Episode19:《最悪》
2388年5月30日(月) 16:42P.M. オレイオス魔法学校演習場・森林エリア
〔フォン……〕
「なっ――?」
「えっ――!?」
光とフェルタの想いを乗せた刃は、あと僅かというところで、脆くも崩れ去ってしまった。
光は確かに、左手に展開した《斬り裂く狂飆》を水平に振り抜いた。ラーギブの《砂》の刀が届くより前に。
だがラーギブは無傷だった。リーチを考えれば、光の《魔法》が先にラーギブの身体に当たるはずであった。しかしラーギブに当たるその僅か手前で、《斬り裂く狂飆》は消滅してしまった。
(そんな……こんなタイミングで……!?)
〔光――貴方は誰も傷付けないで――!!〕
「……母……さん!?」
ふと光の脳裏に母親の燈の言葉が過る。泣き濡れる母親に抱かれ、彼女の首筋に左手でそっと触れた記憶が、何故かこの時に蘇る。
その時、光は悟った。フェルタに願ってもらった《攻撃魔法》が消えたのは、母親のこの"願い"を《希望の痣》で叶えたからだと。故に他者を傷つける恐れのある《攻撃魔法》の発動に、制限がかけられてしまっているのだと、光は気付いた。
だが今、それをどうこうできる暇はない。ラーギブの刀が既にそこまで来ている――!!
「――貰うぞ!!」
「しまっ――!?」
ガラ空きになった胸部を守ろうと、光は咄嗟に左手の甲を前方に構える。そしてラーギブの切っ先がそれを貫こうとした時、左手の《痣》から目映いアストラルの輝きが溢れ出す!
〔〔〔ガシィィィィッ!!〕〕〕
「!?」「ぐっ――!!」
《希望の痣》は瞬時に障壁を展開。ラーギブの刀が光に届くのをギリギリで防ぐ。だが急拵えで強度が足りなかったのか、すぐさま破裂し崩壊してしまう。
〔〔〔パァァァァン!!〕〕〕
「うわぁあっ!?!?」
「ぐぬぅ……!!」
光とラーギブは衝撃で後ろに吹き飛ばされる。ラーギブは《砂》の絨毯を巧みに操って踏み止まるが、光はそのまま地面に転がり落ちる。
〔ドスッ!!〕
「がっ――!?」
着地の衝撃で光は後頭部を強打する。ジンジンとした痛みが頭部全体を襲う。立ち上がらなければならないが、痛みが激しすぎて脳の指令が上手く全身にいかない。それに徐々に背中にも痛みが広がってきている。ずきずきとした波のある痛みだ。それが身体を起こそうと手を動かす度に、大きな波を伴って襲いかかる。
「――ぁっ!?」
「光様っ!?」
ただならぬ苦痛の表情に異変を察したフェルタが、今の状況をも顧みずに彼の傍に駆け寄る。唯一フェルタの行動が視えていたテルクシアが、慌てて大声で止めにかかる。
「――!?駄目ですよ!!飛び出しては!!」
しかしテルクシアの叫びも虚しく、フェルタは光の近くに来てしまった。地面にたくさんの足跡をつけながら。
「……これでも足りぬか。やむを得ん。」
「光様!ご無事ですか!?」
「ぐっ――ぁあ――!!」
心配するフェルタに、光は声を振り絞って応答する。意識はある。確認するとフェルタは即座に眼を閉じ、彼の喉元辺りに手を翳し、アストラル流体の流れ方を調べ始める。
怪我や病気をした人間のアストラルの流れは顕著だ。怪我および症状が発生している部位の治癒力を高めようと、全身のアストラル流体がそこに集中するからである。そして光の場合、アストラル流体の大部分が背中や肩の内部に集中しつつある。まるでその部分の骨格を覆うように、アストラルが纏わりついているのが見えた彼女は、
「背中の骨が折れているやもしれません!急いで手当を――」
〔ドカッ!!〕
「きゃあっ!?」
突如フェルタの身体が、ラーギブに蹴飛ばされる。光を心配するあまり、彼女はラーギブの接近に気づくことができなかった。そして蹴飛ばされた衝撃で、フェルタを包むテルクシアの透明化魔法が解除されてしまい、フェルタの倒れた姿が瞬時に光とラーギブの視界に現れ出る。
「あっ!?――何てことを!?」
思わず声を荒らげるテルクシア。知らないとは言え、《ヘスペリディア》トップに対する彼の暴行を黙って見ることなどできなかった。
(まずい――!このままじゃフェルタさんまで!!僕が何とか……うっ!!)
光も何か抗議しようとしたが、背中の疼きがそれを妨げる。動こうとする度に、砕けた骨が神経を傷つけて著しい痛みを走らせる。
(くそっ!!痛みで思考がまとまらない……!!)
苦悶する光を尻目に、ラーギブは眼の前に現れた、黒髪の地球人少女に向かって冷たい眼光を送る。テルクシアの《魔法》は解かれてしまったが、フェルタの《変身魔法》の方はまだ正常に効果を維持している。つまりこの少女がフェルタであると、ラーギブはすぐには判別できないだろう。そう光は踏んでいた。
だが――
「ククク…やはり貴方様じゃったか。フェルタ皇女!!」
「「「!??」」」
ラーギブは、見抜いていた。口振りから察するに、だいぶ前に何らかの確証は得ていたような言い方である。光たちの間に、激しい動揺が駆け巡る。
(えっ!?どうして!?どうしてフェルタ・エオルシア・フルトニオス皇女の変装を見破れたのですよ!?アストラル量まで完璧に地球人に似せているのに……どうして!?)
(判らない……!けど今はそれは問題じゃない!どうする、この状況!?フェルタさんは今、《魔法》が使えない!!僕も骨折で上手く力が入らない……!!どうすれば……!?)
「…………。」
フェルタは冷や汗を搔きつつも、平静を装う。仮にも帝国の皇女だった身。こういう修羅場は光やテルクシアよりも慣れている方だ。
しかしどうする。フェルタは悩んだ。テルクシアは拘束され、光は背骨を折られ自由に動けない。最早ラーギブに対抗できる戦力はいない。せめて首のASDのロックが外れれば――だが、このASDの修理はヴィシュヴァカルマンにしかできない。
となれば、今できることは一つだけ。
「――その通りです。私はフェルタ・エオルシア・フルトニオス。南星宮の生徒の皆様の近況調査のため地球人の姿となり、デジマ内を探索していました。ここに来たのは、光様ならびにラーギブ様の近況をお伺いしたく、学校長にお願いして入った次第でございます。」
フェルタはまず、事のあらましをラーギブに説明した。そして、
「ラーギブ様。貴方の《攻撃魔法》はとても強力でコントロールも安定した、大変素晴らしいものです。ですが、ここは戦闘能力と戦術性、そして協調性を試す訓練の場。敵役の生徒は真の敵にあらず、貴方とともに技能や人格を向上させんとする"仲間"でございます。――今|《砂》の中に埋もれた生徒方のアストラルが、だんだんと薄れていっております。このままでは彼らは死に耐え、貴方に対する学校の評価も、大変厳しいものになることは必至です。貴方がこれからもこの学校で《魔法》を学びたいと思うのであれば、直ちに彼らを解放して下さい。そして彼らと光様を早く治療するためにも、テルクシア様の王冠を取って、訓練を終了させて下さい。――どうかこれ以上、徒に民の命を散らすようなことは、お辞め下さいませ。」
これまでにない真剣な面持ちとトーンで、フェルタはラーギブへの説得を試みた。人の命がかかった重要な場。ラーギブの心を逆撫でしないような言葉を選び、動揺や恐怖を押し殺しながら彼女は嘆願する。
「――流石はレリギオスの皇女じゃ。同胞を想う気持ちは篤い。確かに儂があやつらをこのまま殺せば、退学どころでは済まないじゃろうのぅ。」
ラーギブはフェルタの意見に納得するような姿勢を見せる。不気味な人間だと思っていたが、やはり僅かながらも良心はあるようだと、光は少し安心する。
だがその安心は、すぐに破壊される。
「じゃが、断る!!何故儂がレリギオス共の生死を案じなければならぬ?あの程度の《魔法》しか使えぬゴミ共の運命など、儂にはどうでも良いわ!!」
「なっ――!?」「ゴミ……ども??」
ラーギブは心無い返答をフェルタによこす。それがいかに彼女の心を傷つけたかを想像するのは、光とテルクシアには容易だった。
「それにそやつらを助けたければ、望月の能力を使えば良かろう?《希望》の真の力ならば、儂の術を破ってあやつらを助けることなど、簡単じゃろう?」
更にラーギブはそのような台詞を吐き捨て、嘲笑う。まるで自分には責任などない、関係ない事だと言わんばかりに。
「ふざけるな……!君がやったことだろ……!責任も罪悪感も感じないなんて……おかしいにも程があるだろ!?」
「何を言うか!!他人の力を借りねば何もできぬ木偶の坊が!!お前さんの能力は集団の中なら数多の効力を発揮できるが、単独じゃとほぼ何もできぬ無用の長物と化す!!さっきの《攻撃魔法》も、フェルタ皇女の"願い"がなければ発動できなかったじゃろうに!!――寝ておる暇があるなら、立ち上がって儂を倒してみぃ!自分の能力でのぅ!!」
「ラーギブ……!!」
ラーギブはあくまでも、自分からヴェステたちを解放する気はない。そしてそれを光にやらせようとしている。何か裏がある。分かってはいるが、それをやらねばならない。やらねばならないが、今の自分はそれが困難な状況にある。一体どうしろと言うのだ、この《絶望》を――?
「光様は背中の骨が折れています!!戦うことはおろか、立ち上がるのも困難なのです!!」
フェルタは光の容態を伝える。彼女はラーギブに見えないように光の左手に手を添え、《魔法》発動の準備をしようとする。
「では早く治せば良かろう!?さもなくば――死ぬぞ!!」
その動きが見えていたラーギブは、左手を大きく振り、何か大きな塊をフェルタに投げつけた――!!
〔〔〔ドォォォォォォン!!〕〕〕
「きゃあぁあぁあぁあぁっ!!?」
「フェルタさああああああん!!」
《砂》の団塊はフェルタの身体を勢いよく押し出し、《砂》の壁に激しく彼女を打ち付ける!
〔……バァァァァン!!〕
衝撃音とともに《砂》の塊は壁を構成する《砂》との融合を始め、フェルタの身体を完全に拘束する。フェルタは必死に足掻くも、関節部分をがっちりとロックされてしまい、1ミリも腕や脚を動かすことができない。
「くっ……!?うご……けない……??」
「ククク……!!これでお前さんに"接触"できる者はおらんくなった!さぁ……あと10分と少しの間、正真正銘の1対1を楽しもうぞ!!」
ラーギブは不気味で不敵な笑みで光を見つめる。正真正銘の1対1――と言ったが、どこがだよ。と、光は思う。自分は骨折。相手はほぼ無傷。自分には《攻撃魔法》も戦闘経験もないのに、相手はその両者を豊富に持っている。
圧倒的なまでの不公平な条件。仲間の生死がかかっていなければ、もう負けで良いやと諦めることも出来た。ラーギブの戦闘の技術と経験値は、光とは桁違いだ。その大差を埋めるには、余程の事が起きない限り不可能。光も、こんなことにならなければ、諦めて敗北を受け入れたかもしれない。
だが、そうはいかない。光は歯を食いしばり、背中の激痛を堪え、ゆっくりと立ち上がろうとする。
「くそ……どうすれば……ぐうっ!?」
だが体位を変えると、砕けた骨が神経や筋肉の動きを阻害して、全身に得も言われぬ激しい刺激が走る。どうにか仰向けから四つん這いの姿勢にはなれたが、そこから立ち上がるのは想像を絶する程に困難であった。
「どうした!?そんなへっぴり腰では、あのゴミ共を救うことなどできんぞ!?お前さんも儂と同じ人殺しになるのじゃ!!」
「同じ……じゃない!!ぐあぁっ!?!?」
駄目だ。背筋を起こすと肺などの内臓を抉られているような痛みに襲われる。とてもじゃないが立ち上がれない。地面の《砂》をきつく握りしめ、激痛が引くのを待つことしかできない。
駄目だ。駄目だ。このままでは皆が死ぬかもしれない――。だが、それよりも先に自分が死ぬのではないかという恐怖が光の頭を駆け巡る。
――駄目だ。今そんなことは考えるな。きっと何かあるはずだ。この《絶望》的状況を打破できる、"何か"が――
「ラーギブ・アル=アハカーフ・アブドゥルラザク!!!!!!」
突如テルクシアの大声が、光たちの耳に響いてきた。普段は他人のフルネームを正確に言った後に「くん」や「さん」などを付ける礼儀正しい彼女が、初めて呼び捨てでラーギブの名を叫んだ。
「皇女のお話の通り、望月光くんは骨折をしていて戦えないのですよ!!だから代わりに、このテルクシア・カンティオス・シレーナが相手してやるのですよ!!」
所々裏返った声で、テルクシアはラーギブに対する宣戦布告を表明する。何を考えているのか。聞き捨てならない内容に、ラーギブは思わず彼女の方を振り返る。
「テルクシア!?何を――??」
「お前さんが相手じゃと……!?笑わせる!お前さんはロクに《攻撃魔法》など覚えとらんと聞く!!一体何ができるというのじゃ!!」
「できるのですよ!!ラーギブ・アル=アハカーフ・アブドゥルラザクを倒せなくても、テルクシア・カンティオス・シレーナは、皆を助けることができるのですよ!!攻撃はできなくても、攻撃を防いだり弱めたりして皆を守り、皆の傷を癒し、皆の力を高めて攻撃に貢献することができるのですよ!!地中に閉じ込められている皆だって、覚えている《魔法》を組み合わせて応用すれば、助けられないことはないのですよ!!どんな《絶望》に襲われても諦めない!!それが、テルクシア・カンティオス・シレーナの戦い方なのですよ!!」
テルクシアの魂の叫びは、森全体を突き抜け演習場全体に大きく響いた。彼女にこんな不屈の精神があったとは、光も知らなかった。
だが、実際問題でテルクシアがラーギブに勝つことはない。彼女もまた《攻撃魔法》が使えない生徒だからだ。埋もれたヴェステたちを救出することは恐らく可能だろうが、ラーギブの攻撃を耐えながらテルクシアがそれを行うのは――
「だから、皆には手を出さないで――」
「――分かったわい。全く喧しいのぅ……。」
「!?」
ラーギブは以外にも、テルクシアの要求をあっさりと吞んだ。彼は右手を頭上で横に払う動作をすると、テルクシアの四肢を縛っていた《砂》が徐々に解かれていく。
正直のところ、テルクシアはラーギブと1対1でやり合うつもりなどない。勝算がないからだ。彼女の真の狙いは、光の回復――そして彼との協力である!
(よし!両手が空けば、すぐに《遠距離回復魔法》で望月光くんを回復させて戦える状態に戻す!余裕があれば、色々な能力上昇を付加させて望月光くんを強化させて、それから――!!)
〔ズザザザザザザザザザ……〕
「え――?」
四肢の《砂》が漸く解かれようとした時、テルクシアの足元の――塔全体が何やら大きく揺れ動き始める。
元々この塔はラーギブの《魔法》で作られたもの。その塔を崩した《砂》で、何かをしでかすことは明白だった。
「な……何を……!?」
「ゴミはゴミらしく、大地に還れ――!!」
ラーギブは頭上に掲げた右手を素早く下に振り降ろす。
次の瞬間、《砂漠の高塔》は音を立てて根元から崩れ始め、テルクシアはまだ四肢を拘束されたまま、そのまま地面に向かい真っ逆さまに突き落とされる!!
〔〔〔ドドドドドドドドドド!!!!〕〕〕
「きゃあああああああああああああ!!!!!!」
「テルクシアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!!!」
〔〔〔ズザザアアアアアアアアアアアア!!〕〕〕
テルクシアは、ヴェステたちを飲み込んだ巨大な蟻地獄の上に落下。そして後から落ちてきた大量の《砂》の中に埋もれ、姿を消した。砂煙が収まると、既に蟻地獄は消えており、代わりにそこにはのっぺらとした小高い《砂》の丘が生まれていた。
光とフェルタは、テルクシアの無事を祈った。――だが、《砂》の丘の中から彼女の手や顔が出ることは、ない。蟻地獄の底に落ち、その上に《砂》が堆く積まれているのだ。彼女の小さな身体では、大量の《砂》の重量には抗えない。そして何より、さっきまで感じられたテルクシアのアストラルが、フェルタの鋭敏な感覚器官をもってしても、ぴたっと感じられなくなっていた。そして同時に、微かに残っていたヴェステたちのアストラルも、完全に消滅してしまった。
「そんな……!!」
「テルクシア……!!」
残された二人は、最悪の事態を想像してしまった。そして彼らを助けられなかった自分の無力さを、悔いずにはいられなかった。
だが、最悪はこれで終わらない。それは光が動けないことでも、フェルタが《魔法》を使えないことでも、まだラーギブに余力があることでもない。
「邪魔者は排除した。あとはフェルタ皇女を始末し、望月を部隊に引き渡せば終い……!それで儂の"任務"は完了する!全ては、『地球人類による繁栄』の標語の為に!!」
ローブを脱ぎ捨てたラーギブの服に描かれた、地球を抱く三柱の女神を目の当たりにしたことである――!!




