Episode8:スタイラスペンは《剣》よりも強し
2388年6月2
8日(火) 10:17 A.M.
区・モードス=ハロモグ 東ハ
第19居住 ロモグ地区
同・ヴェルデュラ
ン通り アルトホ
テル前
〔〔〔パリイイィ
ィィィ……!!〕〕〕
電磁式自動小銃でさえも撃
ち破れなかった光の《厄除の盾》。
それをいともたやす
く斬り裂いた狼錬の斬
撃に、ブラッドアイは思わず下唇を
噛み締める。
認めざるを得ない。人間の知
恵と技術だけでは、《痣持
ち》に対抗し得ないことを。
飛び 飛
散る 来
障壁 する
の破片 のを
が 、
電磁式自動小銃を盾にして防ぎ、
彼女は狼錬の能力を、正当に評価した。
(まさかあれを本当に両断するとは――!?敵だったならば間違いなく脅威だが――幸いにも狼錬は、UGE側に与している――!!人格は少々アレだが、利用する価値は大いにある……。
"地球人類による繁栄"のため、やはり今一度この異種族と手を取り合わねばならないのか……!)
銃身や軍服に弾かれた破片は、地面に落ちる間もなく、空気に溶け入るように消滅した。
破片の飛来が収まったところで、ブラッドアイは狼錬の目線の先を見遣る。
望月光は――――そこに立っていた。
だが無傷ではなかった。先程までより3m程やや左後方に下がった位置で、右脇腹に負った深い傷を庇い、《撃出の大鎚》を杖にして立っていた。《撃出の大鎚》の打面の片側からは彼の青白いアストラル流体が、彼の大きく割けた脇腹からは赤い血液が止めどなく流れ出ていた。
「――やりますね。防御不能の攻撃と判るや、咄嗟にそのハンマーの噴射を利用して、即時に斜め後方へ回避する判断力と実行力。……敵ながら天晴です。もしそのハンマーを振りかぶって某の刀を無理にでも弾き飛ばそうものなら――君の両腕か、あるいは胸から上が消し飛んでいたことでしょう。」
「くっ―――うぅ―――!!」
狼錬の折角の賛辞も、光の耳には入らない。腹部の激痛を堪えるのに精一杯で、それどころではないからだ。
呼吸を整える間に、光は改めて考えていた。狼錬の持つ《刀剣》の能力の詳細を。
彼の能力が、「刃物でない物を刃物にする」ことができる能力であれば、元から刃物である刀の斬れ味を増加させるのも可能だろうということは想像に難くない。《厄除の盾》が突破された原因は、恐らくそれだ。
問題は狼錬の刃が、何故光の下まで届いたか――である。抜刀の瞬間、狼錬は脚を動かしてはいなかったし、刀身が伸びたりした訳でもなかった。無論、光の方から近付いた訳でもない。
「――――ん?」
ふと俯いた視線の先に広がる、大理石のタイル張りの床。
そこに光は妙な違和感を覚えた。
「……床が…………縮んでいる……?」
アルトホテルの入口付近は、黒い大理石でできた正方形のタイルで敷き詰められていた。それぞれの四隅には対照的に白い小さな正方形のタイルが嵌め込まれており、言うまでもなく等間隔に並んでいた。
一度ホテルに入る時も、ブラッドアイたちと対峙した時も、光はこの床の模様を覚えていた。
だが、どういうことだろうか。
今――狼錬の足元に敷かれたタイルは、正方形どころか四角形であることすら判らない程、平たく圧縮されていた。四隅にあった白い大理石も、繋がって一本の線のように見える程に。
それだけではない。その横の大きな花壇も、そこに植えられていたトルコキキョウも、まるで花束にして丸ごと横からプレス機に掛けたかのように縮こまっており、最早花の一本一本の区別もつかない。更にそこから飛び立った蜜蜂も、写真かと見紛うくらいぺしゃんこに潰れた平面的な身体になっていた。
光は先程《撃出の大鎚》で破壊した床を見つける。そこは狼錬の攻撃前と変わらぬ様子だった。その床と狼錬との距離は、目測では1m程しかなかった。10mあったはずの距離が――――。
「なん……なんだ……?君の能力は……??」
光は疑った。本当に彼の能力は《刀剣》なのかを。
「先程お答えになられたじゃないですか。これも紛れもなく"《刀剣》"の力です。理屈はご説明できません。『しぼうふらぐ』?――というのが立つらしいので。」
「なんだよ……それ…………」
光の脚は次第に力を失い、遂には跪いてしまった。血の流れ出る量が思ったより多い。下手すれば内蔵もこぼれ落ちそうなくらいだ。意識もだんだんぼんやりとして、気を抜くとそのまま倒れそうだった。
勝敗は決した。光は狼錬との力の差を、まざまざと見せつけられた。
「――大人しくお縄についてもらおうか、望月光。狼錬の能力に敗れた今の貴様に勝ち目などない。その腹でまだ抵抗を続けても無駄だ。傷口から臓物が零れ落ちて死ぬだろう。この手錠を着けさせてくれれば、せめてもの情けとして傷の治療くらいは受けさせてやる。」
ブラッドアイは、光がいつか見た、人の手に装着するには不必要なくらいに大きく無骨な機械式の手錠を取り出し、ぶらぶらと揺らして見せた。
「…………殺さ……ないん…ですか……??」
光は蹲ったまま彼女に問うた。てっきり一思いに殺られると思っていたためだ。
「本音は今直ぐにでも貴様を駆除したいところだが――命令のためだ。貴様は生きたまま本部に連行する。」
「そうですか…………。なら……僕は…………!!
光はショルダーバッグに震えた左手を入れると、ある物を掴み、取り出す――。
カチャッ……
「!?」「「拳銃!?」」
黒く光る銃身は間違いなく本物だ。だが、攻撃用ではない――!
「「貴方たちの"願い"を――受け入れない!!」」
それは最終手段。退路も勝ち筋も失った時のためにと、出発前にヴィシュヴァカルマンが手渡したものだった。
〔もしもの時は――――これを使え。弾は一発。それで充分だろう。きっと苦しみを味わう暇もなく死ねるはずだ。〕
元より死と隣り合わせの立場にいることは覚悟していた。ヴィシュヴァカルマンが多くを語らなくとも、光は渡された拳銃の意味を理解できた。
光は銃口の先端を――――自らのこめかみに押し当てる……!!
「自決か!?――待て!!」
ブラッドアイは直ぐに察知した。咄嗟に手錠も電磁式自動小銃も投げ捨て、狼錬とともに光の下へ駆け出した――!
その瞬間だった。
〔〔〔バァァァァン!!〕〕〕
乾いた銃声が響き渡り、光の身体は衝撃を受けて横に倒れる。
――銃を後ろに吹き飛ばしながら。
「!?」「発砲音――後ろから!?」
音は光の方からではなく、ブラッドアイたちの後方およそ3mのところから響いた。
そこに居合わせた何者かが、光の銃だけを弾き、自決を制止したようだ。
ブラッドアイは、それが『ルクバト』であることを期待したが、直ぐに違うと判った。
〈――ふぅ……。危なかったリウム……。〉
スピーカー越しに聴こえる声は少女のものだった。ヘルメットのように丸いシルエットの黒髪を持ち、やたら露出の高い水着――いや、鎧?――を身に着けた彼女は、LEDでも埋め込んだかのような発光する瞳でこちらを睨んでいる。
その右腕は――肘から先の皮膚が裂け、内部の骨――いや、骨組みを露出させながら、空洞になった手首の断面を覗かせていた――。
「なっ!?――なんですかコイツ!?」
「知らん!レッドディア大佐と同じ、"機械人間"だろう!だが――――」
慌てふためく狼錬を余所に、ブラッドアイは太腿に携帯したレーザー機構付サバイバルナイフを構え、冷静にその正体を分析する。ジル・レッドディア以外の例をブラッドアイは観たことはなかったが、機械でできたその骨組みは紛れもない機械人間特有のものだと判る。
謎なのは――先程からブラッドアイのWatchが鳴り止まないことだ。
音はアストラル流体感知装置が多量のアストラル流体に反応した時の警告音。その原因である淡紅色のアストラルは、光でも狼錬でもなく――この機械人間の少女から溢れ出していた――!
(こいつはレリギオスか?《痣持ち》か?鹿島が知らないということは、少なくともLΛRMEの者ではない……!)
あらゆる推測を巡らせるが、彼女の思考だけでは結論を導くことはできない。この機械人間についての更なる情報をブラッドアイは求めた。
「「名を名乗れ、機械人間!所属とIDも教えてもらおう!!」」
〈――ニュークはニュークと言ウ厶。〉機械人間の少女はまず名前を答えた。〈所属――というものはないけど、保存先なら『Orginal_Works』と言ウム。〉
「保存先……?その『Orginal_Works』とやらの活動目的は何だ!?」
〈目的はないウム。ご主人の護衛やサポートをするのがニュークたちの役目ニウム。〉
「"ご主人"か。………なるほど。」
ブラッドアイは、それが望月光のことであると認識した。彼の自決を止める口実としては合点のいくものであった。
一方の光はというと、ニュークの名前はおろか、機械人間の実在すらも知らず、仰天している様子であった。銃を弾き飛ばされた右手は、ひどく痺れて自由に動かせないでいる。
(なんだあの娘……!?人間じゃないのか!?右手が今にもちぎれそうなのに、痛がる素振りも見せてない!!
――なんて見惚れてる場合じゃない!!どうする?銃は壊れて使いものにならなさそうだ……!自決は諦めよう……!ホテルの中に逃げて、テレシアの治療を受けた方が賢明かもしれ――――ん?)
そう思いかけて、ホテルのある右手側に光が視線を向けた時、その先の地面に奇妙な異変を発見する。
「何だ……?潜水艦?……の、《絵》?」
さっきまでそこにはなかったはずの、上から見下ろす形で描かれた大きな潜水艦の絵が、地形にへばり付くように地面の上に浮かんでいた。しかも、ゆっくりとこちらに向かってきている。
《撃出の大鎚》の紐の一本が、その潜水艦に向かって、――ピンっ――と強く引っ張られていた。もしかしなくても光には判る。これも《魔法》だと。
〔ガコン……!〕
光の手前で動きを停止した潜水艦はハッチのロックを解除して開き、一人の少女の姿をその中から現す――!
「――大丈夫、ですか?」
「だ、誰――?」
「鹿島!あの機械人間を破壊しろ!《へスペリディア》に与する――敵だ!!」
「御意です!!」
ブラッドアイは機械人間の少女を敵と判断。すかさず狼錬が《韴霊》を脇に構え、先程光を斬るのに使った技――《断距・《縮地》》を発動させる!!
ゥゥンン!!…………
…………シュウウ
斬撃の瞬間、再び狼錬の前方の空間が勢い良く縮み、ニュークのいた場所に刃を振り抜く。
だが、――手応えがない。狼錬が気付いた時には、少女の姿が、眼の前から消えてしまっていた。
「消えた!?――――上か!?」
〈"下"でしウム。〉
「下っ!?」
その声は、狼錬も予想しなかった方向から聞こえた。
狼錬が見下ろしたその先の地面に、彼女は――厚塗りされた油彩風の《絵》になって描かれていた――!!
〈発射。〉
彼女はアニメーションよろしく、右腕のアームキャノン発射口にオレンジ色の弾頭を装填。合図とともに発射する!
狼錬に向かって放たれたミサイルは、爆煙を上げて地面から飛び出し、実体化する――!!
「まずい――回避でき――……〔〔〔
〔〔〔ボゴオオオオオオォォォォン!!!!〕〕〕
狼錬の姿はミサイルの爆炎の中に消え、青鈍色のアストラル流体は淡紅色のアストラルに侵食されて消え失せた。
同時にブラッドアイのWatchから、鹿島狼錬のアストラル反応が消滅した。
「鹿島ああっ!?…………いや、優先すべきは望月光の確保……なっ――!?」
狼錬の安否を後回ししてブラッドアイが再び光の方を向いた時、彼女は目にした。
光のいる地面から、ベレー帽を被った少女の上半身が生え、光の身体を抱きかかえているのを――!
「――ひぃっ!!」
ブラッドアイに気付いた少女は驚いて悲鳴を上げた。
「回収するつもりか!!そうはさせん!!」
ブラッドアイはナイフを腰に構えたまま、その俊足を活かして光たちの下へ接近する――!
「いけない!!君だけでも逃げて――
「いいえ!!ここであなたを逃がします!!」
光の忠告を振り切り、少女は左手に持った板状の装置を右手のスタイラスペンで何度かつつく。
そして表示された一枚の《絵》をスワイプし、眼の前にホログラム表示として浮かび上がらせる――!!
「《エメラルダス》!わたしたちを護って!!」
それは古き良き少女漫画らしい線と鮮やかな水彩風の色使いで描かれた、レイピアを持った男装の麗人の《絵》。
エメラルダスというらしい《絵》の中の彼女は、少女が言葉を発した瞬間、ぱちくりと、その大きな瞳を瞬かせた。
『――Yes, My Master――!!』
「!?」
《絵》の中の彼女は、華麗にレイピアを回して確かにそう叫んだ。そして低くしゃがみ、マントをはためかせながら勢い良く飛び上がった――!!
『とおうっ!!』
空中に浮かぶホログラム表示から彼女の姿が上に消えた時――その表示のある空間から、鋭く光る金属製の棘のようなものが上に突き出ていた。
根元にはそれを握るようにある絹製の黒い手袋。更にそこから素肌の腕が伸びて、黒い肩当て、緑のサーコート、そして黒の大きなハットを被った金髪緑眼の端正な顔立ちが現れる。
女騎士エメラルダスは、背景に舞う花弁とともに、文字通り《絵》の中から"飛び出してきた"――!!
「何ッ!?」
『たあっ!!!!』
……――キィィィィィィンン!!!!――……
ブラッドアイの錯覚ではない。彼女の繰り出した刺突には、確かにスピードと材質に見合う質量があった。寸前でその突きを弾いた時のナイフにのしかかった重みは、紛れもない、本物だった。
レイピアには、先程の機械人間の少女と同じ淡紅色のアストラル流体が流れていた。そこで漸く、ブラッドアイは光の傍に現れた少女の正体を知る。
(《絵》の人物を実体化させる《魔法》!?……そうか!!あのベレー帽の女子は第3区の報告にあった《絵画》の《痣持ち》――手塚絵画楽!!この騎士も、あの機械人間も、あいつの《絵》から生み出された《魔法》!!地面の潜水艦から上半身だけ出ているということは、《絵》の世界の中に潜ることもできるという訳か――!!
望月光もろとも捕獲するには、まずこの騎士と機械人間を倒さねばならないが、こいつらを倒したところで、すぐ復活するか、代わりの奴が出てくるかのどちらかだ――!《魔法》の原則に則るなら、本体を始末すれば《魔法》は消える!!ならば――――)
エメラルダスの次の突きが来るまでの僅かな時間で、ブラッドアイは絵画楽の能力を大まかに把握した。
AXel隊員は戦闘中、聞こえた呪文や周囲の状況の変化などから、相手のレリギオスが使用可能な《魔法》を推測し対処する訓練を普段から受けている。レリギオスは覚える《魔法》の種類その習熟度が個々によって異なる。故にいかなる状況においても、臨機応変な対処をすることがAXel隊員には求められるのだ。
『――やあっ!!』
エメラルダスの二撃目を、ブラッドアイは軌道を見切って横に回避。続く隙のない連撃も、ナイフでの防御や側転などを駆使して交わす。
更に背後からは再び実体化したニュークの射撃。エメラルダスの攻撃のタイミングを見計らい、淡紅色のエネルギー弾を数発放つ。いずれもブラッドアイには命中せず、花壇や隣のビルの壁が焼き焦げるだけに終わる。
「い、今のうちにこの中へ!!治療もしますっ!!」
ブラッドアイが《絵》を相手に苦戦している間に、絵画楽は止血用のタオルを液タブから取り出し、光に差し出す。
「待ってくれ――!中にまだ仲間がいるんだ――逃げ遅れた人も――!!」
「わっ!?わわわわ判っています!けれどその傷を放ってはおけません!仲間さんは後で必ず助けますから!」
「――――判った……!!」
そう言って光は絵画楽からタオルを受け取る。それで傷口を押さえながら、《撃出の大鎚》を再び小さく収納し、彼女の誘導に従い潜水艦へ乗り込む――!
「――まずい!!」
気付いたブラッドアイがエメラルダスの斬撃を大きく左に飛んで避けると、その先に落ちていた電磁式自動小銃を拾い構えた――!
『しまった!』〈ご主人っ!!〉
〔〔〔バアアアアン!!〕〕〕
間髪入れず、充電もなしに、ブラッドアイは一発、絵画楽目掛けて発砲する!だが――
〔〔キィィン!!〕〕
「――忘れたんですか……!!その銃では……この障壁は破れない……!!」
「ちっ……!!」
光の《厄除の盾》が、潜水艦のハッチ前面を覆うように展開。弾かれた銃弾が甲高い金属音を立てて上に高く跳ねて落ちる。彼の突き出した左手には、絵画楽の両手が優しく添えられていた。
「――おじさま!発進!急いで!!」
〚了解、潜水開始!!ハッチ閉じろ!!〛
潜水艦の奥から中年男性の声が響くと、潜水艦と地面との境目が徐々に上の方に移動し始めた。地面自体は波打っていないものの、潜水艦の周りの地面には波が立ったような飛沫のエフェクトが描かれては消えていった。
「逃がすか――
〔〔ヒュウウウン!!〕〕〔〔バアアン!!〕〕
『させないよ!』〈あなたの相手はニュークたちウム……!!〉
「ちぃっ――!!」
更なるブラッドアイの射撃を、ニュークとエメラルダスが制止する。絵画楽は2人にこの場を託す。
「ニューク!エメラルダス!しばらく足止めしてて!!おねがい!!」
〈『了解!!』〉
ニュークとエメラルダスは声を揃えて答える。それを聞いてすぐに光と絵画楽は潜水艦の中に隠れ、ハッチを閉じ、潜水艦は地面の中へと完全に潜伏する――!
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2388年6月28日(火) 10:17 A.M. 第19居住区・モードス=ハロモグ 東ハロモグ地区
同・ヴェルデュラン通り 地中
狭く暗い潜水艦の入口を、光は塞がった片手で落ちないよう慎重に降りていく。壁の足場の一段一段に足を降ろすたびに腹の傷がずきずきと疼き、気を抜くと足を滑らせるか、手の握力がなくなってしまいそうだった。
「ふんっ……!うぅぅっ……!!」
「む……無理をさせてごめんなさい!もう少しで床ですから……!」
傷を塞いだ右手から、ぽたぽたと血を垂らしながら、どうにか最後の段を降りて潜水艦の床に着地する。後に続いて絵画楽も途中の段から飛び降りて光に近付き、彼の身体を右側に伸びる通路へ向かわせる。
「右にある部屋が、医務室です!――先生!治療をお願いします!!」
『|INFIRMARY』――と書かれた札が貼られたその鉄製の扉に向かって、絵画楽は中にいる人物に助けを呼んだ。
すると、ぎゅうん、という軋む音がした後で、漆黒のコートを羽織った人物がその扉から現れた。
【――仕事かね?】
絵画楽が「先生」と呼んだ人物は女性だった。とてもハスキーな声で、白いメッシュが所々入った長い黒髪の下には、うっすら大きな縫合の跡が残る皮膚を貼り付けた端正な顔立ちがあった。
その女性が腹を押さえて血みどろの光を見つけると、すぐさま光の近くに駆け寄った。
【ひどい出血だ。腹を切られたのかね?】
「はい……!あ――貴方は……お医者さん……ですか?」
【私は外科医だ。あんたさんのその切創を治してやる。さ、中へ。】
彼女は血で真っ赤になったタオルを見て傷の程度を把握。即座に光を医務室に案内する。清潔に整えられた5台のベッドの内、一番入口に近いものに、光は絵画楽たちの手助けを受けながらその上に横たわった。
外科医を名乗る女性はマスクと医療用ゴム手袋を装着し、光の右手のタオルを退け、服の一部を切り取り、傷口の様子を改めて確認する。
【切創の表面に火傷が見える――斬ったのはレーザーナイフの類だろう。それが壁側腹膜にまで達している――!血管が焼かれたせいで思ったより出血量は少ないが、一刻を争う大怪我に違いはない……!】
「どうなの先生?……治せそう?」
【問題ない。すぐに手術を始める!】
〔〔ばんっ!!〕〕――と、外科医は大きな革製のアタッシュケースを傍らの椅子の上に乗せて広げた。
中には様々な道具が入っているようだが、まず手にしたのは注射器と麻酔薬――――
ではなく、柔らかいプラスチック製の、小さなスポイトだった。
「……なんですか?それ……?」
【スポイトだ。見たことないかね?】
「いや、そうじゃなくて……何に使うんですか?」
【あんたさんの傷を治すのに使う。こうやってね。】
外科医はスポイトの尾部をつまみながら、血で汚れていない皮膚にその先端を近付けてみせた。
そして尾部の指を開いた瞬間、スポイトの中は、光の皮膚と同じ"色"のペースト状の液体で満たされた。
「??」
外科医はそれを傍らに開いたパレットの真っ更なスペースに持ってきて、再び尾部を何回かつまんで内容液をそこに取り出す。油脂分を多く含んだペースト状の液体は、まるでそういう色の絵の具のようだった。
「こ、これ――治療――なんだよね!?」
思っていた治療とあまりに違いすぎるため、光の不安は隠し切れないものになった。すかさず絵画楽がフォローを入れる。
「おっ、落ち着いてください!今のあなたは、わたしの《絵》の一部になっていま……!」
「?」
「《ブラック・マリア》先生は"天才外科医"という設定で、この空間では怪我した部位に健康な人体組織の《絵》を直接描くことで、治療を行うんです。」
「??」
「だから、どうか落ち着いて――!あ、先生、輸血用の絵の具は必要そうですか?」
【頼む。患者の"血液の色"は採色済みだ。これをコピーしてパックに詰めてくれ。】
「???」
「分かりました!《道具切り替え・《採色》》!!」
光の疑問などそっちのけで、絵画楽は外科医の補助に回り始める。彼女の持っていたスタイラスペンは急に外科医のと同じスポイトに変化し、パレットの上の"光の動脈血の色"を吸収する。それを持って今度は棚の中にしまわれた、なぜか水で満タンになった輸血パックを取り出すと、
「《塗潰し》!!」
スポイトがまた更に形を変え、"光の動脈血の色"絵の具を蓄えた小さなバケツに変身する。そして絵画楽は一切の躊躇なく、バケツの中身を水の入った輸血パックの上にぶち撒けた。
輸血パックの上に零れた絵の具は弾かれて落ちることなく、PVC製の外装から浸透して中の水に溶け込んでいく。忽ち全ての絵の具が輸血パックの中に吸収され、中身は水ではなく、"光の動脈血"に取って代わった。
「き、君は一体―――う゛っ!?」
外科医のスポイトの先が、傷口から露出した火傷のない真皮質に触れた。耐え難い程ではないが、局所的な激痛に光は思わず反射的に身体を捩らせてしまう。
【動くな!真皮細胞の"色"が採れなくなる!死にたくなければ我慢しろ!!】
「……は、はい……!」
外科医の脅しにも似た叱責に身をすくめた光は、そこから痛みを感じても気合で動かないように堪え続けた。それに応えるように外科医は必要な組織の"色"を全て採り終え、今度はケースから真新しい絵筆を取り出す。
【移植組織色の全摘出完了。直ちに患部への塗布を開始。――少し沁みるぞ。】
外科医は先の丸い絵筆に今しがた採った"皮下組織の色"の絵の具を付けると、それを傷口の火傷を負った皮下組織の表面に塗り込んでいく。切れた血管やリンパ管を塞がぬよう、光に痛みが伝わらぬよう、慎重に。それが終わると筆を変えて今度は真皮の部分に"真皮の色"を、また筆を変えて表皮に"表皮の色"を重ねていく。光にはその感覚はないが、絵の具が塗布された箇所からは火傷の跡が消え、切断されていること以外は元通りの健康な組織が再生されていた。
【患部組織の再生確認。傷口の"塗合"にかかる。】
外科医はまた新しい絵筆に持ち替えた。今度は幅の広い扇形の筆先だ。それに"表皮の色"を付け、傷口を覆うように皮膚に塗り込んでいく。筆を滑らせたところから絵の具は皮膚の一部となり、割かれた皮膚同士がくっつきはじめ、痛みも徐々に引いていくのを感じた。
そうして絵の具が傷口を完全に覆うと、さっきまで大きく割けていた光の脇腹は嘘のように元通りになり、傷跡も痛みも、一切なくなっていた。
【――――手術は無事終了だ。】
外科医はふうぅぅ……と大きな溜息をついて、成功を宣言した。
「《上書き保存》はしてあるので、手術跡に触れても大丈夫……です!お、お疲れ様でした……!」
「あ、ありがとう……。」
既に感知した傷に痛みがないことを手でさすって確認しながら、光は2人に礼を述べた。
「えっと、君は――」
「申し遅れました。わ、わたしは手塚絵画楽と言います……!あ、あなたと同じ……《痣持ち》?っていう奴です!」
光の前に、絵画楽は右の手の平を開いて見せた。
光の左手甲にあるのと同じ、幾何学模様の《痣》。そしてこれまで見てきた出来事から、光は彼女の能力を悟った。
「そうか。――この傷を治したのも、君の――いや、その外科医さんの能力?」
【いや。紛れもなく手塚女史の力だ。私はその能力を間借りして治療しただけに過ぎない。】
「でも、こんな完璧に傷を治して見せた。すごい能力だよ、エガラさん。」
「あ、ありがとう……ございます……。」
光の眩しい笑顔に、絵画楽は照れくさそうに視線を逸らした。家族以外の人に面と向かってお世辞を言われるのは、とても久しぶりだったからだ。
「あっ、仲間の人……助けないと!」
絵画楽は光にした約束を思い出した。
「たしか、3人くらいいましたよね?入っていくのを見たので……。」
「ああ。1階でエイヴィスさん――足首を撃たれた娘の治療をしているはずだ。できれば回収後に、その外科医さんが怪我を治してくれると助かる!」
【構わんさ。――おい、聞こえたな?ヒゲおじ!】
〘あいあいさー!!ホテルにいるかわい子ちゃんを助けるんだな??〙
艦内放送で中年男性の声で返事が聞こえた。おそらく艦長という"設定"だろう。とても威勢の良い声だ。
〘待ってな!ヒゲおじさんの抜群のコントロールでピンポイントに浮上してやる!〙
「はい!お願いします!!」
〔〔ガコン……プシュウウ!!〕〕
艦長が何かのレバーかボタンを作動させ、潜水艦のバラストタンク内の水(?)の量を調整。失っていた浮力を取り戻していく。スクリューの回転音もゆっくりではあるが聞こえてくる。
間もなく、潜水艦は再び地上にその姿を現す。




