第55話 盾を置く
「弓は押さえた!」
城壁からの声に、王妹ヴァレリアは顔を上げた。副官サビナが、奪った弓を兵へ渡している。
すぐに視線を戻した。麦倉の前を、白い光が塞いでいる。
鉄牙団の副長ブレンノ。その左腕の盾から広がる《巨盾》が、緋環隊の盾の列を押していた。兵が踵で土を掘り、踏みとどまる。
「戸口を離すな! 中の連中を出すな!」
ヴァレリアは兵へ命じ、列の脇から出た。倉の中には、まだ剣を持つ団員がいる。ここで押し潰されれば、前後から挟まれる。
戸口から剣が伸びた。緋環隊の兵が盾で受け、隣の兵が横から腕を叩く。落ちた剣を足で倉の外へ蹴り出した。
後ろも持ちこたえている。ヴァレリアは剣を握り直した。
ブレンノの横へ走る。
光の盾が向きを変えた。剣を振る前に、白い面が目前へ迫る。ヴァレリアは飛び退いた。麦倉の柱が背に当たり、息が詰まった。
反対側から、緋環隊の古参隊長アウルスが踏み込んだ。王妹に剣を教えた男だ。
ブレンノは追わなかった。盾をアウルスへ向けながら、斜め後ろへ退く。門から見て左の石壁へ背を寄せた。
背後は壁。空いた脇には、槍を持つ団員が二人入る。
アウルスの剣を、槍の柄が弾いた。
「右、突け。次は左」
ブレンノの短い命令で、槍が交互に伸びる。アウルスが下がると、光の盾も前へ出た。後ろから別の団員が加わり、倒れた仲間を兵舎へ引きずっていく。
白い光の陰から、怪我人の足が消えた。
「町でも、それをやってやればよかったな」
ヴァレリアが言った。町では、あの盾に道を塞がれた。逃げ遅れた者を残し、炎が広がった。
「俺の部下だ」
ブレンノはそれだけ答え、盾を押し出した。
ヴァレリアは横へ逃げた。町の者には、こんな盾もなかった。
槍が追ってくる。
剣で穂先を跳ね上げ、柄を左手で掴んだ。引く。団員の肩が光の盾の脇から出たところへ、緋環隊の兵が体当たりした。
「そいつを押さえろ!」
もう一人が助けに動く。アウルスが槍の柄へ剣を打ち下ろし、地面へ押しつけた。後続の盾兵が二人を押し分ける。
ブレンノが盾を横へ振った。白い面が兵の盾を打ち、列が乱れる。その間に槍兵の一人が這って逃げ、もう一人は腕を取られた。
救い出そうとした副長の前へ、ヴァレリアが立つ。
「こっちを見ろ」
盾の上を狙って斬り、すぐに引いた。剣は光に阻まれたが、副長の足が止まる。緋環隊が捕らえた男を後ろへ引いた。
アウルスが、剣を持ち直す。
「殿下。壁から離します」
「ああ。深追いするなよ」
老隊長は頷き、ヴァレリアと並ばず、二歩ほど横へ離れた。
その息も乱れていた。ヴァレリアへ剣を教えていた頃とは違う。それでも、こちらの足運びを見る目は変わらない。
「足を止めずに」
アウルスの短い声が来た。昔、何度も叱られた言葉だ。ヴァレリアは唇を引き結び、踵を浮かせた。
ブレンノが前へ出る。
ヴァレリアは下がった。盾が追う。もう一歩、下がる。
アウルスが副長の脇へ剣を伸ばした。光の盾がそちらへ向く。ヴァレリアが踏み込むと、副長は腰の剣を抜き、彼女の刃を受けた。
盾と剣を左右へ使い分けている。
ヴァレリアは鍔元まで押し込まず、離れた。ブレンノが追う。壁との間に、人一人が入れる隙間ができた。
「今だ!」
アウルスが横から回った。副長の背へ剣を振る。
ブレンノが身を捻り、避けた。刃は背に届かなかった。だが、剣の通った場所に、金色の刃が残った。
《残刃の剣》。残るのは数呼吸。空中に留まる刃は、味方も切る。
「その後ろへ入るな!」
ヴァレリアが兵を止めた。
ブレンノの背後には、腰の高さの金色の刃。壁へ戻ろうとすれば、自分からそこへ触れることになる。
副長は足を止めず、盾をアウルスへ向けた。光で押し払う間に、刃の端を回って戻るつもりだ。
ヴァレリアが、その横へ入った。
右の剣が来る。刃を合わせ、外へ流す。左腕の盾が彼女へ向き直る前に、その肘の内側へ肩を押し込んだ。
重い。
盾をつけた腕が、肩を潰すように迫る。靴が滑った。ヴァレリアは腰を落とし、両足で土を噛んだ。
副長の右肘が上がった。剣の柄で彼女の頭を打つ構えだ。
アウルスの剣の腹が、下からその手首を打った。
ブレンノの剣が落ちる。
ヴァレリアが盾の腕を押し上げた。白い面が斜め上を向く。空いた脇へ踏み込み、足を掛けて身体ごと捻った。
ブレンノの片膝が地面へ落ちた。
アウルスの剣先が、その喉へ止まる。
背後で金色の刃が薄れ、消えた。ヴァレリアは左腕を放さなかった。副長は、まだ盾を握っていた。
*
門の外で、ロウラは赤い鎚の下へ潜った。
鉄牙団の首領グラトスが、すぐに柄を引く。握りの端が顎へ跳ね上がった。
ロウラは左拳で弾いた。黒い罅が走る。踏み込もうとした腹へ、大男の膝が来た。
右腕で受け、下がる。
まただ。鎚の外へ避ければ、引き戻した柄。内へ入れば、膝か肘が待っている。
「拳だけじゃ、届かねえだろ」
グラトスが笑った。脇腹には、さっき殴った痕がある。息も荒い。それでも両手は鎚を放さない。
その目が、ロウラの左足へ落ちた。
彼女が外へ回る方へ、鎚の柄が先に動く。
読まれている。
ロウラは歯を噛んだ。無理に突っ込めば、向こうの間合いだ。
ロウラは指を開き、一度だけ息を吐いた。
グラトスが門の奥を見た。白い盾は斜め上を向いたまま、動かない。笑いが消えた。
「門の奴ら! 外へ出ろ、女の後ろへ回れ!」
グラトスが怒鳴った。
門内では、兵舎側から来た団員がカッシウスたちを押していた。盾のぶつかる音が続く。敵味方が門の左右で押し合い、通り道が開いたり塞がったりしている。
グラトスが門へ退く。ロウラが追うと、大男は片足を深く踏み込み、赤い鎚の像を頭上へ膨らませた。
「門から離れろ!」
カッシウスが味方を左の石段側へ引いた。
鎚が門前を打つ。ロウラは横へ跳んだ。砕けた石が、腕と頬を叩く。
砂煙の中から、槍を持つ団員が四人出てきた。彼らがロウラを囲む間に、グラトスは門の内側へ入った。
通ったのは、兵舎に近い方の門扉の脇だ。石段側へ退いたカッシウスたちとの間を、団員の盾が塞いでいた。
大男は振り返り、門扉へ手を掛けた団員に叫んだ。
「閉めろ! 外の奴は捨てていい!」
「まだ四人います!」
「聞こえなかったか! あの女を入れるな!」
ロウラへ突き出された槍が、揺れた。
一人が門を見た。もう一人も後ずさる。彼らの背後で、門扉が閉まり始めた。
グラトスが中庭の奥へ怒鳴る。
「ブレンノ! 盾を門へ向けろ!」
*
麦倉の前で、ブレンノの肩が動いた。
喉元の剣を見ていない。半ば閉じた門と、その外で取り残された部下を見ていた。
「殿下」
アウルスの声に、ヴァレリアは盾の腕をさらに持ち上げた。
ブレンノは立てなかった。口だけが開く。
「門を、閉めるな」
門脇で、カッシウスが剣から大鎌へ持ち替えた。
曲がった刃が、誰の身体にも届かない場所を横切る。細い音がした。
「ブレンノ、何をしてる!」
首領の声に、副長が顔を上げた。
「閉めるなと言った!」
初めて聞く大声だった。
「外にいるのは、お前の命令で出た奴らだ!」
「俺が死んだら、誰が取り分を出す!」
ブレンノの顎が強張った。盾を掴む指が震えている。
門へ背を向けて戦えと命じたのは、あの首領だ。まだ若い槍兵が、閉じる扉へ何度も振り返っている。
ヴァレリアは腕を押さえたまま、門へ声を飛ばした。
「カッシウス! 外の四人を戻せ! 武器を捨てさせろ!」
門の左で、カッシウスが兵を動かした。閉じかけた門扉へ盾を押し込み、団員を押し退ける。
外では、ロウラが槍の柄を掴んでいた。
「帰りたいなら離せ!」
男が手を開いた。ロウラは槍を横へ投げた。
「四人とも、槍を置け! 戻ってこい!」
ブレンノが叫んだ。
一本、槍が落ちた。残る二人も武器を捨て、門へ走る。近衛が両手を上げさせ、一人ずつ内側へ通した。
最後の男が入るまで、副長は顔を上げていた。
「……俺の部下を、斬るな」
「武器を置いた奴は斬らせない。だが、町を襲った裁きは受けてもらう」
門の四人は、近衛に囲まれて膝をついていた。誰も斬られていない。一人が両手を頭の後ろへ回し、副長を見た。ブレンノは、その顔を確かめてからヴァレリアへ目を戻した。
盾を持つ指が、一本ずつ開く。
地面へ盾が落ちた。白い光が消え、ブレンノの両肩が落ちた。
「他の者も、武器を置け。もう門を守るな」
ブレンノの声が続いた。
兵舎の前に残っていた団員たちも、剣と槍を置き始めた。
麦倉の戸口からも、剣を置く音がした。
ヴァレリアは副長を緋環隊へ渡した。アウルスは剣を下げ、縛られていく男の前から一歩退く。
緋環隊の一人が、大きく息を吐いた。ヴァレリアも、ようやく肩の力を抜いた。盾の腕を押さえていた指が、すぐには開かなかった。
開いた門から、ロウラが入ってきた。
グラトスは中庭へ下がっていた。白い盾の消えた場所を見て、鎚を両手で握り直す。
ロウラも拳を握った。
今度は、あの大振りを守る盾も、横へ逃げる足を焼く矢もない。
「麦は、返してもらうぞ」
土を踏みしめ、大男へ向き直った。




