第29話 まだ起きていない反乱
「その書状は、あたしが書いたよ」
夕刻、評議会の広間。ヴァレリアは王命に添えられた証拠を指した。登録所から来たロウラたちは傍聴席にいる。六人の代表と議長の前に王国の使者が立ち、文書を机に広げていた。
「ならば謀反を認めるのですね」と使者。
「その前に最後まで読んでおくれ」
使者が読み上げた最初の書状は、辺境の徴兵官に幼い者を兵へ取るなと命じていた。次は、砦の冬越し用の穀物を王国軍へ渡すなというもの。三通目には、兵が住民から物を奪ったら日時と名前を記せとある。
「王国軍の徴兵と徴発に逆らった」と使者。
「ああ、逆らった。子どもを返し、冬の飯を残した。兵の悪さを見逃せとも言わなかった」
ヴァレリアが机に身を乗り出すと、近衛隊長サビナが外套の裾を引いた。ヴァレリアの左頬の古傷が、灯火を受けて白く見える。
「冬の穀物を渡さなければ、王国兵が困る」と使者は言った。
「渡せば砦の下の村が冬に食べるものを失う。あたしは砦の倉を守れと言った。王都の倉へ火をつけろとは言ってない」
「命令に従うかどうかは、将軍が決めることではありません」
「なら将軍なんぞ置かず、紙を一枚立たせておきな」
サビナの手が外套をもう一度引く。ロウラには三通とも、子どもや村人を守ろうとした文に聞こえた。使者はそこを否定せず、「王国軍に逆らった」という箇所だけを繰り返す。
「殿下。まずは席へ」
「まだ座ってるさ。尻が半分だけ」
「残りもです」
ヴァレリアは笑って椅子へ戻った。ロウラは笑えない。今朝の法廷では、本物の王印を使った偽の売買が裁かれた。ここにある書状は、書いた内容までヴァレリアが認めている。それでも理由を消せば、違う話になる。
使者はもう一枚出した。ヴァレリアの古い旗を掲げた辺境砦で、旧近衛の約百人が解散命令を拒んでいる。
「ここまで揃って、偶然と?」
「旗を降ろさないのはあいつらの決めたことだ。あたしは掲げろと命じてない」
「忠誠を誓う兵なら、言葉がなくても意図を汲みます」
「便利な言い分だね。あたしが黙っていても命令が成立する」
評議会の議長デキムスが、机を一度叩いた。
サビナが上申記録を示した。三通目の「兵の違法行為を記せ」は、当時の前線指揮官マルケルスが、定められた手順で王都へ送っている。隠した書状が見つかったわけではない。
「マルケルスは、そういう男だよ」とヴァレリア。「あたしの命令でも、王へ報告すべきなら送る。だから前線を預けられた」
「現在は王国軍の指揮官です」とサビナ。
「知ってる。あいつもあたしを捕まえに来るなら、正面の門から来るだろうさ」
ヴァレリアは笑ったが、サビナは笑わず、上申記録を机に残した。
「書状と砦の報告は、どれも王国が作り直したものではないのですね」とデキムス。
「ああ。証拠は本物だ。謀反だけが偽物さ」
王国の使者は答えず、封書の末尾を示した。王国兵五百名の入城、ヴァルネ文書庫の接収、ヴァレリア、サビナ、フェレンスと王国が指定する銘持ちの引き渡し。罪の審理は王都で行うという。
「五百人も入れて、誰の裁判をするんだ」とレトがロウラに囁いた。
「あたしに聞くな」
広間の端で、フェレンスが市の斥候からの報告と軍の配置図を比べていた。昨日、東門で天秤の代価を引き受けて倒れた男は、今日も椅子から立つとき手を添えていた。
議長が使者へ尋ねる。
「入城を認めなかった場合、王国軍はいつ来る」
「そのような仮定に答える権限はありません」
「なら、こちらで確かめます」
デキムスがフェレンスを呼んだ。細身の元参謀は立ち上がり、地図を広げる。指先は街道の上を短く移動した。
「市の斥候と、昨日までの軍の配置報告を突き合わせました。数は概算です」
「王国軍五千。現在の位置から南西へ向きを変えれば、十日前後でヴァルネに届きます。使者の騎馬は先行しています」
広間で椅子が鳴った。ロウラには五千人がどれほどの長さで街道を埋めるのか分からない。レリックを使って東門の先頭車を一台止めるのにも、セヴァンとフェレンスの二人の代償が必要だった。
傍聴席で誰かが「狂王め」と漏らした。フェレンスは顔を上げる。
「陛下を狂人と呼べば、軍が引き返すと思う方は」
誰も手を挙げない。
「あの方は街道を通し、国境を守り、飢饉には王都の穀物を放出しました。従う者には、従う理由がある」
「じゃあ、なぜ妹を捕まえようとする」とロウラが言った。
傍聴席からの声にデキムスが眉を寄せたが、フェレンスは答えた。
「陛下は、敵をただの個人にはしておきません。王妹、参謀、団長、反逆者。先に役目と所属を定め、それごと裁く方です」
ロウラは新しい登録票を折らないよう、膝の上で押さえた。まだ乾いたばかりの団長の拇印がある。ナザルがそれに目を落とし、普段より短く言った。
「聞こえたな。俺たちも一つの名前になった」
*
王国の使者は別室へ下げられた。六人の代表が、王命への返答を決める。傍聴人は後ろへ移り、議長デキムスが新たな資料の提出を求めた。
サビナが机へ薄い写しを置いた。かつての密偵仲間から届いた、王都の公式年代記の草稿だという。まだ王国軍はヴァルネへ向かってもいないのに、反乱を鎮め、ヴァレリアを処刑したと過去の出来事として記されていた。
「日付を間違えてる」とリネアがささやく。
「間違いではありません」とサビナ。「起きる前に結末を書かせたのです」
ヴァレリアは草稿を取り、声に出して自分の最期を読んだ。最後まで読み切ると、椅子の背へもたれて腹を抱える。
「兄貴め、あたしを殺す場面まで人任せかい。せめて台詞くらい聞きに来ればいいのに」
笑い声のすぐ脇で、サビナは草稿を取り返した。リネアの白い足先がロウラの肩に食い込む。
草稿の角が潰れていた。ヴァレリアは笑いながらそこを握っていたらしい。サビナが紙を持ち上げても、王妹の指は一拍遅れて離れた。
「自分が殺される話なのに」とリネア。
「笑わなきゃ読めねえんだろ」とロウラ。
草稿を目にした評議員は誰も笑わなかった。デキムスは六人へ、王命どおり入城と引き渡しを認めるか、公開審理を求めて拒むかを問う。
「王国兵を門へ入れれば、商いは続くかもしれない」
商人を代表するタルシアが最初に言った。彼女の前には、入城後も市場を開くための計算書がある。
「処刑の記事には王印がない。王都で裁くという約束まで嘘とは決められません」
「港を閉じられたら船も人も飢える」と河運代表メルカ。
「城外の畑を踏まれる前に決めてくれ」と穀物商のセルギオ。
三人は王命を受け入れる方へ投じた。ただし、誰もヴァレリアが有罪だとは言わなかった。
「五百人が門を通ったら、どこへ寝かせる」と石工代表グラウコが返す。「門衛の詰所も倉も、王国兵で埋まる」
「今日登録した者を、その日のうちに王国の指定で引き渡すのか」と解放民代表ダレス。
診療所を預かるイレネは、王国兵が来れば負傷者が出ると認めたうえで言った。
「それでも、患者の名簿をよその軍へ渡す仕事はしない」
拒否も三人。採決は三対三になった。議長にだけ、同数のときに投じる一票がある。
ロウラは手を上げかけて止めた。ヴァルネの票を持たないのは自分も同じだ。デキムスの背後には、市の門と橋を描いた古い地図が掛かっている。あの門の内側で受けた判決も登録も、この七人の決める法に支えられていた。
ヴァレリアが口を開いた。
「あたし一人で済むなら、差し出してくれてもいい。軍まで入れる理由は――」
「殿下には票がありません」とデキムス。
「知ってるよ。口まで無いとは聞いてない」
「いまは私の番です」
ヴァレリアは両手を上げて引いた。怒られているのに、また笑っている。リネアがロウラの肩へ止まり、「嬉しそう」と耳元で言った。
デキムスは、ヴァレリアを見なかった。王印のある命令書と、市が百年前から守ってきた自治憲章を並べる。
「評議会の同意なしに、王国軍は市壁の内へ入れない。登録した滞在者の身分は、この市の法で審理する。どちらも、今回だけ書き換える権限は私にありません」
「王命に逆らう気ですか」とタルシア。
「公開の証拠審理を求めます。それまでは王国兵を入れず、人も引き渡しません」
議長の票が拒否へ入った。四対三。使者が戻され、デキムスは決定を伝えた。
タルシアは計算書を伏せ、メルカは港の図から手を離した。二人とも王命を受け入れる票を投じた。それでも自分たちの市が決めた答えを、使者の前で覆そうとはしなかった。
「ヴァルネは王妹を匿うのですな」
「王妹も、登録滞在者も、同じ手続きで扱います。王国には証拠を公開していただきたい」
使者は王命の写しを畳んだ。馬の用意を、とだけ従者へ告げる。広間を出ていく背中へ、ヴァレリアは手を振った。使者は振り返らない。
ロウラは「あたしたちが守る」と言いかけ、腰を下ろした。評議会の採決は終わっている。傭兵団が戦うかどうかを、自分一人で決めていいわけでもない。膝の上で登録票が擦れる音を聞いた。
デキムスは傍聴席へも聞こえるように告げる。
「城門はまだ開いています。防衛の契約を結んでいない滞在者には、出る自由があります」
レトがノアの方を見た。ノアはミレアの手を握っている。ミレアとティロには仕事ができ、ノアには屋根のある寝床ができた。傭兵団には市を出る道が残っている。ロウラは、門が開いているうちに決めなければならなかった。
リネアが肩から膝へ降り、登録票の端を前足で押さえた。ロウラはその肉球印と自分の拇印を見比べ、仲間に向き直る。
「あんたらは、どうする」




