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五色の名  作者: 深見
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番外:彼女の名は喪服色

橡視点、三人称。

ほぼ『虚名を生かす』の裏側のお話です。


「お久しぶりね、“迷子”」

 宮の外れの一室、其処に軟禁されている娘には、錚々たる男たちを魅了した輝きなど感じられなかった。

 “迷子”はただぼんやりと座り込んでいる。薬がよく効いているようだ。心を鎮め、半分夢見心地にするための。

 無論、軟禁されているとはいえ、常に薬が与えられているわけではない。むしろ正気でいてもらわないと困る場合のほうが圧倒的に多い。

 だからこれは、橡が面会するための備えだ。以前の他の面会で激しく取り乱して面会者に危害を加えようとしただとか、それで暴れないように拘束したら泣いて面会どころではなくなったとか、橡は報告に上がった経緯をつらつらと思い出しながら、“迷子”の正面に立つ。"迷子"の視界に入るが、その焦点は橡に合わない。ただひたすら、ぼんやりしているだけだ。

「礼を申し上げに参りましたの」

 彼女が此処を訪れたのは、言ってしまえば、それだけの用しかなかった。

「貴方が迷い込んできたこと。あたくしは少しだけ感謝していてよ」

 悪役のような振る舞いに見えるだろう。何処か客観的な視点を頭の一部で保つ。

 それでも、自然と微笑みが浮かんでくる。

 彼女は姫君ほど優しくはない。堕落してしまっただなんて嘆きはない。いっそ清々しい。

 恋に溺れる男は、そしてそれを受け入れる連中は、今の彼女にとって最も唾棄すべきものだったのだから。

「貴方の存在は、膿を出すのにとても都合が良くって」

 思い浮かべるのは、『黒』当主だった男。五色の一角の当主としてありながら、と苦々しく思っていた。

 一族の者が立ちはだかった、その事件を何とも思っていなかったのか、と。

 三年前、当主が妾に迎えようとした少女が、寸前で恋人とともに国外へと逃げ出した、という事件があった。その手引きをしたのが、『黒』に属する玄鳥だった。玄鳥は、当主の性格も有能さも分かっていたうえでなお当主に背いた。彼女は愚かで、優しかったから。自分に矛先が向くと理解していても、縋る手を振り払うどころか、全力で握り返してしまった。

 その時、男にとっては恋だったとしても、相手の少女にとっては迷惑でしかなかったと、それぐらい思い知るべきだった。独りよがりでしかなかったという事実を受け入れることさえできず、ただ玄鳥に暴力を振るい座敷牢に押し込むだけだった己が家の当主を、橡は軽蔑すらしていた。

 橡にとって玄鳥は、たったひとりの異母妹だったから。



 出会ったときは、垢抜けない雰囲気の幼子だった、と橡は記憶している。

 父が気まぐれに手を出した商家の若妻から生まれた、腹違いの妹。父はいずれ手駒として嫁がせることだけを考えていたし、母はなさぬ仲の子どもを面白く思うわけがなく、従者たちも何処までどうしたら良いのか扱い兼ねていた。明らかに歓迎とは程遠い空気に委縮して、だからこそ誰に縋ることもできず、地を踏みしめるように背筋を伸ばしていた、小さな子どもだった。

 出会ったばかりの子どもを妹だとすぐに思えたわけもない。ただ、橡は放っておけなかった。玄鳥には、当然のことながら、五色として生きるための知恵も何もなかったからだ。

 父はそれで良かったらしい。父にとって有用な男の妾にねじ込んで、子をなすだけの胎となればいい、と。玄鳥の生まれは、正妻にと差し出すには瑕疵が多すぎる、というのは一理あるだろう。だが、橡には異論があった。妾として生きるにしても、五色の家の者としてのありようを知っているかいないかで、向こうでの玄鳥の扱いも変わってくるだろうと。だから、橡が伝えられるだけのことを叩き込んだ。

 玄鳥は、お世辞にも優秀とは言えなかった。頭の回転はあまり早くなく、飲み込みも悪かった。泣き言を零すことだって、一度ではきかなかった。それでも、根気よく教えていけば何とか吸収して、それを褒めると嬉しそうにはにかんだ。

 鈍いけれど、何気ないように手を差し出せる子どもだった。

 仔猫の亡骸を見つけて、そっと布団をかぶせるように埋葬してやっていた。

 誰かが体調を崩して伏せっていると知ると必ず、小さな花をそっと濡れ縁や障子の向こうに置いてささやかに見舞った。

 当主の勘気のため傷だらけで門から放り出された元使用人を、こっそり手当して養生させて、次の仕事の世話すらしてやっていた。

 玄鳥は、『黒』としては不出来なことに、いつまで経っても隠しごとが下手だったから、そのお人好しぶりもあからさまだった。

 絆されている、と気づいたときにはもう遅かった。

 橡の授業は、単なる憐憫からの知識の伝達ではなく、異母妹を案じるがための教育になった。父の命令に背かないはずの従者たちが、玄鳥がやり取りするはずだった文を処分できず、古びた木箱にそっと仕舞っていた。

 橡は玄鳥と出会って、見て見ぬふりが上手くなった。


 しかし事件は起きてしまった。

 露見することは織り込み済みで、玄鳥は少女を逃がした。自分の従者を逃がし、橡は知らぬことだと言って。たったひとりで当主の鞭を受けて、満足に手当ても受けられぬまま座敷牢に押し込められた。

 だが、小さな花を摘み取ることしか考えられなかった当主と、伸びる手に怯える小さな花をすくいあげた玄鳥と。民の上に立つ五色として、正しかったのはどちらなのだろう。

 そう思う度、怯懦に負けた己を、橡は恥じる。あの時は当主の勘気を恐れて、ただ穏便に事を済ませようとしてしまった。玄鳥はずっと、橡のことを気高いひとだと言ってくれていたのに。

 玄鳥を諭すのではなく、いっそ手を貸してしまえば良かった。自分が居れば煙に巻くことは可能だった、とは言わないけれど、人を巻き込み事態を大きくすることは出来た。そうすれば、玄鳥ひとりを罰すれば当主の気が治まる、という状況になることはなかっただろう。

 だが、恥じているだけでは、何にもならない。

 まず異母妹が細々とでも命をつなげるよう、手当と食事等を手配した。

 だが、生かすだけでは足りない。玄鳥を外に出すには、『黒』当主がそれを宣言するのが一番穏便だったが、苛烈な当主は決して怒りを解かないだろう。

 …ならば、『黒』当主を追い落とす。

 橡が決断するまでに、然程時間はかからなかった。私情を差し引いても、相応しくない当主をいつまでも祭り上げておくなど五色の名折れだから。

 幸い、協力者は内外で見つかった。当主への私怨を持つ者、当主の器を疑う者、そして少数ながら玄鳥への愛着を持つ者。すべての理由を併せ持つ橡ならば、相手の共感を引き出し、協力まで運ぶのは然程難しいことではなかった。

 そして、玄鳥が逃がした少女の弟である、枝垂も協力者として名乗りを上げた一人だった。

――五色の内部の戦です。俺は知恵も手も出せません。

――ですが、俺は商人の家に生まれました、戦にカネとモノが要るだろうことは分かります。

――必要なものは、何でもおっしゃってください。どんな手使ってでも調達しますから。

――あのひとを、助けたい。

 その切実な訴えを、橡は最初内心で笑った。たった十四歳の子どもが、大きなことを言うと。だが、心意気に偽りはないだろうことも分かった。だから、最初は簡単な物資調達だけを頼んで満足させて、適当なところで手を引かせるつもりだった。玄鳥が守った少年だ、危険に晒すつもりはなかったのだ。

 しかし予想外に、枝垂は食らいついてきた。

 簡単な物資どころか、手を引かせるためだった難しい依頼ですら、何でもないように危ない橋を渡って数を揃えて笑ってみせた。実家の商いを広げながらしかも裏で橡の要望を叶える、という末恐ろしさは、玄鳥への思いを体現するには十分すぎた。

 いつしか、枝垂は協力者として欠かすことのできない人物にまで、のし上がっていた。



「助かりましたわ、本当に」

 三年が経った頃には、いつでも動けるよう、あとは機を虎視眈々と狙うのみだった。

 其処に、“迷子”が現れた。

 最初は、好機だと気づかないほど翻弄された。五色すべてを中心とした嵐に、橡自身巻き込まれ、いくらか奔走する羽目にもなった。一時期は計画を中断しなければならないかと思われるほど忙殺された。

 だが、橡の婚約者が“迷子”に魅了されて溺れることがなければ、当主も“迷子”を認めて息子を扇動するなんてしなければ――こんなにもすんなりと『黒』当主の交代劇まで持っていけなかっただろう。“自浄”を通じて、藤霞をはじめとした他の色からのお墨付きももらえた。橡は後ろ指をさされることなく、むしろ傍から見れば橡に大義あり、という状態で趨勢は固まった。

 結果的には、十全とすら言える顛末。御曹司までは本来の計画になかったが、早々に自らの婚約者にすら見切りをつけていた橡の認識は、少々事が大きくなってしまった、程度だった。

 これで、あの優しい小鳥を窖から出してやれる。橡の認識の比重は、最早そちらに傾いていた。

「あたくしの感謝は口だけではなくってよ、“迷子”。おそらく貴方には慈悲があることでしょう」

 藤霞は真面目だ。兄王を止められなかったことに心を痛めながら、けれどだからこそ反旗を翻した立場を忘れられず、厳然とした処断を下さなければならない、と分かっている。

 だが、膿は粛清すればすべてよし、ではない。禍根を残さぬよう、かえって手心を加えねばならぬ時もある。それを注進し、適当な落としどころをすり合わせていくのが、残された五色…否、今や四色となった彼らの役割だ。その中で、橡はある程度、“迷子”に対する慈悲を求めようと考えている。その慈悲あってすら“迷子”が耐えられるかは疑問が多いが、そこまでは橡の関知しうるところではない。

「あたくしの用向きは、それだけ」

 橡は毅然と踵を返す。

「ごきげんよう、“迷子”。もう会うこともないでしょうけれど」

 その声音は、何かを葬るような色を帯びていた。



*橡は藤霞と違って元から転覆を目論んでいたので、タイミングによっては藤霞や紅雪の敵に回ったかもしれないひとです。

 ラスボス(※「設定+折った旗」参照)だから仕方ないですね。

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