第46話 反逆者の名前
「タルシアの評議員資格を剥奪する」
評議会庁舎の七席堂で、議長デキムスが判決を読み上げた。
葬送から三週間が過ぎていた。ロウラは杖を支えに、入口から傍聴席まで歩いた。座ると左膝が痛む。右腕は机に載せられるようになったが、肩より上へはまだ持ち上がらない。
商人のタルシアは、かつて自分が座っていた席の前に立っていた。王国軍へ密かに街の情報を送った罪だ。途中から偽情報を送って防衛に協力しても、最初の裏切りは消えなかった。
財産を自由に動かす権利も一時停止され、再建費の負担が命じられる。防衛への貢献を考慮し、処刑も追放もしない。判決を聞く間、タルシアは指輪をつけていた指を擦っていた。
ヴァレリアは判決に口を挟まなかった。審理が終わると、退出しようとするタルシアへ声を掛ける。
「飯は食ってるか」
「今、それを聞くの」
「処分は処分だ。それで、あんたの心配までやめたわけじゃない」
タルシアの口が歪んだ。笑ったのかと思ったら、目元を手で覆う。ヴァレリアは隣へ立ち、顔を覗こうとはしなかった。
グラウコの席には、誰も座らない。背板に掛けられた職人の布を、ロウラは杖を握ったまま見ていた。
*
七席堂を出ると、憲章広場に王都から届いた布告が掲げられていた。
「予定された戦略的撤収、だとよ」
カッシウスが読んだ。王国軍がヴァルネから退いたことを、王の計画どおりだったと記している。
ロウラには、布告に書かれた文が読めなかった。その下には、街の死者の名前を掲げた板がある。ティロの名がどこかも、教わらなければ分からない。
「続きは」
カッシウスは笑わずに読み進めた。
国王ドミティウス三世は、地方の軍とレリック使いを王国軍の指揮下へ置く。各都市は、傭兵団や私兵の名簿を王都へ送ること。本人の署名か拇印を写し、市の公印で正しい写しだと証明すること。
「団員の行いは、団の責任として問う。団長も例外ではない」
ナザルが隣で腕を組んだ。
「名簿を使って、レリック持ちの職人も医者も兵として呼び出す気だ。本人が断っても、王命だと言える」
カッシウスが読み上げる反逆関係者の一覧には、街の防衛に加わり、王妹の引き渡しを妨げた者として、ロウラの名もあった。
「《ヴェラの灯火傭兵団》団長、ロウラ」
広場の人々がこちらを見た。肩に載っていたリネアが、爪を立てずに踏み直す。
この街では、傭兵団の団長として名を登録できた。街を守ったら、今度は王に反逆者と名指しされた。王は自分の顔も知らない。弟の手を握って泣くミレアも、見ていない。
「名簿は渡さない」
七席堂の階段で、デキムスが告げた。ほかの評議員たちも隣へ並んでいる。
「この街で働く者を、王の命令だけで兵にすることは認めない。名簿の提出を拒むと、評議会の名で返答する」
ヴァレリアが階段を下りた。いつもの笑い声がしなかった。
「兄は負けを認めない。ここで人が死んだ理由も、自分に都合のいい言葉で済ませる。次は国中の人間へ、王のために働けと命じる。あたしが兄を説き伏せられるなんて、もう言わない」
ロウラは王妹の顔を見た。口元は固く、布告を見上げたままの目に、涙はなかった。
「王位はいらない。次の王はあたしじゃない。だが、ドミティウスは王座から下ろす。今日からあたしは、あの王の敵だ」
サビナが背を伸ばした。フェレンスも、脇腹を庇う手を下ろして王妹の後ろへ立つ。
歓声はすぐには起きなかった。人々は布告と王妹を見比べている。ロウラにも、王を下ろす方法など分からない。この街を守るだけで、あれだけの寝台と棺が要った。
「王を下ろすなら、あの包囲よりでけえ戦になるぞ」
ロウラが言うと、ヴァレリアは初めてこちらを向いた。
「ああ。だから、ほかの都市や砦と手を組む。兵も、麦も、治療する奴も必要だ。あんたの拳だけで、国を一つひっくり返せるかよ」
布告の下で、死者名簿の端が風に揺れた。王を殴りに行く、と言えば済む話ではない。その途中で食う麦も、帰る道もいる。ロウラは、次の言葉を待った。
*
その日の午後、七席堂でヴァレリアの使節任命と、灯火団の護衛契約が決まった。
イレネが認めたのは、荷車で移動し、毎日傷を診せる旅だった。戦える身体に戻ったとは言われていない。護衛は動ける仲間たちが分担し、ロウラは荷車で同行する。椅子の脇へ杖を置き、団長として契約の席へ着いた。
デキムスが権限を読み上げる。南西の都市と砦を訪ね、互いの防衛を助ける取り決めを結ぶこと。王を退位させるという宣言は王妹個人の決断で、市の決議ではないとも念を押した。
「使節としては、防衛の話をする。どこかの街が攻められたら、ほかの街が兵や食料を出す。そういう約束を取りつける」
ヴァレリアは使節の証書を受け取った。
「まず辺境の砦へ行く。昔あたしが率いてた《緋環隊》の兵が、百人ほど集まってるという知らせがある。あたしの古い旗を掲げてるんだと」
「そいつらは、あんたを待ってるのか」
「それを自分で確かめる。旗があるからって、全員が同じ考えとは限らない」
ロウラは頷いた。まず会って、力を貸す意思があるか確かめる。それが最初の仕事になる。
「護衛を引き受ける。あんたの家来にはならねえぞ」
ロウラが言うと、ヴァレリアは椅子から身を乗り出した。
「嫌になったら契約を終える。給金も払う。ほかに何を決めとく?」
「今は、それでいい」
ヴァレリアが椅子を寄せ、肩へ腕を回してきた。ロウラはその手を机へ戻した。
登録官リキアが、灯火団の名簿を開いた。
「これは王都へ送らないんだね」
筆記具を取る前に、エナが尋ねた。
「原本は市の石庫に保管します。王都へ写しを送ることもしません。市の記録として、皆さんが灯火団へ加わったことを証明します」
返事を聞いてから、三人が署名した。診療助手のマティアは救護、縄職人のコルヴォは戦闘と修理、エナは道案内。担当する仕事も、一人ずつ読み上げられた。
リネアが帳面へ白い前足を寄せた。
「ぼくの印の方が、きれいだよ」
自分で押した肉球の跡を示す。コルヴォが真剣に覗き込んだ。
「字と比べんな」
ロウラが言うと、猫は足を引っ込めた。リキアは笑いながら、帳面をロウラの前へ寄せた。
「団長。確認の拇印を」
差し出された朱肉へ、ロウラは手を伸ばさなかった。机の端にある筆記具を見る。
「書いてもいいか」
リキアは一度だけ目を上げ、筆記具を手元へ置いた。
三週間、寝台で自分の名前の形をなぞった。ノアは何度も同じ字を書き、リネアは足先で次の線を示した。リキアが見本に残した札は、角が擦り切れている。
右の肘を机へ載せ、指に筆記具を挟む。最初の線が斜めになった。消したくなって、手が止まる。
書き損じたら、三人の加入まで台無しになる気がした。
書き直せばいい。それだけのことを、自分に言い聞かせる。リキアは帳面を押さえ、次の線を待っていた。ロウラは息を吐いて、続きを書いた。
誰も先を言わなかった。最後の字を書き終えるまで、リネアも黙っていた。
「読めるか」
ロウラが尋ねた。
リキアが、ロウラの書いたものへ指を添えた。
「ロウラ。《ヴェラの灯火傭兵団》団長」
戸口で待っていたノアが、両手を上げて笑った。寝台で練習していたときと同じ顔だった。ロウラはその顔を見て、ようやく筆記具を置いた。
ほかの文章は読めない。契約も、もう一度読み上げてもらった。行き先、護衛する相手、給金、途中で負傷した者の扱い。聞いたうえで、自分の書いた名を見た。
王の布告にも同じ名がある。あちらで何と呼ばれようと、ここへ書いた団長の仕事は、自分が引き受けたものだった。
*
翌朝、ファルコ商会の前で、ディオンが折れ剣の旗を肩に載せた。
「俺らは、取り立てた麦を王都へ運ぶ街道を狙う。奴隷を運ぶ荷車も止める。お前らの護衛には入らん」
「分かってる。長え団名を名乗ってる間に、荷車に逃げられんなよ」
「最後まで聞かせる。大事な名前だ」
ナザルが笑ったが、ディオンは本気の顔だった。灯火団と《折れ剣》は、別々の街道を行く。ロウラは、ディオンの旗を見送った。
ロウラが荷台へ上がろうとすると、マティアが膝の固定を確かめた。
「歩くのは、さっきで終わりです。揺れて痛んだら、すぐ止めます」
コルヴォが踏み台を置き、レトが肘を支える。エナは門へ向かう道に荷が詰まっていないか、先へ歩いていった。
ミレアは、縫い直したロウラの上着を持ってきた。
「工房を借りたよ。小さいけど、戸は青くした」
弟の買った金具もつけたという。入口には、レトが黒いナイフで刻んだ木札を掛けた。ティロ、染色職人。ミレアはその二つの言葉を、声にしてロウラへ教えた。まだ染め仕事は商会で続け、工房では繕い物から始める。ミレアは袖を広げ、直した箇所を見せた。
「そこ、また破いたら分かるからね」
「破かねえで済むなら、そうする」
ミレアの眉が下がった。笑いきれない顔のまま、荷台へ上着を置く。ロウラは右手で袖を引き寄せた。
前なら、ここでティロが布の色の話を始めていた。ロウラは荷台の脇へ目をやった。ティロはいない。ミレアが黙って、包帯の包みを置いた。
「帰ったら、戸を見に行く」
「うん。来な」
東門では石工たちが修復を続けていた。新しい石のそばに、グラウコの名を書いた木札が掛かっている。ロウラはレトに読んでもらい、門の上へ顔を向けた。
馬上のヴァレリアが見送りへ大きく手を振る。返ってきた声に笑い、もう一度振った。
「笑いすぎ。前、見てよ」
幌からリネアが注意すると、王妹はようやく街道へ向き直った。
荷車が門を抜ける。砦で誰があの旗を掲げているのか、まず確かめる。ロウラは上着を膝へ掛け、仲間たちと同じ方を見た。




