Episode30:《布告》・兵士たちの視点 その2
2388年6月1日(水) 2:35 P.M. 第8居住区・新京都 上空
「哎呀、高速は凄い渋滞ですね。この車が陸空両用でなければ、第1区に着くのは翌日になっていたでしょう。」
「――――。」
上下合わせて8車線ある第1主幹高速道路の上に夥しい量の車の群れが犇めき合うのを眼下に望みながら、ブラッドアイと羅を乗せた自動運転車は第8居住区・新京都の空を颯爽と駆けていた。
格納可能の4機のプロペラを有するこの軍用車は、滑走路なしで離陸することが可能で、飛行時の最大時速は約250km/h。ニューアシヤからイレブンスニューヨークまでなら1時間半ほどで到着できる。車内は最大4人まで乗車できるので、2人だけならゆったりとした空間を空の上で楽しめる。
だがそんな快適さなど、今のブラッドアイには無用だった。彼女は退屈そうに、あるいは投げやりな感じで、頬杖しながら窓の外の市民たちの動向を目で追っていた。
カーステレオから流れている電子二胡の鷹揚とした響きは、言うまでもなく羅の趣味であり、ヘヴィーロックを好むブラッドアイの耳には合わない。それに窓から見下ろせる渋滞の様子を見ていると、あの銀髪のレリギオスを仕留め損ねた自分の不甲斐なさを感じずにはいられない。彼女の今の心境は、音楽などでは到底落ち着かせることはできないのだ。
景観のために高層ビルが殆ど無い新京都の街並みの先には、打って変わって背の高いビル群の林立がある。そして車はそのビル群の更に向こうにあるAXel総本部へ向かおうとしている。行き先は判っていても、この鬱蒼としたコンクリートジャングルの中を潜るのを、今回ばかりは少々狼狽えを禁じ得ないとブラッドアイは自覚していた。
少しでも気分を紛らわせようと、彼女は隣でタブレットをいじる羅に話しかける。
「――羅。」中佐、と後ろに付けなかったのは、今この空間が同期2人だけのものだからである。
「何か?」返答する羅の顔は、タブレットの画面に向けたままだ。
「私は――やはり処罰されてしまうのだろうか?兄の仇も取れぬまま――。」
ブラッドアイは自身が抱いていた最大の懸念を彼女にぶつける。羅は、彼女の身の上や性格を理解している上で、こう答える。
「――さあ?残念ですが、我の口からは何とも言えません。ですが――もし『您を処分せよ』という命令が下されていたのなら、我は今ここで、您の首を刎ねているところです。知っているでしょう?重大な軍規違反をした者に、どのような顛末が訪れるのかを――。」
「――ああ、そうだったな。」
少々回り諄い回答だったが、それでブラッドアイは少なくとも自分の死がまだ先だということを理解した。
「さて、そろそろ本部が見えてきますね。お忘れ物のなきようお願い致します。」
2388年6月1日(水) 4:26 P.M. 第1居住区・イレブンスニューヨーク AXel本部??階
2人を乗せた車は、AXel本部のヘリポートに着陸すると、そのまま床のエレベーターが降下して地下深くの空間へ2人を誘う。
10分程度降りたところで、今度は横に移動するコンベアに乗って7分。
そこで漸く車を降りた2人は、更に人用のエレベーターに乗り換えて15分降下。
その先の廊下を5分歩いた後、目的地の部屋に繋がる扉をWatchの認証システムで開錠する。
〔〔シュゥゥゥゥ……〕〕
〔やぁ。待ちわびたよ、麗しのご両人。既に全員、こちらに揃っているよ。〕
暗い鈍色の壁面が四方に付いた、だだ広い空間。
その正面上部のガラス戸の向こうに、逆光でシルエットが浮き彫りになった一人の男性の姿が見えた。
その下――つまりブラッドアイたちが歩いている階層には、既に何人かの人間が集められていた。
「――なんだ、女か。」
「ああ。しかもツヤの良い肌だ……抱擁きたいッ!!」
〈やめろサム。第一印象が最悪だ。〉
「なんてお下品な発言……。同じAXelでなければ、この場で始末して差し上げるのですが――」
「ホント。これだから嫌なのよ、男ってのは――」
(うわぁ……ドロシーさんまで来るの……!?何か知らないけど、スゴい殺気立ったメンツだぁ……ブルブル……)
「うおっ!?1区の羅ふくたいちょーに、13区のブラッドアイふくたいちょーじゃん!!何ナニ!?むっちゃテンション上がるゥ〜!!」
「ふぅ〜ん、なんかすごい人みたいだね〜。」
「――――。」
集まっている人間は、その殆どがUGE軍・AXelに所属する軍人たち。ブラッドアイと顔馴染みの者もいれば、今回初めて会う者もいる。中には別の部隊から招集されたものも、何人かいる。
部屋に右足から踏み入ったブラッドアイは、出席者一人ひとりの顔触れを、自身の判る範囲で確認する。
第4区(パレルモ・デル・シエロ)分隊・隊長、ルチア・エルバビアンコ大佐……AXel屈指の知将にして、空中戦のエキスパート。涼しげな顔をしているが、性格は残忍。
第9区(セプサン/新釜山)分隊・隊長、イヴァナ・オレアンスカヤ大佐……隊員全員が女性という稀有な隊を率いる凄腕の指揮官。大の男嫌いで知られる。
同・第9区分隊所属、テレーゼ・クライネブルーメン少尉……イヴァナの右腕として重用されている、若く小さきホープ。よく別分隊に顔を出しては気さくに話しかけるコミュニケーション能力の塊。
第11区(ラスティサンド)分隊・隊長、ジル・レッドディア大佐……全身に武装義体を組み込み機械人間と化した"11区の鬼"。生身(?)の戦闘能力はAXel全体でNo.1の実力。
同・第11区分隊所属、サムソン・ダン少尉……かつてとある植民星の地下格闘技界でその名を馳せた、無敵のストライカー。女癖が悪いことで悪評高い。
FCF(開拓前線部隊)・第1師団所属、トム・ラーマクリシュナ准尉……人造巨神6号機・『ハスター』のパイロットで、一昨年のFCF内のドラゴン撃墜数No.1に輝いた実績を持つ。その爽やかなルックスからファッション誌の表紙を飾ったこともあるという。
そして窓ガラスの向こうに立つ、第1区(イレブンスニューヨーク)分隊隊長、ミシェル・アルカンジュ中将……《エデン大戦》における類稀な活躍とその美貌で軍内外から絶大な支持を集める、AXelの広告塔にして、AXel全体の実質的な指揮権をも持つカリスマである。
「これは――?一体何の会合だ?」
「間もなくそのご説明があるかと。実は我もまだ、詳しくは聞かされていないのです。」
そう話しながら、2人は空間の中央に歩を進める。
――と、一人の男がブラッドアイの顔を見るなり、
「ケッ――!誰が来たかと思えば、先の襲撃で大ポカやらかしたブラッドアイじゃねぇか!よく粛清されなかったな、この悪運女――!!」
そう文句を垂れる男の顔には、右半分を覆う程の痛々しい火傷の跡があり、同じく重度の火傷がある両手には新しい包帯がきつく全体に巻かれている。
彼の名前と醜い顔を、ブラッドアイは忘れることなどできない。彼女は汚物を見るような冷たい視線を、彼の顔に浴びせる。
「貴様もいたのか、"死に損ないの香取"――!」
男は、第2区(サクラダ/桜田)分隊隊長・香取聖那中佐。ブラッドアイの同期であり、彼女と同じように若くして頭角を現し、史上最速で一分隊の副隊長に登り詰めた"天才"である。――だが一方、その問題発言の多さから、数々の功績とともに悪評も多く噂されている男である。
「死に損ないはテメーだよ、ブラッドアイ!見たろ?昼のアレ。テメーがアイツを始末できてりゃああんな大騒ぎにはならなかったんだよ!このグズ!!」
「なんだと――?」そして今回も、男の発言はブラッドアイの怒りを買った。
「テメーも判ってんだろ?一番の戦犯はテメー自身だって!レリギオスは始末できない!大勢の目撃者はみすみす見逃す!剰え殺したレリギオスの遺体を奪われるという失態!!それでよくクビにもならなかったなぁオイ!いくら払ったんだよこのブラコン女ァ!?」
「――貴様ぁ!!」
やはり、分かっていても彼の行き過ぎた挑発は聞き捨てならない。
ブラッドアイはかっと彼を睨みつけ、右の拳を振りかざす――!!
〔パシッ!!〕
「不好。無用な戦闘はお控え下さいませ。本会合は軍上層部もご覧になられているようです。」
咄嗟に羅がその手を握ってブラッドアイの怒りを鎮める。そして羅は、視線を部屋の隅にある監視カメラに向け、ブラッドアイに確認を促す。それでブラッドアイは諦めて拳を戻し、香取から目を背ける。
「くっ――!!」
ブラッドアイが冷静さを取り戻したのも束の間。香取は、まだ彼女への罵倒を止めない。
「なんだよ?やんねーのかよ?テメーがオレ様殴ってるとこをおエラいさんに見せつけて、懲戒処分にさせようと思ったんだが……そーまでして大好きなお兄ちゃんの約束が大事かよ!?あんなバカでお人好しで、簡単に人にダマされるあの兄の言うことをいつまで守ってやがんだよ!!ベソっかきのガキが!!ワガママ言うのも大概にしやがれ!!」
ブラッドアイは歯を食いしばって香取の罵倒に耐える。しかし敬愛する兄への罵倒には流石に堪えきれず、両目から大粒の涙が滲み出す。
やはり見過ごすわけには――!そう思った時。
「やめてくださいッ!!」
「!?」 「あ?」
男の口を遮ったのは、反対側の壁に張り付いていた女性軍人の一言だった。後ろに束ねた艷やかな黒髪をぶるぶると震わせながら、そのアジア系の女性軍人は香取に勇敢にも意見を述べる。
「こ……これって、何かの決起集会……ですよねッ?たぶん、部隊の垣根を超えて行うような作戦のッ……!だから止めませんかッ?そうやって人を罵倒するのッ!チームワークが乱れますし……き、きっとその作戦の遂行に支障が出ると思うんですッ!だから――」
小柄という訳でもないその身体を圧縮機にでもかけたかのように縮こませながら、女は香取への説得を続ける。その間、ブラッドアイは女性の着ている軍服と、その肩に施された階級章を確認する。
制服の色は青色。これはAXelではなくMPO・治安維持特殊部隊の制服だ。
そして肩には、黄色の無地のラインが2本――即ち一等兵階級。今この場にいる軍人たちの中では、最も低い階級だ。
「なんだテメーは?新米か……?」香取は怯える彼女に容赦なく眼を飛ばす。
「も、申し遅れましたッ!!わ、私ッ――え、MPO・第13居住区分隊所属ッ、洪柳花一等兵ですッ!!今年の3月に入隊したばかりでありましてッ――……」
(洪――?)
ブラッドアイはその名を聞いて、漸く彼女のことを思い出す。南星宮高校襲撃事件でダジボーグと合流した際に、彼の隣にいた女性新米兵士であると。
(そうか……あの時ダジボーグ中尉と一緒にいた新兵か。あのけったいな傘にばかり目がいって、すっかり忘れていた――。
しかし、ますますこの会合の意味が判らんな……。この新兵、他のメンバーと違い、何も勲章を付けていない。恐らく特に多大な武勲を挙げた訳でもないだろうのに、何故そのような者までこの場に――?)
――と、ブラッドアイがそんな思案に囚われている間に、香取中佐は洪一等兵のすぐ眼の前まで接近していた。
「どうして一等兵ごときが、中佐クラスであるオレ様に盾突くんだよ!?あ!?大した戦績も挙げてねぇクソ雑魚がしゃしゃり出んじゃねぇ!!」
「ごっ、ごめんなさい!!ですが――
「「「口答えすんなや!!その頭叩き割るぞゴラァ!!」」」
香取は背中に刺した大太刀を握り、勢いよく引き抜いた。
その鈍い閃光を目の当たりにした洪一等兵は、恐怖で尻ごみし動けなくなってしまう。
(あの馬鹿――まさかここで殺すつもりか!?)
そう思った瞬間。香取の大太刀が洪一等兵の頭上に振り降ろされる――!!
〔〔〔パァァァン!!!!〕〕〕
「――!?」
室内に響いたのは、香取の斬撃音でも、洪一等兵の悲鳴でもない。
銃声。
2人から遠く離れた、部屋の隅に立つスーツ姿の長身の男が、手にしたスナイパーライフルで香取の大太刀の根元部分を狙撃。彼の手から大太刀を弾き落とした。
「――いい加減にしろ。中佐クラスの人間のすることじゃない。続けるなら、今度は脳天をぶち抜く。」
抑揚の全くない、淡々とした口調の男の素性については誰もよく知らない。名前はもちろん、階級も、どこの所属かも不明である。
「なんだテメーは……?どこの所属だ!階級は!?」
香取の質問に対し、その狙撃手は、
「答えられない。」そう返した。
「はぁ!?どーゆーことだ!?」
「そのままの意味だ。その質問について、俺は答えることができない。」
「ワケわかんねぇ……!テメー、オレ様のことナメてんのかァ!?」
「ナメるつもりなどない。だがその横柄な態度を目の当たりにすれば、誰だってナメたくならざるを得ないだろう。」
「――コイツ!!」
〔止め給え!!これ以上の醜い喧嘩をするなら、この場で2人共無惨に射殺する!!武器を納めよ!!〕
「――っ!!」 「承知。」
漸くアルカンジュの鶴の一声が掛かり、両者ともに戦闘態勢を解く。香取は転げた太刀を渋々拾い、狙撃手の男はてきぱきとライフルの部品を外し片付けていく。
「なんだ、終わりか。つまんねぇ。」
「アルカンジュ隊長が止めなければ、ワタクシも参戦して差し上げたのですが――」
指をパキポキと鳴らすサムソン・ダン、並びに軍服の袖口から暗器を取り出しかけたルチア・エルバビアンコの両名は、香取と謎の狙撃手の戦闘が終了してしまうのを名残惜しく眺めていた。
一方で誰も負傷せず収束したことにホッと胸を撫で下ろす兵士もいた。ブラッドアイの近くに立っていた、狙撃手よりも更に背の高い男性軍人である。
「あ〜、コワかったぁ……。一時はどうなることかと思ったよ……。ねぇ、ドロシーさん?」
「………………誰だ貴様。」
「なッ――――!?」
男性はひどいショックを受けたような悲しい表情を露わにする。
それもそのはず、彼もまたブラッドアイの同期で、第33区分隊の――
〔そろそろ時間だ。優秀な皆、適当にその場に横一列に並び給え。〕
――と、紹介しようと思ったが、アルカンジュからのアナウンスが室内に響いたのでまた次の機会にしよう。
アルカンジュの命令に従い、ちょうど中央にいたブラッドアイを基準に軍人たちが綺麗に横一列に整列を始める。経験の浅い洪一等兵が多少あたふたと戸惑ったことを除けば、まるで予行演習でもしたかのようにスムーズで無駄のない動きを以て整列が完了する。
整列完了から3秒の沈黙を待って、アルカンジュは発言する。
〔――では、今回諸君らを呼び寄せた素晴らしい理由を説明しよう。〕
そう言って、アルカンジュは目の前のパネルに手を翳し、ブラッドアイたちのいる空間内に、いくつかの映像や画像が次々と投影される。
映像・画像はいずれも、先日行われたUGE軍の緊急軍拡会議の模様を撮影したものと、その会議で使用された資料のコピーである。アルカンジュはそれらを適宜指し示しながら、彼らを招集した理由の説明を始める。
〔先日の長たらしい緊急軍拡会議により、我々AXel部隊の軍備拡張が決定し、他部隊からの大幅な人事異動、並びに人造巨神をはじめとする他部隊の最新武装の導入などが目下進行中であることは、皆も既にご存知のことだろう。
だが、それだけでは居住区内に巣食い裏で利権を貪らんとする美しき――いや、醜きレリギオス共の殲滅という使命は叶わない。それを妨げる最大の障害――それは既に、ここに来る途中に君たちも見たことだろう?〕
「《へスペリディア》――!」ブラッドアイは小さくそう呟く。
〔そう……《へスペリディア》!正式な名称こそ今し方判明したばかりだが、何年も前からその存在は予測されていた!嘗てこの惑星を支配していたレリギオスの帝国――アリティア帝国の残党共が立ち上げた組織が、裏でレリギオス共による侵略の手引きをしていると!!
そして今先程!奴らは我々地球人類の通信網に深刻な大打撃を与える《魔法》を放った!!一般市民には底知れぬ不安を煽り、居住区に潜むレリギオス共には政府転覆を目論む蜂起を促した!!
我々はこの愚劣な攻撃を、ただ見ているだけでいいのか!?否!それは"地球人類による繁栄"の精神が許さない!!我々は一般市民の平和的で安全な暮らしを護るために、何としても奴らを根絶やしにしなければならないんだ!!
そのために我々は、《へスペリディア》並びにレリギオス共を確実に殲滅するための新たな戦力を整えなければならない!!いつどこに現れるか判らない彼らを叩くための迅速かつ広範かつ適切に行動できる優秀なチームが必要だ!!それこそが、優秀な兵士である君たちがここに集められた理由だ――!!
君たちに課された使命は、2つ。
一つはレリギオス共の絶対的英雄となっている《へスペリディア》の麗しき首領、フェルタ・エオルシア・フルトニオスの暗殺――並びに彼女が率いる犯罪組織《へスペリディア》の壊滅だ。
そしてもう一つは、地球人類とレリギオスの間に産まれた忌むべき存在である《痣持ち》――その中でも極めて特殊な能力を持つ存在――《希望》の《痣持ち》の所在を探し出し、"捕獲"することだ。〕
「"捕獲"?――"駆除"じゃなくてか?」
〔"捕獲"だ。そいつは触れた相手の願望を叶えるとんでもない能力を持つらしい。その力は世界の運命を大きく左右すると言われている。正に"生きる聖杯"!!そいつの能力を使えば、"地球人類による繁栄"の本懐を果たすことができる!!
《希望》の《痣持ち》の地球人としての名は、『望月光』。先月25日、第13区分隊が襲撃した南星宮高校の一生徒として紛れ込んでいた個体だ。〕
「――――!!」
その名前に、ブラッドアイはハッと目を見開く。
あの時逮捕するはずだった少年の、忘れることのない名前と顔を、彼女は改めてまじまじと目に焼き付ける。
〔本来ならばこの日に奴を"捕獲"し、専門の研究施設で洗脳処理を施した後にこっ酷く利用する計画だった。
――が。運の悪いことに、彼は同じ日の朝、通学中の列車の中でレリギオスを目撃。それを撮影した素人くさい動画をその日の昼にネット上に拡散させてしまった。それを嗅ぎつけたこのフェルタと名乗る麗し――いや、醜きレリギオスが第13分隊の襲撃を妨害し、望月光ら生徒たちを自らの本拠地である《へスペリディア》へと逃した――!そうだね、私の可愛いブラッドアイくん?〕
「――――はい。仰る通りです。」
彼女が言葉に詰まったのは、アルカンジュの甘いテノールボイスや、余計に付けられた形容詞に気持ちが動揺したからではない。望月光の逮捕の本当の理由を、今のアルカンジュの話で初めて知ったからである。
(あの少年にそんな力があったなど、初耳だ――!単にレリギオスの動画を拡散させた犯人が、偶然その《痣持ち》とかいう奴だったという話ではないのか……!?)
彼女は質問したかったが、黙った。
アルカンジュの顔を汚したくなかったのが理由の1割。残り9割は、軍上層部がどこまでの情報を知り、そしてどこまでを自分たちに伝え、どこまでを秘匿しているのかが判らないことに対する、恐怖である。
もしかすると、《ニューアシヤ事変》は単なる突発的な騒動ではなく、最初から誰かによって仕組まれた計画だったのではないか?――ブラッドアイは、そんな思考に暫く苛まれた。
「なるほど……!よーするにオレ様たちは、あの赤毛の"尻拭い"をするためだけに集められたと……そういうことでいいんだよなぁ!?」
と、またしても香取がブラッドアイに喧嘩を売るような発言を噛ます。
〈やめろ香取!!私怨を延々と垂れるのは、男としても、大人としても最悪だ!!発言を慎め!!〉
香取を窘めたのは、第11区分隊副隊長、ジル・レッドディア中佐。両耳に付いた高性能スピーカーから発せられる自動生成の音声は、遠くの香取の耳に自らの思考を伝達させる。
〔賢明なジルの言う通りだ。その表現は適切ではないし、美しくない。以後この本部ビルを出るまで、君の汚らしい発言を禁止する。いいね?〕
「けっ――!好きにしろ……。」
流石の香取も、立場も実績も上のアルカンジュには頭が上がらないようで、口をへの字にして喋る気が失せてしまったようだ。
アルカンジュはやれやれといった表情で肩をすくめると、先程の香取の"尻拭い"という発言を妙に気に入ったのか、こんなことを言い出した。
〔だが、"尻拭い"ねぇ……。汚らしいが、悪くない言葉だ。――ドロシー・ブラッドアイ中佐!〕
「!?――はっ!!」
急な呼びかけにも動じず、彼女は直ちに敬礼をし、アルカンジュの次の言葉を待つ。
「率直に答えてくれ。先日の相次ぐ失態の挽回――したくはないかい?」
「――無論です。」ブラッドアイはすぐさま返答する。「私はもう子供ではありません。自分の尻くらい、自分で拭けます。」
「フフッ、下品な……だが良い返事だ。」
アルカンジュはどうやら、彼女の返答を気に入ったようだ。含み笑いとは言え、アルカンジュがこういう下ネタで笑うところを、ブラッドアイたちは初めて見た。
その笑みの余韻を顔に残したまま、ミシェル・アルカンジュ中将はドロシー・ブラッドアイ中佐に、辞令を言い渡す。
「ドロシー・ブラッドアイ中佐。本日6月1日付を以て、貴君を少将に進級!加えて、同じく本日設立したこの『ロンギヌス部隊』の隊長職の任を与える!!」
「――――!?」
「はああああっ!?冗談じゃね――「「不好!貴方の発言は禁じられています!」」
アルカンジュの辞令に異議を上げようとする香取の前に、羅が立ち塞がる。
羅自身もこの決定に納得こそできていない。だがこの決定の裏には、何らかの上層部の信念があると、彼女は信じて止まなかった。
アルカンジュの宣言した決定に対し、他の軍人たちは、
「すご〜い!!」「大佐飛び越して少将!?ブラッドアイふくたいちょー、スッゲー!!」と、手を叩いて喜ぶトムとテレーゼ。
「あらあら。てっきりアナタが隊長になるかと思ってましたのに……残念ですわね?」「ふん。だがまぁ、隊長が女に決まっただけマシね。あのクレーマー男なら即刻クーデター起こして暴れ狂うところだった――!」隊長に任ぜられなかったことをやや不服に思うイヴァナと、それをからかうルチア。
「女の隊長……良いねぇ!!抱擁きたいッ!!」〈だからやめろサム。イヴァナに頭吹き飛ばされるぞ。〉通常運転のジルとサムソン。
「――――。」特に何も感想のない、謎の狙撃手。
「これって、凄いことなんですか?」「スゴいことだよぅ?だって2階級も上に上がったんだよ?」いまいち理解が追いついていない洪と、彼女に優しく説明しようとするスタ――
「「きゃあっ!!」」
「冗談じゃねぇ!!なんで大ヘマやらかしたコイツが2階級も昇進できんだよ!?しかもオレ様たちの隊長になるだと……!?ワケがわかんねー!!納得できるよーに説明しやがれ、アルカンジュ!!」
〈香取!!せめて"アルカンジュ隊長"と呼べ!無礼者!!〉
制止する羅の身体を冷たい床に張り倒した香取は何度目かの暴言を吐き、すかさずジルが彼への叱責を叫ぶ。
だがアルカンジュは、特に香取に怒りを表さなかった。すぐに理解してくれると、知っていたからだ。
〔香取中佐……激しい気性の君の考えていることは判らなくもない。だが理解してくれ。いや、きっと理解する他ないだろう。
この決定を下したのは、賢い私ではない。私よりも遥か聡明なお方――
そう。最高事務総長たっての希望なんだよ。〕
「さ――っ!?」
香取だけではない。その場にいた者全員が、その単語を耳にして思考を停止した。
アダムズ・エバーランド最高事務総長――約52億3000万人が所属するUGE関連機関の、その全ての頂点に立つ男。
歴代のUGE最高事務総長の言葉は、いずれも人を、世界を、そして宇宙を、大きく動かしてきた。この《エデン》への侵略も、エバーランド最高事務総長の一声がなければ実現しなかった。
最高事務総長の言葉は、即ち"人類の総意"であり、その根源にあるのは、UGE創設以来のスローガンである『地球人類による繁栄』の精神である。――彼の言葉を拒否することは即ち、人類の総意に背くこと――繁栄の速度を止め、人類を衰退に至らしめることと同義なのである。
〔それでも君は、まだ見苦しく異議を唱えるのかい?〕
アルカンジュは敢えて、彼の自由意志に問いかける。
だが"最高事務総長"という単語を口に出された時点で、香取の出すべき答えは――あるいは思い付く答えは――たった一つしかなかった。
「……いいえ!最高事務総長の御命令とあらば……慶んで遵います!!」
さっきまでの喧嘩腰は急に鳴りを潜め、彼は猫背だった背を目一杯ピンと伸ばし、野暮ったい目をぱちくり見開きながら、これまで見たこともないくらいの見事な敬礼をアルカンジュに――いや、その背景に飾られたUGE軍の徽章に披露した。
「――同じく!このドロシー・ブラッドアイ……最高事務総長の御厚意に深く感謝申し上げると共に、必ずや《へスペリディア》を討ち滅ぼし、地球人類の更なる《希望》を齎すことを、誓います!!」
彼の手本に合わせて、ブラッドアイもビシッと足を揃え、右腕を90度上げて、UGE徽章に対して綺麗な敬礼を披露し、宣言する。
そして残る10名も、ジル大佐の号令に従い、一斉に敬礼を披露する――!
〈全員、敬礼ェェェェェェェェッ!!!!〉
12名の長い敬礼は、最高事務総長の決定にこの上ない賛同の意を示すものであり、一糸乱れぬ彼らの姿勢は、確固たる意志と弛むことのない団結力を表すものであった。
時間にして1分間丁度。香取・ブラッドアイ以下12名は敬礼を辞め、すぐさま気を付けの姿勢に戻る。アルカンジュも敬礼していた手をゆっくり下ろすと、説明の続きを再開させる。
〔――これから君たちには、この新設部隊の一員として、憎き《へスペリディア》の壊滅、並びに《希望》の《痣持ち》の捕獲のための血眼の捜査、血反吐を吐くほどの戦闘に尽力してもらいたい。
本部隊は他のAXel分隊と違って、《《管轄エリアに制限がない》》。先の使命の達成のため、諸君には他の一般兵士にはない特別な権限のいくつかを付与している。有効にかつスマートに活用されたし。〕
「「「「「はっ!!!!」」」」」息の揃った12名の了解の応答が、狭い空間内で何度も反響する。
〔それと、この部隊には目標を同じくするもうひとつのチームが存在するが――こちらとの顔合わせはまたの機会に行うとしよう。
最後に、この部隊の名称を発表しておこう――!
『ロンギヌス部隊』――!!磔刑に処された主たるイエスの死を確認せしローマの百卒長の名を、諸君に捧げる!素晴らしき地球人類の繁栄、そして醜きレリギオスの根絶のため、《へスペリディア》に惨たらしい殺戮と絶望を贈ってやれ!!
『地球人類による繁栄を』ァァァァ!!!!〕
「「「「「『地球人類による繁栄を』ああああ!!!!」」」」」
ミシェル・アルカンジュ及び『ロンギヌス部隊』の面々は、部隊の士気を上げるため、『地球人類による繁栄』の大合唱を午後6時を回るまで続けた。
ドロシー・ブラッドアイ少将も、香取聖那中佐も、内に秘めたる疑念や憤怒を忘却し、延々と標語を叫び続ける。
ただ一人――洪柳花一等兵だけが、訳の判らぬその異様な雰囲気に押し潰され、喉から声が出なくなっていた。




