Episode31:《布告》・兵士たちの視点 その3
2388年6月1日(水) 9:20 P.M. 第1居住区・イレブンスニューヨーク AXel本部・女子寮345号室
その晩。洪柳花一等兵は、狭くて慣れないバスタブの中に長い脚を折りたたみ、揺らぐお湯の表面のぼんやりとした反射を眺めていた。
正式に軍務に就いてから、たった2ヶ月程度。まだ右も左も分からない状態で、彼女は例のニューアシヤの事件に駆り出され、訳の判らないままに別部隊の新設チームに異動となった。しかも周りは自分よりも段違いに階級の高いメンバーばかりで、自分と同等あるいはそれ以下の階級は誰もいない。戦闘も、レリギオスのことも、殆ど経験値がないそんな自分が、この先彼らからどういう扱いを受けるのか。確証はないが、彼女はこれから来る地獄のような日々を予見していた。
彼女は、それを自分への"罰"だと理解した。緊急の出来事に何も反応できない未熟な自分に対する、"罰"。もしあの時、手にしていた『傘』でダジボーグ中尉の身体を咄嗟に防御できていたら、今後も下手くそなりにMPOで活動できていたかもしれない。
そんなたらればを繰り返し妄想しても、フラッシュバックするのはあの『地球人類による繁栄』の大合唱。あれで彼女は、底知れない恐怖にも似た感情を覚えた。
UGEへの忠誠は、お世辞にも高かったとは言えない。そもそも軍に入隊したのも、周りに流されるままに続けた就職活動で全落ちして、他に自分の強みの活かせる場所がなかったから――そんな程度の理由である。無論、彼女の同級生は、ロンギヌス部隊は元よりUGE軍全体を探してもいない。
「私っ――なんでここにいるんでしょう――?どうして私だけ、ここにっ――?」
誰にも見られるはずのないひとりきりの涙を、彼女はそっと湯船の中に隠した。彼女が湯船から上がったのは、それから一時間も後のことである。
2388年6月1日(水) 10:23 P.M. 第1居住区・イレブンスニューヨーク AXel本部・女子寮345号室
のぼせたせいなのか、泣きじゃくったせいなのか、浴室から出た彼女の顔は、燃えるように真っ赤だった。例えるなら、まるでカクテキのような色だったっ――というのは、その時の彼女の述懐である。
今日初めて入ったはずの部屋には、いつの間にか運び込まれた彼女の使用する家具や雑貨などが、前の寮と同じ配置で置かれていた。冷蔵庫やテーブルの位置は元より、今朝の起床時にメイキングせずに放置したベッドシーツの皺の模様まで、気持ち悪い程に再現されていた。
けどもうそんなことはどうでもいいやっ――とばかりに、彼女は顔にこもった熱を冷ますため扇風機の前に座り、電源を入れる。風力は中。首は固定させて。そうしてまだ溢れ出ようとする涙を、風で渇かして消してしまおうという作戦だ。
一緒に髪も乾かそうと考えた彼女は、白い肩にかけたバスタオルで長い髪を挟み、髪に纏わりつく水分をタオルに優しく移していく。
すると、
〔トン、トン、トン。〕
こんな時分に、誰かが部屋のドアをノックするような音が聞こえた。
柳花は空耳かと思って、一旦無視を装い様子を見る。
〔トントントン!〕
だがもう一度。今度は強く早いテンポでノックの音が響く。まるで無視することは許さないといった感じだ。
来客にしては遅い来訪だし、今のほぼ全裸に近い格好ではとてもじゃないが応接のしようがない。それに今の気分としても、誰とも接したくないというのが彼女の本音だった。彼女は居留守を使って、日を改めさせようと考えた。
(こっ……こんな時間に何の用でしょうっ――?正直今は、誰とも会いたくないし、話したくもないんですっ――!)
〔おや?もう寝たのか?就寝時刻にはまだ早いが――仕方ない――〕
柳花の目論見通り、ドアの向こうの誰かはそう呟いた後、暫く何もしてこなくなった。
恐らく帰ったのだろう。柳花はそう解釈した。
(ホッ……よかったっ。けど誰だったんだろう?こんな夜中にっ――)
もういなくなってしまったかもしれないが、柳花はその来訪者の正体が気になってしまった。
それで彼女は、そのままの格好で扇風機の傍を離れ、玄関の方へと近づく――。
〔〔ガチャッ!!〕〕 〔ギィィィィ……〕
「ふぇっ!?」
突然、部屋のドアのロックが解除され、音を立てながら開き始めた!
ドアの開くスピード的に、最早隠れたりなどはできない――!柳花はせめて、ドアを開くその人物が女性であることを願った――!
「失礼するぞ。洪柳花一等――?」
入ってきたのは、新品の黒い軍服を纏った、深紅色の髪の――"男"?
しかも柳花がタイプとしている、とても中性的な顔立ちのイケメン(?)であった――!?
「あ――ああっ――ああああああああ!!」
せっかく引いてきたはずの柳花の全身の熱が、再び温度を上げてぶり返す!同時に元より高くはなかったはずの知能が、急速な低下を見せ始める――!!
(ウ、ウソっ!?なんでこんなイケメンが私のとこにっ!?しかもめっちゃ私好みの美男子なんですけどっ!?てか私、彼にハダカ見られたっ!?見られたよねっ!?大事な部分モロ見えだしっ!?どうしようっ?悲鳴上げるべきっ?でも初めて会ったこんなイケメンを犯罪者扱いしたくないよぉっ!!)
柳花の胸のときめきは、自身の中の理性と羞恥心と倫理感を忘却の彼方に追いやった。
一方の深紅色の髪のイケメン(?)は、彼女の裸を見ても、至って冷静な装いを崩さない。まるで女性の裸など、何度も見てきたかのような経験値のある余裕ぶりである。
「風呂上がりだったか。すまない。」
〔ガチャン!〕
「今、戸を閉めたから、ゆっくり身体を拭くと良い。暫くここで待っているから。」
「えっ……ええええええっ!?!?」
あろうことか、イケメン(?)は家から出ていくこともなく、玄関に残ったまま鍵まで閉めてしまった!
イケメン(?)の澄ました表情からは、裸を見たことに対する羞恥心も、謝罪の念も全く感じられない。柳花はいよいよ、このイケメン(?)の人格的破綻を疑わずにはいられなかった――!
「いやっ……そーじゃなくてっ!!わわわ私っ、ハダカなんですよっ!?『ごめんなさい』とか、おおおもわないんですかっ!?」
「言ったではないか。さっき『すまない』と――」
「だからそーじゃなくてっ!!アナタっ……女の人のハダカ、見ちゃったんですよっ!?恥じてくださいっ!!今からでも遅くないですからっ!!」
「何故恥じる必要がある?恥じるべき要因がどこにあるのか、私にはさっぱり判らん。」
「なっ――!?」
この時、柳花は理解した。
このイケメン(?)は、残念な方のイケメンであると。
このイケメン(?)がどの階級の軍人かは柳花には判らない。が、間違いなく自分よりもうんと高いクラスの人間だということくらいは柳花でも判った。
ならばこそ、軍の規律のためにも、彼女はひとまずバスタオルを身体に巻きながら、イケメン上官(?)に苦言を呈する。
「アナタっ……こんなことをして許されるとお思いですかっ!?これは明らかな軍規違反ですっ!即刻出て行かなければ、ヒドい目に遭いますよっ!?」
「違反?――私は正当な権限を以て貴君の部屋に入室したのだ。違反を疑われるべきは、私に讒言を垂れ続ける貴君の方ではないか?」
「何を言ってるんですかっ……!?いくらエラい立場だからってっ……!男性がこんなことしたらダメに決まってるでしょっ!?」
「――ん?男性?」イケメン(?)はそこで何かに気付き、慌てふためく。「ま、待て!貴君は何か思い違いをしていないか!?」
「それはこっちのセリフっ!とっとと……出てってくださああああいっ!!!!」
柳花は軽く2、3回跳ねたかと思うと、一気に距離を詰めながらイケメン(?)の顔目掛けて右の飛び前蹴りを繰り出す――!
(まずい――!?)
イケメン(?)は柳花の高い跳躍だったのを利用し、咄嗟に前方に滑り込んで柳花の下を潜る――!
〔〔ダンっ!!〕〕
柳花の右足はイケメン(?)の身体にかすりもせず、そのまま玄関の鉄製のドアにぶつかり、大きな衝撃音を響かせる――!
「チッ――!」
柳花はすぐさま振り返り、軽く飛び跳ねながら、手を軽く握りファイティングポーズを取る。
一方のイケメン(?)の方に戦う意志はなく、彼女に戦闘態勢を解くよう説得を開始する。
「止めろ、洪!貴君の戦闘行為は正当ではない!!その拳を下ろせ!!」
「では脚なら良いんですねっ!!」
「そうじゃない!話を聴――」
問答無用と言わんばかりに、柳花は再びイケメン(?)に接近するや否や、今度は捻った右足を軸に、高く上げた左足で廻し蹴りを繰り出す!壁に当たらないよう器用に折り畳まれた脚はイケメン(?)の目測を誤らせ、寸前で伸びた柳花の左足がイケメン(?)の顔に届く――!
〔ピッ――〕
「くっ――!?」
イケメン(?)も間一髪のところで後方に跳んだおかげで、軽い切り傷を顔に負うだけで済んだ。だが柳花の攻勢は続く!
「せやぁっ!!」
間髪入れずに柳花は前蹴りや飛び蹴り、廻し蹴りを連続で繰り出し続ける!イケメン(?)はそれらを喰らうまいと回避や防御を繰り返し、なんとかこの狭い室内で距離を取るタイミングを見定める――!
だが、遂にそれは訪れず、イケメン(?)はとうとう部屋の隅に追い詰められる――!
(まずいな……これでは説得どころではない!!なんとか誤解を解かなければ――!!)イケメン(?)の涼しげな顔から、漸く一筋の汗が零れ落ちる。
「はぁ、はぁ……さぁっ!覚悟なさい変態上官っ!!『????による繁栄』?のためにっ……罪を悔い改めなさああああいっっ!!!!」
バスタオルが崩れることも厭わず、柳花は左脚を天高く一直線に振り上げ、踵落としを繰り出す――!
(止むを得ん――!!)瞬間、イケメン(?)は決断する――!
柳花の左脚が下り始めたその時。彼(?)は低い姿勢を保って彼女の正面に素早く飛び込んだ!
〔〔バシッ!!〕〕「ひゃっ――!?」
そして、彼女の身体を両手でがっしりとホールドすると、自らの左脚で彼女の軸足を払い除ける――!
柳花の身体は支えを失い――同時に巻いていたバスタオルも解けてしまい――イケメン(?)のぶつかった勢いのまま床へ落ちる――!!
「う……うわああああああっっ!?!?」
〔〔ぼふっ――!!〕〕
勝負あり。倒された柳花の上にイケメン(?)の身体が乗っかり、その凛々しく美しい顔を彼女の眼前に晒す。
イケメン(?)の体重は割と軽かった。だが"男(?)に押し倒された"という事実は、柳花から立ち上がる気力を奪うのには十分すぎた。彼女は大粒の涙を両目に蓄え、引きつった顔でイケメン(?)に声にできない恐怖を訴える。
「う――あ――あぁっ――」
この時柳花は、別の誰かが助けにきてくれないかと必死に懇願していた。当時の彼女にとって、これは窮地以外の何物でもなかった。
だが、それは単なる杞憂に終わった。
「安心しろ、洪一等兵!私は女だ!!AXel・元 第13居住区分隊副隊長、現 『ロンギヌス部隊』隊長のドロシー・ブラッドアイだ!!」
「うっ――ぐすっ――………………ふぇっ?」
『ドロシー』。その名前を聴いて、洪柳花の全身から恐怖がすぅっと引いていくような感覚を覚えた。
「"どろしぃ"っ?――へ?"どろしぃ"……さんっ?」
「ああ、そうだ!」
柳花は念のため、上に乗っかっている人物の胸部に手の平をあてがう。
大きくはないが、明らかに鍛えられた胸筋とは違う、柔らかい弾力の小さな丘陵がそこにあった。
それを確認した柳花の顔は――彼女の思考を借りて例えるなら、スンドゥブチゲのように真っ赤になっていた。
2388年6月1日(水) 10:35 P.M. 第1居住区・イレブンスニューヨーク AXel本部・女子寮345号室
「「「もうじわげありまぜんでじだああっっ!!!!」」」
女子寮345号室から響くのは、洪柳花一等兵の号哭と、床に額を数回叩きつける鈍い音だった。
「ごの度はっ……本当にぃっ……本当に申じ訳ございまぜんでじだあっ!!どんな罰が下っでもっ……潔く受げ入れまずがらあぁあぁっ!!!!」
「あー判った判った。貴君の謝罪は充分伝わったから、とりあえず顔を上げろ、洪一等兵。」
両耳を手で塞いでもなお喧しく聞こえる柳花の喚き声に辟易しながらも、ブラッドアイは彼女の泣き止むのを待った。
「うっ……ぐすんっ……。」
「少しは落ち着いたか?」
「――ばい゛っ……。」柳花は鼻声で返答する。
「ならいい。今回の貴君の暴力沙汰に対する懲罰は不問だ。貴君の同意なく勝手に室内に侵入した上、事情を真っ先に伝達しなかった私の落ち度の方が大きいからだ。赦してくれ。」
「――ばい゛っ……だいじょうぶでずっ。」柳花は反射的に答える。
「それに貴君には私と香取の醜い諍いを制止してくれた恩義がある。貴君の勇気ある行動を、勘違いというつまらない理由で帳消しにしたくはないからな。」
「は、はぁ……っ。」柳花は軽く礼をしてブラッドアイの計らいにひとまず感謝する。「ですがっ、本当に止めてくれたのはあのスナイパーの人ではっ――?」
「彼にも礼を言おうとしたが、掴まえる前に別件で外出してしまったそうだ。それに彼も、貴君の一声がなければ動かなかったに違いない。何にせよあれは貴君の功績だ。素直に喜べ。」
「あ、ありがとうございますっ……?」柳花は訳が判らないが、とりあえずペコペコと頭を何回も下げた。
「さて、話は変わるが――貴君は、何故自分が『ロンギヌス部隊』の一員となったかを聴いているか?前の上官――ダジボーグ中尉からも何か聞かされてはいないか?」
「い――いえっ。まったくっ――。」柳花は少し思い返して答える。
「成程。ではもう一つ質問だ。
――貴君は、アダムズ・エバーランド最高事務総長と面識があるか?」
「??」柳花は訳の判らないような顔を浮かべた。それもそのはず――
「いいえっ……あるわけないじゃないですかっ!だって雲の上のっ、そのまた向こうにいるような人じゃないですかっ!?」
「そうか――。」ブラッドアイは腑に落ちたのか落ちていないのか、曖昧な表情をした。
「実は、今の質問を貴君にしたのには理由がある。
貴君が『ロンギヌス部隊』に転属となったのは――私と同じく、アダムズ・エバーランド最高事務総長のご命令らしいのだ。」
「そ、そんなっ――!!」
柳花は開いた口が塞がらなかった。特に目立った戦歴も技能もない、見ず知らずの末端の人間に、エバーランドは一体何を見出してこのような部隊に異動させたのか――?柳花の頭脳では、到底判るはずのない難題である。
「貴君と私だけではない。本日、『ロンギヌス部隊』の所属となった12名のUGE軍人は、全員、エバーランド総長自らがご選定されて決定したそうだ。」
「全――員――っ?」
柳花は一瞬、呼吸を忘れた。そのせいで少し、胸がつかえた。それ程に、ブラッドアイが述べた事実は衝撃的だった。
「――実を言うと、私もエバーランド総長と直接お会いしたことはないのだ。他の隊員たちもそうだろう。何せ、連日各植民星を飛び回っているお方だ。そう簡単にお会いできるはずもない。」
「そ、そのような人がっ……どうして私たちを指名されたんでしょうっ――?」
「判らん。」ブラッドアイはあっさりとそう吐き捨てる。「だがその理由を詮索する必要はない。我々は少なからず、エバーランド総長から絶大な期待を頂いていることに相違はないはずだ。
故に、その期待に応えるためにも、まずは隊長の職を任された者として、各隊員の能力やら思想やらをある程度知っておきたいと思ってな。中でも別部隊出身で軍人としてのキャリアも少ない貴君のことをまずしろうと思い、部屋を訪ねたのだ。」
「な、なるほどっ――。」
柳花はやっと納得できる言葉を聴けて、少し安堵する。だがそうは言っても、安心はしきれなかった。いくらエバーランド程の人物からとはいえ――いや、だからこそかもしれないが――見ず知らずの者から身に余る期待を受けるのは、柳花には居心地の悪い感覚だった。
「しかし、先程の蹴り技の数々――あれは見事だった。あの構えと動きは、テコンドーだな?」柳花のそんな気持ちを察したのか、ブラッドアイは話題の転換を図った。
「あっ、はいっ!私のその……"アボジ"から教わったものでして――」
「あぼじ……?」ブラッドアイは聞き慣れないその言葉に首を傾げる。
「あっ……すみません!"아버지"というのは私の家系に伝わる言葉で、"父親"という意味でしてっ――!?」
「そうか。父上からか。」ブラッドアイは言葉の意味を知り、やっと腑に落ちる。「普段から父上のことをそう呼んでいるのか?」
「ええ、まぁっ。『祖先が遺した文化を絶やしてはならない』という、ウチの家訓みたいなものでしてっ。――正直うんざりですけどっ。」
「昔の伝統を大切に護ることは良いことだ。羅中佐をはじめ、自らの出自の伝統を忘れず日々の任を果たす者も、この軍には多くいる。何も恥じることではない。」
「でも私は、どっちかと言えば新しいモノの方が好きなんですっ――。今の言葉遣いも할아버지――ああっ、"おじいちゃん"がうるさく言うから仕方なく使ってるんですがっ……おんなじ言葉使う人っ、家族以外で会ったことないですしっ……なんて言うかこう……"時代に取り残されてる"感があるんですよっ――?歴史とか過去に囚われた考えってっ、ニガテなんですっ、私っ。」
「『過去に囚われた』――か。」
何気に柳花が口にした一言は、ブラッドアイの心に強く残っていた。
何故ならブラッドアイの心を突き動かすのは、いつも"過去"だったからだ。
標的のレリギオスを追跡し殺す時、彼女は必ず傷だらけになった兄の亡骸と、兄を殺した銀髪のレリギオスの姿を思い出す。そうすることで、昇進への期待などのような余計な感情を捨て去り、標的への怒りと、与えられた任務の遂行に集中できる。
自らの"正義"を執行するために、自らが定めた"悪"への憤怒は最大の原動力となる。彼女はその憤怒を呼び起こすために、嫌でも兄の死ぬ光景を何度も思い出さねばならない。それが、仕事だからだ。そしてその過去を再び引き起こさないように、彼女は――
「そう言えばそのぅ……あの包帯ぐるぐるの怖い人って……ブラッドアイさんのお知り合いなんですかっ?すごい揉めてましたけどっ……どういうご関係でっ?」
柳花は話題をブラッドアイと香取との関係に切り替える。
柳花にとって香取は今のところ、"人生で一番最悪な出会い方をした人物"という印象しかない。だが同じ部隊の一員となった今、嫌いだからと関係を断つことは無理に等しい。ブラッドアイも、彼女に彼のことを知ってもらう必要があることは理解していた。
「香取聖那のことか。――アイツとは子供の頃からの長い付き合いだ。
昔から減らず口で、色んな大人子供を泣かせたり怒らせたりしては、しょっちゅう親や先生に迷惑をかけていた。アイツの吹っかけたケンカの仲裁に、私の兄はよく手を焼いていたのを、今でも覚えている。」
「ブラッドアイさん――お兄さんがいるんですか?」
「ああ。」
ブラッドアイはIDEA-Watchのアルバムの中から、古い時期に撮られた一枚の写真を見せる。
3人の子供が横一列に写った写真。左にはやんちゃそうな黒髪のアジア系の少年。中央にはブラッドアイをそのまま子供にしたような姿の少年。そして右には、同じく血のような赤色の長い髪を伸ばしたドレス姿の少女が恥ずかしげに目線をカメラから逸らしていた。
「中央に写っているのが、4つ上の私の兄さん――オズワルド・ブラッドアイ。で、左のアホそうなガキが件の香取聖那だ。」
「ってことは……右の女の子がブラッドアイさんですかっ!?めちゃくちゃカワイイじゃないですか〜〜♡♡」
「…………。」
あまりそんな言葉で褒められるのに慣れていないせいで、ドロシー・ブラッドアイの顔はやけに真っ赤になっていた。そんなことなどお構いなしに、柳花は画像を指でつまんだり広げたりを繰り返して幼少期のドロシー・ブラッドアイの可愛さを堪能する。
「うはっ♡めちゃカワイイですよコレっ♡すんごい美少女じゃないですかっ♡♡ドレスもカワイイしっ♡♡髪もサラサラしてそうだしほんっと美少女ですっっ♡♡食べてしまいたいくらいに――」
「――ん゛ん゛っ!!」
「――スミマセンっ……。」柳花は直ちに居住まいを正す。「そ――そのっ、昔から香取さんとは、仲が悪かったのですかっ?」
「いや……。昔の香取も確かに口の悪いガキではあったが、私や兄などの"仲間"と認めた者への態度は寧ろ良い方だった……。ヤツの悪態も、昔は仲間に害を与えるような輩に対して振りまいていたことが多かった。
――だが今の彼は、誰それ構わずに悪口を垂れ、反論すれば反論できなくなるまで暴力で黙らせるようになってしまった――。あんな彼は、私の知る彼ではない。」
「どうしてそんな風になってしまったのでしょうかっ――?」
「判らない。少なくともUGE軍に入隊した時には、彼は今の彼になっていた。入隊式の時の彼の表情は、今も忘れられない――。」
ブラッドアイは、10年前の入隊式での光景を思い返しながら、柳花にその出来事を話し始める。
2378年4月3日(月) 0:13 P.M. 第1居住区・イレブンスニューヨーク UGE軍総本部
兄オズワルドが死に、《エデン大戦》が終結した後、レリギオスへの復讐に燃えるドロシー・ブラッドアイは、血の滲む3ヶ月間の訓練と入隊テストを経て、晴れてUGE軍への入隊を果たした。この時香取は別の都市に疎開をしていたために、暫く互いの動向を全く知らないでいた。
2人が再会を果たした場所――それが2378年度UGE軍春季合同入隊式であった。
汚れもほつれもない新品の軍服を纏った大勢の参列者の中から一人――はっきりと血のような赤色をした短髪の女性を見つけた香取は、それがドロシー・ブラッドアイであるとすぐに認識し、彼女を式場裏の人目のつかない場所に連れ込んだ。その時の彼の表情は、憤怒というよりは激しく動揺しているような感じであった。
「ドロシー……!なんでここにいやがる!?なんでそんなの着てんだよ!?」
「――見れば判るだろう。合格したんだよ、入隊テストに――」
「そうじゃねーだろ!?なんで軍に入った!?虫一匹殺せねーはずのお前が!?なんで長ぇ髪切っちまったんだよオイ!?」
ブラッドアイが回答を思いつくよりも先に次々と質問責めを仕掛けてくる香取。その手はブラッドアイの小さな肩をがしりと掴み、全てに答えるまで離さないという意志を、彼女の肌にきつく要求しているようだった。ブラッドアイは彼の手を払い除けながら、
「離せっ!何でもいいだろう!理由など!!」
「良くねえっ!!」
香取は喉が爆発したかのような大声でドロシーを叱る。突然の怒号に一部の新兵が2人のいる方を一瞬見遣った。
「オレ様の知ってるドロシー・ブラッドアイは……兄貴と同じでケンカも大嫌ぇな甘ちゃんだったはずだろうが……!!この3ヶ月の間……テメーに何があったんだよ……!?なぁ!?」
香取の眼は血走り、動揺し、微かに涙を蓄えながら、ドロシー・ブラッドアイの冷えて固まった血液のような鈍い赤色の眼を見た。ブラッドアイは、その瞳の奥から滲み出る熱いものを隠すように俯き、震えた声で真実を紡ぐ。
「――死んだんだ。」
「は?――――誰がだよ?」
「オズ兄さんだ……!!オズ兄さんは……疎開先を襲ったレリギオスから……私を護ろうとして……斬り殺された……!!」
「――――!!」
香取は、そこで初めてオズワルド・ブラッドアイの訃報を知った。点になった眼が、それを物語っていた。更に彼女は、ぽとぽとと涙を零しながら言う。
「私が見つけた時には……もう瀕死の状態で……そのまま私の胸の中で、兄さんは息を引き取った……!
兄さんは最期に……殺したレリギオスの去った方を指さして……何かを伝えようとしていた……!!きっと……『あいつを殺せ』……『レリギオスを殺せ』……そう言ってたに違いないんだ……!!
だから私は軍への入隊を志願した!!たった一人の肉親だった兄を殺したレリギオスを、この手で殺すためにっ!!そのために、私は今までの私を捨てた――!!服も、化粧品も、髪の毛も――!!私はもう、貴様の知るドロシー・ブラッドアイではないのだ――!!」
ドロシーは打ち明けた。自らの過去を。そして決意を。
そこに立つ血の眼を持つ女性は、彼の知る、あの幼気な少女の成長したそれではなかった。
「そうかよ……。オズの兄貴がそんなことを…………。
クク……アッハハハハハハ!!」
突然笑い出す香取。その時彼の中で、何かが壊れたようにブラッドアイの目には見えた。
「なんだ……?どうした香取――」
バッ――!!
突然、ブラッドアイの身体が前方へ勢いよく引っ張られる。
気付けば香取の右手が、彼女の胸ぐらを掴んでいた。
そして香取は、見上げるブラッドアイの顔に額をぶつけ、不必要な程に喧しい音量で罵倒する――!
「ふざけんなよバーカ!!虫一匹でもビビってたテメーに、レリギオスが殺せるワケがねぇ!!そんなヤツが軍人??――ムリムリ!!いくらテストで合格したからって、そんな甘ちゃんが生き延びられる程優しい世界じゃねーんだよ、ここはよォ!!ましてやずっと兄貴に護られてきたよーなブラコン女に、殺しや戦争なんてできるワケがねぇんだよクソが!!」
「――――!!??」
「おいそこの新兵!!初日に喧嘩とは何事だ!!」
その時、騒ぎを聞きつけた教育係の上官が2人を発見し仲裁に入ろうと近づいてくる。
これ以上の口喧嘩は不可能と悟った香取は、最後にブラッドアイの顔を更に近づけ――
「――回れ右するなら今だ。女は女らしく、イイ男引っ掛けてガキ産み育ててくたばれや。あばよ、"ブラコンアイ"――!!」
2388年6月1日(水) 10:51 P.M. 第1居住区・イレブンスニューヨーク AXel本部・女子寮345号室
「あの時の香取の捨て台詞は、当時の私には耐え難い程にショックだった。
口の悪いのを知っていたとはいえ、それが自分に向けられるなんてことは今まで想像だにしていなかった。私が知っている中では、最上級の侮蔑の言葉だったと記憶している。
「最っっ低っ!!許せませんよその発言っ!!24世紀にもなってまだそんなパワハラ思想の人がいたなんてっ……信じられませんっ!!」柳花は現代の感覚に照らし合わせて香取の言動を激しく非難する。「どうして軍はあんな人をほうっておくんですっ!?」
「軍は一般の企業なんかとは違うからな。世間ではパワハラと認められるような行為も、軍では罷り通ることも、ざらにある。――先程の貴君のキックも一般企業でやればパワハラに当たる行為だぞ?」
「うぅっ――」柳花は痛いところを突かれて返す言葉がない。
「それに――私も軍のやり方について、全てを納得している訳ではない。今日の『ロンギヌス部隊』結成のように、最高事務総長や『A.I.R.A.M』からの命令があれば、かならずそれに従わねばならない。
どんな理不尽な要求であっても、我々は『地球人類による繁栄』の精神を忘れてはならないのだ。それがUGE軍の軍人である我々の使命なのだ。」
「――――。」
「どうした?随分と浮かない顔ではないか?」ブラッドアイは、不安そうに俯く柳花の心情を心配した。
「私っ――やっぱりここにいるべきではない気がしるんですっ――!レリギオスのことなんてわかんないですしっ、戦闘だって対して上手くないですしっ、香取さんみたいな怖くて強い人たちと一緒のチームにいたら私っ――完全に足手まといになっちゃいますっ!!いくら最高事務――?って方のご命令でもっ、私っ、そんな期待に応えられるような活躍っ、できるワケないですっ……!!」
柳花は、言おうか言うまいか悩んでいた苦悩を、漸くブラッドアイに打ち明けた。
こんな弱気な発言をしたら――おそらく相手が香取とかだったら――きっとぼこすかとぶん殴られることだろう。
だが――
ぽんっ。
「案ずるな。その不安は私にもある。貴君より経験があるとはいえ、いきなりやったことのない隊長職を命ぜられて、不安に感じない訳が無い。だから心配するな。私は貴君と同じ、悩める人間だ。柳花。」
そう言ってブラッドアイは、柳花の艷やかな黒髪を、そっと優しく撫でた。
その時の彼女の顔は、冷血さなど欠片もない――暖かく美しい微笑を浮かべていた。
柳花はその微笑みを、キムチ――だとアレだと思ったのか、『薔薇の花弁のようだった』と感想を残した。
「――――ありがとう――ございますっ。」
柳花は肩の荷が、いくらか軽くなった心地がした。それはブラッドアイも同じく感じていたことだ。
「――おっと。もうすぐ消灯時間ではないか。」
気付けば時刻は間もなく11時を回ろうとしていた。11時になると、寮内のほぼ全ての電灯が消灯し、隊員たちはすぐさまベッドに就かなければならない。
「すまない。長居しすぎた。私はこれにて失礼するよ。明日からよろしく頼むよ、洪柳花一等兵。」
「はいっ!お話ありがとうございましたっ!!ブラッドアイさn……じゃなくて隊長っ!!」
ブラッドアイはまだ微笑の余韻を顔に残したまま、玄関のドアへと去っていく。柳花は背筋をピンと張って立ち上がり、ブラッドアイに向けて綺麗な敬礼を行って彼女を見送る。
「――あ、そうそう。」ドアを開きかけたブラッドアイが、思い出したように言う。「これから私のことは、『ドロシー』と呼びたまえ。今後この呼称を用いることを、貴君に許可する。」
「ありがとうございますっ!ブラッd――――ドロシーさんっ!!」
――――バタン。
「意外。您のそのような顔――我は初めて拝見いたしました。」
「失敬な。私は単なるレリギオス殺戮兵器ではない。微笑う時くらい、年に一度や二度くらいある。」
「その一度か二度の貴重な光景を目の当たりにできるとは――明天は雪でも降るんじゃありませんか?」
「戯言を。私は私なりに隊長としてすべきことをしたまでだ。――何か不服か?」
「没問題。――ですが、過度な優しさは時に、人を痛めつけることもあります。您の兄上も、そうだったように――。」
「――ああ、そうだな。私たちは軍人。甘っちょろい思想は、程々にしなければな。」
「――なぁ、オイ。アンタのバカ妹が、オレ様の上司になっちまったよ――。ワケがわかんねーよ。まったく――。
アンタが好きだったはずのこの世界が、どんどんアンタの嫌いな方向に向かっちまってる――。
こっから修正せっかなァ?――この腐った世界を、アンタの描いた"理想郷"みてぇに――。
――どう思うよ、オズ兄――。」
『ロンギヌス部隊』結成初日の夜――隊員たちはそれぞれの悩みを抱えながら、深い眠りに就いた。




