第33話 三日後の朝
「門は開けない。そこで読め!」
市警隊長アウレナの声が、自由都市ヴァルネの東門の上から落ちた。
閉じた外扉の前で、王国の使者が馬を止めている。ロウラは地下室の入口を守りながら聞いた。格子の修理は続いており、奥から木槌の音が響く。
「王妹ヴァレリア、側近サビナ、元参謀フェレンスを引き渡せ。反乱協力者として指定された銘持ちを武装解除し、レリックと共に王国軍へ差し出せ!」
声が途切れると、使者は続けた。
「街道の通行は軍が管理する。主力の到着後、マルケルス将軍が回答を求める!」
「逃げる子どもまで追い返すのか!」
ロウラは戸口から叫んだ。壁に遮られ、使者の顔は見えない。
アウレナが同じ問いを城外へ投げる。使者は、確認して戻ると答え、馬を返した。
遅れて到着した葬儀屋レトが、外扉を見た。
「子どもは船へ乗せられる。南はまだ塞がれてない」
「明日もそうだと言えるか」
「だから今夜のうちに決める」
交代の団員が地下の入口へ立つと、ロウラは工房へ急いだ。
*
宿を貸してくれている商人ファルコの工房では、仕立職人ミレアがノアの荷袋を縫い直していた。逃亡の旅で保護した少年は、寝台の端に座っている。
「南の船には、診療所の人も乗るそうよ。私は港まで送れる」
ミレアが告げると、ノアは荷袋から毛布を引っ張り出した。
「帰ってくるとき、どこで降りるの?」
「同じ港よ」
「そのとき、みんないる?」
ロウラは戸口で止まった。
いる、と言えば少年は船へ乗る。帰ってきたとき、自分だけがいなければ、誰がその嘘を説明するのか。
「分からねえ」
ノアの手が毛布の途中で止まる。
「あたしは残る。あんたが戻れるように、門を守る。でも、絶対とは言えねえ」
ミレアが少年の隣へ座った。
「私も残るけれど、船にはあなたと同じくらいの子がいるわ。向こうの町で泊まる場所も、港の人が決めてくれる」
「一人じゃない?」
「一人にはしない」
ノアは毛布を袋へ押し込んだ。口紐を結ぼうとし、指が滑る。
ロウラはその前へしゃがんだ。
「ちゃんと飯を食え」
「ロウラも」
「ああ」
「ちゃんと寝てね」
「……ああ」
染め職人のティロが、作業台から小さな布袋を持ってきた。干した果物が入っている。
「これ、船で食べて。全部いっぺんに食べちゃだめだよ」
「ティロは?」
「俺は、染めなきゃいけない布があるから」
少年が袋を受け取ると、ティロは自分の上着の裾を摘まんだ。
「帰ってきたら、この布と同じ青い戸、探してね。俺たちの工房の戸にするんだ」
ノアは何度も頷いた。
南水門へ向かうミレアと少年を見送り、ロウラは東門へ戻った。途中、兵站係セヴァンを捕まえ、南の避難船が出たら知らせるよう伝えた。
夜明け前、船が出たという報告が届いた。
ロウラは地下の階段に座り、冷めた粥を食べた。半分でやめかけ、椀をもう一度持ち上げた。
*
四日後の朝、東の平野をレリスタ王国軍の主力が埋めた。
騎兵の後ろへ盾の列が続き、その後ろを荷車が進む。兵は畑の畝を避けて道を歩き、井戸の周りには見張りが立った。勝手に民家へ入ろうとした兵が、味方の軍曹に引き戻される。
物見塔の縁で、翼のある黒猫リネアが列を数えていた。
「ねえ、まだ来るの? あの坂の向こうにもいるよ」
「五千だ」とセヴァン。
「五千って、こんなにいっぱいなの?」
リネアの白い前足が、ロウラの袖を引いた。彼女は敵の列から目を離せず、袖だけを猫の方へ寄せた。
地上では、修理を終えた格子の試運転が始まっていた。重い鉄が下り、止まり、また上がる。石工代表グラウコが職人へ合図を送り、動きを確かめる。
外門の向こうへ、一人の騎馬が進み出た。
黒鉄の脛当てをつけた大柄な男が、弓の届かないところで止まる。胸の軍旗章を見たアウレナが、射手へ弓を下ろさせた。
王国軍の指揮官マルケルスだった。かつてはヴァレリアのもとで、前線を率いていた男だ。
王妹が門の上へ出て、豪快に笑った。
「ずいぶん長い休暇だったね! 五千人も連れて、土産を持たせる気かい!」
「殿下。会見を求めます」
「捕まえる相手と、顔を合わせたいって?」
「使者だけでは、伝えられないことがあります」
評議会議長デキムスが、門上から条件を告げた。互いに護衛は二人。会見中は攻撃しない。場所は東門前の道とする。
マルケルスが承諾すると、外扉が人の通れる幅だけ開いた。
ロウラは王妹と議長に同行した。護衛のもう一人は、王妹の副官サビナ。リネアは壁の上に残り、敵の弓兵を見張る。
*
馬を降りたマルケルスは、ロウラへ視線を向けたが、剣には触れなかった。
「会見の間は拘束しない。そちらも武器を抜かないでいただきたい」
「あたしは抜く物がねえよ」
ロウラが両手を見せると、サビナが肘を押して下ろさせた。王妹だけが笑った。
議長が王国軍へ問う。
「市の兵を解除し、あなた方を入れた後、自治憲章は残りますか」
「統治に関する決定は、陛下の権限です」
「停止されると、すでに返書が届いています。私たちは門を開けません」
マルケルスは頷き、王妹へ顔を向けた。
「殿下には王都で公開裁判を受けていただく。道中の安全は私が守ります」
「裁く前から、あたしが死んだことにしてある裁判かい?」
ヴァレリアは、懐から紙を出した。兄王が先に書かせた、反乱鎮圧と王妹処刑の年代記の写しだ。
指揮官は受け取って読んだ。下の行まで目を動かし、最初へ戻る。
「これを入手した経緯は」
「内容より、誰が持ち出したかが気になるのかい?」
王妹の笑いが消えた。
「徴兵するには幼すぎる子を取るなと、あたしは書いた。冬の穀物を残せともね。あんたが上に送ったのは、その書状だろう」
「軍務の記録として、正規の手続きを踏みました」
「ああ。あんたは、あたしが謀反を起こせと書いたのを読んだか?」
「読んでいません」
サビナの指が剣の柄から離れた。ロウラは指揮官の返事を待った。
「それでも、命令は有効です。私には王命を取り消す権限がありません」
ヴァレリアは紙を取り戻し、二つに折った。折り目を押す指に、力が入っていた。
ロウラが男の前へ出る。
「差し出せっていう連中は、いつ帰れる」
「審理が終わり、釈放が認められれば」
「誰が認める」
「王国の裁判です」
「レリックを持ってる職人もか。布を染める石しか持ってねえ奴でも」
「指定された者なら、対象です。危険な力を軍の監督下へ置きます」
ロウラは、工房で赤く染まっていたティロの指を思い出した。
「あの石の、どこが危ねえんだよ!」
マルケルスの護衛が一歩動いた。サビナも同じだけ踏み出す。
「やっと自分の仕事で金をもらった奴を、石ごと取り上げるのか! 帰る日も決めずに閉じ込めて、それを守ってるつもりかよ!」
「売買も、強制労働も認めません」
「売らなきゃ自由なのか!」
ロウラの声に、男の眉が動いた。
「出たいと言って出られるのか。石を返せって言えば返すのか!」
答えが出る前に、議長がロウラの横へ立った。
「私たちが認めた自由身分を、王国は無効としています。その人々を引き渡すことは、市の法を捨てることです」
ロウラは握った手を開いた。ここで殴れば、門上の射手も、向こうの護衛も動く。サビナの肩越しに、閉じかけた外扉が見えた。
マルケルスは、紙筒を議長へ差し出した。
「三日後の日の出を回答期限とします。応じなければ攻撃する」
「拒否の回答は、いま出しました」と議長。
「期限までは、変更を受け付けます」
男は背後の軍へ目を向けた。
「武器を持たない市民の避難船は攻撃しません。兵と軍需品を運ぶ船は別です。この命令は全隊へ出します」
「街道から逃げる者は?」とロウラ。
「武装した者を見分けにくい。避難は南の川から行っていただく」
サビナが避難船の旗と航路を取り決めた。議長は、旗を掲げた船への攻撃禁止を紙にも残させた。
ロウラはその間、男の顔を見ていた。子どもの船を通す同じ男が、三日後には門を破りに来る。
*
市内へ戻ると、門前で待っていた船頭が、避難の取り決めを聞いて南水門へ走った。まだ船を出せる。
壁の上へ戻ったリネアが、ロウラの肩に降りる。
「まだ残ってる子も、船で逃げていいんだよね?」
「撃たせねえ約束は取った」
「……よかった」
セヴァンが、城外の荷車を指した。
「五千人にしては、食糧の車が少ない。後続が来るか、見張らせる」
「少ないと、どうなる」
「ここをすぐ落とせなければ、向こうも困る。だから三日で降伏させたいんだろう」
「じゃあ、三日待つだけじゃ駄目だな」
「ああ。川からこっちの食糧を入れる道も要る。避難船とは別に考える」
東の平野では兵が梁を組んでいた。北壁の向こうでも木を打つ音がする。門を壊す槌と、壁へ渡す梯子だった。
アウレナが防衛班を呼び集める。
「三日で仕上げるぞ!」
ロウラは肩の猫を下ろし、地下へ向かった。修理された格子が、頭上をゆっくり下りてくる。
グラウコが鎖の止め具へ手を伸ばした。新しい木台は揺れない。作業を続けた職人たちが、格子を見上げていた。
「ここで敵を挟む。作動を見ておけ」
格子が上がるのを待ち、ロウラは外門と内門の間へ入った。敵を迎え撃つ足場を、拳を握って確かめた。




