第40話 塔を引く者たち
「あの塔を壁へ寄せるな。兵が上がってくるぞ」
北門の内側で、ロウラは荷台から身を起こした。城壁の向こうで、重い車輪が軋んでいる。
攻城塔は、車輪のついた巨大な木の塔だ。高さは城壁と同じで、中には王国兵が乗っている。人夫が壁まで押していき、頂上から板橋を渡す。兵はそこを歩いて城壁の上へ乗り移り、街へ攻め込む。
「あたしを階段の上へ運べ。座ってでも殴れる」
左膝の添え木が荷台へ当たった。肋骨も痛む。葬儀屋のレトは、階段を守る市民兵を見た。
「運ぶ四人が、弓を置く。お前は四人より働けるのか」
ロウラは右腕を上げかけ、止めた。殴る前に、胸の包帯を押さえていた。
「塔を壊さなくても、車輪が動かなくなればいい」
物資を手配するセヴァンが、荷台へ木板を置いた。北門から延びる道と、道を横切る水路が描かれている。
「門から三十歩先だ。王国軍は、水の涸れた水路へ木橋を架けた。塔はここを通る」
セヴァンは橋に丸をつけた。
「前の車輪が渡って、後ろの車輪が橋に乗ったところで止める。その下の橋を落とせば、後輪が水路にはまる。塔は壁まで来られない」
「橋を落とすのは?」
「石工頭のグラウコたちだ。もう水路から橋の下へ入ってる。最後に残す支えの柱へ縄を結び、外から引き倒す」
会計を担うカッシウスが銀貨の袋を持ち上げた。
「俺はセヴァンと縄を引く。市民兵は水路で盾を構えて、戻る連中を守る」
「じゃあ、誰が塔を止めるんだよ」
「俺だ」
ナザルが銀貨の袋を受け取った。
「王国軍の会計から来たふりをする。運び賃を払うと言えば、引いてる連中は手を止めるだろ」
レリックの鈴を布で包み、腰帯の内側へしまう。歩いても鳴らないことを確かめ、襟を整えた。
「その服で、王国軍の使いに見えるのかよ」
ロウラはナザルの服を見た。
「金を持ってきたと言えば、顔より袋を見るさ」
カッシウスは笑わず、袋の口を結び直してやった。二人の指が触れ、すぐ離れる。
ロウラは木板の丸を見た。そこに塔を止めなければ、橋を壊しても間に合わない。ナザルの顔を見上げる。
「戻ったら、ここへ来い」
「払ってない賃金を取りに来るのは、勘弁してくれよ」
*
水路の底を、ナザルは腰をかがめて進んだ。両側の土手が、王国兵から姿を隠す。
橋の脇にはカッシウスとセヴァン、市民兵四人が残った。城壁の弓兵は、ナザルが敵に紛れる間、弓を下げて待つ。
塔の外側には濡れた獣皮が張られていた。火矢を受けても燃えない。その前で人夫が綱を引き、後ろでは別の人夫が木枠を押している。槍を持つ監督役が、脇から急かしていた。
「昼の賃金も出てねえのに、いつまで引かせるんだ!」
人夫の一人が吐き捨てた。ナザルは塔の後ろまで回り、土手を上がった。兵の外套も盾も持たず、銀貨の袋だけを見せて歩く。
「会計からだ! 運び賃を持ってきた!」
監督役が振り向いた。
「今か? 塔を動かせと言われてるんだぞ」
「死んだ人夫の賃金まで払うなとさ。兵を上へ出す前に、生きてる人数を数えろだと。俺に怒るなよ、金を持って走らされた方だ」
袋を開き、銀貨を二枚、監督役の掌へ置く。
「これは数える手間賃。あんたが名前を呼んでくれりゃ、早く終わる」
監督役は銀貨を見てから、ナザルの顔を見た。
「先に引かせて、後で払えばいい」
「後で払うなら、人夫を捜すのはあんただぞ。怪我人が運ばれたり、逃げる奴が出たりする前に、ここで済ませりゃ楽だろ?」
塔の前輪が橋を渡った。後輪が木の板を踏む。
ナザルはすぐ、監督役の肩越しに声を張った。
「そこで止めろ! 金を貰う奴は、塔の後ろへ並べ。塔が盾になって、城の弓に射たれずに済む!」
綱を引く人夫が監督役を見る。男は銀貨を握り込み、苛立ったように槍を振った。
「止めだ! さっさと名前を言え!」
綱が地面へ落ちた。後ろで押す者も離れる。塔は、後輪を橋の上に残して止まった。
ナザルが最初の男へ銀貨を渡す。二人目には名前を聞き直した。聞こえていても、わざとだ。橋の下の職人が出てくるまで、時間を稼ぐ。
*
橋の下で、グラウコが最後の職人を押し出した。
橋板を下から支える柱は、一本だけ残してある。その足元はすでに掘られ、横へ倒せるようにしてあった。カッシウスが、柱へ結んだ縄を握る。
「全員出た。引け!」
セヴァンと二人で引いた。柱が動かない。橋に乗った塔の重みで、柱の足が土へ食い込んでいた。
もう一度引く。縄が橋の角へ擦れ、切れた。
カッシウスは背中から倒れた。手には、切れた縄だけが残る。
同時に、塔の側面から兵が顔を出した。
「橋の下に敵だ!」
職人の肩へ矢が刺さった。男が水路に倒れ、グラウコが腕を掴んで引き寄せる。市民兵が二人を盾の陰へ入れた。
「引け! 塔を渡らせろ!」
上の兵が叫んだ。橋を壊せないまま、敵に見つかった。
監督役が人夫へ槍を向ける。ナザルは二人目の手へ銀貨を押し込み、列の後ろへ叫んだ。
「未払いの分は、ここにある! 綱へ戻った奴の金は、後ろの奴へ回すぞ!」
「俺は昼から引いてるんだ!」
前へ出てきた男が、監督役の槍の柄を掴んだ。並ぶ者が押し合い、綱へ戻ろうとする者の足まで塞いだ。
カッシウスは脇に置いた長い鉄の棒を拾った。
「グラウコ。柱の足を、これで押せるか」
職人へ布を当てていたグラウコが振り向く。
「押せる。だが橋の下へ戻ることになるぞ」
カッシウスは塔の後ろを見た。ナザルの笑顔は消えていた。監督役の槍先を避けながら、次の銀貨を探っている。
「塔が止まってるうちだ。行くぞ」
*
門内へリネアが駆け下りてきた。黒い翼の端は焦げたままで、飛ばずに階段を使っている。
「縄が切れた。橋、まだ落ちてないよ」
ロウラは荷台の縁を掴んだ。
「カッシウスは?」
「グラウコさんと、橋の下へ入った」
その柱なら、自分が殴れば折れる。門から三十歩だ。レトに運ばせれば届く。ロウラは右脚を下ろし、左脚の添え木を両手で持ち上げかけた。
胸の包帯へ血が滲む。レトが膝をついた。担ぐつもりで背を向けている。
外へ出れば、またこの背に乗る。橋の下で二人が働いている間、自分を守る盾も必要になる。脚さえ動けば間に合う、という考えを、まだ捨てられなかった。
「くそ。あいつらが潰れたら、どうすんだよ」
レトの背へ、右手だけが伸びた。肩を掴めば運んでくれる。その指を、荷台へ戻す。
「リネア。戻ってくるとこを見てろ。あたしは、ここにいる」
猫は階段を見たあと、ロウラの膝へ白い前足を置いた。
「ぼく、ちゃんと知らせる」
*
橋の下で、カッシウスは柱の足元へ鉄の棒を差し込んだ。二人は柱の城側にいて、逃げる水路は背後にある。グラウコが棒の下へ木片を挟んだ。
「柄を下げろ。柱の足を、横へ押すんだ」
カッシウスが柄へ体重をかける。柱の足が僅かに動いた。頭のすぐ上で、橋板が軋む。
橋の外では、監督役がナザルの袋を掴んでいた。
「誰の命令だ。会計の誰から来た!」
ナザルは袋を離した。男の視線が銀貨へ落ちた隙に、土手へ一歩退く。
「もう一つ、伝言だ。その橋は、落ちる」
橋の中央が沈んだ。人夫たちが足元を見た。
「塔のそばから離れろ! 右の水路へ下りれば、城の兵が盾で守る!」
監督役が槍を突き出した。ナザルは土手から転がり落ちる。槍先が服を裂き、市民兵の盾へ当たった。
城壁の弓兵が射始めた。橋へ近づく王国兵が盾を上げる。人夫は綱を拾わず、塔から離れて畑へ走った。水路へ飛び込んできた者を、ナザルが盾の後ろへ引き込む。
橋の下では、カッシウスとグラウコが鉄の棒を押し下げていた。掌が裂けても、離せない。
柱の足が土から抜けた。
「出ろ!」
鉄の棒を捨て、二人は水路を這って橋から離れた。出口でセヴァンが腕を引く。
背後で柱が倒れ、橋板が折れた。塔の後輪が水路へ落ち、車軸が大きな音を立てて裂ける。
塔が後ろへ傾いた。頂上の橋が空中で揺れる。城壁へは、まだ届いていない。中の兵が梯子を下り、後ろの扉から畑へ逃げ出した。
後輪は水路の底にはまり、前輪だけが道に残った。人が綱を引いても、これでは動かせない。
セヴァンが肩を射られた職人を担いだ。市民兵は大盾を敵へ向けたまま下がる。ナザルとカッシウスも、水路を通って北門へ戻った。
*
「帰ってきたよ!」
リネアの声に、ロウラは顔を上げた。
負傷した職人が運び込まれる。診療助手のマティアが肩を押さえ、担架へ移した。グラウコがその横へ座り込む。
ナザルは脇の裂けた服を押さえていた。カッシウスの掌からも血が落ちている。
「塔は?」
「車輪が折れた。橋も落ちた。今夜は、壁へ来ねえ」
カッシウスが荷台へ手を置く。ロウラは裂けた掌を見て、横にあった布を渡した。
ナザルが門衛へ、逃げてきた人夫の人数を告げる。その顔には、まだ敵の前で作った笑みが少し残っていた。
「本当に、金で止めたのかよ」
「二人分払った。監督にも二枚。残りは袋ごと取られた」
ナザルが空の手を見せると、カッシウスは布を巻きながら顔をしかめた。
「手間賃まで出しやがったのか」
「よく働いてくれたろ。塔を止めたんだぞ」
ロウラは笑いかけ、胸を押さえた。二人が生きて目の前にいる。なのに、銀貨を惜しむ声を聞くまで、荷台の縁から手を放せなかった。
セヴァンが温かい粥を持ってきた。ロウラは門前の人夫を指す。
「あっちにも食わせろよ」
「もう人数は聞いた。足りる」
椀を受け取った。リネアが腿へ乗り、焦げた翼を畳む。
外から聞こえるのは、遠ざかる兵の声だった。車輪の軋む音は止んでいる。
粥を飲み終えて、ロウラは荷台へ横になった。
「起こすのは、朝にしろよ」
ナザルが返事をしようとした。先にカッシウスが、その裂けた服へ布を押し当てる。
「お前も座れ。まだ血が出てる」
ロウラは二人が荷台の脇へ腰を下ろす音を聞いた。リネアの白い前足を手の中に入れ、目を閉じた。




