Episode23:"新人類"は《電気蜘蛛》の夢を見るか?・前編
2388年5月30日(月) 10:50 P.M. オレイオス魔法学校
オレイオス魔法学校には、第1〜第4の4つの学寮があり、奇数が女子寮、偶数が男子寮と分かれている。部屋数は合計して83で生徒の数と同じであるが、これは学寮そのものに仕組まれた、部屋を増築または撤去する《魔法》により、その時々の生徒数と同じ部屋数になるよう調整されているためである。
今、その内の第4学寮2階の一室から聞こえてくるのは、シャワーの水の滴る音である。
〔シャァァ……〕
223号室の浴室で、一人の少女――のような少年が今日の疲れと汚れを流れ落としている。演習直後も一度浴びたのだが、まだ何か気持ちが悪かったらしく、改めてシャワーを浴びているのだ。
ボディソープのノズルを押し、左手に握ったボディタオルに垂らす。それを生クリームのようにもこもこと泡立てると、柔らかで肌理の細かいスフレ生地の素肌に乗せ、塗りたくる様に、しかし傷つけないように優しく擦っていく。最初は腕、次に胸、首、腹、背中、下半身――と、一つ一つの部位に泡を入念に丁寧に塗りつける。そうして全身が泡に包まれると、彼はもう一回シャワーの蛇口を捻る。シャワーのお湯を身体に当て、泡を洗い落とす。流れ落ちる泡と温水の軌道は、彼の華奢で曲線的な体躯を型取ると同時に、彼の皮膚についた汚れや垢を削ぎ落とし、元より髪・眉・睫毛以外の体毛を持たない彼の肌を、滑らかにかつ艷やかに仕上げていく。胸の膨らみのないことを加味したとしても、その嫋やかな佇まいは最早女性的であると言わざるを得ない。
全身の泡が落ちたところでシャワーを止め、濡れた顔面を手で拭うと、彼はふと左手の甲の状態を見る。
(――やっぱり、取れないな。)
そこにある幾何学模様の黒い染みのようなもの。いくらタオルで擦っても、取れる気配はない。
《希望の痣》。生まれつき光の左手にある謎の黒い痣は、自らが"新人類"であると判ったこの時分になっても、まだ光の良く知らないことが多い。その中でも、どうしても解き明かしたい、解き明かさなければならない謎がある。
(僕は、"新人類"――。地球人とレリギオスの、両方の遺伝子を持つ――。今更それを疑う余地はない。けど――だとすれば――母さん。貴方はどっちで、どうして、何も言わなかったんだ――?)
シャワーを終え、寝間着に着替えた光は、髪を乾かし歯磨きを終えると、部屋を暗くしてベッドの上に横たわった。清潔になった身体とは裏腹に、心と頭の中はまだもやもやと濁っている。そんな気持ち悪さを拭うのに一晩では到底解決しようがないので、光は別のことを考えることにした。それで話題に思い浮かんだのは、フェルタが別れ際に光に対して祈ったことである。その場にいた他の人には伝わっていないようだったが、《希望の痣》の能力か、光には彼女の祈りの内容が伝わっていた。
〔今晩、夢でまたお逢いしましょう。光様。――〕
「『夢で逢う』――?」
恐らくそういう《魔法》もあるのだろう。あっても何ら不思議ではない――などと考えている内に、戦闘の疲れがここに来て襲ってきたのか、光はの瞼は段々と重くなっていき、遂には深い眠りへと落ちていった――。
〔……――、……――様!……――光様!!〕
「!?」
大きくなる声に光は突然呼び起こされる。ぱっと意識が覚醒すると、光は自分の身体が妙に重くなっていることに気付く。人一人分の重さが自分の身体の上にのしかかっているような――というか正しくその通りの感触を覚えていた。
「あ、起きました?光様♪おはようございます♪」
光の視界の下の方からひょこっと現れたのは、アネモニア城へ帰ったはずのフェルタの顔だった。
今度のフェルタは変装を一切していない素の状態の姿であるから、一目見ただけで彼女と判別できた。が、そんなことはさておいて――
「フェル……タさん!?なんでここに!?どうやって入ってきたんですか!?」
まさか一日に2度同じ施設内に侵入するとは、大胆にも程度があると正直光は思った。しかも今回彼女が侵入したのは夜の男子寮。それも変装なしで。この部屋は戸締まりをしっかりと行っている上に、廊下には寮長の見回り、外には学校で飼われている夜行性のハルピュイオスの警備がある。彼女の城のセキュリティからも抜け出すことを考えると、ここまで侵入してくるのは非常に難しいことだったろうと想像するのは難しくなかった。
そんな光の疑問を、フェルタはたった一言で片付ける。
「それは、夢ですから。鍵の掛かったお部屋に入ることくらい造作もありませんよ。」
「ゆ、夢――?」
光は、フェルタが何かしらの《魔法》を駆使してここまで入ってきたのだと思いこんでいる。だがよく見ると、フェルタの身体が妙に透き通って見える。彼女の背後にある窓枠の形が、彼女の身体と重なって見えるのだ。
それに自分の身体にも何か違和感がある。背中に伝わるはずのベッドのバネやマットの反発が、全く感じられないのだ。まるで宙に浮いているかのような――
「――!?」
光は上体を起こそうと、左手をベッドの上に落とそうとした。だが左手は、ベッドがあるはずの場所よりも更に下に落ち、釣られて上半身全体が左側にこけそうになった。その瞬間、光は遂に今自分がどのような状態であるかを目の当たりにする。
自分の身体が、比喩ではなく本当に宙に浮かんでいる。しかも、身体はフェルタと同じように薄く透き通っている。それだけではない。自分の真下には、ベッドの中で安らかな顔で眠る、自分自身の姿があったのだ――!
「うわぁああっ!?な……なな、なんだこれぇええ!?」
"夢"と呼ぶにはあまりにも鮮明すぎる光景と感触に、光の思考はパニックに陥りかける。そこを、フェルタは彼の両肩を優しく抱き、彼の焦る気持ちを宥める。
「ご安心下さい。光様はお亡くなりになった訳ではありません。光様のアストラルが、アストラルについた傷を癒し汚れを祓うために、一時的に肉体から離れているだけでございます。」
「そ、それは……つまりどういうことなんだい??僕は無事なのか??」
安心しろ、と言われても、この状況でそんなスピリチュアルな説明をされては逆に不安に駆られてしまうというものだ。フェルタは、今度は光の手を取り、優しく両手で包み込みながら言う。
「はい。ご無事です。光様が今このような状態なのは、"夢を見ている"からでございます。レリギオスに限らず、全ての生物は眠って"夢"を見るとき、普段は肉体に縛り付けていたアストラル流体を一時的に解き放ち、自由にさせるのです。故に光様は死んではおりませんし、今も光様の肉体からは、心臓の脈動する音が聞こえております。ほら……」
フェルタは光に、刹那の沈黙を請うた。光は乱れた呼吸を少しの間止め、その音を拾おうとする。
トクン……トクン……
一定に刻む自分の心臓のリズムが、確かに聴こえてきた。自分の肉体がまだ活動を続けていることを確認できると、それで漸く、光は安堵の表情を取り戻す。
「――ほんとだ。良かった……?」
そう光が胸を撫で下ろすと、ふと自分の胸から、何やら銀色の紐のようなものが伸びていることに気付く。それは心臓のあたりから服を突き破って出ており、先を辿ると真下にある自分の身体の胸に繋がっていることが分かる。触ることは一応できるようで、ティッシュペーパーのように軽くて柔らかい。
「これは何――?」
「それは、《繋魂の銀糸》。人が夢を見る時や、臨死体験をしている時に、肉体とアストラルを繋ぎ止めるものでございます。生きている間であれば絶対に千切れることはございませんので、ご安心を。」
「は、はぁ……。」
冷静を取り戻した光は、今の自分の状況をとりあえず整理する。今、自分は"夢"を見ており、フェルタの説明によればそのためにアストラル流体が肉体から離れている。肉体は眠ったままで、意識はアストラル流体の方にあってこちらは自由に動かせるようだ。そして気付くと、フェルタの胸からも光の胸にあるのと同じ銀色の紐が伸びていることが分かる。彼女も"夢"を見ている――とすれば、成程、「夢で逢いましょう」という彼女の言葉は文字通りの意味だったと光は納得する。
「そんなことはさておき、早く行きましょう!」
フェルタは光の手を握ると、ぐいっと身体を引っ張ってどこかへ連れて行こうとする。先刻の別れ際ではそこまでは読み取れなかったので、光は行き先を知らない。
「えっ?――どこへ行くんだい?」
「決まっているではありませんか。――"デート"です♡」
2388年5月31日(火) 0:30 A.M. 《へスペリディア》・第1フルリア・エピオナルモ
フェルタは光の手を引きながら、彼女の胸から伸びる《繋魂の銀糸》を辿るように《ヘスペリディア》の空を翔けていく。その最中、光はアストラル流体の働きについて、フェルタから詳しい説明を受けていた。
眠っている間にアストラル流体が肉体から離れるのは、簡単に言えば"心と頭のお片付け"のためである、とフェルタは言う。起きている間に受けたストレスや、蓄積した情報、今後行うべき予定の段取りなどを一旦整理するために、アストラル流体は就寝中に肉体から離れて自由となり、様々な回顧体験やシミュレーションを通じてストレス緩和や情報整理を手助けしてくれている。その回顧体験やシミュレーションをイメージ化したものが、いわゆる"夢"である。
"夢"の世界は、それを観ている人が求め予想する"理想"の世界でもある。"理想"は、その人の経験してきた"現実"の影写しであり、"現実"の世界にはないもの、起こり得ないことを、人々は"理想"="夢"に求めるという。勿論、"夢"の世界で起きたことが現実世界にも起こるとは限らない。だが時折、実際に"現実"のものとなる"夢"も往々にして存在する。その"夢"が"現実"に変換されるプロセスを解明・確立化させたのがレリギオスの《魔法》だと言われている。
アストラル流体は、"現実界"と"理想界(夢界、霊界、アストラル界などとも言う)"を自由に行き来し、中継できる唯一の存在である。《魔法》発動のプロセスは、アストラル流体をこの両方の世界の境界線近くに留まらせ、それを媒介として理想界で発生した事象を現実界に投影させることにある。本来は単に肉体を随意的に動かす際のプロセスでもあったが、レリギオスの先人たちが永い修行の末に、豊富なアストラル量があればそれ以上の効果を生み出せることを発見したのだと言う。
そんな話をしながらやってきたのは、第1フルリアにあるフェルタの居城・アネモニア城の城下町にして、《ヘスペリディア》の暫定的な主都となっているエピオナルモである。その名はアリティア語で「代わりのアルモ」という意味で、赤い屋根と白い壁の建物が立ち並ぶ外観は、帝国時代の首都・アルモの街並みをほぼそのままに再現している。光が初めて《ヘスペリディア》を訪れた時に通ったのも、このエピオナルモの街である。その時は多くのレリギオスたちが目抜き通りの両側に殺到し、フェルタたちの凱旋と自分たちの上陸を出迎えてくれていた。
そんな賑やかだった城下町も、今は人影も全く見当たらない程閑散とした雰囲気に包まれている。道路に整列した電灯の明かりが街の暗闇を照らしてくれている一方で、家々やお店からは微かな明かりも漏れ出ていない。街の景観に合わせた造りをした地球人向けのコンビニが2、3軒程、電気を灯して営業しているだけである。
「この時間帯ですから、開いているお店は殆どありませんね。皆さん就寝している時間ですから。」
2人はエピオナルモの街を低空飛行でゆっくりと進んでいく。フェルタは見かけた店を次々と指差しては、そこの名物や店主の人柄などの情報を教えてくれた。大きな緑の看板の店では、美味しい"Bakero"というパンが毎日食べられること。小さな赤い花型の看板を出している武器屋の店主は、地球人嫌いだからあまり立ち寄らない方がいいということ。――などなど、光がまだあまり知らない昼間の街の様子を、フェルタは詳細に語ってくれた。光はそれに想像を膨らませたり膨らませなかったりしている一方で、ちらちらと後方に伸び続ける自らの《繋魂の銀糸》が、長さが足りなくなって動けなくなることはないかを気にしていた。
「――ねぇ。この紐、一体どこまで伸びるの?学校からだいぶ離れて行っているけど――。」
「大丈夫です。《繋魂の銀糸》はアストラル流体の一部からできている非実体の紐です。長さに限界はありませんし、途中で絡まったりもしませんよ?」
「そうなんだ……。」
「それにお目覚めの時になれば、アストラルの身体がどこにいたとしても、瞬時に肉体の方に戻っていきますので、夜明けまではずっと一緒ですよ♡」
そう言ってフェルタは可愛らしくウィンクを放つ。光は下心など持ち合わせていなかったはずだが、真夜中の密かな逢瀬に内心どきまぎせずにはいられなかった。
そうこうしていると、2人は既に街の通りから離れて、アネモニア城の正門の前まで来ていた。当然、正門は堅く閉ざされており、その両側の小窓から門番の2人が徹夜で警護に当たっている。それでもなお、フェルタは光の手を引っ張って前進し続けている。
「さて、アネモニア城に到着です。ここからがデート本番ですよ♪」
「ほ、本番って……?」
「ぜひ光様に見て頂きたかったものが、いくつかあるのです。さ、門を抜けますよ。」
そういうと、フェルタの身体は門の向こうに染み入るように消えていった。非物質のアストラル流体の身体は、あらゆる物質をも通過するためである。そして彼女に手を引かれている光の身体も、門にぶつかるとすぅ……とすり抜けていった。
2388年5月31日(火) 0:40 A.M. 《へスペリディア》・第1フルリア・アネモニア城
門を抜けると、最初に訪れた際にも見た青い花の庭園に2人は出た。柔らかい月の輝きに照らされて、花の青はさらに一層色彩を強めて一面を埋め尽くすように咲いている。
この花の名前は「アネモニア」。アリティア帝国の国のシンボルとして大事にされてきた花であり、今いる城の名前にも冠されている程レリギオスたちに愛されている花である。かつては《エデン》の至る所で咲き誇っていたが、今となってはこの《ヘスペリディア》の上でしかその姿を見ることは出来なくなってしまった――とフェルタは言う。
そのアネモニアの庭園を右に抜けると、フェルタの《繋魂の銀糸》が、ちょうど真上にある一番高い所にある部屋に向かって伸びるようになった。部屋は円柱型の壁に円錐形の屋根を上下に2つくっつけたような外観で、下に柱などがある訳ではなく、横に伸びている廊下のみと繋がって宙に浮いているという奇妙な状態で存在していた。
「あの部屋です。」とフェルタが言うと、フェルタと光の身体はふわっと浮き上がり、その部屋へと一直線に登っていく。部屋に近付くと、それに付属している少し広いバルコニーの床をすり抜けて、続けてそのバルコニーと部屋の内部を隔てる大きなガラス窓もすり抜けて、2人はその部屋の中に侵入することに成功した。
「着きました。ここが、私の部屋です!」
「――フェルタさんの?」
光は、母親以外の女性の住む部屋に入ったことはないし、このようなお城の部屋に入った経験も殆どない。だがその煌びやかな内装を一目見ただけで、その部屋が童話に登場するようなお姫様の暮らす部屋であると、すぐに理解できた。
フェルタの名の由来である"風"をモチーフとした曲線や渦巻きを多用した調度品の装飾は、産業用ロボットの研磨などでは出せないであろう独特の温もり、柔らかさを感じさせる。鏡台やテーブル、そこに置かれている香水の瓶などには、先程見たアネモニアの花を象った青い宝石の細工が嵌め込まれており、それが月光を受けると、本物の花のような優しい輝きを放って光たちの眼を和ませる。その香水の匂いだろうか、部屋全体の芳香は甘く爽やかで、フェルタの身体から感じていた匂いと全く同じ匂いである。
クローゼット、テーブル、壁に立てかけられたギターに似た弦楽器――色々と後でじっくり見たいものもあるが、中でも光の眼を一際引いたのが、部屋の大きさの3分の1はあるんじゃないかというくらいに大きな天蓋付きのベッドである。四方のカーテンは降ろされて、月明かりで起きてしまわないように中で眠る姫君の瞼を護っている。
「――――!!」
カーテンに顔を突っ込んで覗いた光は、はっと息を飲んだ。
新雪の積もった雪原のようにシワひとつ無いシーツに包まれた、透き通る程の銀髪と白くて小さな寝顔。微かに微笑んだ潤いのある唇から、スー……スー……と静かな寝息を立てて、フェルタ・エオルシア・フルトニオスの身体は安らかな眠りに就いていた。
そう言えば光は、女性の寝顔もあまり見たことがなかったことに気付く。母である燈は朝早く起き、夜遅くまで起きるため、眠っている姿を見ることは殆どなかった。他の女性の寝ている"姿"なら何度かあるが、大抵それは、連日の勤務に疲れ電車の座席でぐったりしている中年の女性会社員か、退屈な授業に眠気を催され机に突っ伏して寝るクラスメートのどちらかであった。どちらにせよ、光にとっては見ていて可愛いとか美しいと思えるものではなかったが、彼女――フェルタの眠る姿は、とても純粋で綺麗で、何時までも見ていたい、と思った。
(やっぱり、フェルタさんって綺麗な人だな……。)
ベッドで眠っている方のフェルタを起こさないように、かつ、後ろに立っているアストラル流体の身体のフェルタにも聞こえないように、光はそう呟いた。
だが、その純然な少年の心を翻弄せんと、彼女の悪戯心が牙を剥いた――!!
「えいっ!!」
どんっ!!
「うわっ!?」
フェルタはいきなり、光の背中を勢いよく押し出した。その衝撃で光はバランスを崩し、彼女の顔面に向かって倒れる――!!
「ちょっ――!?うわぁああっ!?」
「――――??」
光は確かにフェルタの身体の上に倒れた。しかし非実体のアストラルの身体であるから、倒れた時に何も音はしなかったし、衝撃もなかった。
だが何故か、目の前は真っ暗だ。ベッドの中をすり抜けて入ってしまったからだろうか。――いや違う。それならうつ伏せに倒れているはずだが、光のアストラル流体の身体は背中の方に重力を感じていた。光はいつの間にか、仰向けになっていたのだ。
(なんだ……?ここは一体?もしかして"夢"から覚めてしまったのか?)
光は自分の部屋に意識が戻って覚醒したのだと考えた。しかし、それにしては何だか、身体がスースーする。
少し両脚を動かして擦り合わせてみた。寝間着の生地を摩擦させた感覚は全くなく、膝と膝とが直接触れて滑らかに擦れ合う。同様に腕を動かすと、上は滑らかで大きな布に覆われている感触があり、下側はどこの部分か判らない大きな皮膚の膨らみと擦れて、少し神経の興奮を覚えた。
(!?――何これ!?)
知らない感覚だった。痛くはなく、とても柔らかくて気持ちが良かった。更にもう少し身体を色々動かすと、腕も脇も胴も脚も、全て裸で、上に乗っかっている布以外の衣服は一切纏っていないようだった。
(は……裸!?いつの間に僕は脱いで……!?)
自分は寝る前、確かに寝間着を着ていたはずだ。それに寝ている間に服を脱ぐような変な癖もないはずだ。
「フフフ……!!そろそろ馴染みましたか?」
すると、右側からフェルタのくすくすと笑う声がした。"馴染む"?一体何と何を馴染ませようというのか?恐ろしくなった光は、パッと自分の眼を開けた――!
「あ。おはようございます、光様♡」
またしても、フェルタが自分の身体の上で馬乗りになっていた。だが、さっきとは状況が違う。そこは紛れもなく、フェルタの寝ているベッドの中だった――。
「いかがでしょうか?私の身体に入った感覚は――?」
そう問いかけるフェルタの微笑みは、何だか怪しい雰囲気を宿していた。光は質問の意味を問おうと、その唇を動かす。
「――?何を言って――――!?」
その瞬間、光の耳は違和感に震えた。
彼の口から漏れたその声は、紛れもなく――フェルタの声だった。
「へっ――?」
そして、少し顔を動かすと、今度は長く伸びた銀色の髪がまとわりつくのを覚えた――!
「!?――うえぇぇっ!?」
光は飛び起きた。そして今度は目視で自分の身体の状態を確かめた。
長く綺麗に梳られた銀髪。
白く透き通った素肌。
白魚の如く可細い腕。
眼を下に遣れば、大きく膨らんだ胸部と、つんと突き出た――
「う……うわぁあぁあぁあぁあぁあ!?!?!?」
ガバァッ!!
明らかに自分の悲鳴ではない悲鳴を上げながら、光は反射的に身体にかかっていたシーツを引き寄せ、全身の素肌を覆ってベッドから飛び降りた。思っていたよりも大きいシーツに足を取られ背中から着地してしまうも、痛みを感じる精神的余裕などない。それよりも光は、真っ先に確かめなければならないことのために、部屋にあった鏡台へ駆け込み、鏡の向こうの自分を見つめた。
「う……嘘……だろ……!?」
鏡に映っていたのはよく見知った光自身の身体ではなく、シーツを羽織ったフェルタの美しいに身体であった。その呼吸のリズム、眼球の動きなどは光の動きと連動していて、試しに首を右に左に動かすと、鏡の向こうのフェルタも同じ方向に首を動かす。他のどの身体の部位も、鏡は同じように反射する。最早疑う余地はない。
光は今、フェルタの身体になっているのだ。
「こ……こんなことって……!?」
光はその場でへたれ込み、顔をかぁっと真っ赤にして硬直してしまう。対するフェルタはとても楽しげで、何一つ恥ずかしがっている様子は見られない。
「アハハ♡素晴らしいリアクションです、光様♡折角なのですから、私の身体、もっとお触りになっても良いのですよ?ほら、お胸とか。」
「ででっ……できるかぁああっ!!い、今すぐ戻してくれぇええっ!!」
光は両腕をシーツの外側に出して、極力フェルタの素肌に直で触れないようにしていた。光の感じている羞恥心の程度をフェルタは重々理解はしている。が、彼女は光の要求を直ぐに叶えられない事情があった。
「うーん……。ですが私が見せたいものは、アストラルの身体では見るのが難しいものなのです。どうしても肉体を使って運んだり設置したりしなければならない代物です故……。ちょっと恥ずかしいでしょうけれど、どうか我慢なさって下さいませ。」
「うっ――。」
光は涙をぐっと堪え、彼女の言い分に渋々承諾することにした。できるなら一刻も早くフェルタの肉体から離れたいが、方法を知らないのではなす術がないので、今はフェルタの我儘に付き合う他ないというのが光の本音である。
「――判ったよ。その代わり、それ見たらすぐに戻してよ!?」
「かしこまりました。ですがその前に、お召し物が無ければ自由に歩けませんね。光様、『Araneo』と声に出してみて下さい。」
何かの《魔法》を使うつもりなのだろうか。光は彼女の言われた通りに、その言葉を詠唱する。
「……"アラネオ"?」
〔ポポポポ……ピポポポ……〕
「!?」
すると、部屋の隅の方から不気味な電子音が突然鳴り出した。音の鳴った方を振り向くと、2輪の白い車輪が向かい合ったような形の謎の装置が、いくつもの青いランプを点滅させているのが見えた。
〔ウィーーーーン、ウィーーーーン〕
ランプの点滅が終わると、今度はモーターの回転音が鳴り始める。同時に謎の装置は両側の車輪を回転させ、まるでパンジャンドラム(※)の様にコロコロと転がり始める。途中でバックしたり旋回したりなどして、部屋の家具に衝突して傷つけないように此方へ進んでくる。光の目の前まで接近すると、一度ぐるりと大きく旋回し、ピタッと動きを停止した。
〔――ガチャン!!〕
すると取りも直さず、今度は車輪が自動で3つに分割し、変形を開始した。車輪を構成していた3つのパーツは、それぞれ折り畳まれていた細長いフレームを伸展させ、3対の歩脚を地面に着地させる。そして車輪同士を繋いでいた八角柱型の胴体部分は、歩脚の付け根部分を軸に180度回転し、その装置の正面と思われる部分を光に見せる。のっぺらとした胴体の正面を見ていると、
〔――ウィーン、ウィーン――〕
2台の小型カメラが装置の上部にニョキッと生えてきた。そしてシャッターを開いて、正面にいるフェルタ(の姿になった光)にフォーカスを合わせ始める。
〔ポポポピポポポ……〕
突然現れたそれは《魔法》ではなく、地球人の手により設計・プログラムされた、機械仕掛けの蜘蛛型装置であった。
(※)パンジャンドラム((The Great) Panjandrum)…第二次世界大戦中にイギリス軍で開発されていたロケット推進式の陸上地雷。炸薬を詰めた本体を直径3mの車輪で挟んだボビンのようなの構造をしており、車輪に装着された多数の固形燃料ロケットモーターを一斉噴射することで車輪を回転させて走行する。




