第505話 ヒーラーの役目(2)
「杖、ヨシ! メディカノン、ヨシ! ポーション、ヨシ! ハピマル、ヨシ!」
「メェーアアァー」
お前はドジで抜けてるところが多いから、と小太郎から教わった指さし確認を律儀に果たして、ハピナは万端の準備を完了させた。
早朝、ほぼ夜明けと共に、ハピナは宿から大聖堂へ向けて出発した。小太郎が強く念押しした通り、これから階層主に挑むくらいの完全装備を整えて。
一体、今日の大聖堂には何が待ち受けているのか……期待と不安を半々に抱きながら、颯爽とハピマルに跨ったハピナは、夜明けの首都を駆け出した。
「ふぉおおお……ここがシグルーン大聖堂、なのです……」
ヴァンハイトにも立派な大聖堂があるが、パンドラ聖教の総本山は伊達ではない。その巨大さと荘厳な雰囲気に、思わずハピナも息を呑む。
遠目に見える神授塔は雲を突き抜けるような高さで聳え立っており、周囲に広がる庭園も実に広大だ。そして何より、真正面に構えられた大聖堂。その威容は正しく神々の居城に相応しいと思わせる。
内心では圧倒されつつも、パンドラ聖教での作法はお手の物。ハピナは型通りの礼儀作法に乗っ取り、緊張とは裏腹に、落ち着き払った表情で朝の礼拝へと参加する。
巨大な礼拝堂には、すでに多くの人々が詰めかけていた。大聖堂に勤める司祭達は勿論、朝一で祈りに来る熱心な信徒も、首都には沢山いる。それはこの礼拝堂でも収容しきれないほどなので、信徒達の間には暗黙の了解で曜日ごとのローテーションもあった。
そうして、巡礼で他所から来た者も含めて、全員が礼拝堂にちょうど収容できる人数で、本日も滞りなく、シグルーン大聖堂の礼拝は始まった。
「我らが大いなる母よ、天上より見守り給え」
礼拝堂には、パンドラ聖教における主要な神々の像、あるいはシンボルが並んでいる。礼拝する信徒は、各々が信仰する神へ向けて、それぞれの作法で祈りを捧げる。
ハピナの信仰する地母神は、聖教でも一大派閥を形成する『救済派』の主神格でもあるので、配置もかなり中央寄り。探す必要がないほど一目瞭然であり、ハピナと同じく地母神に祈る者も結構な人数がいた。
しかし、やはり不動のセンターを堂々と占領する、光の女神エルシオンには敵わない。ここはパンドラ聖教の総本山であると同時に、最大派閥『女神派』の本拠地でもある。当然、礼拝堂に掲げられるエルシオン像は一際大きく立派で、次の瞬間には動き出しそうなほど精緻にして神々しい仕上がり。
そして礼拝堂にいる者の半分以上は、エルシオン像へと祈っていた。
「ふぅー、流石にちょっと肩身が狭かったのですぅ」
何事も無く、静かに朝の礼拝を終えると、ハピナは思わずそんな独り言が漏れてしまう。
やはりシグルーン大聖堂は、何かにつけて女神エルシオンの圧が強い。そう感じるのは、『救済派』の力が強いヴァンハイト出身のためか……どうであれ、若干の緊張感を強いられた時間が過ぎ去ったことで、ハピナは次のことに意識は傾いた。
「えーっと、お昼までは大聖堂にいないとダメ、なんですよね」
朝の礼拝への参加は、朝一で大聖堂へやって来るための口実のようなものである。小太郎の頼み事は、朝から昼までの間を、この大聖堂にハピナが居続けること。
それがどういう意味をもつ頼みなのか、今のところはまだ分からないが、ひとまずここからは単なる時間つぶしとなるだろう。
初めて来たことに変わりはないので、ここは素直に観光気分で敷地内を見て回ろうか、と思って大聖堂を出た時であった。
「レイナーレ様を解放しろぉーっ!」
「勇者ソーマを出せぇーっ!」
「出てこい、勇者!」
「どうか、レイナーレ様のお顔を見せてくだされぇ」
「ああ、偉大なるディアナの御子様」
「我々にお導きを」
大勢の人々が、そんなことを叫びながら大聖堂へと押しかけていた。その興奮した様子から、ただ偶然にも大勢の巡礼者がやって来ただけ、とは思えない。
彼らは祈りに来た信徒ではない。故に、すでに大聖堂の正門は閉ざされており、警備の聖堂騎士が慌ただしく駆け回っているのだと、ハピナでも一目で理解できた。
「あわわ……これは一体、なんなのです……?」
明らかなトラブルの様子に、ハピナはひとまず様子を窺うことにした。
大聖堂の中へと戻り、正面広場の見えるバルコニーへと移動する。ハピナと同じように、騒動の成り行きを見守ろうと、先に礼拝に訪れていた人々もそれなりの数がいた。
「ちっ、ディアナ人共が、大聖堂でこんな大騒ぎを……」
「レイナーレって誰だよ」
「なんで新勇者の名前も呼んでるんだ?」
騒ぎの様子を見下ろしながら、ハピナの耳には周囲の信徒達の会話も入って来る。
どうやら、彼らも何が起こっているのか、よく分かっていないようだ。それがかえって、彼らの間で根も葉もない噂や推測が入り混じる論争となって、見物側も騒々しくなってくる。
しかし、眼下で押し寄せる人並みは、さらにヒートアップしていた。
「今すぐ解散しなさい! 大聖堂への立ち入りは許可しておりません!」
「おいっ、下がれこのディッキー共が! 下がれってんだよぉ!」
「横暴だぁーっ!」
「ディアナ人も私達と同じ人間なのよ、どうして差別するの!」
「解放せよ! 解放せよ!」
「うるせぇぞディッキーの犬共がぁ!」
「帰れ帰れ!」
「この神聖な場所に、ディアナ人が踏み入ってはなりませぇーん!」
「聖堂騎士は何やってんだよ、さっさと殺せよ!」
加速度的に殺気立ってゆく気配に、このままでは本当に暴動にまで発展しかねないとハピナでも思ったその時、
「ぐふっ、ぐふふふ……ぐぁーはっはっはっはぁ!」
惨劇を目の当たりにする。
◇◇◇
「わっ、うわあぁ……」
目の前に広がる地獄のような光景に、ハピナは眩暈がしそうであった。
ほんの少し前まで、心安らかに祈りを捧げていた礼拝堂が、今はむせ返りそうなほどに濃密な血の臭いが充満している。
大勢の人々の苦痛の呻き声と、声も無く事切れて行く者達。まるで戦場の光景だ。
ハピナとて冒険者である。人死を目にしたことはあるし、血の臭いも慣れたもの。大勢の負傷者が転がるのも、ヴァンハイトで起こった竜災の折に見てきた。
けれど、これは今まで見てきたどの光景よりも悲惨なものだった。ここで傷付き倒れている者達は、覚悟をもって竜災に挑んだ兵士でも冒険者でもなく、ただの人。戦いと無縁に過ごしていたにも関わらず、理不尽な暴力による一方的な虐殺の憂き目に遭った者達だ。
狂った聖堂騎士がブラスターを無防備な人々に乱射し、剣を抜いて襲い掛かったこと。その惨劇が起こった直後に、新勇者を名乗る男が瞬く間に彼らを斬り伏せたのも、ハピナにはどこか現実感がない夢の中の出来事のように映った。
けれど新勇者の号令の下で、いざ礼拝堂に負傷者が続々と運び込まれ、司祭達が総出で治療に当たり始めたのを前にして、ようやくハピナは目の前で起こっている事実を受け入れ始めた。
そして気づく、自分がどうして今この場にいるのか。
「コタロー、こうなる事、知ってたのですか……?」
あまり頭がよくない自覚のあるハピナでも、山ほどポーション抱えた完全装備で大聖堂へやって来た、その理由に思い至る。
小太郎は今日この日この場所で、大勢の死傷者が出ることを知っていた。だからメディカノンとポーションを持って来るよう言いつけたに違いない。
ただのお祈りだけだと思って、いつもの杖一本だけ持ったハピナだけでは、この場においてさしたる働きなどできないのだから。
「どうして……ううん、そんなの、どうだっていいのです」
もし小太郎が予言の呪術を持っていたとしても、今この場においてはどうでもよいこと。大切なのは、目の前で苦しんでいる人々を癒す手段を、ハピナが持ち合わせていること。
ここで力を貸さずして、聖女になどなれるものか。たとえなれずとも、一人の『祈祷師』として、力を尽くさなければならない。
「ハピナ、やるですよ!」
気合を入れて一歩を踏み出せば、今の自分は人々を癒すヒーラーだ。
複数人の回復を行う際に重要なのは、優先順位の見極め。ダメージの大小は最も基本的な優先度の要素だが、戦闘中においては戦線維持のために様々な要素と瞬間的な状況判断が求められる。
ここ最近は『ジョブレス・オブリージュ』のリーダーとして、メンバーを指揮して戦況を把握することに多少は慣れてきた。優先順位の見極めは、まず広い視野を持たねばならず、次いで適切な判断を下すための知識と経験を要する。
そして、小太郎がどれほど深い知識と確かな経験に基づいて指揮しているか、ということをハピナは最近になってようやく少しだけ理解できた。自分の判断力はまだまだであるという自覚はあるが、少なくとも今この場において足手纏いになるような無様は晒さない。
「辻ヒーラーする時は、ちゃんと空気を読んでね」
とは小太郎の教えの一つ。
この場合においては、司祭達が大聖堂での治療の中心。すなわち、彼らの邪魔にならないよう活動しなければならない。
地獄のような礼拝堂内を、ハピナはダンジョンでボス部屋に挑んでいる心地で、集中して観察する。
「……ハピナの入る隙がないのです」
悔しいが、そう判断せざるを得ない状況であった。
そもそも新勇者の鶴の一声によって始まった治療である。言い出しっぺの本人の姿は見えず、騒ぎに乗じて、すでにこの場を去ったようだが……それでも、大規模な救護活動は開始されている。
大聖堂の司祭総動員といった様子で始まっており、患者の数も膨大だが、それを癒す司祭の数もまた潤沢だ。
それでいて、ここには大勢の司祭を指揮するに足る、お偉いさんもいる。上意下達の迅速な指揮系統で礼拝堂内の治療は回っており、余所者が手伝う方が邪魔になりそうな勢いであった。
「けど、まだ怪我人はいっぱいいるのです!」
ここに自分は必要ない。素早くそう見切りをつけて、ハピナは礼拝堂を出た。
礼拝堂の外、大聖堂内の通路にも即席のベッドが作られ、血を流した怪我人が寝かされていたり、忙しなく運び込まれてくる者達もいる。
しかし、こちらの方にも司祭の手は足りているように見えた。
苦痛の声で満ちる通路を抜け、エントランスを通り過ぎり、ハピナが大聖堂の外へと出ても――――まだ、周囲には傷の痛みと死の恐怖に晒された声は絶えなかった。いいや、むしろより一層に悲痛な叫びが響いていた。
「こ、これは……」
虐殺現場となった正門広場には、大聖堂内へと搬送されず、いまだこの場で倒れたままの者達が大勢残されていた。
彼らは全て、ディアナ人だった。
「人を選んで助けているのですかっ、こんな時にぃ!」
その光景を理解した瞬間に、湧いてきたのは怒りだった。
確かに大聖堂の門は開かれ、迅速に救護活動が始まった。しかし、改めて先ほどまでの様子を思い返してみれば、礼拝堂にいたのはアストリア人ばかりであった。
褐色肌に淡色系の髪色をしたディアナ人も、いないことはない。だが圧倒的に少数。
大聖堂は、明らかにアストリア人を優先して救護していた。
「痛ぇ……痛ぇよ……」
「お願い、誰か助けて! 彼は私の婚約者なのぉ!」
「おい、こっちの方が重傷なんだよ!」
「早く中に入れてくれぇ!」
「頼むよ、コイツぁ俺の兄弟なんだっ!」
「ふざけんなっ、お前らが騒ぐからこんなことになったんだろが!」
「私はアストリア人だぞ!」
「ディッキーなんか放っておけよ、どうせ奴隷だろ!」
救護で選別されていることに、正門広場に残された者達も気づき始めたようで、再び騒がしくなりつつあった。
おおよそ重傷のアストリア人は迅速に大聖堂へと搬入されており、ディアナ人差別を叫べるようなカスリ傷か無傷の者ばかりが、ここに残っている。
その一方で、ディアナ人の負傷者は大半が放置され、一目で重傷と分かるような者が何十人も見受けられる。
それ以外にも、早急に処置をしなければ手遅れになりかねない負傷者。さらには、ブラスターに撃たれずとも、人ごみが動いた結果、転倒したり踏みつけられたりして大怪我を負った者なんかも大勢いる。
礼拝堂は地獄のような光景だったが、ここはもっと酷い地獄だ。
これまでハピナは特段、ディアナ人に対して思うところは無かった。ヴァンハイトに住む多くの人々と同様に、昔戦った東の部族、金持ち商人が奴隷にしてる、自分達には関係ない。関係ないから詳しく知らないし、知ろうともしない。結果、無関心。
ただその存在を知識として知っているだけの状態で、これまで過ごしてきた。時折ヴァンハイトの街中で、どこぞの商人に酷使されているディアナ人奴隷を見かけても、そういうモノだから、と特に気にかけることも無く。
けれど、ハピナはすでにリザというディアナ人と知り合った。小太郎に従う忠実なメイドであり、絶大な力を誇る精霊戦士。
フルヘルガー討伐のメインを張った前衛三人組の一人であり、彼女の力は黒髪教会の誰もが認めるところ。だがハピナにとっては、小太郎共々お世話をされたことの方が多い。
故にハピナは知っている。ディアナ人は決して、奴隷として蔑んでよい存在などではない。言葉の通じる同じ人間であり、肩を並べて共に戦える仲間となれる。
そしてここには、ハピナと同じようにディアナ人と心を通わせたアストリア人もいた。
血塗れで倒れたディアナ人に寄り添い、婚約者であるとか、兄弟同然に育ったんだとか、如何に彼らが大切な存在であるかを叫んでいる。
けれど、そんな者達よりもディアナ人を罵倒する者の方がずっと多かった。
この大惨事を引き起こしたのは、聖堂騎士であることは分かり切っているのに、そもそも騒ぎを越したディアナ人が悪いと、そんな批判を叫んでいる。
奴隷として苦しんできたディアナ人が倒れ、彼らを同胞と認めた者達が嘆く。それを嘲り、罵倒するなど、およそ人の心があるとは思えぬ蛮行だ。
「どうして、みんなで助け合えば、もっと沢山、救えるはずなのにぃ……」
シグルーン大聖堂が本当に総力を挙げて全員を救おうと思えば、治癒の魔法はここにも届いたはずだ。
だが、そうはならなかった。ここまで出張って、傷付いたディアナ人を救おうという司祭は、大聖堂には一人としていなかったのだ。
故に、ここにはハピナしかいなかった。
「メディーック、シャワァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!」
初手は最大範囲の最大効果でメディカノンをぶっ放した。
あまりにも怪我人が多すぎて、今はトリアージしている暇すらない。どの道、自分一人しかいない以上、自分にできる最大効率で一人でも多くの人に回復効果を与えるより他はない。
そうして、たったの一発でボトル一本使い切る勢いで、ハピナは治癒をばら撒いた。
普段の探索では信じられない消費量に驚愕すると同時に、悟る。
足りない。手持ちのありったけを持ってきたが、ここで倒れている者達全員に治癒を届かせるには、どう考えても足りない。
「シャワァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!!」
それでも撃つ。撃つしかないのだ。
できる限りの広範囲に、治癒の力を届かせる。それからようやく、今にも息絶えそうな者の中から、まだ助かる者ともう手遅れな者を瞬間的に判断し、圧縮ポーションの球を撃ち込む選択ができるようになった。
この人数を相手にハピナが出来ることは、治癒というよりも延命。時間稼ぎだ。次々と空になってゆくボトルをリロードしながら、徐々に範囲を重視して効果が薄くなってゆく。それでも、無いよりは遥かにマシ。
僅かでも出血を抑え、痛みを止めることができれば、更なる治療が間に合うかもしれない。
もしも大聖堂に収容した患者の治療が終わったところで、司祭達が外のディアナ人達の救護に来るかどうかは分からない。いや、恐らくは来ないだろう。門は再び閉じられる。
すでに勇者は去っており、もう一度閉ざされた門を開ける者はいないだろう。
それでも、これが一番多く助けられる方法だと。自分にできる最善を尽くす。可能性を信じて、ハピナはメディカノンを撃ち続け――――
「こ、これでもう、最後なのです……」
ついにポーションボトルが底を突いた。
「ああ、ありがてぇ……」
「痛みが和らいでいく……」
「まるで聖女様のようだ」
「お願いします、助けてください聖女様……」
ハピナが一人で広場の治療に駆け回っていることは、すでにこの場の誰もが知るところとなっていた。
確かな治癒魔法の効果が広範囲に発揮されているのを見れば、一般人なら誰だって優秀な治癒魔術師だと思うだろう。それが治癒魔法か祈祷かポーションか、などと違いなど分からないし、どうでもいい。
このたった一人の小さな少女が、見捨てられた自分達に癒しの力を振りまいているのだという事実は揺らがない。
だからこそ、祈る。縋ってしまう。彼らは救いを求めて。期待を込めて、聖女と呼ぶ。
事ここに至って、ハピナはその呪いのように強烈な祈りを実感した。
みんなが見ている。傷付き倒れた者達が。血濡れとなった大切な人を抱える者達が。
彼女が治してくれる。彼女が助けてくれる。彼女が救ってくれる。
一心にそう信じるような目で、ハピナを見ていた。
「うっ、あ……」
その事実に震える。
元より、ポーションが足りないことは分かり切っていた。それでも自分に出来ることをやろうと手を尽くした結果がこれだ。
どうすればいい。もうポーションが無いから治療は出来ないと素直に言うのか。
言えるのか。こんな救いを求めることしかできない人々に。
本当に言うのか。治癒を受けた人は幸運で、受けられなかった貴方達は不運だった。諦めて下さい。
それもまた無理だった。
ハピナは元来、人々を救う聖女の姿に憧れた。救いを求める人々の希望となる、清く正しく美しい、その姿に。
けれど、求められる救いを与えられなければどうなる。
助かるかもしれないという希望を目の前にぶら下げて、それを奪い去ることが、如何に残酷なことか。その行為を人は絶望と呼ぶことを、ハピナは知っている。
治癒をばら撒いた自分は、確かに何人もの命を救った。
けれど、ここから先は、ばら撒いた希望の分だけ、絶望を振り撒くこととなる。
その事実を、どうあがいても救えない人々からの救いの目で、ハピナは悟ってしまった。
「あっ――――ああぁっ!?」
そして、その恐怖が手元を狂わせた。
乱戦の最中でも確実に行えたはずの、単純なリロード。最後の一本、ポーションボトルをハピナは手元から取り落とした。
あ、と声を挙げた時には手遅れだった。
無情にもボトルは広場の床を転がり、その内容物の大半を石畳の染みとしていた。
救えない人々の絶望よりも先に、己の無能による絶望感に襲われる。
落としたボトルは、数十人分の人命だ。まだ救えるはずだった命。それを自らの手で取りこぼした。
そのあまりにも残酷な現実を突きつけられ、グニャリと視界が歪む。溢れてきた大粒の涙が、ハピナの青い瞳を覆う。
なんという無様。泣いている場合ではないだろう。そもそも泣いて許されると思うことが、どれほど罪深いことか。
そう思っていても、止められない。ハピナは泣き虫の自覚はあるが、今だけは心の底から己を恥じた。
このどうしようもない局面で、涙を止めることもできず、いつものように泣き出してしまう自分が――――
「おい、泣いてる暇なんてないぞ。さっさとメディックするんだよ」
「――――ほぇ?」
涙で揺れる視界に、見覚えのあるボトルが映る。
視線を上げれば、ぼんやり歪んでいるけれど、それでも見違えようのない顔をハピナは確かに見た。
「コタローぉ!」
「はい、皆さんこんにちは。黒髪教会の御子モモカでーっす」
この正面広場で今、最も注目を集めていたハピナの隣へと、人ごみを迂回して小太郎――――もとい、黒髪教会シグルーン支部からやって来た、御子モモカが笑顔で立つ。
「大聖堂で一大事と聞き、黒髪教会は駆け付けました。ポーションを沢山持ってきましたので、我々の指示に従って、適切に服用してください」
煌びやかに着飾った黒ローブ姿で小太郎が言えば、黒髪教会の者達が救護作業を開始した。
人並みの向こう、大きな牛車が何台も停まっているのが見える。大量のポーションを運んできたのも、どうやら本当のようだ。
「ほら、いつまで呆けてるんだ。お前が気合を入れて祈祷かけないと、重傷者を治せるだけの効果が出ないだろ」
「はっ、はい! ハピナ、やるですっ!」
小太郎が差し出すポーションボトルを、ハピナは今度こそしっかりと握りしめた。




