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第六十二話 雨は突然に

 第六十二話    雨は突然に



 冬が終わりを告げようとしている。 空気が柔らかくなり、日中は暖かさを感じられるようになってきた。


 またひとつ、歳を取った二人は懸命に働いている。


 久坂撫子は二十九歳。 同じく小坂由奈も二十九歳になっていた。



 「撫子…… また役所からのインタビューが記事になるの?」

 「そうなのよ…… あまり得意じゃないのよね」


 撫子は肩を落とし、コーヒーを飲んでいると

 “ピンポーン” チャイムが鳴る。


 「はーい」 小坂が対応して玄関に向かっていく。


 「すみません。 役所の者ですが、久坂先生はいらっしゃいますか?」

 役所の者が頭を下げると、 「お待ちください。 えっと、中にどうぞ」

 小坂が中に通す。



 「すみません…… 役所を通じ、県からも依頼が来てしまいまして……」



 「え~っ―?」

 てのひらの人気が爆発してしまう。 これは『小さなカウンセリングルーム』を根付かしてきた撫子にとって問題だ。



 (まいったな……)

 撫子は、この依頼には満足していなかった。


 特に有名になりたい訳でもない、田舎から出てきた娘には予想していない出来事だからだ。


 そして数日後には県民ホールでの講演がやってくる。



 「心の問題は、早期の見極めが大事になります…… まだ大丈夫だと思っていないで、風邪っぽいから病院に行こう……くらいで良いので早めの受診をお勧めします」



 撫子は『あがり症』を克服し、立派に講演を済ませた。


 それから『てのひら』は更に人気になっていく。




 「あわわ…… どうするの? 撫子……」 後日、『てのひら』には予約が殺到してしまう。


 講演があり、老若男女から賞賛の声が相次ぎ予約が増えてしまった。 中には老後の問題や、受験対策などの心理カウンセリングから外れたものまで予約が入ってしまった。



 もはや身近にいる芸能人のようだ。

 小坂が唖然とすると 「いいことを思いついた……」 撫子の目が見開くと

 「さすがナデシコ! それで、どんな?」



 「とりあえず、買い出しに行こう」 カウンセリングの合間、二人は買い物に出掛ける。


 「それで? 良い案とは?」 小坂が訊くと、

 「これ!」 撫子がジャケットのポケットから黒縁の眼鏡を取り出す。


 「眼鏡?」 小坂がキョトンとすると、「これ掛けて」 そして眼鏡を渡す。


 呆気にとられた小坂が眼鏡をかけると、

 「今日から、貴女がナデシコよ!」 そう言って、小坂の肩に手を置く。



 すると、 「すみません…… あの久坂先生ですか?」 若い女性が話しかけると


 「えぇ、彼女が久坂撫子です。 私はアルバイトの者でして……」

 そう言って、撫子は足早に買い物を済ませて事務所に戻って行った。



 「ちょっと、ナデシコ……」 小坂は若い女性に捕まっていく。




 三十分後、疲れた顔の小坂が帰ってくる。


 「お前……」 小坂が撫子を睨むと

 「すみません……」 素直に謝る撫子であった。



 「困ったものね……」 二人は落ち着いてファイルの整理を始める。



  “ピンポーン” 空は日暮れ、営業時間が過ぎた頃にチャイムが鳴る。

 「あれ? こんな時間に外来?」


 撫子が玄関を開けると、そこには同級生の田中が立っていた。



 「田中くん?」 驚く撫子の後ろから小坂が顔を出す。

 「田中…… 何の用よ」 小坂が不機嫌そうな顔をすると



 「急に来て申し訳ない…… ここで雇ってくれないか?」 田中は疲れ切った表情で言ってくる。


 「冗談でしょ? アンタの考えじゃ、『てのひら』で働ける訳ないじゃない」

 小坂がムキになって言うと、撫子が静止する。


 「ナデシコ……」


 「何か理由があるんでしょ? 話だけは聞くわよ。 入って」

 撫子が事務所に招き入れる。



 「すまん…… ここでやり直したいんだ……」 田中が頭を下げると

 「だって、田中君は自分のカウンセリング事務所があるじゃない…… まず、理由を聞かせて」 撫子が田中を見つめる。



 そこから田中が理由を話し出す。 口コミで悪い評価になり、客足が途絶えてしまったこと。 親にはクリニックから追い出されて戻れない状態であることだった。


 「そりゃ、そんな商売をしているんだから当然でしょ?」 小坂が頑なに拒否していると、撫子は苦笑いになる。


 「田中君、申し訳ないけどウチでは雇えないのよ…… 由奈のお給料だって決して高いものじゃないの。 この時間だって残業になるけど、由奈には残業手当だって無いのよ……」


 撫子は白衣の裾を握りしめる。


 実際、『てのひら』には時間という設定の働き方がない。 あくまでもカウンセリングをした数での給料を支払っているのだ。


 小坂は文句も言わず、黙々と働き続けていた。 これは恩であり、絆でもあったのだ。



 「頼むよ、久坂……」 田中が引き下がる様子もなく頼んでいると、


 「これ以上言うなら警察を呼ぶわよ!」 小坂は我慢ならなかったようだ。

 「そうか、すまなかった……」 田中が俯いたまま出て行くと、



 「田中君…… まだ、やり直せるからさ……」

 撫子は、そっと田中を見送った。



 「とんでもないヤツよね……」 小坂は相当、機嫌が悪くなっていた。



 そして、ファイルの整理を終えると

 「ゴメンね、由奈…… 本当に残業代とか出せなくて……」


 「はい? 本気でそんな事を思っているの? 拾ってもらって、言える訳ないじゃない……」


 小坂がケラケラと笑いながら言うが、撫子にとって心が痛い問題でもあった。

 (ちゃんと引っ越しの分が採算取れたらボーナスを出すからね……)



 「由奈、今日は焼き鳥でいい?」 撫子が夕飯に誘うと、

 「やった♪ 充分にボーナスが出てるじゃん♪」 小坂は上機嫌で帰り支度を始める。


 そして戸締まりをして外に出ると1台の車が停まる。

 (誰?)


 「こんばんは。 往診で近くにきたから寄ってみたんだ……」

 そう車から話しかけてきたのは八田だった。


 「八田先生……」


 「これから食事ですが、ご一緒にどうです?」 撫子が誘うと、

 「そうなんだ。 送るよ、乗って」 三人は車で近所の居酒屋に向かった。



 「ビール二つと、ノンアルで……」

 八田は運転がある為、アルコールは頼めなかった。



 乾杯をし、田中が来たことを八田に話すと、

 「噂は聞いているよ。 実際、そこから病院にまでクライアントさんが来るようになってさ~」 八田が苦笑いをする。



 「ウチとしても有り難いけど、ちょっと困るわよね…… それから撫子にお願いなんかしてさ……」


 そんな話をしていると、八田が浮かない表情を浮かべる。

 「先生?」 撫子が顔を覗き込むと、八田は焦って態度を取り戻した。



 そしてお開きになり、 「撫子、先生に送ってもらいな。 じゃ、先生おやすみなさい」 小坂のアパートは近くであり、撫子は八田の車で送ってもらうようになった。



 「先生…… さっき、どうかされましたか?」 

 「うん…… まぁ色々と……」



 そんな話をしていると、外は雨になっていた。


 「すみません、先生……」 撫子がドアに手を掛けた時、

 「久坂さん…… こんな時で、こんな僕が言うのも……なんだけど」


 「はい……」 撫子は八田を見つめる。


 「良かったら、僕と付き合ってくれないか? 年の差もあるし、フラれるのは仕方ないんだけど…… 言っておきたかった」


 突然の告白に、撫子はしばらく無言になり……



「いいんですか? 私、重いですよ……」 


 八田は黙って頷いた。



 「先生、雨が降っていますから気をつけて帰ってくださいね」

 撫子は最高の笑みを見せる。


 「ありがとう…… おやすみなさい」 八田は車を走らせた。



 見送る目には大粒の涙が溢れていく。

 (先生……) 撫子の目からも、突然の雨が降ってきたようだ。


 (先生、学生の頃から憧れていて好きでした……)



 撫子は階段の下で泣いていて、収まった頃に玄関のドアを開けると

 そこで涙が止まってしまう。 そこには彼氏や彼女という前に、人としてかけ離れた部屋の惨状が目に入る。



 (もう、これはイカンな……)


 『やっと出来た彼氏を呼べない部屋にはしない』と心に誓うのだが……



 「とりあえず、早くお風呂して寝よう……」


 気持ちは切り替えたが、行動には結びつかない撫子であった。


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