第1話 神無き世界
今から百年前、この世界に未知の怪物が現れた。ソレらの外見は多種多様だったが、共通して体から純白の翼を生やし、体表に光輪を浮かべていた。
まさに天使のような外見。だがその実態は決して伝承に語られるような善良な存在ではない。ソレらはこの世界を終末に陥れる侵略者であった。
ソレらにはこの世界のあらゆるものを無差別に攻撃する性質がある。人も動物も自然も、何もかもを破壊し、蹂躙していった。それどころか、ソレらはこの世の科学では全く説明できない未知の力をいくつも宿していた。
その外見的特徴と異質過ぎる力から、ソレらは『天使』と呼ばれ、恐れられるようになった。
人類は科学技術を総動して天使も戦ったものの、有効打を打てたことは無かった。一方的に天使に追い詰められた結果、今では世界人口は一億人を下回っている。人類の生存圏も九割以上が失われた。本来なら絶滅していてもおかしくない状況である。
だが、こんな絶望的な状況でも人類は確かに生き残っている。何十年にも及ぶ研鑽の末に、彼ら人類は天使と戦える領域に至ったのだ───。
***
午前十一時頃。最終防衛国家ロズリカの第二都市にある『対天使人類防衛軍』の基地にて。
「では、先に挨拶させてもらおう。私はルーヴェス・アインドルト。対天使人類防衛軍の第六部隊隊長だ」
第六部隊棟の講習室内で壇上から語ったのは三十代前半の一人の女。赤い長髪を後頭部で結んでいる。
名はルーヴェス・アインドルト。彼女の視線の先には用意された椅子に座る者たちがいる。
人数は二十一人。彼らは先程、対天使人類防衛軍の入隊式を終えて、新たに配属されたばかりの新人たちだ。今は入隊式後に行われる各部隊ごとのガイダンスの最中である。
「君たちは今日から第六部隊所属の執行官として働くことになる。そのため、今日は第六部隊のガイダンスを受けてもらう。第六部隊での執行官の基本業務の紹介や基地の案内が主な内容だ。明日からは研修期間になるが、それも後で説明しよう」
ルーヴェスの話を彼らは気を引き締めて聞いていた。
これからの生活は今までとは全く異なる。人類を守るために常に危険な環境に身を置くことになる。
それが彼らが選んだ『執行官』という道であり、『対天使人類防衛軍』という組織なのだ。
対天使人類防衛軍───略して防衛軍。
その名の通り、天使から人類を守るために結成された組織だ。多くの人材や世界最高峰の科学技術を総動員し、天使から人類を守るためにあらゆる施策を尽くしている。
「説明の前に執行官という存在について話そう。我々はまさに防衛軍、そして人類存続の要となる存在だ。現場で天使を相手に命懸けで戦い、人類を守護する使命がある」
防衛軍には様々な役職があるが、中でも執行官は天使と戦う役職だ。執行官にも所属先が分かれており、第一部隊から第六部隊までの六つの部隊に執行官は振り分けられて配属される。ここにいるのは第六部隊所属の者たちだ。
「執行官になる者の多くは様々な思いを抱えている。おそらく君たちもその一人だろう。人々を守りたいという正義感、天使への復讐心や悪感情、脅威の無い世界の実現……君たちがどんな願いや信念を持つかは別に問わない。むしろ執行官という役職では、心に強い芯を持つことは大切な事だ」
その時、ルーヴェスの目付きが変わった。第六部隊の長として、厳格な面持ちで言い放つ。
「だがこれだけは忘れるな。天使との戦いは常に命懸けだ。現場ではいつ死傷者が出てもおかしくない。もちろん心身にトラウマや障害を負う可能性もある。明日にはこの部屋の中にいる誰かが二度と歩けなくなっていてもおかしくない環境だ。少なくとも毎年百人以上の執行官が死亡しているからな」
これは脅しではない。執行官の中ではありふれた事実だ。彼らにとって死は当たり前の概念である。
何故なら、彼らは『軍人』であるからだ。
「もし自分を創作物に出てくるような正義のヒーローと思っている者がいるなら、今すぐその認識は改めろ。我々は確かに人類の守護者だ。だが正義のヒーローなどではない。あくまで軍人だ。泥水を啜ってでも勝ち抜き、人類の未来のために命を燃やさなければならない。感情や信念に支配されて冷静さを失うようでは、生き残ることは出来ないと知れ。これを受け入れられない者は今すぐこの部屋を去るといい。今ならまだ引き返せるからな」
話を聞いている者たちは表情を強張らせた。
知らなかったわけではない。執行官が危険な仕事だということは百も承知だ。
だが知識として知るのと、実際に地獄の中で戦い続けている者から直接言われるのとでは言葉の重みが全く違う。自分たちが立っている場所が地獄に等しい場所なのだと、彼らは瞬時に理解させられた。
だが、それでも立ち去る者はいなかった。彼らにはこの恐怖心以上に優先すべき想いや願いがある。そのためなら茨の道でも進む覚悟だ。
「……去る者はいないか。いいだろう、それが君たちの覚悟だと言うのなら、私も第六部隊隊長として、責任を持って君たちを導くと誓おう。では本格的にガイダンスを始める。まずは執行官の基本業務について説明しよう」
***
ルーヴェスによるガイダンスが始まってから十分以上が経った。新隊員たちはルーヴェスの言ったことをメモを取りながら真剣に聞いている。
もちろん全員、心の中ではそれなりに緊張していた。先程のルーヴェスの話の後なのだから、無理もないことである。
そして彼女もまた、緊張から小さく息を吐いていた。
セミロングの水色の髪をした少女。髪には紺色のカチューシャを付けている。
彼女の瞳は左右で色が異なっており、水色の右目と金色の左目をしている。いわゆるオッドアイだ。
ユウリ・ラインヴァス。歳は十九。
今期の執行官適性試験をクリアして、新たに第六部隊の執行官として入隊した新隊員の一人である。
(うぅっ……改めて思わされるけど、本当にとんでもない所に来ちゃったな……ボク)
口にはしないが、内心では少しの後悔と恐怖があった。
執行官が過酷な仕事であることなど周知の事実だ。日頃から天使と戦うために鍛え、戦場では命懸けで戦う。その過酷さは安易に言い表せるものではない。
ユウリもそれは分かっていた。その苦難と恐怖を受け入れて、執行官という道を選んだつもりだ。
とは言え、なにも恐怖を克服できたわけではない。それこそ昨日は緊張でほとんど眠れなかった。
さらにあそこまで重々しく執行官について語られては、怖じ気付かずにはいられない。
(これからの事を思っての言葉なんだろうけど、予想以上に厳しい人だな……)
「…………ねぇ」
(まさか他の執行官の人達も全員、こんな感じなんじゃ……)
「……ねぇねぇ」
(もしそうなら、ボク執行官としてやってける気がしないよ……特に人間関係とか)
「おーい、聞いてる?」
「ッ!?」
突然肩を突かれると同時に声をかけられる。ユウリは驚きのあまり飛び上がりかけてしまった。その拍子にテーブルに膝をぶつけてしまった事で、ガタンと音が鳴った。
「……ん?そこ、どうかしたか?」
「いえ!なんでもありません!」
音に気づいたルーヴェスがユウリに声をかける。ユウリは全力で否定しながら、自分に声をかけた者がいる隣の席を見た。
「ごめんごめん、まさかそこまで驚くとは思わなくって……」
そこには少女がいた。薄茶色の茶髪をサイドテールで束ねて右肩にかけている。外見の年齢はユウリと同じくらいだ。
彼女は申し訳なさそうな顔をしながら、小声でユウリに話しかける。
「急で悪いんだけど……ペン、持ってない?」
「ペン?」
「そうそう。ちょっと私のペンのインク切れちゃって……書ける物ならなんでもいいから、もし複数持ってたら借してくれない?」
少女は手を合わせて頼んできた。
ペンなら数本持って来ている。断る理由など無いので、ユウリは適当に一本のペンを差し出した。
「はい、これで良かったら使って」
「ありがと……!後で返すね」
少女は借りたペンを使って引き続きルーヴェスの話のメモを取る続ける。ユウリも集中してルーヴェスの話を聞いた。
───それから約十分。
「……説明は以上だ。後に受ける研修や講習で今回と似たような話を聞くことになると思うが、今日話した内容はしっかり覚えておけ」
ルーヴェスの話が終わった。ユウリが後でメモを見直そうと考えていると、再び隣の席の少女が借りたペンを差し出しながら話しかける。
「借してくれてありがと!これ返すね。また後でお話ししよ」
「あ、うん」
ペンを受け取るユウリに、さりげなく後で話す約束までしてきた。とりあえず彼女が高いコミュニケーション能力の持ち主ということは理解したユウリであった。
「次は基地の紹介だが、その前に君たちに渡す物がある」
その時、部屋に箱を持った数人のスーツ姿の男女が入ってきた。手に持った箱を部屋奥まで運ぶと、最前列のテーブルに箱を並べた。
「ここにあるのは防衛軍支給の業務用の腕時計型端末だ。本体の設定は済んでいる。各自、指定の腕時計型端末を取りに来てくれ」
ユウリたちは最前列に腕時計型端末を取りに向かった。あらかじめ用意されていた自分用の物を取ると、席に戻る。
腕時計型端末は現在、流通している情報通信機器の一つだ。ベルト付きの腕輪には小さな液晶画面と映像投影用のレンズが付いている。
早速、ユウリたちは支給された腕時計型端末を腕に付けた。
(これがボクの業務用腕時計型端末か。前から持ってる物とあまり変わらないな)
ユウリも防衛軍入隊前から腕時計型端末は持っている。今貰った物も市販の物とあまり違いは無いが、確認したところ既に業務用の連絡先や機能がインストールされている。
「ではこれから基地の紹介に移ろう。ここから先は司令部のオペレーターが君たちを案内してくれる。全員、廊下に出てくれ」




