第五十八話 あがり症
第五十八話 あがり症
「おはようございます」 日曜日、吉野が出勤してきた。
「おはようございます、留美さん」
この時間、撫子はカウンセリング中。 挨拶をしたのは小坂だ。
吉野は裏へ回り、ホワイトボードとパソコンを見る。
「すみません、由奈さん……」
小坂も裏に回り、吉野と打ち合わせをはじめる。
「講演ですか……」 小坂が驚くと
「はい。 今後、若者の活性化に繋がればと思いまして……」
『てのひら』に依頼が回ってきたのは、役場主催のメンタルの講演だった。
ホールを借りての一大イベントとなる計画を持ってきたのだ。
「そんな凄いことをウチが講演するのです?」
「はい。有名な方々を呼んで盛り上げたいと思っています」
説明する吉野の目は真剣だった。
しばらくすると、撫子のカウンセリングが終了する。
「では、桜井さん……」 「いつもありがとうございます」
こうして撫子がクライアントを見送り、振り向くと
「どうしたの?」 撫子はキョトンとする。
そして吉野が説明をすると
「あわわ…… それって、誰がやるんです?」
「ナデシコでしょ! 代表なんだから」
こうして講演の出演依頼が締結してしまう。
「ちなみに、この講演料ですが……」
提示された金額は、かなりのものだった。
「ナデシコ…… AEDを用意しておくから頑張りなさい……」 小坂は撫子の肩を叩く。
前回の町のイベントで挨拶をするのにも緊張していた撫子に試練が訪れるのだった。
それから撫子は、講演の事を聞いてから緊張が取れなくなってしまう。
「こんな感じかな…… は、はじめまして……」
(練習の段階で噛んでるし……) 小坂は苦笑いになる。
不思議なことに、カウンセリングだと普通に話せる撫子。
しかし、講演の事を考えると固まった表情になってしまう。
「ちょっと…… まだ三ヶ月も先のことよ? なんで緊張しているのよ」
小坂は堪らず声をあげてしまう。
「そ、そう? 緊張しているように見える?」 撫子が聞くと、
「緊張している以外には見えないわよ……」
“カタカタ……” 撫子は緊張しない方法をネットで検索まで始めてしまった。
(アンタ、専門家だろ~い……) ここまで来ると呆れてしまう。
ちなみに、だいたいの事は誰でも知っているだろう。
・深呼吸 ・発声練習 ・腹式呼吸 ・表情筋をのばす ・肩や首のストレッチ などが出てくる。
それで緊張が和らぐ人は、たいして緊張はしていないだろう。
結局は、意識が集まってくると緊張はエスカレートするものである。
「やっぱり、こんな程度よね……」 撫子が検索した程度だと、こんなものだった。
「まったく……」 小坂が息を落とした矢先……
“ピンポーン” チャイムが鳴ると “ビクッ―” 撫子の背筋が伸びる。
「いい加減にしなさいよ! はーい……」 小坂が玄関に向かう。
「予約をしている斉藤と申しますが……」 この日の予約のクライアントがやってくる。
斉藤 秋穂 33歳のOLである。
「初めての予約ですね。 ありがとうございます…… こちらに問診表になります。 書き終わってからのカウンセリングになりますので、ゆっくりとお書きください」 そう言って、小坂は席を外す。
「本日の担当をさせて頂きます小坂と申します。よろしくお願いいたします」
いつも通り、小坂は資格者証を見せて頭を下げる。
そこには『あがり症を克服したい』と書いてあった。
「あがり症ですか…… これは病院での診断でしょうか?」
「はい。 病院でも診断されました」
あがり症……正式には「社交不安障害」という。
人前で話す・注目される場面で過度な緊張や不安を感じ、動悸、震え、多汗、赤面、声の震えなどの身体症状が出て、生活に支障をきたす状態のこと。
原因としては、脳の機能異常や心理・環境的要因、遺伝子要因もあげられる。
『脳の機能異常』 危険を察知する脳の部分が過剰に働き、社交的な場面を「命の危険」レベルの恐怖と誤認識してしまう。
『心理・環境的要因』 過去に人前で大失敗した経験や、周囲からの極端に気にする性格などが挙げられる。
『遺伝子要因』 親が「あがり症」である場合、遺伝的な要因が関連している可能性が指摘されている。
日常では、深呼吸や事前の念入りな準備が有効だが、あまりにも苦しい場合は精神科や心療内科が奨められる。
「斉藤さんは、日常生活で苦しい場面はどんな時でしょうか?」
普段は話してくれるのを待つことが多いが、「あがり症」の人から話させると苦しいだけなので小坂から話しかける。
「はい。 普段の生活は大丈夫なのですが、上司に書類を持っていくだけでも緊張してしまって……」
斉藤は手を気にしながら話すと
「すみません、失礼します」 小坂は先に断りを入れ、斉藤の手を確かめる。
(こんなに手汗が……)
「少々、お待ちください」 小坂が席から立ち上がる。 すると、裏にある冷蔵庫を開ける。
そして戻ってくると、 「コレを握ってくださいね」 小坂が渡したのは、ケーキなどを保冷する小さい保冷剤だった。
「きっと、てのひらも熱くなっているでしょうから」 小坂がニコッと笑うと
「すみません……」 斉藤は顔を赤くしながら頭を下げた。
「大変ですよね…… 緊張なんて、急にやってきたりするものですから」
「はい…… あまりにも多くて」
「そうそう! ちょうど、ウチの代表も苦しんでいるところなんです……」
小坂が笑って言うと、
「そうなのですか? こういう仕事だと、慣れていらっしゃるのかと……」
これには斉藤も驚いていた。
「はい。普段は普通に話せるしカウンセリングも出来るのですが…… 今度、講演が決まりまして、緊張が取れないんです。 よかったら、ご一緒しません?」 小坂が言うと、斉藤は頷く。 そして撫子も交わって三人で話すことになった。
「これでいいか……」 小坂は笑いながら進めていく。
「なんか、私より緊張されている方がいると少し和らぎますね……」 斉藤は、撫子の顔を見るとホッとしたようだ。
「すみません…… 同じカウンセラーの久坂です」 撫子は気まずそうに頭を下げる。
「斉藤さん、お薬は処方されています?」
「はい、これです」 斉藤がお薬手帳を見せると
「コピーしてもよろしいですか?」 確認をして、撫子がコピーをとりにいく。
あがり症に処方される薬は、
β《ベータ》遮断薬。 心臓の受容体に作用し、動悸、震え、赤面、発汗などの身体的症状をダイレクトに抑える。
抗不安剤。 精神的な不安感や緊張を鎮める。
SSRI。(選択的セロトニン再取り込み阻害薬) 聞こえは悪いが、慢性的な社交的不安障害の治療として、脳のセロトニンを増やし、根本的に不安を感じにくい体質へ改善を目指す。
こういった薬が処方されていく。 ただし、副作用もあり重症者への処方となっており、服用者は主に市販で売っている漢方薬などが多い。
そうは言っても、人の目などを気にするタイプであれば訓練なども必要になってくる。
「どうでしょう? ウチの代表と一緒にトレーニングをしてみますか?」
小坂が微笑みながら提案すると
「いいんですか? それで良くなるなら……」 斉藤が笑顔を見せる。
そして後日、カウンセリングの時間をトレーニングに費やしていく。
「まず、仕組みを知りましょう」
・視点変換: 緊張がつきまとう場面、「どう見られているだろう……」こんな心配になっていってしまう。 「緊張していると見られているのではないか」「情けなく思われているのではないか」こんな風に見られていたらどうしよう……
そうすると
・緊張感のロケット点火: そんなネガティブな感情に取り巻かれると「ダメな思考や意識」の自分ばかりが心に現れてしまう。 そして、ダメ自分の姿に意識が集中してしまう。
「要は、「どう見られているか」ではなく、「どう見せたいのか」になっていくのです!」 小坂の語気が強まっていく。
斉藤と撫子は同じように頷いている。
「「出来る自分」を作っていきましょう」
こうして、二人がスピーチをしてお互いを称え合っていく。
その時のルールがある。
「こうした方がいいよ」などと言うアドバイスは禁止。 それを言ってしまうと否定しているのと同じだからだ。
回数を重ね、二人は上達していった。 見え方も違和感がなく、スムーズに言葉も出ていくようになった。
「由奈~ ありがとう♪」 撫子は、小坂に抱きついていた。
(撫子がクライアントになっちゃった……)と、苦笑いをする小坂由奈であった。




