第四話 革命前史
盛者必衰、諸行無常とは世の常である。
しかし、およそ1000年、三家三十代にエルブリヒトの大地と民を統治した王権であっても、その理を免れ得ぬとは誰が予想できただろうか。
長きにわたり揺るがぬ権威権勢を誇った王国は、その自らの内から腐り落ちてしまった。
六世王クロードヴィヒの病死による突然の崩御。
その前後から始まっていた太陽の翳りは、大地の豊穣たる実りを許さなかった。
故に、聖務に携わる者が「天は新たなる王を祝福せず」と嘆く間も無く、王国は「食糧不足」という喫緊の課題に直面したのである。
宮廷には既に日照不足が年々報告されており、農民たちはそれまでの収穫すら得ることができなくなった。
酷寒と長雨は、穀物の不作だけでなく、牧草の不足を招き、家畜もまた減少していった。
農家の収穫が細れば、当然だが商家の取引価格は高騰する。
やがて、店先に並ぶパンも日ごとに小さくなり、減っていく。
当時の都市部では、既に「パンの一切れ」「一片の脂身」を巡って暴動が発生することも、もはや珍しくなくなっていた。
こうした情勢の中、新王の即位を祝福する声は僅かばかりであった。
まさに、王にとって一世一代の晴れの舞台である王宮の壮麗な戴冠式の最中にあっても、市井の人々の関心は「新たなる王」よりも「今晩の糧」に向けられていたのである。
そして、憂慮は内なる「飢え」のみにあらず。
国家に、争乱の相手が絶えた試しは無い。
クロードヴィヒ王晩年の成果により、父祖の仇敵、東のエステライエ帝国との婚姻による抜本的関係改善こそ成った。
しかし、別なる仇敵、北のアルバニー王国との諍いはむしろ増える一方であった。
かの国の新大陸領土における独立騒ぎにより直接の衝突こそなかったものの、その独立派への支援や「義」の派兵。
技術の進歩で新たに可能となり、必要となった北部海岸線における稜堡の建築に砲台の敷設。
大地に敷く鉄の道。
海に浮かべる鉄の船。
これらは、何時必要なのかを答えられなくとも、何故必要なのかについては明白であり、結果としてこの様な果てがわからぬ出費は嵩む一方であったのだった。
尤も、エルブリヒト王国の、そして民衆の一番の不幸とはここまでに述べた「憂」と「患」によるものではない。
それは、この非常の時に新たに即位した王、即ち前王の孫である七世王アウグストは未だ20の若輩者であり、平時であれば美徳となったであろう慎重さは優柔不断に、鷹揚さは鈍重の理由としかならなかった事こそにある。
アウグスト王が即位する以前、王国は力ある大貴族たちの利害調整によって成り立っていた。
先代、六世王クロードヴィヒは、時に法で、時に威で、そして時には暴や謀で以って、その調整役としての上位者の力を、およそ40年以上に渡り発揮していた。
若き新王にはその経験は勿論、これを行う天賦の才能はなかった。
もし、彼に世を見据え、時流を読む目があれば、近頃力を醸成しつつあった都市市民層と手を結び、新たな時代を築く事ができたかもしれない。
そうでなくとも、せめて愚鈍であれば「藩屏」を称する高位貴族達の言いなりとして彼らの支持のみを頼りに民衆の不満と要求を弾圧し、数十、いや十数年の命脈を保つことはできたかもしれない。
だが、全ては過ぎ去りし過去の可能性である。
王は、この国難において臣民の力を結集させるべく、古き法令に基づいた議会を開き万民を招集した。
しかし彼は、そこで直面した民衆の「敵意」と「焦燥」を直視できずに数日で解散を命じ、彼らとの溝を掘り進めてしまった。
それでいて自ら断ち切った縁への王室の諦めは悪く、一部の大商人や銀行家などの、「理性的」、もしくは「都合のいい」とも思われた一部市民層との協力の模索が継続された。
しかし、並行、もしくは逆の順序であればともかく、議会を解散させてからのこの試みでは、如何なる利益や徳目を並べようともその下心と思惑を隠せる筈がなく、努力は徒労としかならなかったのである。
それだけに留まらず、これは旧きを尊ぶ宮廷の貴族達への裏切りでしかなかった。
元より新王は即位してまだ日が浅く、「王冠」に対する忠義はともかく、彼個人に傅く者は少数であった。
身勝手に臣民に媚びへつらい、我らを蔑ろにする泥舟なんぞに身は預けられぬと宮廷内の不満は増大した。
遂には、かねてより野心的であった、クロードヴィヒ王の弟にして王の大叔父にあたるシルクラッド公爵が、伝統的な、もしくは守旧派と呼称すべき貴族達を代表して、今更「摂政」を名乗り出たのである。
アウグスト王は既に成人しており、即位済みであるにも関わらず。
彼は、突如「王の疾病」を告げ「療養の為の国王夫妻の離宮入り」を宣言し、彼らを俗世と権力から切り離した。
まさに、お手本のような宮廷クーデターが行われたのであった。
その後、実権を掌握した公爵により、王都の治安の維持と統制の回復の為に王国全土から軍が召集された。
そして、彼らは、それが必要な状況であるのは確かであったが、秩序の維持の為に王都に屯した。
しかし、王都の人口が俄にその数を増やしたところで倉庫の麦が増えるはずがない。
遂に、表通りの店頭からも、ビスケットのクズさえ無くなったのである。宮廷の菓子盆は別として。
ところで、「革命」とは「事象」として発生する「点」では無く、「現象」として存在する「面」であると、私は考える。
では、その始点となる王国史における決定的な破断とはいったい何処にあったのだろうか。
ある者はクロードヴィヒ王の死の時、既にそうであったと言うだろう。
またはアウグスト王の即位がそうであると、もしくは新王による議会の参集と解散こそがそうだと言うだろう。
無論、公爵の僭称にも置くことは可能だ。
その何れが正解であるか。
これはもはや後世の史家の随意に任せるしかないが、少なくとも「10月」にそれは起こった。
夏が終わり、冬の訪れを意識し、秋の恵みを受け取る筈のその季節。
寝巻きのままに連れ出された大司教を先頭に押し立てながら、松明を掲げ、免税と配給、そして撤兵を求め、王宮正門へと続くザンクトアント通りを行進していた群衆に対し、一発の榴弾が撃ち込まれ、炸裂した。
その一撃が事故であるか、故意であるかその真相を知る術は無く、また、その意味も無い。
事実として、その一撃はエルブリヒト王国における全ての過去を打ち砕き、現在の全てを引き裂いたのだから。




