Episode27:《布告》・ある少女の目線 その2
2388年6月1日(水) 0:00 P.M. 第1居住区・イレブンスニューヨーク
〔私はフェルタ・エオルシア・フルトニオス。ご覧頂いている通りの、"レリギオス"です。〕
「レリ――ギオス――!?」
それは突然の出来事だった。
2388年6月1日正午。――惑星《エデン》上にある全てのIDEA-WatchやPC等の通信機器、およびテレビ・ラジオなどの放送機器を対象に、謎の外部組織によって放送電波や通信回線をジャックされる事件が発生した。通常なら業務の休憩の傍ら、多くの人間が思い思いの番組や配信動画などを視聴している時間帯だが、その時だけは、惑星《エデン》にいる全人類が同じ放送を目の当たりにしたのである。
放送内容は、青色基調の背景に銀色の髪をしたレリギオスの少女が、画面の向こうの人々に語り続けるというもの。その少女は、1週間前に話題となった"空飛ぶ少女"によく似ていた。いや、厳密には全くの同一人物なのだが。
「フェルタ・エオルシア・フルトニオス」と名乗るその少女は、レリギオスの特徴である長く尖った耳を惜しげなくカメラの前に曝け出している。透き通った青い瞳は真っ直ぐにこちらを見つめ、百合の花弁のような柔かそうな唇からは次々と意味のこもった音声が形成されていく。
〔唐突に皆様の電波や回線を勝手に占領してしまい、大変申し訳無く思っております。ですがここまで大胆な作戦を取らなければ、私たちの声は誰にも届くことはない――。加えてこの1週間のあいだで相次いで報じられるレリギオスに関する事件や話題について、長年自らを秘匿し続けてきた私たちも、いよいよ沈黙を破らねばならない時が来た――そう決心したのです。
この放送は、《エデン》にある全ての居住区で同時に配信されています。そして私の話す言葉は、地球人の方には地球人類の各言語に、レリギオスの方にはそのままレリギオスの使う言葉で聴こえるように《魔法》で自動翻訳するプログラムを組み込んでおります。
更に放送中は、途中で電源を切ったり動画を閉じようとしたりすることは不可能となっています。お近くの端末を破壊する以外に、この放送を中断する手段はありません。〕
「う、嘘?」
絵画楽は試しに、ディスプレイ上をあちこちタッチやスライド操作をしたり、付属のボタンを連打したり長押ししたりしてみた。しかし、いずれの操作も機械が受け付けるのを拒絶し、画面はフェルタの顔が映し出されたままである。
「ほんとだ……!何一つ操作できない……!!」
無論、液タブを壊せば確実にこの放送を中断できるだろう。だが絵師である彼女にとってこの液タブは生命線とも言える大事なもの。買い換えるお金もない上に、小学生時代から描き貯め続けてきた作品のデータもたくさん残されている。これを壊すなど、もってのほかなのだ。
なおもフェルタのスピーチは続く。
〔また――これはUGE軍に向けた注意ですが――私たちの居場所を突き止めて攻撃を加えようとすることも推奨できません。私たちがいる場所は特殊な結界で覆われており、一切の攻撃をすり抜けて無効化させます。無闇な攻撃は弾薬の無駄遣いになるばかりでなく、一般の地球人にも危害を及ぼしかねない行為であることをご承知ください。
さて。注意事項はそこまでとして、本題に入りましょう。私たちが何者で、何の目的でこのような行為を冒しているのかをお教え致します。〕
この間、絵画楽は性懲りもなく様々な操作を試してなんとか放送の中断やミュートができないかを探っていた。が、どれも全て徒労に終わったことは言うまでもない。預かり知らぬ強大な力の前に、少女は為す術なく断念する。
それに、絵画楽は知りたくもなった。レリギオスのことを。自らの持つ《痣》や能力のことを。先日UGEの発表したことが、本当かどうかを。当然まだ、フェルタのことを信じている訳ではない。しかし絵画楽の心は、既に政府への不信感でいっぱいだった。レリギオスの詳細を隠していたことへの不信、罪なき生徒たちを容赦なく殺害したことへの不信、そしてその銃口を、今度は自分たちに向けようとしていることへの不信――。ならばいっそと、フェルタの話に耳を傾けることに、彼女はしたのだ。
〔私たちの名は、《へスペリディア》。UGEから迫害を受けるレリギオスやその協力者たちを保護するための秘密組織です――!〕
いつでも逃げられるよう自転車のサドルに腰掛け、時折左右の通路から人影が来ないか警戒しながら、絵画楽は画面の中のレリギオスの言葉を、ひとつひとつ丁寧に聴き入れる。そして家を出る序でに持ってきていたポストカードサイズのスケッチブックと4B鉛筆で、フェルタの話す内容を書き留めていく。
フェルタの話した内容は、次の通りだ。
「レリギオスの特徴と生活文化」、
「レリギオスと地球人類の交流史」、
「《エデン大戦》」、
「《へスペリディア》の目的と活動」――
そして、「《ラグナレク計画》と、それによって産み出された《痣持ち》という存在についての、現時点で判明している情報」――。
絵画楽にとって、それが真実か否かは分からないし調べようもない。だが彼女は、フェルタの言葉を真実として受け止めた。彼女はこの1週間、《魔法》の不思議な現象や理不尽な出来事の数々を目撃し、中には実際に当事者となったこともあった。ニューアシヤの襲撃やUGEの執拗な追跡もその一つに過ぎない。そうした不安定な情勢の中、同じように迫害を受けるフェルタの存在は、絵画楽の心の支えになりつつあったからだ。
〔《ラグナレク計画》とは、UGEが密かに推し進める新兵器開発プロジェクトの名ですが――その実は、地球人とレリギオスの遺伝子を――〕
〔この計画によって生み出された子供は、身体のどこかに円形の《痣》が生まれつき存在し――〕
〔"地球人類と同じ成長速度を持ちつつ、レリギオスと同じアストラル流体量を体内に宿す"――それは即ち、生まれて間もない頃から高威力の《魔法》を発現させるおそれがあるということ――〕
《痣持ち》という人種については、既に一昨日のUGEの会見で知ってはいる。が、恐らくは秘匿したい事柄もあるためか語られたことは多くなかった。その点、フェルタの話す内容には《痣持ち》に関するより詳細な情報を得ることができた。特に《ラグナレク計画》という計画の存在や、それにより多くの生命がいたずらに失われていったことは、絵画楽は勿論多くの一般市民にとって初耳であった。
〔そしてUGEは、《痣持ち》を"兵器"として軍に配備し、レリギオスの殲滅をはじめとする反政府運動の撲滅を、既に始めています!!ゆくゆくは運動を行っていなくとも、政府への反対思想を抱いているだけで弾圧される――そういう未来が来る日も近いのです!
UGEの元にいる《痣持ち》は、数こそまだ多くはないですが、いずれ量産化を可能にすれば、数多の生命が削られ、最早誰も抵抗不可能なまでの軍事力と政治力をUGEは所有してしまう!そうなっては遅いのです!!〕
ここまでフェルタは、殆ど真実だけを述べてきたのだが、唯一、『反政府運動の撲滅を、既に始めています』という文言だけは、市民たちの煽動のために使った裏取りのない虚言である。敢えてその言葉を使ったのは、このままUGEを飼い太らせてはならないという警鐘を鳴らすためである。
〔誰かがこの暴走を食い止めなければなりません!地球人、レリギオス、そして《痣持ち》たち皆の平和な暮らしと健やかな成長のために、私たちは敢えて、UGEとの対決を挑まなければならないのです!
私たちは、ただ臆病に10年もの間雲隠れしていた訳ではありません!人財の吸収・育成や新型兵器の開発で兵力を蓄え、地上に都度部隊を派遣してはUGEの情報や社会の動向を調査し、来たる戦いに備えて参りました!
そして今――私たちは更なる力を手に入れました!先程から何度も口にしている《痣持ち》の人間を、この《へスペリディア》の騎士団に招き入れたことです!〕
「――!!」
フェルタの後ろに、黒い仮面を被った二人の人物の姿が映し出される。性別は分からないが、一方はハンマーを握る左の手の甲に、もう一方は右の首筋にそれぞれ幾何学模様の《痣》が浮かび上がっている。
〔この2名は、先週25日に発生した南星宮高校襲撃事件で私たちが保護した生徒のうちの2名です!うち1名は、嘗てUGEの管理下にいたこともあり、戦闘スキルが高く、《痣持ち》に関する多くの情報を提供してくれたのです!もう1名は《ラグナレク計画》と無関係に産まれたであろうごくごく普通の高校生でしたが、UGE軍とも対抗できる桁外れの能力をその身に宿しており、彼の強い意向を汲んで我が騎士団に迎え入れたのです!
この左手に《痣》のある彼と同じように、《痣持ち》と呼ばれる者の中には、UGEとは無関係に、ごく普通の生活を暮らしてきた方もいらっしゃるはずです。私たちは今後、そんな《痣持ち》の方々も保護対象とし、UGE軍の追跡・攻撃から貴方がたをお護りすることを約束致します。
――なお、くれぐれも誤解のないように申し上げておきますが、こちらの2名はあくまで自らの意志で我が騎士団に入団し、兵士となりました。しかし、私たちは保護した《痣持ち》の方々全員を軍事利用に供するつもりは、全くありません。私たちの騎士団に徴兵制度はありません。勧誘をすることはあっても、絶対ではなく拒否もできます。
ですから――現在、普通の人間として地上で暮らしているであろう《痣持ち》の皆様へ。《へスペリディア》が貴方がたを保護した暁には、貴方がたの希望と意志を尊重し、最大限に能力を発揮できる生活の場を提供することを約束致します。勿論、レリギオスの方やその協力者である地球人の方も同様です。
私たちは、貴方がどのような人間であったとしても、貴方を"一人の人間"として待遇します――!〕
「"一人の――人間――"!」
その言葉に絵画楽は、とても心が軽くなった心地がした。いつまで続くか分からないこの逃亡生活のゴールが、至極はっきりと眼の前に現れたからである。
絵画楽が液タブのディスプレイを見つめると、彼女の顔など見えないはずの、画面の中のフェルタもにっこりと微笑みを返してくれた。貴方が来るのを待っています――とでも言いそうな、とても優しい笑顔だった。
ゆっくり目を閉じた後、フェルタはぱっと目尻を釣り上げ険しい表情に豹変する。そこに込められていたのは、失われた数多の同胞たちの無念と、尚も省みず虐殺を拡大せんとするUGEへの怒り。白い顔に付いた百合の花弁は、それまでよりも激しく開いて奥にある更に白い牙を見せつける。
〔私たちは戦います!人ならざる扱いを受け、人ならざる死に様を余儀なくされる全ての者たちのために!!
私たちは戦います!外見や性別、思想などを理由に他者を差別し迫害することを是とする旧時代的思想を滅ぼすために!!
私たちは戦います!誰も憎しみや悲しみを生まない、平和で豊かな協調性のある世界を築き上げるために!!
私たちの考えに少しでも同調してくれる者がいれば、その手を取り、その声を聴こう!
圧力に負け、抗う声を出せない者には、貴方の喉の代わりに私たちがなろう!
孤立し抗う術も伝もない者には、私たちが手を差し伸べよう!
正に今、襲われて防御も回避もできない者には、すぐさま駆け付けて貴方を助けよう!
地球人もレリギオスも、《痣持ち》ももう関係ない!これ以上、無益に人命が失われ逝くことを、私たちは絶対に止めなければならない!
この惑星の大地が、再び血と死体で溢れ返るようなことは、絶対にあってはならない!
私たちは《楽園》!――現在のこの惑星の名前と同じく、《楽園》を意味する名前!そして、UGEが訪れる前に、レリギオスが《《嘗てこの惑星に付けた名前》》を冠する者!
同じ《楽園》に住まう者たちよ、選ぶがいい!
地球人のみが支配する、弱者が強者に虐げられる《楽園》か!
地球人・レリギオス・《痣持ち》たちが互いに手を取り合う、弱者も強者もない《楽園》か!
――戦いましょう。どちらが真の《楽園》に相応しいかを――!!〕
〔……――ザザザ――ザザザ――……〕
フェルタの信念と反骨を込めた眼差しは、軈てノイズに掻き消されてしまい、絵画楽が気付いた頃には既に、画面の中に彼女の姿はなく、先刻描き終えた目の前の風景のスケッチが、寸分違わぬ形のまま画面上に戻ってきていた。
今まで見たことも聞いたこともない世界がすぐそこに存在していたこと。そして、優しくも力強く、慈悲深い女神と憤怒に満ちた武神を同時に宿したかのような、熱の籠もったフェルタのスピーチに、絵画楽は終始圧倒された。
14歳の脳の処理能力では、いっぺんに記憶域に納まりきらない程の情報量。スケッチブックに書き残したメモの20%も理解できているかどうかも分からない程だ。
それでも確実に、彼女が理解したのは――
「いたぞーー!!」
「!?」
絵画楽は左の路地の遠くを見遣る。
一人の男が彼女を視認し、誰かに連絡する。
そして片手に持った小銃を構え、セーフティーを外し始める――!
「UGEだ……!!」
絵画楽はスケッチブックと鉛筆を裸のままで鞄に押し込み、素早く背負うと左足の地面を強く蹴る!自転車のタイヤが転がり出すとすぐに右折して、狭く長い路地を全速力で駆け抜ける!
パァァン!!という銃声が、後ろの方から一発――ニ発、三発と鳴り響く!絵画楽にはヒットしなかったが、三発目は何かの配管に当たって、プシューと何かが激しく漏れる音を撒き散らす!水道かガスかは分からない。できればどうか水道であって欲しいと、絵画楽は大通りに出る出口へ驀進する――!
〔キィィィィッ!!〕
「「「うわぁあっ!?」」」
出口で通行人を危うく轢きそうになった絵画楽は急ブレーキをかけて、方向を90度右に回転する。大通りに出た先には、急に出てきた自転車に驚き腰を抜かした者が何人も転がり、道の前後も人がいっぱいだ。
だがそれよりも危惧すべきは、車道を挟んだ反対側にも、UGE軍が待ち伏せていたことである――!!
「挟み撃ち!?」
〔――こちらブラボー。目標を捕捉!《《駆除》》を開始する!!〕
先程路地で出くわした兵士も、大通りで待ち構えていた兵士も、どちらもAXel兵の格好をしていた。AXel兵の特殊武装は電磁式自動小銃だけではない。彼らの全身を覆うパワードスーツは高密度の多層CPT繊維でできており、あまり厚みのない生地であるのに防弾性・防刃性・防熱性・耐衝撃性に優れ、かつ筋肉の瞬発力を大幅に増幅させる高い機能を有している。
今まさに、待ち構えていた方のAXel兵が、携行する伸縮式の刀剣型武器の柄を握り、僅かに屈み一気に両足で大地を蹴り出すと、脳からの指令が脚部のパワードスーツの繊維にも伝達し、着用者本来の筋力の効果を底上げする!結果、兵士の身体は地上から約7mの高さに舞い上がり、4車線挟んだ反対側の歩道にいる絵画楽の元へと飛びかかることが可能になる!
「うそっ!?」
絵画楽は反射的に自転車のペダルを強く踏み出す!ベルを掻き鳴らし、通行人の間に僅かに空いた隙間を縫いながら、猛スピードで逃走を開始する!
それから1秒遅れで兵士が着地の寸前、刀を大きく振り下ろす!
〔ぶうぅぅん!!〕
〔〔ズシャァアア!!〕〕
「「きゃああああああああ!!」」
兵士の刀は絵画楽には当たらなかった。
だがその代わりに、絵画楽の前で尻餅を付いていた男性の身体が、左右真っ二つに斬り裂かれた――!!
近くで目撃した女性がその血飛沫を浴びながら金切り声を挙げたのに、絵画楽は振り向かずにいられなかった――!!
「じょ……冗談でしょ!?一般人巻き込んでんじゃん!!」
絵画楽の目からはもう良く見えないが、現場は男性のものと思われる血液がビルの壁や街路樹の上に散らばっていた。周囲の人間は突然の出来事にパニックに陥り、急いでその場から逃げ惑う者と、身体が硬直して動けない者の半々に分かれた。
一方、絵画楽を斬り損ねた兵士は、分割された男性の遺体を足蹴にすると、無線で近くの仲間に状況を報告する。
〔こちらブラボー!目標は男性一名を殺害して西へ逃走!!至急援護頼む!!繰り返す!目標は――〕
(わっ……わたしが殺したことにされてる――!?もうダメだ!UGEなんて、絶対に信じられない!!)
その瞬間、彼女の中の疑惑は確信に変わり、死んでもこの追跡から逃げ切らなければならないと固く心に誓う!
奇しくもこの先は長い下り坂がある。人は先程よりは疎らで、どちらの車線も交通量が多く装甲車の割り込める隙間はない。
ここで加速すれば、一気に撒けるかもしれない。そう思い、絵画楽は下り坂に入ってからもペダルを全力で漕ぎ続ける!
「はぁ……!はぁ……!!待ち伏せ……とかなければ……上手く逃げ切れるはず……!!」
絵画楽の目の前に、UGE軍の兵士らしき人影や、軍の車らしきものも見当たらない。前方はまだ安全だ。絵画楽は今度は後方の状況を確認するため、後ろを振り向いた――!
〔〔〔ズコオオオオン!!!!〕〕〕
坂の頂上から、一台の巨大な車が現れた。
暗い迷彩色に塗装された無骨な装甲の四輪駆動車は、先程見たUGE軍のもので相違ない。
だがそれは、明らかに絵画楽の真後ろを猛スピードで付けていた。
ここは歩道だ。そして装甲車のボンネットやフロントガラスは、既に大量の赤い血で汚れていた――!!
通行人を蹴散らし、花壇や街路樹を薙ぎ倒し、その他道端に落ちている一切のゴミどもを踏み潰しながら、装甲車はなおも速度を緩めず絵画楽に迫り来る!!
「――ああああっ!?うそだうそだうそだうそだうそだあっ!!!!」
絵画楽は更にペダルを速く回すも、これ以上自転車の速度は上がらない!装甲車との距離は見る見るうちに縮まり、更に上方に付いた砲台が稼働を開始し、絵画楽に向けて発砲を仕掛ける!
〔〔ダダダダダダダダ!!〕〕
〔パンッ!!〕〔〔〔ガガガガガガ……!!〕〕〕
「うえっ!?ちょっ――やばっ――!!」
銃弾の一発が、自転車の後輪に穴を開けた!
絵画楽の自転車は、後ろを引っ張られたようにバランスを崩し、コントロールを失って右側の段差に衝突する!!
〔〔〔ガシャアアン!!〕〕〕
絵画楽の身体は、自転車ごと空中に高く放り出される。せっかく修理屋のおじさんが直してくれた自転車は、前方のリムが歪み、チェーンが千切れ、もう使い物にならなくなってしまった。
液タブの方は無傷だが、このままでは硬いアスファルトの上に叩きつけられてしまう。絵画楽は咄嗟に両腕を伸ばしてキャッチすると、液タブを護るようにぐっと胸に引き寄せ――
〔〔〔ドスザザァァァァッ――!!〕〕〕
「う――痛っ――」
絵画楽の身体は前方に大きく1回転して背中から落ち、そのまま数十cm滑って止まる。アスファルトに強く叩きつけられた衝撃は凄まじく、とてもすぐには立ち上がれそうにない。頭にもダメージが加わって、思考が鈍る。
絵画楽が落ちた場所は2軒の建物に挟まれた空白部分。駐車場スペースのような場所だった。その1m程手前の花壇に、フレームの折れた絵画楽の自転車が突き刺さっていた。
もう終わりだ。自転車は壊された挙げ句、相手は車。あと数秒もしないうちにUGEが追い付いて自分を殺すだろう。いくら超常的な能力を身に宿していると言っても、戦うための術など何もないし、逃げたくても身体が激痛と恐怖に蝕まれて動けない――!
〔キィィィィ!!〕
「あ――」
ちょうど駐車場の出入り口に立ち塞がるように、UGE軍の装甲車が停止する。
直後、装甲車の全てのドアが開き、小銃を持ったAXel隊員8名がぞろぞろと降車し、順番に絵画楽に銃を向ける。
逃げ場はない。
味方もいない。
武器も、この場を切り抜ける算段もない。
あるのは一枚の液晶タブレットのみ。ここまで大事に護ってきたが、もうじきそれは徒労に終わるだろう。
「ああ……ダメだ……もう……わたし死ぬんだ……」
最期を覚悟した絵画楽はぎゅっと目を瞑り、涙腺から大粒の涙を絞り出す。
胸の液晶タブレットを更に強く抱きしめ、脳天か心臓に、鉛玉が埋め込まれるのを震えながら、待つ。カチャカチャという銃の耳障りな音も、逆に今は愛おしいくらいに死ぬことを期待している自分がいた。
〔――12:55。これより手塚絵画楽――もといコードネーム:《絵画》の駆除を行う!〕
兵士の一人がそう宣言すると、絵画楽は、辺りが急に静かになったように感じられた。静寂は5秒にも満たないが、彼女には、その何百倍もの長い時間のように感じられた。
産み育ててくれた両親、夢を語り合った友人たち、努力と才能を認め応援してくれた、顔も名前も分からない大勢のフォロワーたち――彼女は最期に、彼らへの感謝と、彼らの今後の平穏な生活を祈った。
(ありがとう、みんな――どうか、元気で――!!)
「「「まだ諦めんじゃねェ!!"かいがら"さんよォ!!」」」
「!?」
突然、絵画楽は自分のHNを呼ばれたような気がした。
恐る恐る目を開けると、真上に輝く太陽の中心に、大きな黒い影があるのを見た。
黒点?――にしては大きすぎる。鳥や飛行機にしては形が変だ。だんだんと大きくなっていくそれは、軈て太陽の姿すらも覆い隠す程の大きさとなって、絵画楽の前に現れた――!!
〔〔〔ドンっ!!〕〕〕
「うっ――!?」
影の着地と同時に、砕けたアスファルト片が周囲に飛散する。絵画楽は破片が目に入らないよう右腕で顔面を防御する。兵士たちも一度射撃体勢を解き様子を伺う。
破片が降り止むのを見計らうと、絵画楽は影が降り立った方向に目を開く――!
「よォ、生きてっか?」




