第36話 門の内側
城壁の階段を下り切ったとき、二人目の敵兵が内門の下から這い出てきた。
内門は、門道を塞ぐ重い格子だった。頭上へ持ち上げられ、下にできた隙間から敵が入ってくる。外門との間には、敵が詰めかけている。
先に入った男が、ロウラの脇にある地下への階段を槍で塞いだ。
ロウラは穂先を払い、柄を引いた。近づいた男の胸へ肩をぶつける。男が石畳へ倒れた。踏ん張った右脚の古傷が痛む。
追ってきたアウレナが、這い出た兵の背へ盾を押しつけた。
「地下へ行け! こちらは私が止める!」
ロウラは街へ続く道を見た。暗い家並みの先には、ルフィオを運んだ診療所がある。ここを一人でも通したくない。
内門がまた少し上がった。隙間に、三人目の顔が見える。
全部を止めようとして立っていたら、もっと入ってくる。
「あたしは門を下ろす!」
地下へ駆け込んだ。背後で槍と盾がぶつかった。足が止まるとわかっていて、最初の段だけは振り向いた。
アウレナはまだ、道を塞いでいた。
*
地下には、ロウラの背丈ほどの木の輪が立っていた。輪の軸には、内門を吊る鎖が巻きついている。鎖は天井へ伸び、地上の格子につながっていた。
輪を回して鎖を巻き取ると、格子が上がる。逆へ回せば鎖がほどけ、格子が下がる。修理のときに見た巻き上げ機だ。
今は二人の男が輪の取っ手を押し、内門を引き上げていた。
職人が壁にもたれ、血の流れる腿を押さえていた。彼を見張る三人目は市兵の上着を着ていたが、ロウラを見ると短剣を抜いた。
「そいつら、敵だ!」
職人が叫んだ。
ロウラは入口の男へ踏み込み、短剣を持つ腕を壁へ押しつけた。肘に力をかけ、刃を落とさせる。空いた手で腹を殴ると、男は膝から崩れた。
輪を押していた一人が手を離し、腰の剣を抜く。
その前に、ロウラは取っ手を両手で掴んだ。回転が止まり、押し続けるもう一人の足が床を滑る。
止めた。
鎖の音が途切れた。職人が輪の下を指す。
「輪を固定する鉄棒を抜かれた。足元のを拾ってくれ!」
床に鉄棒が転がっている。輪の下端と、それを支える台に、棒を通す穴があった。両方へ差せば、輪は回らなくなる。
ロウラが足を伸ばした瞬間、剣を抜いた男が職人を蹴り倒した。
刃が、傷ついた腿へ向く。
ロウラは右手を取っ手から離し、男の手首を掴もうとした。昼と同じ袖が見え、指の向きを変える。布ではなく、骨のあるところを掴む。
掴んだ。
相手の腕を引き寄せたとき、輪を押さえる左手が緩んだ。
残る男が、体ごと取っ手へぶつかった。
輪が回り、鎖が巻き取られていく。頭上から重い鎖の音が戻ってきた。
「開いたぞ! 入れ!」
外の叫びに、足音が重なる。もう這わなくても通れる高さまで、内門が上がってしまった。
ロウラは捕まえた男を床へ投げ、両手で取っ手を押さえた。押していた男が木の輪へ顔をぶつけ、その場に座り込む。
けれど上から聞こえるのは、街の側で交わる剣の音だった。
「白銅通りへ逃がすな!」
アウレナの声がした。
職人を守るために動いた。その間に、敵を街へ入れた。
何人だ。誰のところへ行った。
手を放して上へ戻りたい。けれど掌の下で、輪が逆へ回ろうとしている。手を放せば、格子が落ちる。
この輪を殴り壊せば、動かなくなるのではないか。
教えられた手順を守るより、思い切り力を出すほうが楽だった。職人の目が、木に食い込む指へ移った。
門を吊っている鎖まで外れたら、下にいる人間を潰す。リネアもアウレナも、まだそこにいるかもしれない。
木に食い込ませた指を緩めた。壊さずに止めるには、知らないことを聞くしかない。
「棒を、こっちへ」
職人が腹這いになり、棒を引き寄せる。傷ついた脚が石を擦って、顔が歪んだ。ロウラは鉄棒へ足を伸ばした。
「動くな。あたしが取る」
「手を離すな! 今、俺が届く!」
ロウラは口を閉じた。額に汗を浮かべ、職人が鉄棒を両手で持ち上げる。
「輪を少し戻せ。台の穴と揃えてくれ」
ロウラは取っ手を引いた。二つの穴が重なり、職人が鉄棒を通す。棒が輪と台を繋ぎ、回転を止めた。
手を緩めても、動かなかった。
職人を壁際へ移し、腿へ布を巻いた。傷ついた人を這わせ、それを止める余裕さえなかった自分に腹が立った。
三人から刃物を遠ざけ、工具箱の縄で手首を縛った。起き上がろうとした男の肩を押さえ、壁際へ座らせる。
階段からリネアが飛び込んでくる。
「アウレナが、門を下ろしてって!」
ロウラはリネアを見た。
「門の下は?」
「空けた。ぼくも見た。人はいない!」
職人がロウラの腕を掴んだ。
「棒を抜く前に取っ手を掴め。放すと、門が一気に落ちるぞ」
ロウラは左手で取っ手を押さえ、右手で棒を抜いた。輪が逆に回り始める。すぐ両手で掴んだ。門の重さに引かれ、腕が伸びそうになる。
力を少し緩めると、輪がゆっくり回った。巻かれていた鎖がほどけ、上の格子が下がっていく。
下ろす途中で、上へ走り出したくなった。今も誰かが逃げている。誰かが刺されているかもしれない。
足を踏み直し、輪を押さえ続けた。焦って手を放せば、門を叩き落としてしまう。
内門が地面に着く音がした。
職人が棒を差し直した。ロウラは動かない輪を確かめ、ようやく手を離した。
*
街へ出ると、アウレナの盾に血がついていた。
足元では敵兵が一人、槍を捨てて両手を上げている。市兵がその手を縛り始めた。
「外門は閉め直した。門の間に残った連中は投降した」
ロウラは白銅通りへ顔を向けた。
「街へ入ったのは?」
「私が見たのは六人。四人は止めた。二人が北へ抜けた」
北の穀倉区へ向かう路地へ、ロウラは足を向けた。
地下の入口から呻き声がした。
職人はまだ運び出されていない。
足を止めると、アウレナが近くの市兵三人を呼んだ。
「二人は負傷者を上へ。もう一人は地下の捕虜を見張れ。伝令、北門へ走れ! 二人逃げたと伝えろ!」
職人のいる場所と腿の傷を告げ、二人が布を持って下りるのを見届けてから、北へ走った。
角を曲がったところで、路上の男に躓きかけた。
市兵だった。腹を押さえ、ロウラに顔を向ける。
「二人、通った。壺を持ってる」
「どっちへ」
男は北を指した。その手が、地面へ落ちる。
ロウラは走り出しかけ、戻った。
この男を抱けば、逃げた二人はもっと遠くへ行く。置いていけば、戻る頃にはルフィオと同じことになるかもしれない。
自分を見上げる目があった。追えとも助けろとも言わず、腹を押さえる手だけが動いている。
ロウラは膝をついた。
「傷、見せろ。あたしが押さえる」
剥がした布の下から血が溢れた。新しい布を重ね、両手で押さえる。男の体が跳ね、ロウラも歯を噛み合わせた。
北へ向けたかった足を、石畳に踏ん張る。
通りの先で、白い手足をばたつかせてリネアが飛び上がった。
「人、呼んでくる!」
羽音が遠ざかった。ロウラは男の胸が動くのを数えた。昼には、ここから動かなくなった。その順番を思い出すことをやめられなかった。
近くの家から女が布を持ってきた。北へ走る伝令の声を聞き、扉を開けたという。
「あとで、返しに来る」
ロウラが言うと、女は首を横に振った。
「私が洗う。置いていきな」
自分に向けられた声なのに、すぐには返事ができなかった。血のついた布を洗うところまで、自分が片づけなければと思っていた。
*
レトが布と戸板を持って来た頃には、男の呼吸は少し落ち着いていた。リネアは「北の道、見てくる」と飛び去った。
「替わる。お前、押さえる場所はそのまま教えろ」
指を一本ずつ外し、レトの手に布を渡す。離すのが怖かった。自分の手がなくなった瞬間に、血が全部出てしまう気がした。
レトは傷を押さえたまま顔を上げた。
「まだ見てる。指は五本、見えてるか?」
「見えてる」
「じゃあ、ちゃんと押さえられる」
ロウラは相手の指を見てから立った。膝が伸びず、壁に手をつく。
通りの向こうから、ヴァレリアとサビナが来た。王妹の赤い外套は裏返されて、派手な色が隠れている。二人とも、昼に分けた傷へ包帯を巻いていた。
「聞いたよ。門、閉めたんだってね」
ヴァレリアは笑おうとした。目尻が動き、口元は上がらなかった。
「入れちまった。六人」
ロウラが言うと、王妹は路上の負傷者を見た。
「で、こいつはまだ生きてる」
「二人、逃げた。あたしが追えば」
ロウラは言葉を続けられなかった。追えば捕まえられたのか。それとも、さっきの男を置き去りにした理由だけが残ったのか。
ヴァレリアはサビナを見た。
「残った連中に、北の道を塞がせる。二人を捜すよ」
副官が頷くと、ヴァレリアはロウラへ顔を戻した。
「あんたは何を見た?」
「壺を持ってたって、この人が」
ロウラは負傷者を指した。
サビナが身を屈め、男へ訊く。
「壺の口に、布はありましたか」
男は短く頷いた。
サビナは立ち、北の屋根へ目を向けた。
「火をつけるつもりです。兵を追うだけでは足りません。穀倉へ人を」
王妹の口元から笑みが消えた。
ロウラの掌から、まだ血が滴っていた。
門を開けた敵を止めれば終わると思った。門の内側へ通した六人が、どこを壊しに行くかまで考えていなかった。
北の道へ踏み出したとき、鐘が鳴った。
短く、何度も続く。
屋根の向こうに煙が上がった。リネアが戻り、ロウラの前で翼を打つ。
「麦の倉庫、燃えてる! 入口に火をつけられた。中から人の声がする!」
走ってきた伝令が、通りの角で叫んだ。
「配給倉だ! 明日から配る麦が入ってる! 水を運べ!」
ロウラは北へ走り出した。古傷のある脚が痛む。止まれば、あの倉庫で人が焼ける。
路地を抜けると、倉庫の入口が炎に塞がれていた。戸口の麦袋が破れ、こぼれた麦まで黒く焼けている。扉の奥から、板を叩く音がした。
誰かがまだ、中に閉じ込められていた。




