Episode24:"新人類"は《電気蜘蛛》の夢を見るか?・後編
2388年5月31日(火) 0:51 A.M. 《へスペリディア》・第1フルリア・アネモニア城
「こ……これは……?」
全長およそ1mもある大きな蜘蛛型機械を前に、光の身体は硬直する。それは蜘蛛自体が怖いのでも大きさに怯えているのでもない。この機械が何の用途で開発され、これから何をしようとするのかが判らないために怯臆しているのである。類似する機械の存在も知らないため、光は安心を得るために早急にその知識をフェルタに求めた。
「この子は『Araneo』。身の回りのお世話をしてくれる、私のペットです。」
「ペッ……ト?」
フェルタの回答に光は目を点にする。てっきり自律式の兵器の類かと思い、要らぬ緊張をしてしまっていたからだ。
生物を模した愛玩用機械――"ロボットペット"という概念自体はこの世界においては広く一般化されており、動物愛護の観点や世話・躾の簡単さから寧ろ本物の犬や猫よりも人気がある程である。これもそうなのだろう――と光は思いかけたが、やはり違うと首を振る。虫型のロボットペットはいるにはいるが、それにしてはかなり大型で、配線や接合部が露わになっているなど少々無骨なデザインであるのに、どうも引っかかってならないからだ。
そうこうしていると、蜘蛛の顔面下部にあるスピーカーから再び電子音が鳴り出した。
〔――ピポポピポポポ………………オ早ウ御座イマス。フェルタ様。〕
電子音は声の高い男性調の機械音声へと切り替わり、光にも理解できる言語で発話を始める。どうやら人間と会話できるタイプのロボットのようだ。
〔サテ、何ヲ、イタシマショウカ?フェルタ様。〕
蜘蛛は首を傾げるような動作をして、フェルタ(の姿の光)に指示を仰ぐ。会話以外にも何かできるようだが、光はこのAraneoのスペックを全く知らない。所有者であるフェルタの方が詳しいだろうと思い、光はその説明を請うた。
「えっと……フェルタさん?この機械は、どんなことができるの?」
「基本どんなことでも、命令をすればその通りに動いてくれますよ。試しに『服を着たい』と命令してみて下さい。」
アストラル流体だけの身体になっているフェルタの姿を蜘蛛は見えていないし、声も聞こえていない。そのため今そこにいるフェルタの肉体が、虚空に向かってフェルタの名を呼ぶ行為に、蜘蛛は首を傾げていた。さて、光はフェルタに言われた言葉を、蜘蛛にそのままお願いしてみることにした。
「……ふ、『服を着たい』……?」
〔ピポポ……畏マリマシタ。〕
蜘蛛は光の命令を認識すると、半歩後退して頭部を下に向けて構える。すると額に位置する投影機が起動し、光の足元に一筋の光線を照射する。
光線が床の一点に当たると、その一点を中心とした同心円状の図形を展開し、円同士の間隙には光がここ最近良く見かける曲線的な記号の羅列が旋回しながら敷き詰められる。記号の正体はアリティア文字で、いくつか纏まって意味を持った単語を形成して、更に寄り集まって文章を形成する。それはレリギオスが《魔法》を発動する際に述べる呪文であり、図形はそれらにより囲繞された文章を呪文たらしめるための一種の形式である。レリギオスはこれを、mofiokikros――《魔法陣》と呼ぶ。
〔ピポポパ……De@%?π∋Δ■☆$*♀pa――〕
アラネオは何か音声を発した。が、あまりに早口過ぎて人間の耳では全く聞き取れない。すると、《魔法陣》の内部から目映い輝きが放たれ、フェルタの身体(に宿っている光)を包み込む。あまりに眩しい輝きだったので、光はぎゅっと目を瞑り、そうした状態が5秒程続いた。
〔ピポポポ――完了イタシマシタ。〕
「――?」
アラネオの音声が流れた頃には、輝きは目を開けられる程度には落ち着いていた。だが何が起こったかを確認するのに、目を開ける必要はなかった。
「――ん?あれ?いつの間に――??」
それまでシーツ以外の布を纏っていなかったはずの身体に、それとは別の滑らかな感触の布が全身を包み込むようにして在るのに光は気付いた。輝きが消えた時に少し腕を動かすと、腕に乗っかる布地の擦れる感覚があった。そして目を開いた光は、自分の身体を包む"衣服"がそこに存在することを認識した。初めて光が彼女を見た時に着ていた、あの服だ。試しに身体を左右に振ると、振袖が大きく弧を描いて揺れ、フェルタのあの甘い華やかな香りを広げて光の鼻腔を満たした。同時に豊満な胸部が慣性で身体を少し引っ張ったり、ふわりと揺れるスカートの微風が下腹部に当たったりする感覚があり、そういう羞恥と服を纏っている安堵とを光は同時に味わっていた。
「どうです?これで自由に出歩けますよね?」
「う、うん……。」光はやや頬を赤らめ返答する。やはり女性物の衣服は心許ないが、何も着ていないよりは断然ましだと、光は自分に言い聞かせた。
「このロボット、《魔法》が使えるの?」
「はい。アストラル流体を封入した特殊なタンクと、シュトリオス博士の作った特別な内部機構のおかげで、アラネオは多少の《魔法》なら扱えるようになっております。驚きました?」
「驚いたよ。《ヘスペリディア》の技術力は、機械にも《魔法》を学習させることも出来るなんて。たぶんUGEにはない技術だよ、これ――」
〔フェルタ様、ドナタト、会話ナサッテイルノデスカ?〕
「あっ――」
光は自然にフェルタと会話をしてしまったが、ふと不思議そうに眺めるアラネオを見つけて、すぐに風体を改める。フェルタもそれを見て、アラネオが混乱してしまわないよう対処を打つ。
「光様。今の私たちの状況をアラネオにお伝えしましょう。アラネオの処理回路に不具合を生じさせてはいけませんから。」
フェルタの提案に光は即座に頷いて返事する。もうあの特別訓練の時のようないざこざは御免である。そう思った光は、アラネオに向き直り、
「あ、アラネオ……。実はね――」
〔……――ソウデシタカ。イツモノ、フェルタ様ノ反応デハナカッタノデ、心配シマシタガ、理由ヲオ伺イシテ、腑ニ落チマシタ。〕
光の説明に対し、アラネオはすんなりと聞き入れてくれた。フェルタの身体の中に光の精神が入っていること、本物のフェルタは見えないながらも近くに確かに存在することを、アラネオは承知してくれた。
〔デハ今カラハ、"光様"トオ呼ビイタシマスネ。〕
「ありがとう。ややこしいだろうけど、たぶん今夜だけだから。」光はアラネオに感謝の笑みを贈る。
〔ソレデ、光様ハ、何ノ目的デフェルタ様ノオ身体ニ憑依ナサッテイルノデスカ?ヤハリ、猥褻行為デスカ?〕
「なっ、なんで『やはり』なんだよ……?そんなことしないよ?――と言っても、僕もフェルタさんの身体に入っている理由をあまりよく知らないんだけど……。」
そう言って、光は傍を浮遊する本物のフェルタに目配せを送る。それを受けたフェルタは光にその理由を語り始める。光はフェルタの身体の口と声を借りて、彼女から聴いたのと同様の理由をアラネオに伝言する。
「――フェルタさんは、自身の持つ《地球》のコレクションを僕に見せたいそうなんだ。『記憶庫』という場所にあるそうなんだけど、そこへ入ったり中の物を閲覧するのにフェルタさんの身体が必要らしいんだ。」
〔記憶庫――確カニ、ソコニ入室スルニハ、フェルタ様ノ生体情報ガ必須トナリマス。事情ハ分カリマシタ。私ガ、記憶庫マデゴ案内イタシマス。〕
「ありがとうアラネオ。」
「ありがとう。フェルタさんもお礼を言っているよ。」
〔オ礼ニハ及ビマセン。デハ参リマショウ――。〕
2388年5月31日(火) 1:10 A.M. 《へスペリディア》・第1フルリア・アネモニア城
夜のアネモニア城は、とても静かである。城内に衛兵の姿は殆どなく、一歩歩けば自分の靴音が判別できるくらいに静まり返っている。明かりは窓から差し込む淡い月光と、所々に灯された燭台の小さな炎だけで、あまり明るくはない。なので光は壁や手摺りに掴まり、フェルタやアラネオの注意に耳を傾けながらゆっくりと歩を進めていく。
フェルタの部屋から目的の記憶庫までは、まず連絡橋を渡った先にある螺旋階段で1つ下の階に降りる。降りて廊下を真っ直ぐ進むと、少し高くなった段の上に椅子が一脚置かれた空間に出る。玉座の間である。目的の記憶庫はこの玉座の間の直下にあるのだが、そこに入るには玉座の間からでないとそれができないような仕組みになっているという。
「あの玉座にお座り下さい。」
フェルタに導かれ、光は玉座までの数段を慎重に昇っていく。壁も手摺りもないので、まだ不慣れなフェルタの肉体のバランスをどうにか保ちながら歩かなければならず、少々手こずった。それでも無事玉座までたどり着くと、光は一息ついて玉座にずんと腰を深く下ろす。
玉座の座り心地はとても良く、クッションはふわふわしていて心地良い。肘掛けの高さもあまり高くなく、楽に肘を置いて休ませることができる。
〔光様。右手ノボタンヲ押シテクダサイ。〕
「ボタン?どれのこと?」
「右の肘掛けの先に、花型に彫られた彫刻があります。その中央部がボタンになっています。」
どれがボタンかなど、この暗い室内では判別がつかない。光は右手で肘掛けに施された彫刻をまさぐり、ボタンらしきものを探す。すると肘掛けの先に、フェルタの言うように花型の彫刻があるのが分かった。更に指先の神経を尖らせると、五枚の花弁の中央には、丸い形の材質の違うパーツがあることも分かった。その丸い部分に指で上から圧力をかけると、その部分が下に沈み込んだ。これがボタンだ。
光はぐっと奥までそれを押し込みながら、暫く待った。すると、そのボタンの部分から青色の輝きが、一定のリズムで強弱を変えながら溢れ出るのが見えた。
「少し失礼しますね。」
というと、フェルタは両手を、ボタンを押している光の人差し指に乗せた。
「そのまま色が変わるまでお待ち下さい。ボタン内部のセンサーが、静脈の形状とアストラル流体を読み取っております。両方の認証をクリアしなければ、記憶庫に行くことはできませんので。」
いわゆるバイオメトリクス認証の一種だろう。静脈認証は有名だが、アストラル流体認証というのは、アリティア帝国ならびに《ヘスペリディア》独自の技術である。光が動かすフェルタの肉体の指の上に、フェルタ本人のアストラル流体が覆いかぶさることで、光のアストラル流体はフェルタのアストラル流体に埋もれ、センサーはフェルタのアストラルを優先して認証を始める。その結果――
……――ピピッ――……
ボタンの色は青から緑に変化し、認証が成功したことを光たちに示した。
〔認証サレマシタネ。〕
「ええ。光様、肘掛けをしっかりと握っていて下さいね。」
「え?何が始ま――うわっ!?」
光が質問をしようと思った矢先、突然玉座の周囲の床がぐんと沈み込んだ。そしてそのままぐるぐると時計回りに回転しながら、光たちを乗せた床は、下へ下へと突き進んでいく。降下している間、周囲の石壁は透過して他の部屋の様子を眺めることができた。軈て光たちを乗せた床は地下空間にまで潜り込んでいき、まるでこのまま巨大ロボットのコックピットにでも連れていかれるかのようなワクワク感を光は感じていた。
……ドウゥゥゥゥン……
モーター音が停止する残響が部屋の中で増幅され、到着の合図であることを強調する。床の回転と下降は止まり、大きな青色の扉だけがある空間が目の前に鎮座している。
〔到着シマシタ。『記憶庫』デス。アノ扉ノ先ニアリマス。〕
「あれが……。」
光は徐に立ち上がり、重厚な扉の前に歩み寄る。扉は両開きで、左右それぞれに床に垂直な手摺りが付いているタイプである。その表面には緑色の宝玉と金色の見事な装飾が施されている。
光が扉の手摺りに触れると、ひんやりとした感触が指先そして手の平に伝わる。扉や手摺りには何の仕掛けもないことを確認して、光は両手で思いっきり扉を引いた。
……――ギギギギギギギギ――……
2388年5月31日(火) 1:13 A.M. アネモニア城・記憶庫
記憶庫の扉が開くと同時に、天井のシーリングライトが自動的に点灯し、真っ暗だった内部を明るく照らし出す。
内部は白い壁と天井に囲われ、木製の棚の立ち並ぶ倉庫のような感じである。棚は図書館や大学の資料室のようにずらりと櫛比しており、どの棚も書籍やら物品の入った箱やらで隙間なく埋め尽くされている。その壮観な光景に、光は感嘆の声を漏らす。
「これ……全て《地球》のコレクション?」
「全てではありません。入口付近のものは、大戦から護り切ったアリティア帝国の遺品が中心です。《地球》のコレクションは、その奥の空間にあります。」
フェルタの指差す先、正面にある、天井に届くほど高い棚の向こうにそれらがあるという。アリティア帝国の絢爛華麗な遺品の数々にも興味がそそられるが、本懐である《地球》のコレクションを見るのが優先として、光は部屋の奥へ進む。フェルタの指差した高い棚のところに差し当たると、左右に分かれた通路のうち左側を光は進んだ。そして突き当たりを右に曲がった先には――
「――!!」
天井から吊り下げられた、青く輝く巨大な地球儀。
ティラノサウルスやマンモスなど、太古の《地球》に生息した生物たちの化石。
それらから進化した現生生物たちの骨格標本や剥製。
《地球》に存在した諸国家の歴史や社会、伝承を網羅した大量の記録。
それらを土台に発展した、様々な言語の文学作品。
教科書で見たことのある、大理石の彫刻や色彩豊かな油絵。
それらの系譜を経て生み出された、映画のフィルムやアニメキャラのフィギュア。
数百年前に製造されたと思われる、冷蔵庫やテレビなどの電化製品。
それらの技術が進歩してできた、現在の地球人類が使用するような高性能スマートデバイス。
まるで、《地球》の過去から現在までの事象を全てここに集約してできた博物館のような世界が、そこには広がっていた。所蔵されている物品数は、少なく見積もっても1万点以上はあるだろう。24時間365日ここに閉じ籠もって全てを見て回ったとしても、地球人類の平均寿命ではとても全部は見て回れないだろう。それだけの内容量を目の前にして、光の眼が輝かないはずもなかった。
「す……すごい!!お城の地下に、こんな空間があるなんて!!」
自分が地球人類とレリギオスの血を引く存在であること、自分が夢の中でフェルタの身体になっていること、入口のアリティア帝国の遺品のこと――それら一切がどうでも良いと思えてしまう程に、光の好奇心は俄に掻き立てられた。ヘラジカの剥製の前で雀躍する光の姿に、フェルタも満悦の表情を見せる。
「光様が予てより《地球》へのご興味を抱いておられていたことを耳に挟みまして、お気に召すだろうと思いご案内差し上げた次第でございます。いかがでしょうか?」
「うん、すごいよ!!もうホントにすごい!!すごいよフェルタさん!!」
余りの喜びに語彙力が低下し、同じ感想を繰り返す光。だが直後、急に冷静さを取り戻して、
「あっ……もしかしてこれ、何かの《魔法》だったりするの?幻覚とか?」
「いいえ。これらは《地球》をはじめとする地球人植民星より取り寄せた"本物の"《地球》の物品たちです。天井の地球儀だけは《ヘスペリディア》で作られたものですが、他は地球人の方がこの惑星に来られた20年前から、少しずつ蒐集してきたものばかりでございます。」
フェルタの説明を耳に挟みながら、光は傍にあった本棚に並べられた書物の背表紙を眺めていた。今見ているこの書物は薄さからして雑誌の類だろう。その内の一つ抜き出すと、アルゼンチンバックブリーカーを決める屈強な男性プロレスラーが表紙を飾っていた。プロレスの専門誌のようだが、とてもフェルタの趣味には見えないので、光は目が点になった。
「……どうしてこんなに沢山集めてるの?」光は質問する。
「それは――私が《地球》に憧憬を抱いているからでございます。」
「憧憬?」
「はい。」フェルタは答える。「地球人の方がこの惑星にやってくるまで、私たちは空の向こうに"宇宙"という空間が広がっていることすら知りませんでした。無論、《地球》というこの星に似た惑星があることも、そこに私たちと同じような生命体がいることも――。
レリギオスの伝承では、空は世界の北の果てと南の果てにそれぞれいる巨人たちが支えているもので、空よりも高い場所には神々の住まう《楽園》があると信じられていました。そして空より高く飛んで《楽園》に近づこうとすれば、太陽神の熱で焼け死ぬか、雷神の雷霆に貫かれるか、天空神の呪いで凍え死ぬかの三択を迫られると言われています。なので多くのレリギオスは必要以上に高い場所を飛ぶことを自ら禁じ、私も同じようにしていました。
ですがある日、その常識を覆すような出来事が起きたのです。――今から28年前の冬の夜。ニスヒルケという北方の地で、その地域を治める諸侯の方の主催するパーティーから帰る途中のことでした。一つの、赤い尾を引いたとても大きな流星が、雪原に落ちていくのを目撃しました。流星は、いくつかの金属板やコードを撒き散らしながら小さくなっていき、私がいた場所の近くの平原に衝突しました。同行していたオレイエらとともにその場所へ向かうと、金属製の箱のようなものが周囲の雪を溶かして地面に突き刺さっていました。
落ちた流星は、400年前に地球人類が打ち上げた人工衛星だったのです。当時はそんなこと、知る由もありませんでしたが、その7年後に来た"パジュサコバ"博士がそう教えて下さったのです。」
「パジュ?……"ヴィシュヴァカルマン"博士のこと?」
「うっ――。それはさておき――」
(さておかれた……)
「地面に突き刺さっていた箱は、その人工衛星の残骸で、中には一枚の金色の円盤があったのです。」
「金色の円盤?」
「――あちらです。」
そう言ってフェルタが指し示す先に光が目線を向けると、ライトに照らされピカピカと輝く丸い物体が、壁に大事そうにかかっているのが見えた。あまり大きくはなく、直径は30cm程だろう。もっと近くで見ようと、光は前へ歩み寄る。
壁に近付くと、その物体の外形がより詳細に分かるようになった。フェルタの言うように、物体は金色に塗装された円盤型の形状で、表面には円や四角、放射状に伸びた直線などの幾何学図形がいくつか彫られている。それらは個別で何らかの意味を持った図形であるように見えるが、その意味は図形だけでは理解できるはずもない。まるで宇宙人が描いたかのようにちんぷんかんぷんな絵だ。
「落下した衛星の名は、『ボイジャーⅡ』。そしてこの円盤は、《地球》以外の惑星に住む生命に向けて贈ったメッセージだと、博士は教えて下さりました。光様、それを手に取って頂けますか?」
「う、うん。」
光は傷付けぬよう慎重に円盤に手を伸ばし、確実に両手で掴んで下ろした。円盤は三枚に重なった金属板でできており、少し重量感がある。その中央に開けられた穴にはネジが貫かれて止められており、三枚の金属板が離れないような工夫がしてある。その内、雄ネジ側の頭部は裏側のツルツルした表面の金属板に固定されている。
「これ、ひょっとして外せる――?」
光は再度円盤の表側を上にして、そちら側にある雌ネジ部分を回してみる。すると、ネジの締め付けが緩まり、金属板同士の間に僅かな隙間が生まれる。近くの適当な棚の上に円盤を乗せ、光は更にネジを緩めていく。そして――
〔キュポッ。〕
止まっていたネジが外れた。
光は雌ネジを無くさないように右奥に置き、表の金属板を外して、その中を見る。
幾何学図形のある表側と、ツルツルした裏側の金属板は、真ん中に挟んだもう一枚の金属板を保護するカバーだったようだ。そして、その真ん中に挟まれていた金属板には、非常に細かくて密な渦巻状の溝が掘られていた。
光は、この特徴を持つ器具の名前を知っていた。
「"レコード"……?」
「はい。」フェルタは答える。そしてすぐ様、アラネオがとある機械の傍へと移動し、ボタンを押して機械の中から一枚の板を迫り出させる。
〔――コチラハ、ソノレコードヲ再生スルタメニ開発サレタ専用ノ"プレーヤー"デス。オ聴キニナラレル場合ハ、コノトレイノ上ニオ載セ下サイ。〕
アラネオに促されるまま、光はそのプレーヤーに近づいてトレイの上にレコードをそっと載せる。トレイがレコードの重さを感知すると、そのままプレーヤーの内部へと戻っていく。そしてキュルキュルとレコードが回転を始め、その溝にレーザー光線が照射されて、間もなく400年前に刻まれた《地球》の音声が蘇る――……
〔……――これはとある小さく遠い世界からの贈り物であり、私たちの音・科学・画像・音楽・思考そして感情を刻み込んだ証です。これを聴いている貴方たちの胸の中で、私たちの想いが生き続けることこそ、私たちの"望み"なのです。――……〕
男性による短い英語のスピーチから始まったメッセージは、次に更に短い内容の音声メッセージを立て続けに再生する。多くは聴いたこともない言語だったが、うちいくつかは光でも知っている言語の言葉だった。
〔Здравствуйте! ПриветствуюВас!(訳:こんにちは!あなたを歓迎します!)〕
〔Bonjour tout le monde.(訳:皆さん、こんにちは。)〕
〔こんにちは。お元気ですか。〕
"挨拶"だ。このレコードには、おそらく400年前の《地球》で実際に使用されていたであろう全ての言語の挨拶が録音されている。それらが3〜4分続いた後、今度は、ぼこぉぉん……、ごろごろ……、りりりり……、ちゅんちゅん……などの、自然で録られた環境音が続く。小鳥の囀りや馬の走る音などの解りやすいものもあれば、何かを叩くようなよく解らない音まで収録されていた。それが終わると今度は、バイオリン、チェロ、トランペット、オーボエ――等の今でもある楽器たちの音色が、華やかで軽やかな美しい旋律を奏で始める。曲はバッハの『ブランデンブルク協奏曲第2番 ヘ長調』。地球人類が産み出した音の芸術――"音楽"のセクションが始まった。
音質はお世辞にも良いものではないし、内容もちんぷんかんぷんなものも多い。400年後の地球人類である光の耳にもそう聴こえているのだから、レリギオスの耳には尚更珍奇なものとして聴こえただろう。いや、そもそもレコードの再生方法を理解できていただろうか?それを光は質問しようとすると、フェルタは近くにあった椅子に寄りかかるような姿勢を取り、レコード発見のその後を語り始める。
「このレコードを発見した当時、私たちはこれが一体何で、何の目的で作られたかを必死に調査していました。何らかの記録装置であること。中央を軸に回転させて使用すること。そこまでは判明出来ましたが、肝心の音声を再生する方法の解明は、地球人の方の来訪を待つしかありませんでした。そして初めてこの星に訪れた地球人類の方々は、このレコードが作られた時代の技術よりも遥かに進んだ最新鋭の技術をもって、あっという間にレコードの再生方法を解き明かしてしまいました。レコードの内容は、説明が少ないためにあまり理解はできませんでしたが、少なくとも地球人類はレリギオスよりもかなり優れた知能を持つ方々だと認識したのです。
レリギオスは地球人の数十倍長く生きることができますが、代わりに知能や肉体の発育は、地球人に比して長い年月が要ります。特により高度な《魔法》の習得に必要な知恵や知識の研鑽は数十年の時間が必要で、一朝一夕ではできないものなのです。故に私たちより短命で老化も速いのに高い知恵と知識を習得する地球人類の存在は、とても魅力的に見えたのです。このレコードのように多様な音声を纏めて録音する技術、このプレーヤーのようにその記録を読み取って再生する技術、そしてボイジャーⅡのように果てしない距離を航行する自動輸送機器を生み出す技術――!《魔法》ではないけど、《魔法》に似た技術を有する存在が、あの空の向こう側にいると知った時――私はいつしか、その人たちに会ってみたいと、思うようになったのです。」
「それが、地球人類――。」
「はい。そして実際に地球人類の方とお会いして、様々な物を彼らから学んだ一方で、様々な物を彼らから奪われてしまいました。」
「《エデン大戦》――?」
「はい――。数え切れない数のレリギオスが亡くなり、私たちの住んでいた場所の面影も今は殆どありません。
それでも挫けずに《へスペリディア》の活動を続けているのは、生き残ったレリギオスの国民たちと、UGEを裏切ってまで私たちに付いてくれた地球人類の方々の協力――それと、どうしても捨てきれない《地球》への憧れが、私にそうしろと突き動かしてくれるからなのです。」
「――強い人なんだね。君は。」
そう言われて、フェルタはくすりと微笑んだ。自分よりも長生きしているせいなのか、為政者としての威厳がそうさせているのか、フェルタの精神力の強さに光は改めて感服する。
「光様。私には"夢"が2つあります。」
突然、フェルタはそう口にした。
「"夢"?――地球人類とレリギオスの共存、以外に何かあるの?」光は質問する。
「それは、《へスペリディア》の長としての、為政者としてのフェルタ・エオルシア・フルトニオスの"夢"です。もう一つの"夢"は、ただの夢見がちな、一人のレリギオスの少女としての私の"夢"です――」
フェルタは短く、だが深く息を吸い、もう一つの"夢"を、光だけに伝える。
――いつか、《地球》に行きたい。――
「――!!」
それは、ニューアシヤ事変以来すっかり記憶の中から忘れ去られていた、光の"夢"と同じだった。
「"ゴールデンレコード"博士をはじめ、《へスペリディア》に住む地球人の多くは、地球人類であっても《地球》出身ではないのです。そして《地球》に繋がる通信系は、全てUGEの監視下にあり、《地球》の様子をリアルタイムで窺うことは現在不可能な状況にあります。
地球人類の方々が産まれ育った《地球》という惑星では、きっと《エデン》のものよりも遥かに発展した世界になっているはずなのです!宇宙に届く程高い摩天楼や、空を飛び交うドローンの大群!思念だけで様々な機械を自在に操作できる、《魔法》にも似た無線通信システム――!!それらが豊かな自然と調和して、人も動物たちも平和的に共存している世界――それが私の想い描く《地球》の姿です。それが正しいのかどうかを、実際にこの目で確かめたい。――それが私のもう一つの"夢"です。
――しかしこれを叶えるには、まずUGEにレリギオスの人権を認めてもらう必要があります。《へスペリディア》の技術と資源だけでは、遥か遠くの《地球》に辿り着くのは極めて困難との試算が出ているために、どうしてもUGEに協力を仰がなければなりません。レリギオス全体のためにも、私個人のためにも、"UGEとの和解"は最優先事項なのです。」
「和解――。でも――。」
「はい。現在のUGEは、レリギオスであること、ただそれだけで私たちを拒絶します。過去に何度か信書の送付や通信接続を試みましたが、まともに取り合ってくれないだけでなく、発信元を探られて襲撃されたことも少なくありません。なので、現状はUGEとコンタクトを取る試みは実施しておらず、居住区内に潜むレリギオスやその関係者の保護を密かに行うに留めているのです。」
「でも、そのままだと、何も変わらないんじゃ――?」
「その通りです。レリギオスの人権回復問題は、この20年間、何も進展していません。私たちからの働きかけも無碍にされ、一般の地球人類からそう言った運動が起こることも、殆どない。レリギオスが人型の生命体であるのを知らないから。知っていても、UGEに存在を消されるのを恐れて運動を起こせない――というのもあるでしょうね。
それと気掛かりなのは、光様のような"新人類"の子供たちです。あのUGEの襲撃事件以来、レリギオスに対する取締は厳しくなっているでしょう。光様のように、ごく普通の地球人類として育てられた"新人類"の子供がまだ多く存在するとしたら、その後どんな顛末が待ち構えているのか――。」
「――――!」
他人事ではなかった。もしかしたら、あの時UGEに捕らえられたままどこかへ連れられて、処刑されたり実験台にされたり、あるいは洗脳され、UGEの戦力として自由のない生活を強いられたりしたのかもしれない。――いずれにせよ、彼らに明るい未来は保障されていない。そう考えると、光の胸は苦しくなった。
「どうすれば、いいのでしょうね。――と質問しても、まだレリギオスのことを知って日の浅い光様には難しい問題ですよね……。止めましょう、こんな話題は。もっと情熱的な恋愛話だとか、ロマンチックな神話の物語でも話しま――」
「そんなことないよ!!」
「!?」
突然、光が大声で呼び止めたので、フェルタは驚いて言葉を失った。
「ど……どうされました?急に?」
「確かに、難しい問題だよ。地球人とレリギオスを共存させるというのは……。けど放っておく訳にもいかないし、僕だって、ただ指を加えて見てるだけの人間じゃない。僕はフェルタさんの――レリギオスの皆の力になりたくて、ここで能力と知を鍛えているんだ――!
それに、僕と同じ境遇の人がいる可能性があると知った以上、彼らを見殺しにはできない。ラーギブのようにUGEにいたけど、逃げ出したい人というもいるだろうし。僕はそういう人たちも助けたいんだ!」
「光様……。」
光の強い意志は、フェルタの青く透き通った瞳を借りて真っ直ぐに彼女に訴えかける。その眼差しを前に、フェルタは話題を反らそうとした自分の心を恥じた。彼がここまで真剣にレリギオスの未来を考えているとは思っていなかったからだ。
「けど、ただ"願望"だけ言ってもダメだよね。何か具体的な行動を起こさないと――。」
光はそう言って、フェルタから聞いた言葉を整理し始める。すると、ある疑問が突然、光の中に過った。
「――フェルタさん。さっき君は、『一般の地球人からレリギオスを支援する運動が起こったことはない』って言ってたよね?」
「はい。そうですが……?」
「じゃあ質問するけど、君は、一般の地球人に対して、そういう運動をするような働きかけはしたのかい?」
「――!?」
それは光も、フェルタも、今まで気にも留めなかったことである。
光がごく普通の地球人として暮らしていた頃、《へスペリディア》という語は一度も耳にしたことがなかった。テレビのニュース番組にも、SNSのトレンドニュースにも、クラスメートの他愛のない噂話にも話題に上がった試しなどない。光は、地球人居住区内における《へスペリディア》の知名度に疑問を抱いたのだ 。
「どうなんだい、フェルタさん?」
「――いいえ、ありません。」フェルタは震えるような声で答えた。「そんなことをすれば、UGEのレリギオスに対する規制は更に厳しくなり……保護活動が困難になる……。無関係の地球人の方にも被害が出てしまう……。そう判断したからです……。」
「そうか……。その理屈も判るよ。」フェルタの言い分に対して、光は小さくゆっくりと頷いて答える。
「光様……何故そんなことを急に?」
「僕らはここに来るまで、レリギオスのことは名前以外、殆ど何も知らなかった。それはUGEが僕たちにひた隠しにしてきたからでもあるし、レリギオスもバラされるのを怖がって言わなかったのもあると思う……。だけどもう一つ――。《へスペリディア》の方からも、レリギオスのことを地球人類に何も教えてくれなかったからでも……あると思うんだ……!」
「!!」初めて言われた指摘に、フェルタははっと気付かされる。
「それだけじゃない……。あの頃の僕らは、《へスペリディア》の存在さえも知らなかった!UGE軍が銃口を向けた時、僕もクラスの皆も悲嘆していたよ。『ここで死ぬんじゃないか?』って――!その後フェルタさんたちが来た直後だって、彼らの殆どは疑心暗鬼になっていた!《へスペリディア》なんて場所、その時に初めて聞いたから――!!」
〔光様?ドウナサッタノデスカ??〕
光の口調の変化にアラネオが慌てて口を挟んで宥めようとする。だが無意味だ。光は、脳内から溢れ出る自分の思考が言語化されるのを、止めない。
「フェルタさんの考えも判らない訳じゃないし、とても優しい理由だと思った。……でも、そんなことではいつまで経ってもレリギオスの人権が回復することには繋がらないよ!レリギオスの問題なんて、多くの地球人は門外漢――どうでもいいと思っているからだ……!!」
流れるように発せられる光の辛辣だが的確な指摘に、フェルタの理解はどうにか追い付こうと奮闘する。しかし理解は追い付いたが、思考は置き去りにされてしまった。そして理解できてしまったが故に知った、自らの怯弱さへの羞恥。フェルタは、何をどうすべきか、見失いかけていたのだ。
「――では……ではどうすれば……!?」
「――シンプルなことさ。」
フェルタは見失いかけているその答えを、光に問うた。そして彼は、すぅっと息を深く吸い込んで、こう声に出した――。
「《へスペリディア》のことを、全宇宙に公開しよう!!」
「――!!」〔――!!〕
それは言葉にすればとても単純で、しかし実行するとなればとても大胆なことであった。フェルタとアラネオは、光のその提案に大きく驚愕し、反発する。
〔全宇宙ニ《へスペリディア》ノ情報ヲ開示――デスカ??〕
「そんなことをしたら……レリギオスへのUGEの規制が――!!」
「判ってるさ。」光は即答する。「けど、その問題はもう、レリギオスだけの問題じゃなくなったんだ。5日前――あ、日付跨いだから6日前か。フェルタさんもご存知の通り、僕は電車の窓からフェルタさんを撮影した動画を、動画サイトを通じて全宇宙に拡散しました……。その動画は、僕が最後に見た記憶では12、3億回くらい再生されていたかと思います。これは、1人1回換算だとすると、《エデン》にいる地球人類の総人口よりも多い数なんです――!それが何を意味するか――フェルタさんなら判るでしょう?」
「12、3億の地球人類を――UGEが虐殺するかもしれない――!?」
「そう。」光は頷いた。「――けどそれはかなり極論に傾いた時の想定で、実際にそんなことを行うつもりがUGEにはないと信じたいのが、僕の本音です。
いずれにせよ、UGEは近いうちに一般の多くの地球人にも何かしらの危害を加えるだろうと、ヴィシュヴァカルマン博士は予見しているんだ。」
「博士が――?」
「はい。だからフェルタさん。もうこれは、レリギオスとか地球人類とかで分けて考えるような問題じゃないんだ。『レリギオスと地球人の共存』という君の"夢"を叶えるには、《へスペリディア》という受口の存在を多くの人に周知させることが必要なんだ――!!
元はと言えば、僕が撒いてしまった種だ――。尻拭い、なんて軽い言葉で片付けられはしないけど、僕は多くの人をそんな危険に晒してしまった責任がある!だから僕は、一人でも多くの人をUGEの暴政から救いたい!!それを実行するためにもフェルタさん、君の言葉が必要なんだ!!」
光の心のこもった熱弁が、フェルタの胸を激しく揺さぶる。――だがそれでも、フェルタの心にはまだ迷いがあった。レリギオスだけならまだしも、何億という地球人も纏めて護り抜くことに、底知れぬ不安を感じていたからだ。
「――できるでしょうか?私の言葉に、居住区の地球人の方は耳を貸すでしょうか?」
フェルタの不安は、光も同じように感じていた。それが成功する確かな保証がないからだ。
しかし、光は信じている。些細な出来事から大きな悲劇が産まれることがあるのならば、その逆も亦然りだ、と――。
「フェルタさんならできます。君の一言があれば――君の言葉が宇宙全体に広まれば――!この悲惨で閉塞的な"現在"をひっくり返すことだってできる!そのための一歩を、僕と踏み出そう!フェルタさん!!」
光がその台詞を口にした時、《ニューアシヤ事変》が起きた当日の英語の授業の内容をなぜか思い出していた。
「バタフライ効果」――。2人と1台の蜘蛛型ロボットしか知らないその出来事は、軈て大きな潮流を産み出していくことになる。
「……――私の言葉で――世界が変わる――……!!」
フェルタはその時、ある悲しい過去を思い出していた。それが今までの彼女の考えを、縛り付けていたものであった。――が、今なら――その呪縛を解き放つことができるかもしれない。フェルタは、左手人差し指に嵌めた指輪に触れながら、そう考えた。
「――やってみましょう!やらないでいては、何も変わらない――!私は現在を変えるために、この場所にいるのですから!!」
「――うん!その意気だよ!」
光は大きく頷いて、フェルタの決意を出迎える。新たな変化の潮流の源泉が今、音を立ててその流れを生み出し始める。
「そうとなれば、すぐにでも博士や家臣たちを呼んで臨時会議を開きたいところ――ですが、まだ皆が寝静まる時間帯ですね。どうしましょう?夜明けまでここで遊んでいきますか?」
「うん!ここの蒐集物、もっと見て回りたい!!」光は好奇心旺盛な幼い子供のような瞳を輝かせて言った。
「では私もお付き合いいたしましょう。――《憑着》!!」
と、フェルタは呪文を唱えながら、近くにあった等身大の美少女フィギュアに近付くと、その中に吸い込まれるように消えていってしまった。
暫くすると、固くて動かないはずのABS樹脂の関節部分がギギギ……と動き出し、閉じるはずのない塗装で描かれた大きな目が何回か瞬いた。そして数秒後、フェルタのアストラル流体がフィギュア全体に染み渡ると、フィギュアは最早リアルな人間の動きをして、台座から降り光の前に歩み寄る。
「――!?フィギュアが、動いた……?」
〔フェルタ様ノ《憑着》ニヨルモノデスネ。自身ノアストラル流体ヲ別ノ生物ノ身体ナドニ憑依サセ、意ノママニ操作スル《魔法》デス。〕
「その通り。光様が今、私の身体に入っているのも、この《魔法》によるものです。憑依する対象が人の形に近ければ近いほど、こんな風に複雑な動きや表情も可能になります。」
フェルタは憑依しているフィギュアの身体で、様々なポーズや動きを取ってみせる。それに合わせて、フィギュアが着ている硬い樹脂製のセーラー服もヒラヒラと舞い踊り、本物の服の動きを忠実に再現している。
〔《憑着》デ憑依状態ノ時ハ、私モフェルタ様ノオ声ヲ聞クコトガデキマス。ナノデ今ハ、フェルタ様ノ命令モ受付可能ニナッタ訳デス。〕
「ええ。でもここは、光様のご意思に従います。まずは何を見ましょうか?」
「それじゃあ、まずは……」
城の地下で行われた《地球》の模擬観光は、それから夜通し行われた。光とフェルタは、誰にも邪魔されない2人(と1台)きりの空間を、幼子のように時間も忘れて楽しんだ。大昔に流行ったパーティゲームや、《地球》の環境や町並みを再現したVR体験、嘗て使われていた民族楽器でのでたらめなセッション――時には《憑着》を利用して、フィギュアの撮影大会や古代生物同士のバトルなども繰り広げた。アラネオは2人が満足に楽しめるよう、機材の準備やゲームの審判などを執り行い、更に両眼のカメラで2人の愉快な様子を映像として収めていた。
軈て《へスペリディア》の外に、朝日が上り始める。流石に遊び疲れたか、光とフェルタは綺麗な赤い絨毯の上に寝転がって全身を休めていた。
光にとっては、ここ最近神経の張り詰めるような出来事が続いていたように思う。フェルタと過ごしたこの夜は、そんな光の疲弊した心を大いに癒やしてくれた。そして同時に、光は失いかけていた自身の"夢"に、また向き合うことができた。
「ありがとうフェルタさん。とても楽しい夜だった。おかげで忘れていた僕の"夢"を、再び思い出すことができたよ。《地球》に行って、お父さんに会うという"夢"を――。」
「こちらこそお礼を申し上げます。他愛も無いこのかけがえのない一時を共に楽しめましたことを。――いずれはもっと多くのレリギオスや地球人の方を招いて、今日のようなことをしてみたいものです。」
「ハハッ、いいねそれ!いつか必ず、叶えてみせましょう。その"夢"!」
「――はい!」
太陽光の差し込まない記憶庫の中で、太陽にも負けない輝きの笑顔が2つ誕生する瞬間を、アラネオの高性能カメラはしっかりと捉えていた。
2人は互いの"夢"を確認し合ったところで、漸く時刻の問題を思い出す。
「さてと、アラネオ。今は何時ですか?」
〔6時、15分、40秒デス。〕
「もう朝だね……。そろそろ僕は帰らな――!?」
光が身体を起こそうとしたその瞬間――。光の意識が急に暗闇に飲み込まれた。
身体の感覚も、視界も、フェルタの声も、凄いスピードで不明瞭になっていく――。
「??――光様、どうされ――……
2388年5月31日(火) 6:15 A.M. 《へスペリディア》・オレイオス魔法学校第4学寮
「――はっ!?」
光が、はっと目を覚ますと、見知った天井と蛍光灯が目の前にあるのを確認する。
そしてジリリリ……と喧しい音を鳴らす目覚まし時計が傍らにあるのを見る。時刻は、午前6時15分45秒。日付は5月31日。アラネオが伝えた時刻から、たった5秒しか経っていない内に、光の意識は元の身体に戻ったのだ。
目覚まし時計を止め、光は両の手で自分の身体に触れる。胸は平らで、下腹部にはしっかりと男性のそれが付いているのを確認する。
「戻った――ってことか?僕が目を覚ましたから、アストラルが元の肉体に戻ったんだ。」
光は再度胸を触ってみる。やはり、胸の膨らみはない。それが正常であり、現実だ。――が、今回だけは、あの"夢"で触れたフェルタの胸の感触が真実であることを、光は願った。あの誓いが、あの思い出が、単なる"夢"として消えないように――
「――"夢"じゃ、ないですよね?」
2388年5月31日(火) 6:16 A.M. 《へスペリディア》・第1フルリア・アネモニア城
〔光様……目ヲ覚マシマセン。〕
「朝ですからね。きっと目が覚めて、アストラルが元の身体に戻ったのでしょう。気にする必要はありません。私もすぐに起きます。――《解除》。」
フェルタは元々フィギュアがあった場所に立ち、元々取っていたポージングで立ち、《魔法》を解除した。フェルタのアストラルはフィギュアから離れ、すぐに彼女の肉体へと戻っていく。アストラルが肉体に完全に同化した時、再びフェルタの目が開く。
「――おはよう、アラネオ。」
今度は確かにフェルタの意思で発せられた、フェルタの音声である。
〔オ早ウ御座イマス。フェルタ様。〕
アラネオは改めてフェルタに起床の挨拶を交わす。そして毎度のように、アラネオは彼女に確認するのである。
〔サテ、何ヲ、イタシマショウカ?〕
次の指示を待つロボットに、フェルタは命令を伝える。
「声を届けましょう!地球人の方々に、私たちの声を!!」




