見習い庭師トマと新米菓子職人ブルーノ 第十五話
『
アンドレイ様のお屋敷の奥でこれを見つけました
蝋の空蝉とはいえ
あの場所に残しておくのは余りにも忍びないので
持ち帰らせていただきました
周りはお嬢様の写真や肖像画で一杯でした
相手はそういう覚悟の方のようですので
こちらにも相応の覚悟が必要かと存じます
陸軍などに関するまともな情報は
トマが調べ上げました
私のようなぽんこつとは出来が違いますわ
私は学院をお休みさせていただきます
学院にはこちらで届けますので御対応は不要です
お嬢様の昼食は別に手配させていただきます
明日の朝、A・オーブリーがそちらに伺いますので
宜しくお取り計らい下さい
サル
』
袋からは一通の走り書きも出て来た。
「ふえええっ、ひっ、ふえっ、ええっ、えぐっ、ええっ」
エレーヌはショック状態に陥ったポーラをしっかりと抱き寄せて、その肩をとんとんと叩いていた。
「申し訳ありません……考えが足りませんでした」
トマはそう詫びながら、床に散らばったエレーヌの部品を袋に集めなおす。
「いいわよ……そこに置いといて」
「しかし……気色悪くは無いのですか?」
「どういう意味ですの」
「あ……いえ」
トマはとりあえず袋から手を離す。ポーラもどうにか気をとり直したようで、まだ少し息を引きつらせながらも、ぺこりと頭を下げエレーヌから離れる。
「サリエルが陸軍についても書いてますけど」
「海外派遣についてですが……本当は別に志願者が居て、その者に決まっていたようです。その者からすれば、派遣される直前でモンティエ大尉に出番を奪われたと。今日にも御本人を訪ねて、話を伺えないかと思っていますが」
エレーヌは溜息を漏らす。
「お待ちになって。私、ローゼンバーク家と喧嘩したい訳ではないのよ……ありがとう。この件に関してのお気遣いに感謝するわ」
トマは何かを言い掛けて、やめる。ここは食い下がる所ではない。
「では……何かございましたら、いつでもお呼び下さい」
そう言って一礼すると、トマは踵を返し立ち去って行く。余計な事は言わないし聞かない。主人が決めた事に食い下がらない。それがトマなりの美学だった……マネキンの処遇については、一言余計な事を言ってしまったが。
「ポーラ、もう大丈夫?」
「はい……すみませんでした、お嬢様」
残されたポーラはもう一度頭を下げ、退出しようとしたが。
「お待ちになって」
「あっ……ごめんなさい、ワゴンをお下げ致しましょうか?」
エレーヌに呼び止められ、ポーラは慌てて戻る。
「いいえ、手伝っていただきたいの」
「は、はい!何でしょう!」
女主人が何か頼もうとしている。ポーラは早く一人前のメイドになりたいと思っていたので、手伝ってほしいという、その言葉に胸をときめかせた。
エレーヌは床の自分の蝋の生首を見下ろす。
「これを組み立てますのよ……トマの言う通り、気色悪いですけれど……このままバラバラで置いておくのはもっと気色悪いですわ……」
ポーラはそれを聞き、半歩後ろに下がってしまったが、何とかそこで踏み止まった。サリエルなら断ったりしないはずだ、それがどんなに不気味な仕事でも。
こうして。本人とポーラの手で再び組み立てられたエレーヌの蝋人形は、とりあえず添付のイブニングドレスを着せられ、エレーヌのリビングのソファに置かれた。
登校時間が迫る。一階のダイニングで普通の朝食を済ませたエレーヌは一人、玄関を出る。今日はディミトリが見送りに出て来た。
「お忘れ物はございませんか?宿題の化学のノートはお持ちになりましたか?」
「サリエルが言っていたのね?持ちましたわよ」
「御明察でございます、では、お気をつけて」
エレーヌが馬車に乗り込むと、ディミトリは扉を閉める。
「御願いするわね」
普段御者に声を掛けるのは前の席に座るサリエルだが、今は居ないのでエレーヌが声を掛け、馬車は走り出す。
エレーヌは窓のカーテンを閉める。今日も例の男が監視しているようだ。エレーヌはそれに気づかないフリをする。
馬車は屋敷を出て長屋通りへと続く道を走り出す……
しかしその馬車が、五十メートル程進んで……止まる。
「お待ちいただきたい。私はレアルの大学講師でオーバン・オーブリーと申します。伯爵令嬢、エレーヌ・エリーゼ・ストーンハート様に御取次ぎいただきたい」
馬車の外で、誰かがそう言った……サリエルは本当に来たのか。一体何がしたいと言うのか……確かに自分は少しサリエルに負い目はあるが、物事には限度という物もある。
「……お断りして宜しいですか?」
御者がキャビンに声を掛けるが。
「いいわ。止まって」
エレーヌはそう答え、自ら扉を開け、馬車を降りる。
「御足止めして申し訳ない」
例のインバネスコートを着た人影が、エレーヌの馬車の行く手を塞いでいた。どうやら馬車の戸口の方へやって来るようだ。
エレーヌは道の向こうを見る。辻馬車が止められている……ここまでわざわざあれに乗って来たのか……エレーヌはそう思いつつ、サリエルに向き直った。
「エレーヌ嬢」
いつもより五センチメートルは高い視線。
「先日は失礼致しました。お誕生日の夜。きちんと御挨拶が出来なかった事は心残りでした。本当はもう少し早く来るつもりだったのですが……いえ……本当の事を言えば、私は少し怖気をふるっていた」
エレーヌの唇は小さく開いていた。開いたまま塞がらなくなっていた。
一瞬、本気で誰だか解らなかった。そこに居たのは予想していたあの日のサリエルでは無かった。きりりと切れ上がる目元、艶のある黒髪は丁寧にセットされ知的で高貴な印象を引き立たせている。凛々しく整った眉も、影のあるチークが巧妙に作り出したシャープなフェイスラインも、全てが完璧だ。これがサリエルなのか?これではまるで本物の耽美な美青年紳士、もしくはレアル少女歌劇団の男役トップスターではないか。
「貴女には既に素敵な方が。彼の花も実もある勇士、リシャール・モンティエ大尉が居るのだと。しかし大尉は」
声も相当に作っている。深みのあるよく響く低音、サリエルはこんな芸をどこに隠し持っていたのか。
「いつまでやってるの」
「任務によりこの国を離れ、遥か一万キロメートルの彼方へ旅立つという。私は決して卑怯な事はしたくない。しかしエレーヌ嬢!」
エレーヌは慌しく辺りを見回す。遠くから例の男が、無様な早歩きをしてこちらに向かって来ている。白々しく余所見をしながら。
「サリエル」
「ああ!コホン!失礼!貴女のような至高の花を目の前にしては男の矜持などと言ってはいられない!」
「サリエル!」
「貴女が!!他の男の物になるのなど!!想像するだに耐えられない!!それは身を引き裂かれるより辛い!!」
サリエル、と呼ぶエレーヌの声を、殊更大きな声を被せて潰して来るサリエル。
「お声が高うございますわ!!」
エレーヌの一際高い声に、サリエルは声を落とす。
「お嬢様。これだけはやらせていただきます」
「何を……」
サリエルは再び声を高める。
「今日の午後三時!ベアトリクス教会の庭園でお待ちしています!先日のお約束!私は忘れてはおりませぬ!」
エレーヌの手が、サリエルの腕を掴む。サリエルは身を翻し、追って来る監視者からエレーヌが見えないように覆い隠す。
それに気づいたエレーヌは、今一番言いたかった事を言った。
「貴女何勝手に髪を切ってるのよ!?私そんなの許可した覚えはありませんわ!」
サリエルは肩につくボブヘアをうなじの上までバッサリ詰め、左右も耳がしっかり出るくらいまで梳き、前髪も上げていた。
「御無礼致します」
サリエルはそう呟くと、エレーヌに強引に抱きつき、耳元でささやく。
「庭園には来ないで下さい」
そしてエレーヌが突き飛ばそうとした時には、サリエルはもう身を翻して離れ、背を向けて辻馬車の方に歩いて行く所だった。
「午後三時、ベアトリクス教会の庭園で!」
念を押すように。男装の麗人はそう言い残し、辻馬車に乗り込んで行った。




