見習い庭師トマと新米菓子職人ブルーノ 第十四話
後ずさりする男装のサリエルは、階段の段に踵を引っ掛けてよろめくが……何とか踏みとどまった。
アンドレイ・アンセルム・ローゼンバーク男爵の屋敷の城主部屋……古い砦を改装した屋敷の最奥の部屋に居たのは……伯爵令嬢。エレーヌ・エリーゼ・ストーンハートの蝋人形だった。
恐ろしい程精巧に出来ている……狼犬のような蒼灰色の瞳、憂鬱そうな表情……身の毛もよだつ再現度だ。
しかし。生半可良く出来ている分、本物に劣る部分は酷く目立つ。本物のエレーヌの髪はもっと滑らかで艶やかだし、肌ももっとしっとりときめ細かく、こんなにつるつるしていない。そう思うとだんだん造形にも納得が行かなくなる……お嬢様の鼻はここまで高くない……
サリエルは本筋を外れた妄想から目を覚ます。この部屋は一体何なのか?
エレーヌの蝋人形はソファに座っているようだ。ドレスは本物の仕立ての良い絹のイブニングドレスだ。
きちんと揃えたひざの上に掌を乗せ、憂鬱そうに佇むエレーヌ。
その前にはテーブルがあり詩集が置かれている。その他に、グラスやボトル……誰かが……この隣に座っていたというのか……
サリエルは恐る恐る、ランプを掲げ、周りを見渡す。
「くっ……!」
またしても凄まじい寒気が、背筋を、首筋を駆け巡る……まるでここは……新婚夫婦の部屋のようだ。天蓋付きのダブルベッドには大きな枕が二つ、ダイニング、ソファ、洗面台、何でも二つずつ、それから……サリエルは他のいくつかの、とても正視出来ない物から目を背ける。
壁にはたくさんの額縁も掛かっている……飾られているのは皆エレーヌが写りこんでいる写真だ。どうやって撮ったものか、学院の中の風景のものまである。
エレーヌの側に居る、自分が見切れている写真もあった。顔半分だけでも、自分が写ったものがこんな場所にあったかと思うと、寒気を感じずにいられない。
トマは書斎を探して、いくつかの手掛かりを見つけていた。
「この手紙を持ち去って大丈夫だと思うかい?カメラでもあればなあ……さすがに持ってないよな?君……な、何を背負っているんだそれは?」
トマは、戻って来たサリエルがあまりにも大きな袋を背負っている事に気付き、いぶかしむ。
「トマ、脱出しましょう、これ以上無い証拠を掴みましてよ。全ての物を元に戻して発覚を遅らせないと」
「あ……ああ……この手紙や日記はどうする」
「内容をトマが覚えていれば十分ですわ、急ぎましょう」
「一体、その荷物は何だ?」
「とても……あそこに残してはいけない物ですの」
トマとサリエルは城主の間を出て、元通り扉を蝶番に取り付け直す。
ランプも勿論元の場所に戻し、地下に戻って、勝手口に積まれていた家具を苦労して元通りに積み上げる。
それから木の枝を取って来て、そのあたりの土間についた足跡を掃き消し、庭から木戸へと戻り、引き千切ってしまった南京錠を形ばかり戻した。
それから二人は、河岸通りに戻ろうとするが。
「待て……」
「はい」
トマに制され、サリエルも茂みの中に身を潜める……大きな馬車の音が近づき、通り過ぎて行く……かなり急いでいるようだ。
「ギリギリだった。今男爵屋敷の馬車が通ったぞ」
「少し待ちましょうか?」
「そうだな……」
二人は男爵家の馬車が敷地内に戻り、暫く経ってから、なるべく物陰を通ってその場を離れる。
「気が気じゃないよ……こんな包みを抱えてたら、まるで泥棒じゃないか」
「いいえ、紛う事なき泥棒ですのよ……私達。ですがこれだけはどうしても、あの部屋に残したくはなかったの……」
カトラスブルグの市域を大きく迂回した為、伯爵屋敷に二人が戻ったのは午後十一時頃になってしまった。
「お嬢様に袋の中身と、私の手紙をお渡しして下さるかしら……御願い」
「この袋の中身を、そのまま見せればいいんだな?……俺はお嬢様に開けて貰うまで、中身を見ない事にしたけどな……君は何処へ行くんだ?」
「大丈夫、明日の朝には参りますわ。ですが、その時はサリエルと呼ばないで下さいね」
「オーバン・オーブリーだっけ?まああまり無茶をしないでくれよ……じゃあおやすみ、サリエル」
「おやすみ、トマ」
サリエルは長屋通りでトマに袋を預け、夜の街に消えて行く。
トマは袋のあまりの重さに驚くが、サリエルに言われた通り、それを何かにぶつけたり落としたりしないよう気をつけながら、屋敷へと持ち帰って行った。
翌朝。空は綺麗に晴れ渡っていた。
エレーヌは一人で起きてパジャマ姿のまま廊下に出て来る。いつの間にか朝食のワゴンが用意してある。
眉間に皺を寄せるエレーヌ。エレーヌは自分が命じる前にこういう用意をされるのが好きではない。屋敷の料理人は、主人の注文を聞いてから用意をするのでなければいけない。
それで早速料理人を呼びつけて雷を落としてやろうかと思ったが……昨夜からサリエルの姿が無いのだ。
本当にサリエルはどこに行ったのか?まさかまだ職場放棄を諦めていなかったのか?昨日最後に見た表情を思い出す限り、そうではないとは思うのだが。
そしてもう一つ、エレーヌは思い出した。このワゴンに乗せられた銀の皿とクロッシュの中にあるのは、朝食ではない可能性がある。
エレーヌはクロッシュを持ち上げる。
そこにあったのは、ごく普通の、プレーンオムレツとヨーグルト、クロワッサン、オニオンスープの朝食……に見えた。
狼犬のように、まず匂いを嗅ぐ伯爵令嬢。
オムレツからはバターの香りが、スープからはコンソメとタマネギの香りがする。クロワッサンは……僅かにチョコレートの香りが混じっている。しかし、チョコレートクロワッサンなら別段予想外の食べ物ではない。
普段、こういう事はしないようにしているのだが……エレーヌは自らワゴンを押して自分の部屋のリビングへ戻って行く。本当は伯爵令嬢は朝食のワゴンなど押してはいけないのだが、今日は特別だ。
リビングの窓辺にある四角いテーブルへ、エレーヌはワゴンを押して行く。椅子が一つだけある、自分のリビングで食べる時用ダイニングだ。エレーヌはワゴンの下に入っている陶器の白い皿をダイニングテーブルに並べ、ワゴンの銀の皿から自分で陶器の皿へと料理を移す。
そして椅子に座り、自分がサービスした料理に向き合う。
まずはやはり、オムレツに、ナイフを入れる。
卵か?卵だと思う。スポンジではない、エレーヌはそう読んだ。いざ、勝負。オムレツに見えるそれを、一口、エレーヌは口に入れた。
エレーヌは、椅子から滑り落ちた。
「これは……魚の練り物……そして地獄の鬼も悶絶する甘さ……ありません……ありませんわ……」
その時、誰かが扉をノックする。エレーヌは慌てて立ち上がり、ダイニングに乗せた皿を慌ててワゴンに戻し、クロッシュを乗せた。伯爵令嬢がセルフサービスで朝食を摂っていてはいけないのだ。
「サ……サリエルですの!?貴女どこほっつき回ってらしたの!!」
「もも、申し訳ありませんお嬢様!ポーラです!あ、あの、トマさんがお話しがあると……サリエルさんからのお託けだそうなのですが……」
エレーヌの怒声に、幼い声が答える。
ポーラに手伝わせ、着替えと身支度に十五分程掛けてから、エレーヌはトマを直接自分のリビングに呼ぶ。
ポーラはマナー通りにリビングへと続く扉を全て開け、今日は自分が小さなサリエルなのだという自負を胸に、リビングの片隅に立ってそれを見ていた。
「貴方ね、サリエルからの知らせがあるなら、もっと早くに持って来て下さらないかしら」
「申し訳ありません、昨夜戻ったのは午後十一時過ぎでしたので」
トマは例の大きな袋を担いでいた。
「……その袋の中身が、サリエルの言う動かぬ証拠とやらですの?アンドレイ様がスパイだの転任だのに関わっているという」
「サリエルはそう言ってましたね……私は中身を見ていません」
「貴方、自分が中身を見ていない物を、私のリビングの床にぶちまける気でいらっしゃるの?」
「そういう事になりますね……やはりやめておきましょうか?私も嫌な予感がするんです、サリエルが戻ったら開けてもらいましょう」
「面倒ね。もういいからそこで開けて下さるかしら」
「そうですか……では」
トマは女主人にそう言われると、袋の口を固く縛っていた紐を解き、緩める。そして袋の底を両手で握り……躊躇なく持ち上げた。
すると、袋の口から。
まず、エレーヌの頭が。
生足が。生腕が。
裸の胴体が。
ごろん、ごろんと。
転がり出て来た。
「きゃああああああああー!!」ポーラが。
「ひぃいいっ!?」トマが。
「ぎゃああああああああああああああああ!!!!」エレーヌが、悲鳴を上げた。
それが分解された蝋人形だと三人が気づくのには、十五秒程の時間が必要だった。
最後に、袋の底から一着のイブニングドレスが出て来た。




