Episode11:《絆》は残酷にも
2388年5月25日(水)3:56 P.M. 第13居住区・南星宮高校 廊下
埃の舞う冷たい床の上で、湯田衣栖佳の身体は無機質な音を立てて、仰向けになって倒れた。倒れた衣栖佳の身体から、鈍い赤色の液体が、どくどくと流れ出ていた。
「衣栖佳ぁあああああああああああああ!!!!」
光は大きな声で衣栖佳の名を叫んだ。
しかし衣栖佳の眼は、指は、唇は、心臓は、再び動く気配すら見せない。
「そんな――なんで――衣栖佳がなんで、こんな――うわぁああああああああああ!!」
光は頭を抱えてその場に跪く。
信じられない。信じたくない。
衣栖佳が死んだという現実を、光は強く拒絶した。
光はぼろぼろと大粒の涙を流して泣き喚く。その号泣は、遠くの山々まで響くほどだった。
それを後ろで観ていたエルクや福希たちは、その惨劇の衝撃に、衣栖佳に対する哀悼の念も、光に対する慰めの台詞も、全く口に出せずにいた。皆ただ呆然として、目の前で起きた出来事を、事実と認めることしかできなかった。
「衣栖佳から出たアストラル流体の発光、あれは間違いなくレリギオス特有のもの。――全く、何をしでかすつもりだったのかは知らんが、この状況で《魔法》を使おうとは、やはりレリギオスは野蛮な“猿”だ。我々人類に害なす存在として、この惑星から根絶させなければならぬ。――さて、」
光たちの嘆きの声になどは歯牙にもかけず、ブラッドアイは背後の軍人たちに告げる。
「総員、戦闘準備!標的、正面の南星宮高校生徒!その数100名強。全宇宙の平和を揺るがしかねない超危険因子につき、総員、出力レベル5での一斉掃討を行う!!総員、充電開始!!」
「了解。総員、攻撃準備!!充電用ぉぉ意!!」
ブラッドアイの号令と共に、兵士たちは電磁式自動小銃の充電を開始する。
キュイイィィンという耳障りな機械音が廊下中に鳴り響く。
充電中の電磁式自動小銃から漏れ出た電気が、校内をひりひりとした緊迫感で充満させる。
エルクも福希も、生徒全員が大混乱の境地に立たされた。
「やばい……やばいやばいやばいやばいやばいですってぇえええ!!」
「おいおいどうすんだよコレぇ!?マジであいつら俺たちをぶっ殺しに来てんじゃねえか!?」
生徒達は皆、ここから逃れようとパニックでもみくちゃになっている。
誰かが転び、誰かが誰かを殴り蹴り、誰かが泣いて、誰かが怒号を上げる――生徒の誰もが、冷静さや理性を失っていた。
彼らの叫び声(あるいは喚き声?)を耳にして、光ははっと我に返る。
今、自分がすべきことは泣く事じゃない。
光は感情を押し殺し、現実を飲み込み、ひたすら自分の中の知恵を呼び起こす。
(今は泣いている場合じゃない!このままじゃ皆殺される!!皆を救う方法を考えるんだ!!)
衣栖佳の死を嘆く気持ちをぐっとこらえ、冷静さを取り戻す光。そしてこの逆境から脱する、ある一つの案を思いつく。
(――そうだ!!お母さんに連絡すれば、皆を救ったり、この人たちの暴挙を止めたりできるかもしれない!!)
光の母親であり、UGEの職員でもある望月燈。彼女の力を借りれば、この窮地をどうにかできると考えた光は、左手に装備したIDEA-Watchの画面を――
「――な、なんだよ、これ?これじゃあ連絡できないじゃないか!?」
光のIDEA-Watchは、電磁式自動小銃の充電による激しい電波障害を受けて、その画面が大きく乱れてしまっていた。いくら画面をつついても、乱れが治る気配がない。他の生徒達のWatchもまた同じ状態に陥っており、光たちは完全に外部への連絡手段を絶たれてしまったのである。
光は途方に暮れる。
「そんな――僕らは一体、どうしたら――!?」
「おーーーーい!!こっちだーー!!」
一人頭を抱える光の遥か後方から、一人の男子生徒が呼ぶ声がする。
その男子生徒は、今いる2階から1階へ繋がる階段に片足を突っ込んだ状態で、自分たちをそちらに誘導しようとしている。そこが、この窮地を脱することのできる唯一のルートのようだ。
既に何人かの生徒がそこから1階へ下りて行ったようである。こちらに残っている大勢の生徒達は、1階ならば安全だと信じ、その階段へと足早に急ぐ。
これで皆無事に脱出できる。光もほっと胸を撫で下ろす。
が、ブラッドアイの方を再び一瞥すると、彼女はこちらに対して不敵な微笑を浮かべている。
(まさか――!?)
その真意に気付いた光は、階段を下りていく生徒達に、全力で叫ぶ。
「待って、皆!そっちはダメだ!!」
((((ドカアアアアアアン))))
「――!!」
突如として凄まじい爆発音が、光たちの鼓膜を震わせる。
黒い煙と共に、階段を下りた生徒達のものと思われる、手が、頭が、脚が、最早どこの部位かすら判らない肉片が、空中を舞って、地面へと落ちていく。
先に下りていった一人の男子生徒の首が、階段手前で止まっていた女子生徒の正面に、ころん、と転がった。
恋人だったのだろうか、彼女はその生首の前に座り込み、何度も何度も、彼の名前を連呼する。
「うそ……うそでしょ……アベル!?アベル!!ねぇ起きてよアベル!!アベル私を置いて死なないで!アベル!!いや……いやああああああああああああああああああああ!!!!」
女子生徒は力無く崩れ落ち、アベルという名の男子生徒だったその肉片を抱え、大粒の涙を床に零す。
階段付近の廊下には、暗赤色の飛沫が飛び散り、錆びた鉄のような悪臭が、火薬の臭いと共に、光たちの鼻を刺激する。
その惨劇に直面した五感の全てが、生徒たちの思考回路に、《絶望》という結論を否応なく叩きつける。
ある者は発狂し、ある者は嘔吐し、そしてある者は、ただ呆然と立ち尽くしていた。
(これが――これが現実なのか?僕らにはもう、生き延びる術はないのか――!?)
あまりにも残酷で、不条理すぎるこの現実に、光は嗚咽する。生きる希望を見失った生徒達は、ただ茫然とその場に立ち尽くすことしかできなかった。
黒煙が立ち昇る階段から、二人の黒い人影が現れる。一人はエルクよりも筋骨隆々な白髪の中年男性。もう一人は長い黒髪を後ろで一ヵ所に束ねた、階級章から察するに新兵であろう若い女性だった。そして二人の胸には3人の女神に抱かれた《地球》の徽章。UGE軍の援軍である。
二人は、AXelの標準装備である電磁式自動小銃ではなく、火薬により弾丸を発射するごく普通の自動小銃を手にしていた。それに彼らが着ている軍服の色は、漆黒ではなくやや青みがかった黒をしている。全体の装備も、AXelのそれと比べると軽装であるようだ。中年兵士は拳銃一挺と手榴弾数弾を装備している程度で、黒髪の女性軍人が持っているのは、軍隊の武器にしてはあまりにも場違いな黒い傘一本だけだ。とは言え、同じUGEのエンブレムを付けた軍人。丸腰の光たちにとってはただの脅威でしかない。
「遅くなって済まなかったな、ブラッドアイ。治安維持特殊部隊・第13居住区分隊長、スヴェン・ピェルニェヴィチ・ダジボーグ。只今援軍に馳せ参じた。」
ダジボーグと名乗った中年の軍人は、ブラッドアイに向かって敬礼する。その隣で傘を持って涙目でキョロキョロしていた新兵の女性も、慌てて傘を閉じて同じくブラッドアイに敬礼する。
「お、おお、同じくッ!!MPO第13居住区分隊所属、洪柳花一等兵でありますッ!!」
二人が口にした「治安維持特殊部隊(MPO:Special Force for Maintaining Public Order)」とは、UGEの政治活動や一般市民の平和的・健康的な生活に害なす暴力集団・犯罪組織・テロリスト等を廃絶するために組織された、いわゆる武装警察の役割を持つUGE軍の部隊の一つである。武装警察、と言っても、平時は所属居住区のパトロールや遺失物の管理等の事務作業が主で、テロ事件やデモ等の重大インシデントが発生した際にのみ、銃火器の使用が認められるのである。
ブラッドアイは左手で電磁式自動小銃を支えたまま、右手で素早く敬礼を交わす。
「援軍、感謝します。ダジボーグ中尉。――にしても、この狭い空間でチェルノボグ手榴弾を使うのは、中尉にとっても危険なのでは?」
「ふん。テロリストを全て排除するのがMPOの使命だ。使命の為あらば、出し惜しみせず全力で立ち向かうのが、俺の流儀だ。それに安心しろ。今、柳花が持っている最新鋭多機能軍用防傘『ヘルヴォル』は、お前さんたちが今持っている電磁式自動小銃をフルパワーで撃っても耐え凌ぐほどの強度を持つ。チェルノボグの爆風など、コイツの前じゃあ屁みてぇなモンさ。」
「成程。――では我々はこのまま、出力レベル5の電磁式自動小銃を斉射してしまっても宜しいのですね?」
「ああ、構わんとも。俺のチェルノボグで一掃してもいいが、それだとお前さんたちまで巻き込んじまう。こんなところで優秀な兵士を失いたくはないからな。ここはお前さんに託す。」
「――了解。」
ダジボーグの了承を得て、ブラッドアイはニタリと冷酷な微笑を浮かべる。
これで光たちは、前方をブラッドアイ率いるAXel軍、後方をダジボーグ率いるMPO軍に完全に挟まれた状態となった。しかも窓を覗くと、校庭にUGE軍の兵士たちがうじゃうじゃと集まってきている。2階から飛び下りて逃げることも、これでは無理だ。
おまけに柳花という新兵の持つ傘は、ブラッドアイ達の電磁式自動小銃の銃弾を容易く防ぐことができるらしい。それを利用して、ブラッドアイは廊下に立ち尽くす120余名の南星宮高校の生徒を電磁式自動小銃で一掃しようとしている。万が一にそれを避けられたとしても、ダジボーグの持つあの手榴弾がある。
退路は最早ない。
対抗できる一切の武器も防具もない。
殆どの生徒達は、間近にある“死”を覚悟していた。
「どうするんです!?前方にもUGE軍、後方にもUGE軍!しかも窓の外にも!!このままじゃ、皆、皆――」
この絶望的状況の中でも、福希はまだ生きる希望を捨ててはいなかった。何とかして、全員が生き延びて脱出できる方法があるはずだと、福希は強く信じてやまなかった。
そんな福希の肩に、ぽん、と、エルクがその手を乗せる。その眼は、何かを諦める決意を固めた、というような、とても真っ直ぐだがどこか悲しげな眼だった。
「――フォルス君?」
「福希。お前と過ごした十年間の日々、とても楽しかったぜ。小学生の頃、お前が宿題のレポートと間違えてエッチな女の子のイラストを先生に提出しちまったこと、今でもしっかり覚えてるぜ。」
「なっ!?何言ってるんですか!?こんな時に!?」
唐突なカミングアウトをされて赤面する福希をよそに、エルクはクラスメイト一人一人に、それぞれとの思い出話を語り出した。エルクの言葉に端を発して、周囲の生徒達も、友人との思い出を振り返り、大粒の涙を流しながら最後の挨拶を交わしていく。
止めてくれ。それじゃあまるで、皆とここでお別れってことになるじゃないか。光は零れそうになる涙を、ぐっと堪えていた。
そしてエルクは、光の肩を抱きしめ、彼への想いを口にする。
「光。お前が語ってくれた《地球》への夢、最初はバカみてぇって思ってたんだけど、ずっと付き合ってくうちに段々俺もそこに行ってみてぇって思ってきたんだ。俺も観てみたかったなぁ……!波のような屋根の建物とか、果てしなく続く石の壁とか、天にも届きそうなくらい高いビルとか、金色に光り輝くお寺とかさ!!《地球》に行く事は――もう無理みたいだが、もし生まれ変わったら、一緒に行こうぜ、《地球》!」
「エルク――」
光は、小学生の頃にエルクに聴かせた《地球》の話を思い出した。先程エルクが述べた《地球》の建築物は、いずれも光が小学生の頃に読んだ本の内容を、エルクに教えたものだ。どれも写真などで実際にその姿を見たわけではなく、ただそういったものが存在するという情報しか光は知り得なかったが、光はそこに自分達の祖先が残した英知の結晶の一片を感じ取り、彼の話を聴いたエルクもまた、そんな建築物群に魅力と好奇心を抱くようになっていた。「いつか、一緒に《地球》の建物を見学しに行こうな!」というエルクとの幼い頃の約束が、間もなく殺されるという今になって、色鮮やかに光の脳裏に蘇ってくる。それはエルクとの約束であると同時に、光の夢でもあった。最早果たされることのないその約束に、光は思わず涙を漏らしてしまう。エルクはその涙を右手で優しく拭い、その手を光の左手にそっと重ね、再び語り始める。
「でもって、お前のその左手の《痣》のおかげで、故障の多かった俺の右肩が良くなったし、赤点ギリギリだったにもかかわらず、俺も第一志望だったこの学校に、お前と一緒に入学することができた。おかげでやり投げの記録は少しずつ伸びてるし、湯田衣栖佳っていう面白いヤツにも出会えた。お前の不思議な能力にはホント、感謝っつーか、尊敬っていうか、――とにかくスゲエって想ってる。」
ありがとう。
最後に放たれたエルクの言葉が、光の脳内で何度も反響して、止むことを知らずに涙をさらに加速させていく。
光への感謝を言い終えたエルクは、両腕で光をぎゅっと抱き締め、それまで我慢していた感情を爆発させる。
光の左肩が、今度はエルクの涙でぐしゃりと濡れていく。
生徒たちは皆、誰かと抱き合い、誰かの肩を自らの涙で濡らしていた。
それを観た光は、自分の最期を迎える覚悟を、漸く固めたのだった。
「さよなら――みんな――さよなら――」
エルクの耳元で、光は小さく呟いた。それが、光の精一杯の、皆への別れの挨拶だった。
深く眼を閉じ、喚き声も、せせり泣く声も、なるべく耳に入れないようにして、光は、電磁式自動小銃の銃弾が自らの身体を貫き通るのを待った。
(いやだ――)
ふと光の耳元に、エルクの声が聞こえてきた。
死ぬのは嫌だ、ということだろうか。そりゃそうだ。自分だってこんなところで死にたくはない。光は思った。けどこの状況ではもう――
(死にたくない!!)(助けて……!!)(こんなところで終わってたまるか!)(オレにはまだやりたいことがあるんだ!!)(生きてママのもとに帰るの!!)(生きたい!!)(ここで死ぬなんてイヤ!)(皆ともっと一緒にいたい――)(諦めない……きっと誰かが助けてくれる――!!)
「――!?」




