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第28話 灯火の印

「ここに団長の名前を」


 登録官リキアが差し出した筆を、ロウラは受け取れなかった。

 自由身分院で勝った日の午後。登録所の窓からは、東門へ続く通りが見える。仮入市票は明日の日没で失効する。滞在を認められ、傭兵団を届け出なければ、また門の外へ出ることになる。

「その前に、こっちを済ませるんだろ」

 レトが二つに分けられた書類を指した。リキアは先の束を引き寄せる。

「まず一人ずつ滞在登録です。その後、傭兵団の名簿を作ります」

 ミレアと弟のティロは、ファルコ商会の職人として名を告げた。リキアが「染色職人」と読み上げると、ティロはもう一度聞きたがった。

「一回目で聞こえただろ」とレト。

「聞こえた。もう一回、俺の仕事だって聞きたい」

 ミレアが弟の背を小突いたが、自分も紙をのぞいている。あの古い台帳には、二人とも値を付けられていた。今度は賃金を受け取る仕事が書かれている。


「泊まる場所は?」とリキア。

「ファルコ商会の倉庫です。染料が隣にある方」とミレア。

「住み心地は」

「足元は冷たいけど、鍵は内側から掛けられます」

 リキアは一度だけ筆を止め、それ以上は尋ねなかった。ミレアの指先には染料が染みている。法廷で証書の綴じ糸を見つけた、あの指先だ。


 ノアの欄には「保護児。労働義務なし」と記された。ノアは意味を聞き、明日も荷運びをしなくていいのかと尋ねた。

「したければ遊びで手伝いなさい」とリキア。

「遊びでも荷物は重いよ」とノア。

「知ってる。だから遊びにしなくていい」

 ロウラはノアの肩を抱き寄せかけて、手を下ろした。ノアはミレアと並んで、自分の足で窓口を離れた。


 残る七人の滞在登録を終えると、リキアは傭兵団の名簿を広げた。セヴァンは昨日、東門で倒れたあと動けるようになったが、椅子から立つとまだ足元を確かめる。彼が持ってきたオルバンの武器貸与証明のおかげで、バルクとユーデの借り物の武器も名簿へ載せられた。

「貸してくれた爺さんが、書類にまで口を出すとはな」とバルク。

「返すとき折れていたら請求する、とも書いてある」とカッシウス。

「それは読まなくていい」

「読まなければ請求が消えるなら、俺も読まない」


 ナザルは交渉、カッシウスは会計と文書、セヴァンは兵站。バルクとユーデは戦闘員、レトは救護と死者の扱い。書かれる役が決まるたび、当人が返事をした。


 リキアは最後にロウラへ顔を向けた。

「団長はあなたでいいですか」

「名乗るだけなら」

「名乗るだけでは済みません。団が引き受けた仕事を果たせなかったとき、最初に呼ばれるのは団長です。団員の違反も、死者が出たときの報告も、逃げずに説明していただきます。あなたが勝手に契約すれば、ほかの団員にも責任が及びます」


 ロウラは並んだ仲間を見た。自分なら殴られても立てる。昨日のセヴァンとフェレンスは、ロウラが止める前に自分で倒れる方を選んだ。団長の欄へ指を押せば、次は彼らのしたことにも、自分のしたことにも名前が付く。

「死んだ団員の名前も、あたしが書くのか」

「死亡の報告をするのは団長です。書くのは代筆でも構いません」とリキア。

 レトが何か言おうとしたが、やめた。ルクサリアでは死体に付ける札を作っていた男だ。今は同じ名簿へ自分の名を置こうとしている。ロウラは彼を見ないふりをした。

「あたし一人に書類を渡しても、読めねえぞ」

「俺が読む」とカッシウス。

「お前は字を変えられる」

「変えないときもある」

「何だ、その返事は」とレトが割り込んだ。

 カッシウスは怒らず、紙をリキアへ戻した。ロウラは登録官に向き直る。

「最初から全部、声にしてくれ。あたしだけじゃなく、全員に聞こえるように」

 窓口の後ろで、待っていた商人が舌打ちした。リキアは先に彼へ番号札を渡す。

「次の窓へどうぞ。こちらはまだ終わっていません」

 一行ずつ読まれる。団名、七人の名、各人の役目。仕事の報酬を団で受け、団員の行いは団の責任にもなる。ロウラが戦うと決めれば、ほかの六人の暮らしにも響く。

 リキアが読み終えると、ロウラは最初の行へ戻らせた。隣の窓で商人の舌打ちがまた聞こえる。ロウラには、どこが最初の行なのかも分からなかった。今朝の法廷では、紙に押された印が本物でも、書いてある売買は嘘だった。今度は自分が押す側だ。


「自分の名前くらい覚えてやる」と小声で言った。

「今日、覚える?」とノアが隣から見上げた。

「今日はこの紙を終わらせる。明日教えてくれ」

「明日は忙しくなるよ」とナザル。

「じゃあ、お前の交渉相手に字を教わる」

 ナザルは初めて黙った。レトが笑うと、リキアは続きの条項を読み始めた。

「団長の代わりに、誰かが契約してもいいのか」とロウラ。

「団の同意が要ります。勝手に引き受ければ、その人も責任を問われます」

「なら、勝手にやるなよ」

「お前に言われたくない」とレト。

 バルクまで頷いた。ロウラは言い返せない。東門で、自分の拳を出せなかったとき、車を止めたのは皆の手だった。

「あたしの決めたことで、あんたらに迷惑がかかる」

「今までかかってないと思ってたのか」とユーデ。

 笑いが起こった。ロウラだけが少し遅れて笑った。

「それでも団長をやれって言うのか」

 セヴァンが立ち上がる。椅子の背をつかんだまま、いつものように人数を数えた。

「俺たちは七人です。一人に六人分の仕事をさせるために、役目を分けたんじゃありません」

 ロウラは筆を見た。名前の字を知らない。リキアに渡し、代わりに言った。

「あたしと一緒に、ここにいていいんだな」

 誰もすぐには答えない。最初に頷いたのは、借り物の槍を抱えたユーデだった。ナザルはいつもの調子で大げさに手を上げたが、カッシウスがその手を押し下げる。

「芝居は要らない。俺の名前はもう書いた」

 ロウラはセヴァンの椅子を窓口へ寄せた。昨日は自分が寝台を押せなかった。今日は、その程度なら手を出せる。

「書け。ロウラだ」

 リキアは団長欄に名を書き、声に出して読み上げた。ロウラは文字の形を追えないまま、入市した朝と同じ右の親指を朱肉に押し当てる。紙に赤い指紋が残った。


「ちょっと待って」

 窓枠に止まっていたリネアが身を乗り出した。登録官は猫を荷物の欄へ書こうとしていた。

「ぼくは誰かの荷物じゃない。ここにいたいって、自分で決めたよ」

 リキアはその欄を消し、《言語を解する翼猫/灯火団斥候》と別に記した。

「ここへ同意の印をお願いします」

 リネアは前足を朱肉へ置いた。白かった足先には、染料桶へ落ちたときの青がまだ薄く残っている。丸い肉球を同意欄へ押すと、少し大きな赤い花のようになった。

「あたしのより立派だな」とロウラ。

「うん」

「そこは否定しろよ」とレト。


 リキアが登録簿に市の印を押す。《ヴェラの灯火傭兵団》。出会ったときにナザルが道端の祠から借りた名が、公文書に入った。

「登録は済みました。滞在票も新しく発行します」


 ロウラが受け取ろうとした、そのときだった。

 通りで馬の蹄が止まり、王国の旗を持った騎手が広場へ入ってきた。門衛隊長オルシオが先導している。市の衛兵が通行人を下がらせ、騎手は馬から降りて封筒を掲げた。

「レリスタ王ドミティウス三世より、ヴァルネ評議会への命令だ」

 窓口にいた者たちが外へ出る。ロウラも登録簿を見てから広場へ出た。リキアは窓を閉め、簿冊を腕に抱えたまま後を追う。

 使者は封筒とは別に持っていた写しを、広場へ向けて読み上げた。王妹ヴァレリア、近衛隊長サビナ、元参謀フェレンスを拘束して王国へ引き渡すこと。王国兵を市内へ入れ、文書庫を開けること。王国が反乱に協力したと指定する《銘持ち》も引き渡すこと。


 聞き覚えのある名に、ロウラは顔を上げた。サビナは今朝、マニウスの声を法廷へ持ってきた。フェレンスは昨日、門で倒れた。ヴァレリアとも、すでに顔を合わせている。その三人の名が、王命には並んでいた。

「銘持ちって、誰までだ」とロウラ。

「名前のあるレリックの使い手です」とセヴァン。声が硬い。「ここにいる者にも、何人もいます」

 ミレアが指貫を外して掌へしまった。リネアはリキアの抱いた簿冊を見ている。あの紙には、力を持つ者も持たない者も一緒に載ったばかりだ。


「何の反乱だ?」とレトが訊く。

「王国南西部における組織的謀反」と使者。

「今、誰が戦ってる」

「王命への異議は評議会を通せ。ここで答える義務はない」

 オルシオは使者と民衆の間に立った。王国の騎手が、市の衛兵を押しのけて誰かを連れていけるわけではない。だが広場には、さっきまで無かった王旗が立っている。

 使者はリキアの抱えた簿冊を見た。

「その登録も、王国が指定する者には効かん」

「この市の登録は、評議会が判断します」とリキア。声は大きくなかったが、窓口で書類を読むときと同じ明瞭さだった。

「では、王命を渡せ。評議会に聞かせる」

 ロウラが出した手を、オルシオが制した。

「お前たちも関係者だ。だが文書は私が運ぶ」

 使者は封筒をオルシオへ渡す。封蝋に王家の印がある。ロウラは今朝見た偽の所有証書を思い出した。あれにも本物の印があった。

「指定する銘持ちって、誰だ」

 使者が振り返る。

「王国が後から名を加える」

 ロウラは自分の親指の朱が乾いていないのを見た。今朝まで、誰かの台帳に書かれた名前から逃げていた。自分で置いた名を、今度は王国が探している。

 リネアが朱肉の付いた前足を持ち上げた。

「ぼくの名前も書いたよ」

「知ってる」

 ロウラはその足を拭こうとしたが、リネアが引っ込めた。赤い肉球の跡を残したまま、猫は市の印が押された簿冊を見張っていた。

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