第十一話 誰何の声
「首都州民兵隊アンゲルフェルス第5同室班、班長のジョセフ・マクドレーヌ上曹である」
その男は、街道から隠れるように木々の陰に潜むアルバニー馬車の後方から現れた。
ステファンが御者席から降りて出迎えると、彼は角張った顎とちょこんとした口髭を動かし、そのように名乗りを上げた。
「お前たち、その先は入会地しか無いぞ。宿駅も目の前だというにこんなところで一体何をしている」
靴の鋲と蹄が砂礫を掻く音と共に現れたのは、六人の男たちと一頭の軍馬である。
背側の裾の伸びた濃い青色のコートに、白のズボン。
揃いの円筒帽を被るその男たちの姿は、彼らが国民衛兵隊麾下の郷土防衛組織に属する兵士である事を示していた。
当時、衛兵隊で用いられた階級は、それまでの雑多な種々の呼称の混雑を解消するためとして、将、佐、尉、士、曹、兵の大区分と、それぞれを上下で分ける小区分のみで区別されていた。
これは多種多様な由来を持つ言葉で構成される軍隊の階級名称を極めて単純化させ、慣習からの脱却と理解の促進を目的としていた為である。
だが、後に結局は伝統的な呼び名に戻されている。
ともあれその男性、ジョセフ・マクドレーヌ氏の名乗る「上曹」とは要は下から四番目の階級という事になる。
彼の周囲にいる兵たちはその通り「兵」の位であり、彼は階級においても、そして馬上にあるために物理的な座標においても高位に位置しており、彼はこの現地歩兵分隊の隊長として、あるべき姿のままに巡回路で視認した不審なる馬車の詰問を行っていた。
つまりこの時、なんと彼は鞍の上に座したままに、制度は違えど「尉」の男と、「将」どころか「王」を問いただしていたのである。
無論、だからと言って「尉」と「王」がそのような実態を明かせる訳もなく、「不敬」と喚けば状況は極めて悪化するだけであるのだから、ステファン少尉は「ステファン・マイエンバーグ近衛少尉」としてではなく、「御者のエスティエンヌ」として彼の相手をする事としていた。
「ああ、いやすいませんね旦那様がた。どうもお嬢様のご体調が優れませんで、少しお休みして頂きたく思っていたんですが、お邪魔でしたらばすぐにでも移動いたします」
「待て。……しかし体調が優れないのならば市内に入ればいいだろう」
「お嬢様に恥をかかせるような事がありましたらば、あたしがこちらの旦那様にお叱りを受けてしまいます。ですので、先に少しお休み頂いてから入ろうかと思いまして、ここならまあ邪魔にならんだろうと」
「……成程。まあわかった。で、お前たちは何者でどこから来て、どこへ向かうんだ」
「あたしはコーゼル子爵家のお世話になっておりますエスティエンヌと申します。一昨日にリューテトゥルムを出まして、エレリアに向かうところでございます」
「コーゼル子爵家……、リューテトゥルム発、エレリア行き、と。記録はしているな?」
「あ、はい。班長」
予め、区間ごとに設定されていた文言をステファンが告げると、ジョセフ氏は傍の兵士にその内容を紙に書き取らせていた。
「……あの、それは」
「こちらの話だ、気にしないで頂きたい。数日中には処分される」
「……はあ、なんで、また」
「暫くの間、警戒を強めよとのお達しでな。悪いが協力してくれ」
「……へぇ」
尤も、「逃亡者」たちにとって今の発言を記録される事そのものはさしたる問題ではない。
「コーゼル子爵家」は確かに存在する家系であり、その長男「アントン・コーゼル」はステファンの同僚の近衛隊准尉であり、彼には妹も本当に居る。
彼は、シグリス副隊長らと共に離宮に残る班を任されており、革命政権側による「コーゼルの名を使う不審馬車」についての照会時に「首都の自分の元を訪れている筈の妹の所在を確認」し、「違います」と報告する手順を挟ませる事により、時間稼ぎを行う役目を仰せつかっていた。
故に、ステファン少尉が警戒したのは「記録される事」ではなく、「記録している事」にあった。
そしてこれは、座席に戻っていたルクレツィアも同様である。
彼女の脳内では、数時間前のケイロン村では「杞憂」に終わった危険性の検証が再起動していた。
即ち、「何故アンゲルフェルスが、何を警戒しているのか」についてである。
ジョセフ氏の言った「警戒強化の指示」。
その、「指示」の出所は一体どこであるのだろうか。
無論、今、偶然、アンゲルフェルスにおいても何かしらの事件があり、ジョセフ氏の一つ上の士や、ここの町長あたりが出した可能性は十分ある。
しかし、自分たちが「大事件」そのものの存在である以上、彼女はその「指示者」がリューテトゥルムの中央政府である可能性を否定できなかったし、してはいけなかった。
この時、時刻にしておそらく午後の一時過ぎ。
朝、離宮におけるルクレツィア自身の不在が知れ渡り、政府が対応を定め、その文を鉄道便に乗せたとて、それは未だエレリアに向かう線路の途上にある筈である。
アンゲルフェルスに鉄道駅は無い。車窓から通信筒のみ放り投げるような事でもしない限り、この町はまだ、「王后失踪」を知らない筈、それが彼女の想定の前提であった。
だが、その「前提」には致命的な盲点が存在していたのである。
ともあれ、ルクレツィアからすれば、この兵士たちは「何か」を知らされており、「何か」を知っている事は明白であった。
そして、彼らは6人で現れていた。
しかし、その6人が彼らの全員である確証はどこにも無い。
この馬車を見つけ、接近する前に一部が離脱し、増援の要請に向かっている可能性。これを否定できる根拠は彼女には無かった。
まさか。
今度は。
そのような思考の反響と共に、ルクレツィアは急速に喉の渇きを感じ始めていた。
動悸は増し、脂汗が滲み、僅かには収まっていた吐き気がぶり返す。
その様子を見たが為にステファンも少し焦燥に駆られたのであろうか。
「あ、いや!これはいけない!これはちょっと横になって頂いた方が良さそうだ!旦那!申し訳ございませんが、あたしどもはこれで!駅で少し休憩は致しますので話の続きはその時にでも!」
彼はそのように捲し立て、衛兵たちの反応が起こる前に「心付け」として事前に小分けにしてあった「銀貨を詰めた皮袋」を兵士の一人に押し付け、御者席に飛び乗り、馬車を動かしてこの場を離脱しようとした。
しかし、この「銀貨袋」がよくなかった。
「ま、待て待て待て!」
「や、や!なんでございましょう!」
「こ、こ、これはなんだ!受け取れん!」
なんとジョセフ氏も慌てて部下から皮袋を引ったくり、馬を馬車の正面に動かしてきてしまったのである。
これが相手の弱みに付け込んで「お心付け」の増額を目論む、交渉という名の強請りであればステファンはもう幾つかの皮袋を席の上から落とせばよかった。
だが、ジョセフ氏が選んだのはまさかの「拒絶」であった。
そして、幾ら貴族の使用人とは言え、いやむしろ使用人であるが為に、主の財が収められている筈の袋を無断で投棄していくわけにもいかず、ステファンはそれを受け取るしかなかった。
ただただご婦人の体調不良を訴えて去るならむしろ通ったのかもしれないが、ジョセフ氏による迷惑料の「返還」が挟まった事で、馬車の脚が止められてしまったのである。
「あ、いや申し訳ございません!あたしとしても「そのような」意図は全くなかったのではございますが、少し席を外す間のお茶代だけでもと思っただけでございまして!」
「う、うむ。お気持ちは感謝するが、このようなものはアレだ。よくない」
「へ、へぇ。全くその通りで」
「まして、ほんの数時間前に首都で収賄容疑の摘発があったばかりだ。悪い噂が立てば、私もお前も不幸でしかない」
「……今朝の、リューテトゥルムで、でございますか?」
「うむ、まあ詳しくは宿駅に行けばわかるだろう。とりあえずだ、この、……「落とし物」はお返しする。呼び止めてすまなかった」
そしてジョセフ氏は手を伸ばして、ステファンに皮袋を手渡した。
ステファンもまた、これを受け取る為と、「警戒」の原因が「首都」にある事がわかった事から、自身の注意をジョセフ氏の方にのみ向けてしまった。
この時、馬車はその方向を転換し、街道へと戻る方向に進もうとしていた。
そして、衛兵隊の兵士たちはその街道から来ていた。
つまり、両者が正面から向かい合う形となっていた。
さらに言えば、アルバニー式馬車は、例えばアレマン式のような「箱型」の客車を持つ物ではなく、客席には屋根と側面の覆いこそあれ、正面は開いていた。
故に。
兵士たちは、ここで初めてルクレツィアの姿を正面から見たのである。
そして、その内の一人が心ここにあらずと言わんばかりにポカンと口を開け、こう呟いた。
「王后、様……?」と。




