第十二話 発砲
「王后、様……?」
その兵士の声は一帯の空気を塗り替えた。
続いてジャリンとした金属音が辺りに響く。
「エスティエンヌ氏」に「落とし物」を返そうとしていたジョセフ・マクドレーヌ氏が、その皮袋を取り落とした音である。
しかし、彼はその失礼を詫び、これを拾う為に馬を降りる事はできなかった。
そんな事よりも、何よりも、第一に行うべき事柄が発生してしまったのだから
「……ギー。お前、今、なんと言った?」
「あ、いや、その、班長」
「王后、様と。そう言ったのか?このお嬢さんが?」
「いえ、あの、確かかどうかは言えなくて、気のせいかもしれないんですけれども」
ルクレツィアよりも更に若そうな、やっと少年から青年に繰り上がったぐらいかと思われるギーと呼ばれた若者は、自身のリーダーからの問いに対し、これ以上ないほどに狼狽していた。
彼自身が、自分の漏れ出した言葉を信じきれていない様子であった。
「五年も前の話ですし、遠かったですし、髪型も服も違いますし、いや、勘違いじゃないかなとは思うんですけれども」
「逃亡者」の正体を看破した事になるその当人が、一番に彼女たちを庇っていた。
「いや、構わん。取り逃がす方が問題だ。言ってみろ。……お前は、このお嬢さんが、五年前にお前が見た王后陛下のお姿と一緒だと、そう言いたいんだな?」
「…………」
「どうだ」
「……もしかすれば。たぶん、おそらく」
しかし、結局のところ彼は「告発」をしたのである。文言は頼りないが。
そしてこの「告発」は、両者の間では、その理解に著しい差異が生じていた。
この時、「原告」は「王后誘拐」を訴え出ているつもりであったのだが、「被告」は「王后逃亡」の訴追を受けたと捉えていたのである。
それで何が異なるのかと言えば、まあ色々と違うのだが、一番は「目標」である。
「逃亡」に対応するならば、事の手段はさておいて、兵士たちは「ルクレツィアの確保」に向かっただろう。
しかし、「誘拐」に対応するとなれば、その時は「実行犯」たり得る男、「エスティエンヌ氏の確保」をしなければならなかった。
故に。
「お、お待ちください!お嬢様はコーゼル様の……!」
「御者。静かに。両手を出して、ゆっくりと頭上に上げろ」
「容疑者」の抗弁を、ジョセフ氏は聞き入れなかった。
「アンリ、モーリス、マキシム。彼に注意を。銃は構えてもいいが引き金は触るな」
「は、はい」
そして自身の部下にそう命じた。
この時、アルバニー馬車の御者席には短筒が潜ませてはあったのだが、少尉はそれを取り出す機会を逸してしまった。
そしてジョセフ氏は、ルクレツィアへと向き直った。
「……お嬢さ、いえ、……陛下」
「……………………」
「お顔を、拝見しても……よろしいでしょうか」
「……………………」
「あなた様は、本当にルクレツィア様、なのですか?」
「……………………」
王后は何も答えなかった。
いや、答える事ができなかった。
この時、彼女が言うべき言葉はただ一つでよかった。
問いに対して「いいえ」と告げ、否定をすればよかったのである。
結局のところ、この時の疑いは全てギー青年の「この女性は、ルクレツィア王后陛下のような気がしないでもないかもしれない」という極めて不明瞭な証言にのみ紐づいていた。
無論、それ以前に蓄積された微量の不審はある為、その否定だけで無罪放免不起訴処分とはいくまいが、ステファンへの「誘拐犯」の容疑が薄れれば、後は彼に任せる事もできた筈であった。
そして普段の彼女であれば、彼女自身で十分に対応ができた筈である。
「王后ではないか?」という問いに対し、貴族の娘らしく「畏れ多い事ですわ」と受け流す事も、「よく言われますの」と美貌を鼻にかける面倒な小娘のフリとてできた事だろう。
そう、一日前にリューテトゥルムの西門で実践したように。
何故、今。
彼女はそれができなかったのだろうか。
一つは、未だ彼女を蝕む体調の不良である。
しかし、それは乗数に過ぎぬ。
それでは、この時のルクレツィアの体を固着させた「基数」とは何であったか。
それは、「恐怖」である。
「発覚」の恐怖。
「捕縛後」の恐怖。
そしてやはり、「未知」の恐怖である。
兵士たちは何故か、「既に」「首都の」「王后失踪」の情報を受けている。
それは「何時」知ったのか。
つい先程か、それとも「それ以前」か。
それは「誰から」知ったのか。
首都の政府当局か、それとも「それ以外」か。
そして、「何を」知ったのか。
王后が「消えた」か、それとも「消える」であったのか。
以前は「杞憂」に終わるだけであった「可能性」。
即ち、「裏切り」の可能性が彼女の脳内に再度浮き上がり、これが占めていたのである。
「…………ヵ、……………ぁ」
それによる極度の緊張状態の為に、心臓ははち切れんばかりに脈動し、口内は乾き、喉が張り付き、意識は彼女の眉間前方の中空にあるようにすら感じられ、涙以外の要因でも視界の端がぼやけ、呼吸は浅くなっていた。
そのような「お嬢さん」の様子を見て、ジョセフ氏は一旦この場での追及を中断する事にしたのだろう。
「…………場所を移しましょう。なんにせよ、一旦お休みになられた方が良さそうだ。ガストン、お前は町長宅に走って王室の方々の肖像画を借りてこい。いや、町長殿自身に来てもらった方がいいか。とりあえず頼む」
指令を受けた男が一人走り去る。
それを確認して彼は再度「エスティエンヌ氏」を見た。
「御者。降りろ」
「……こ、これは一体、何のお話で」
「一時、お前を拘束する。王后陛下の誘拐犯としてな。無論、当方の誤認であれば、その時は謝罪するが、今は非常の時だ。従ってもらおう」
「ゆ、誘拐犯?!」
「そうだ知らなかったのか?……いや、まあ朝から街道に居たのならば知らなくて当然なのか……?」
「そ、その通りでございます!一体、誰がそんな畏れ多い……」
「……ともあれ!その件についても市内の屯舎で話す。もう一度言う。席を降り」
その時であった。
その場全員の側面にある木立のあたりから、「パァン」という一つの破裂音が響いたのは。




