目立たない筈がないから」である。

 そして、これはただただ貧相な格好にすれば良いという話でもない。


 これは当人らの見栄や見栄えの問題ではなく、「栄養に恵まれた血色のいい貧乏人」などと言う存在が当時のエルブリヒトにある筈がなく、その姿が馬車の内にある事はもっとありえなかった為である。


 従って、ルクレツィアは裕福な「商人の娘」、もしくは「中位貴族の娘」と見える姿に、ラスティナは「その使用人」の姿に化ける事となった。


 ところで話は変わるが、革命以前の頃よりエルブリヒトの貴族の間で主流であった「アレマン式馬車」は、確かに大型の客室を備え、快適な旅情を提供していた。


 しかし、更衣室としては流石に窮屈な容積である。


 だからといって、今まさに国家組織の手から逃れようとしている人間が、付近の農家の間借りを頼み込む暇があるはずも無く、「国王に嫁いだ東の大国の皇妹」と「近衛を統べる伯爵家の末娘」という二人の人間は、馬車の扉を閉め切り、窓にかかるカーテンを完全に閉じる事で作り上げた密室で何とか着替えを完了させたのだった。


 ともあれ、これで彼女たちがこのアレマン馬車で行うべき事は全て完了した。


 後は、合流地点で乗り換えるのみ。


 その筈であった。


 ルクレツィアがこの村における後続との合流地点として指定していたのは、村外れにあるツァストリング派の修道院であった。


 そこには、次の御者も務める事となる筈の近衛少尉ステファンがアルバニー馬車と共に待機している筈であった。


「……居ない?」


 しかし、薄霧の向こうに聳える礼拝堂と思しき建物の側には、何の影も存在しなかったのである。


 これを視認したルクレツィアの背中には途端に冷たい物が流れ落ち、その脳内はあらゆる可能性、いや「危険性」の検証を始めた。


 彼が捕まったのか?しかし何故?侍従が王族の起床を確認するまですらまだ時間がある筈。ラスティナも朝まではまだ安全だと言ってくれたではないか。しかし馬車の姿は無いのは事実。少尉が諦めた?逃げた?でも時間の遅れはない筈。もしかして逆に早すぎた?それとも、まさか。


 尤も、どれだけ考えを巡らせようとも、馬車の中でその答えなどわかる筈も無いのだが、嫌な想定という物は次から次へと無駄に浮かんでくる物である。


 その間も、礼拝堂の尖塔は彼女の視界の中でどんどんと大きくなり、その先端は視界からも外れようとしていた。


 予定通り合流を目的としたままで良いのか。それとも乗り換えを諦めて、馬を加速させ、この馬車のまま行くべきか。いっそ馬だけ借り受けて駆けるという手も。そもそもこのまま近づいて「陛下」


 その僅かな時間で無数に反芻した王后の思考を断ち切ったのは対面に座る女の声であった。


「ステファンを信じ、馬を進めましょう。彼はいたずらに責務から逃げ出す人間ではありません。これは、上官として保証します。また、今の馬は昨晩からこの馬車を高速で引き続けすぎました。現状のまま進めば早晩に潰れます。交換は行うべきです」


 数刻前まで虜囚の身であったラスティナだが、「今の予定」が何であるかは先の衣装替えの際に伝えられていた。


 信頼していた自己の副官のみならず、ステファン少尉に、そして今大型馬車の御者席に座る2名と、預かり知らぬ所で己の部下達が進めていた近衛内部における秘密工作の存在に、隊長としての管理不行届きを憂い、頭を抱える処もあったがその場面は割愛する。


「また、仮に、少尉が政府筋に付いていたとすれば、我々は王都西門の時点で確保されるか、そもそも陛下が離宮を発つ事すら叶わなかったでしょう。そして、例えば、この村の共和派住民辺りと少尉個人の間で諍いが起こり、少尉の側に何か不都合が発生したとすれば村全体が騒ぎとなっている筈です。しかし、現状群衆が集っている気配はありません」


 そして彼女はルクレツィアの目を見て断言した。


「故に、私は予定通りに接近する事に問題があるとは思えません。ご安心を」


「……そ、そうね。そうよね」


 その言葉でルクレツィアは自身を落ち着かせ、座席に座り直したのであった。


 結論から言えば、この「王后の危惧」とは全て杞憂でしかなかった。


 こちらの先頭の馬の鼻先が、修道院の隅に差し掛かった所で、その向こうの隅から、カパカパカラカラと2頭の馬と小型の黒い馬車が姿を現したのだ。


 事がわかれば単純な話である。

 ステファン少尉の姿が遠くから確認できなかった理由は、近隣の村人や街道を通る郵便馬車等が、明け方なんていう時間帯に待機している、この黒く小さい馬車の存在を意識付ける事の無いよう、少尉自身の機転で修道院の物陰に身を潜めていただけであったのである。


 しかし、ただ、それだけの「予定外」を確認するまでの時間が、これほどまでに長く、そして恐ろしく感じるとは、ルクレツィアはここまで考えもしていなかった。


「ケイロン村における乗り換え」とは、「旅程」における2割にも到達していない段階でしかない。

 改めて襟を正し、覚悟を決め直さねばならないと一人の娘に自覚させるには十分すぎる出来事であった。


 また、この時の彼女は知る由もない事ではあるのだが。


 この朝の「6時」という時間帯は、彼女たちの最大の脅威である公民保衛協約委員会《コミテ・コンヴァシオン・サリュ・ナシオナーレ》が目覚め、動き始める「以前」の時なのである。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ