38話 老人
8月26日 0320 善通寺駐屯地 乾燥室
私は決意を固め
紀伊3尉に詳細を聞く。
次の日の捕虜開放式に
関しては近くの駐屯地内の
体育館で行われるらしい。
その捕虜開放式は1030から。
式典には中国軍の司令官が
参列する為警備はそちらに
まわる事になる。
我々は協力するフリを
して隙を見て駐屯地の下水道から
脱出を図るというものだ。
下水道への入り口の
施設は紀伊3尉が入手
しているので開けておくとの事だ。
1045下水道突入予定。
もし、間に合わなかった場合は
1110までは脱出先で待つが
それを過ぎたら置いていく
との事だ。
我々はそれを了承した。
話が終わったため
目立たない様に
10分おきに一人ずつ
乾燥室から出ていった。
巡回は決まりきった
経路しか行かない為
気付かれる事なく
乾燥室から脱出できた。
心臓がバクバクと鼓動を
荒げているのを感じた。
はやる気持ちを押さえて
私は床につく事にした。
8月26日 1000 善通寺駐屯地
翌日は曇りだった。
我々は放置状態だった
敵と自衛官の遺体を無造作に
ダンプカーの荷台に
放り込んでいた。
駐屯地では会場の設営に
慌ただしく動いていた。
なるほど、これでは
警備の目も緩むはずである。
余程大物が来るのか
中国兵達の空気は
張りつめている。
30分前には
中国兵達が規律ある
列を整えて人の道を
整えていた。
ダンプに遺体を積み終わると
自衛官達は体育館の
設営とまわされた。
体育館の2階には
銃を持った中国兵が
所狭しと横に並んでいた。
おかしな真似をすれば
撃つという意味合いだろうが
私は少し違和感を感じていた。
私はトイレに行くフリを
しながら脱出を図る。
建物の陰に隠れながら
目的地を目指す。
やがて正門から
一台の黒塗りの高級車が
姿を現した。
並んでいる中国兵達が
車が通るたびに
敬礼をしていく。
私は隠れながらも
この状況だと私も
動けない為様子を
窺う。
車から出てきたのは
一人の80代くらい
男の老人だった。
軍服に多くの
勲章がつけられており
腰の曲がった体には
似つかわしくないものだった。
頭頂部は禿げ上がり
横に白髪を残すばかりであり
柔和な笑みを浮かべ、あまり
軍人という風には感じない。
我々を散々苦しめた
敵の司令官があのような
老人だとは思いもしなかった。
いや、存外現実とはそのような
ものなのかもしれないなと
思い直し私は下水道に向かおうと
した時だった。
腕時計を確認すると
時刻は10時30分を指していた。
ーーーーパァン
一発の銃声が聞こえた。
銃声は体育館からだった。
連鎖するように射撃が
続けられた。
なにがあったのか、
物陰に隠れながら
体育館内を注視する。
そこには無抵抗な状態で
射殺された自衛官達の
遺体があった。
ーーー敵はいつか我々自衛官を
殺すつもりだろう。
それは分かっていた事だが
まさかこんなにも早いとは
思っていなかった。
体育館の壇上では
老人が歌を歌いながら
踊っていた。
その笑みは
人間の悪意を凝縮した
邪悪なものだった。
8月26日 1032 善通寺駐屯地 体育館横
体育館では
惨劇が起き、濃密な血の匂いが
こちらにも伝わってきている
ようだった。
現実に頭を殴られたような気分だ。
吐き気を催しながらも
アドレナリンがそれを
無理矢理押さえつけているのを
感じていた。
心臓がバクバクと激しい音を
たてているが不思議と
頭の中は冷静だった。
紀伊三尉の
言っていた事は正解だった。
もし私も体育館に
いればそのまま
殺されていただろう。
国際法や国際世論など
彼らには関係ない。
独立を守れなかった以上
それがどんなに暴挙であろうと
止めるものはいないだろう。
我々は銃を捨ててはいけない、
それを痛感した。
頬に小さな水滴が落ちた。
曇り空だった空模様は
いつの間にか雨へと
変わっていた。
先ほどの暴挙から
見つかれば死ぬ事を悟り
私は急いで下水道へと
向かった。
巡回している敵に
見つからない様に
慎重に身を隠しながら
遠回りをして進まなければ
ならない。
武器はなく見つかれば
終わりだろう。
夏の熱気で小雨はやがて
霧へと変わり
逃げる私の姿を覆い隠した。
やがて一つの建物が
見えてくる。
四方をフェンスに
囲まれ通常の自衛隊の生活で
あれば一緒に入る事はないであろう
建物の中に入っていく。
鍵は開いており
中には霞2曹と紀伊3尉の
姿が窺えた。
8月26日 1045 善通寺駐屯地 下水管理施設。
私は建物に入りドアに静かに鍵をかける。
「来たか、もう一分遅れてたら
先にいってたぞ」
霞2曹が私の方を見ていった。
みれば、私達3人しかいない
他の小隊のメンバーは結局連れ出せなかった
のだろう。
私はその事を問いかけなかった。
いや、問いかける事はできなかった。
霞2曹はうなだれていた。
「霞、お前は見たのか?
体育館のあれを?」
霞2曹は何を言うでもなく
静かに頷いた。
私も次の言葉を繋げる事はできなかった。
「時間がありません
すぐに脱出しましょう」
紀伊3尉が奥の扉を
開けて前進を促す。
そう、話している暇も
休んでいる暇もないのだ。
我々はまだ事の渦中にいるのだから。
扉の奥には地下への階段があり
人一人が通れるほどの
トンネルがあり
下水が流れていた。
ヒドイ匂いで
思わず顔をしかめる。
紀伊3尉がポケットから
ライトを取り出す。
「雨が降っているので
増水する可能性があります
手頃な所でマンホールから出て
その後は山に一旦身を隠します」
紀伊3尉は静かにそう告げると
トンネルの先頭をきって
歩いていく。
それに私達も続く。
先程まで自分達のいた場所は
闇へと消えていく。
18歳の時から駐屯地で勤務した。
様々な思い出があった。
もしかしたらもう二度と
戻る事はないかもしれない。
私は少しだけ闇を振り返り
「さよなら」と心の中で
呟いた。
読んでいただいてありがとうございます!
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