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第54話 盾を戻せ

「麦を買いに来た。値段は、頭と決める」


 ナザルが金袋の口を開いた。


 正門の上で、弓が三張、こちらを向いている。街道からここまで、矢を遮る物はない。ロウラはナザルの横で拳を下げたまま、城壁を見上げた。


「お前ら、町にいた奴だろ」


 門が開き、鎚を持った大男が出てきた。鉄牙団の首領グラトスだ。後ろには、副長ブレンノが盾を構えている。二人が出ると、門は再び閉じられた。


「殴り足りなくて来たのか」

「麦が足りねえんだよ」


 答えたナザルが、袋の中へ指を入れた。金貨を一枚、二枚と取り出し、陽へかざす。


「その顔じゃ、安くはできねえな」


 グラトスの目が金へ落ちた。


「先に金を置け。麦は、後で持っていけ」

「袋を見てから値段を変えられちゃ困る。何袋出せる」


 ロウラは、ナザルの袖が揺れるのを見た。金を扱う指は動いている。だが、袋を持つ手の甲には汗が浮いていた。


 頭上で、赤い光が瞬く。


「王妹様はいないの? あの女、どうしたのよ」


 城壁の女が、弓の弦を指で弾いた。弓兵隊長ニケラ。町で炎の矢を放った、《火走りの弓》の使い手だ。


「怪我人を見てる。食わせる口が多くてな」


 ナザルが答える。ニケラは笑ったが、矢先は下げなかった。


 街道の左、崩れた石塀の陰には、カッシウスと近衛が伏せている。緋環隊からも盾役の兵をつけた。王妹ヴァレリアと緋環隊の主力は、砦の裏へ回してある。


 塀の向こうで、黒い翼が一度動いた。


 リネアが裏へ合図を運ぶ。ロウラは視線を金貨へ戻した。


 今、殴れば二人は倒せない。上からも射られる。


 ガルダ砦で手を振っていた兵たちを思い出す。あの連中の麦代まで、こいつらへ渡す気はない。


 ナザルの喉が、一度鳴った。


「馬と荷車もつけろ。町で御者まで怪我をさせられた。麦だけ渡されても運べん」

「注文の多い買い手だな」

「金を持ってる買い手だ」


 グラトスが笑った。


 *


 砦の裏で、ヴァレリアは木立から石垣を見上げた。


 頭上の見張りが、二人並んで通り過ぎる。その姿が麦倉の屋根の陰へ消えたとき、リネアが枝へ降りた。


「首領と、盾の人、門の外にいるよ」


 ヴァレリアが頷く。緋環隊の古参隊長アウルスが、鉤をつけた縄を石垣へ掛けた。引いて確かめ、最初の兵を上げる。


 鎧が石に擦れた。ヴァレリアは下から兵の足を押し、続いて縄を掴んだ。


 石垣の内側は、麦倉の裏手だった。


 降りた先で、兵が剣を抜きかけていた。見張りとは別の団員だ。ヴァレリアはその腕を掴み、壁へ叩きつける。口を塞ぎ、地面へ押し伏せた。


 兵を上げるたび、縄が鳴った。


 最後の者が内側へ降りるまで、ヴァレリアは伏せた男の腕を離さなかった。縄で縛らせ、麦倉の角へ進む。


 表の戸口には、槍を持つ団員が四人。二人がこちらを見つけ、声を上げた。


「裏だ! 裏から入られた!」


「戸を押さえろ!」


 ヴァレリアが走った。槍の穂先を剣で払い、戸口へ入ろうとした男の肩へ体当たりする。後ろから緋環隊の盾が並び、槍兵を壁際へ押し込んだ。


 アウルスが、戸へ駆け寄る別の団員を剣で追い払った。


 麦袋の積まれた暗がりへ、ヴァレリアが声を張る。


「中にいる奴も、武器を置け!」


 返事の代わりに、剣を抜く音がした。


 *


「麦倉を取られるぞ!」


 城壁を走る団員の声が、正門へ届いた。


 グラトスの目が、ナザルから門へ動く。


「ブレンノ、戻れ。麦を渡すな!」


 副長は、すぐには動かなかった。ロウラの拳とナザルの金袋を見比べる。


「こっちは」

「俺がやる。あの連中に麦を持っていかれたら、分ける物がなくなるぞ!」


 ブレンノが門を叩いた。内側の横木が外れる。


 ロウラは、息を吐いた。


 盾を持つ肩が、門の内側へ消える。


 その瞬間、地を蹴った。


 グラトスが金袋へ伸ばしかけた手を引く。鎚の柄が、ロウラの顔へ突き出された。


 左腕で払う。踏み込んだ右拳が、大男の脇腹を打った。黒い罅が空間を走り、男の身体が一歩ずれる。


 光の盾は、間へ入らなかった。


「お前の相手は、あたしだ!」


 鎚が横へ振られる。ロウラは腕を引き、身を伏せた。門脇の石が砕け、頬へ破片が刺さる。


 グラトスは脇腹を押さえなかった。足を踏み替え、今度は赤い巨大な鎚の像を頭上へ浮かべる。《破城の戦鎚》が、街道へ影を落とした。


 ナザルが金袋を抱え、石塀へ走る。


「門だ、今だ!」


 カッシウスが近衛と飛び出した。


 閉じかけた門へ、槍の柄を差し込む。内側の団員が剣を振り下ろした。二太刀目が来る前に、盾を持つ近衛が門扉へ肩をぶつける。


 隙間が開いた。


 カッシウスが腕を伸ばし、内側の男を引き倒す。盾が門を押し広げ、近衛と緋環隊の兵が中へ踏み込んだ。


 厩番の少年ジュリウスが描いたとおり、門の左には石段が見えた。


 門の内側は、左右へ長い中庭になっていた。奥には麦倉。その前で、白い光が膨らむ。


 ブレンノの《巨盾》だ。


 ヴァレリアたちの盾が押し返されている。カッシウスは奥へ向かわず、門を閉じようと集まる団員へ剣を向けた。


「石段へ行け! ここは押さえる!」


 *


 王妹の副官サビナは、門をくぐって左へ折れた。


 内壁沿いの石段へ、近衛二人と緋環隊の盾兵が続く。上から通常の矢が降り、盾の縁を叩いた。


 その間を、赤い矢が抜けてきた。


「足元!」


 リネアの声に、サビナは二段跳ばしで上がった。


 矢が背後の段へ刺さる。炎が石段に沿って一直線に走り、後ろの盾兵が足を止めた。


 サビナと後続が、火で分けられる。


 踊り場へ身を寄せると、頭上でニケラが笑った。


「ひとりで来るの? 先に焼ける順番が変わるだけよ!」


 弦が鳴った。


 サビナは、石段の折り返しへ飛び込む。矢が踊り場の縁へ刺さり、炎が壁へ突き当たった。角を曲がった彼女の足元へは、追ってこない。


 だが、戻れば下の火。上には次の矢。


 門の外で轟音がした。赤い鎚が振り下ろされ、石段の壁から砂が落ちる。


 ここで止まれば、あの弓がまたロウラを狙う。麦倉で戦う王妹も射られる。


「下の三人、その場で盾を重ねろ。ばらけるな!」


 声を返した盾兵の脇へ、矢が落ちた。彼らを足止めし、サビナをひとりで仕留めるつもりだ。


 黒い翼が、城壁の外へ回った。


「サビナ、そこからなら、顔が見えないよ。女の人、前へ出てきてる!」


 ニケラの足音が近づく。


 壁際まで寄らなければ、折り返しの陰にいるサビナを狙えない。


 サビナは石壁へ身体を寄せた。次の矢が見えたら、間に合わない。頭の中で、弦を引いていた女の位置と、石段の残りを重ねる。


 折り返しから城壁の縁までは、肩ほどの高さだ。脇の低い壁を越えれば上がれる。だが、登るには剣を収め、両手を使わなければならない。


「もう一歩。石段へ、矢を向けた!」


 リネアの声で、サビナは剣を鞘へ収めた。


 石段の外側へ手を掛ける。足を石の出っ張りへ移し、身体を壁の陰から横へずらした。


 ニケラは、踊り場の出口へ矢を放った。


 サビナはそこを通らなかった。


 両腕で上体を引き上げ、城壁の縁へ片膝を掛ける。熱い風が背中を撫でた。


 ニケラが顔を向ける。


 サビナは立ち上がり、剣を抜いた。弓兵と同じ高さだ。


 ニケラが弓を下へ向ける。


 サビナは城壁の上を横へ跳び、門脇の石塔の角へ身を寄せた。足のあった所へ矢が刺さり、炎が走る。近くの弓兵が火を避け、短剣を抜いて来た。


 サビナは刃を剣で受け、柄で顎を打った。男を石段側へ押し倒し、塔の角へ戻る。


 顔を上げたときには、次の矢がつがえられていた。


「そこから出たら、足を焼くよ」


 ニケラが後ずさる。塔の角から出る、サビナの足を狙っている。


 サビナは剣先だけを外へ出した。


 弓は動かなかった。


 今度は身体を半分出す。ニケラの肘が引かれた瞬間、壁の陰へ戻った。矢が足元の石を削り、炎が空いた道を駆ける。


 追ってはこない。だが、女は次の矢をもう抜いている。


 息を吸うと、熱かった。サビナは柄を握る指を動かした。汗で滑る。ここで矢を避け続ければ、いずれ足を取られる。


「上がれるよ! サビナが登ったところ!」


 リネアが石段の兵を呼んだ。


 盾を捨てた近衛が、低い壁へ手を掛ける。ニケラの目が、そちらへ動いた。


 サビナは壁から出た。


「よそを向くな!」


 剣が弓の先へ当たる。矢は頭上へ逸れ、砦の外へ飛んだ。ニケラが弓を横へ振り、サビナの顔を打とうとする。


 屈んで避けた。左手で弓を掴む。


 女は離さなかった。靴でサビナの膝を蹴り、右手で腰の短剣を抜く。


 その手首を、上がってきた近衛が掴んだ。


 サビナは弓を引き、女を石壁へ押しつける。もう一人の兵も登り、肩を押さえた。三人に体重を掛けられ、ニケラの指が弓から外れる。


「放せ! その弓に触るな!」


「手を後ろへ。短剣も離せ」


 サビナが命じる。最後まで弓を取り戻そうとした女の両手を、近衛が背中で縛った。


 緋環隊の盾兵も城壁へ出た。残る弓兵が矢を捨て、両手を上げる。


 サビナは奪った弓を兵へ渡し、胸壁から下を見た。


 麦倉の前では、白い盾が兵たちを押し返している。門の外では、黒い罅と赤い鎚がぶつかっていた。


「弓は押さえた!」


 声を張り、もう一度同じ言葉を叫ぶ。


 ロウラが一瞬だけ顔を上げ、すぐに鎚の男へ向き直った。

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