第十三話 兵士の死角
「銃」とは、文字通り爆発的な酸化反応で発生した圧力により、金属の小塊を目標に向けて発射する装置である。
スリング、アトラトル、弓、クロスボウと、人類は様々な手段と物理法則により殺傷能力の投射を試みてきた。
無論、適切な運用には習熟が必要とはいえ、「物を飛ばす」事だけに限れば金具の一つを動かすだけで事足りる「銃」は一つの到達点であると言えるのだろう。
「銃声」とは、その機構の作動を告げる音である。
これにより放たれる「銃弾」とは、大きくても数十グラム程度の小さな鉛の球体でしかないのだが、人の数十年の時を忽ちに消失させる物体である。
故に、アンゲルフェルス近くの街道外れに轟いたその音は、その場にいた全員を反射的に身を屈めさせ、強張らせた。
無論、音が鳴った時点で行動しても既に遅く、身に力をこめた程度で肉体が弾丸を防げるようになる筈もないが、生物である以上自己の保全を第一に考えるのは当然である。
そして国民衛兵隊の兵士たちのそれぞれは、意識が途切れていないこと、痛みがないことを確認した。
その二つで自身の無事を知った彼らは、ならば誰が撃たれたのだと仲間達を見渡そうとした。
つまり、この時の彼らは銃声の「結果」にのみ気を取られてしまっていた。
従って、「結果」をもたらす為の「原因」。
即ち「射手」の存在を、その時の彼らは失念してしまっていたのである。
ところで、この「発砲」の直前、兵士たちの所在はどうであったか。
まず数を確認するが、このアルバニー馬車を発見した兵士たちの数は、隊長のジョセフ氏とその部下六名の計七名である。
内一名はジョセフ氏の指示でアンゲルフェルスの市内へと走り去った。
隊長のジョセフ氏は、ギー青年を伴って馬車側面のすぐ近くにまで移動して、「お嬢さん」の姿を確認していた。
三人は、上司の指示通りに御者台の「エスティエンヌ氏」を警戒していた。
よって、本来ならば残る一名、少し前にジョセフ氏の指示で「不明馬車」についての調書を記録していた彼が周囲を警戒しておくべきだったのかもしれないが、これまで戦争の道理に浸る事のなかった彼は目の前に突如現れた「王后誘拐」という歴史的大事件に、ただただ一人困惑するしかなかった。
その孤立が、彼の不幸であった。
銃声の直後、木立の影から「それ」は猛然と飛び出し、裂けた布を翻して彼の脚を刈った。
その時の唐突な浮遊感と尻もちを強くつかされた痛みに襲われた彼の「わぎゃあ!」という素直な悲鳴に、兵士たちの意識は完全に吸い込まれた。
しかし、その哀れな同僚に振り向いた彼らの耳に再度「パァン!」という破裂音が轟いた。
またも慌てて兵士たちが馬車の側へ向き直すと、なんと「容疑者エスティエンヌ氏」がどこからともなくピストルを取り出し、発砲したのである。
尚、その銃弾は馬車後方の誰もいない地面に突き刺さっていた。
やはりこの人物は危険だったのだと、警戒を求められていた三人が急いで銃を構えようとするも、飛び込んできていた「それ」が、一人の肩、一人の腕を棒状の何かで強く叩き、そして残る一人は可哀想な事に強烈な突きを鳩尾に喰らわせられていたのである。
これにより三梃の銃と、一人分の昼食だったものが大地へと落とされた。
ここでようやく、「容疑者」が単独犯でない事に気がついたジョセフ氏がサーベルを引き抜いて体勢を立て直させようとしたのだが、「それ」は彼のすぐ近くにまで移動してきており、弾倉を回して次の弾を配置し、引き金を引いた。
その銃口の先には何もなく、弾丸は空へと放たれるだけであったのだが、薬室内の火薬はジョセフ氏の軍馬の耳元で弾けていた。
この轟音が軍馬の訓練を突き破り、馬は嘶いて後ろ足で立ち上がった。
その為にジョセフ氏は馬上でバランスを崩し、その上で「それ」によりコートの背を乱暴に引き倒され、彼は背中から地面へと叩きつけられた。街道の石畳ではなく、土の上であったのはせめてもの幸いである。
そしてこの時、ジョセフ氏は息が詰まりながらも、やっと「それ」の姿を目にする事ができたのである。
数瞬前まで彼が座していた鞍に跨っていたのは女、それも裕福そうな家庭に仕えていそうな従者らしき姿をした金髪の女だったのだ。側に侍るに相応しい控えめな色をした足首までを覆うスカートは腿のあたりまで切り裂かれ、着用者の動きを妨げぬようにされてはいたが。
女は右手に手綱と鞘付きのままの剣を、そして左手には回転式弾倉のピストルを持っていた。
言うまでも無く、良家の家政を担う従者が持つような代物ではない。
そして女は叫んだ。
「出せ!!」と。
その声に従い、御者台の「容疑者」は馬に指示を下してアルバニー馬車を急発進させた。
この時、ギー青年は無事であったし、最初に転けさせられた兵士も立ち上がってはいたので、馬車を止めようとその馬の手綱に近づこうとしたのだが、女による三度目の発砲が彼らの目の前を打ち抜き、それを阻止した。
ここにきて漸く自分たちが兵士であり、何を持っているのかを思い出した二名が、自身の銃を構えて「容疑者」及び「共犯者」を撃とうとした為に、ジョセフ氏は慌てて叫んだ。
「や、やめろ!!撃つな!!陛下に当たればどうする!!!」と。
そして兵士たちも慌てて銃口を下げた。
もし、この時までに兵士たちの誰かが撃たれていたのであれば、その「復讐」の恨みが彼らの引き金を軽くしていたのかもしれないが、痣や打撲は心配とはいえども誰も死んではいなかった事が、彼らの冷静さを薄紙一枚程度には残させていたのである。
しかし、その為に兵士たちは銃撃の機会を失い、馬車はこの場を離脱した。
そして「王后誘拐犯」らは、アンゲルフェルスへと突き進み、突然の暴走馬車に混乱する市内を南西へ抜けて逃走したのであった。




