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伯爵令嬢エレーヌ・エリーゼ・ストーンハートには血も涙も汗もない  作者: 堂道形人
見習い庭師トマと新米菓子職人ブルーノ

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見習い庭師トマと新米菓子職人ブルーノ 第二話

 翌日。伯爵屋敷の庭の、栗の木が立ち並ぶ一角で、サリエルはポーラを連れ栗拾いに興じていた。

 伯爵令嬢エレーヌは栗拾いが好きで、毎年自分も参加するのを楽しみにしていたのだが。最近のお嬢様は少し様子が変わってしまった。


 サリエルは心中密かに、幼いポーラが楽しげに栗を拾う姿に、幼い頃のエレーヌの姿を重ねる。一つ年下のエレーヌは、あの頃は自分より少し背が低かった……


「サリエルさん!すごく大きな実がありました!」


 ポーラの声で現実に戻るサリエル。姿を変えて行く物事もあるけれど、この平和がいつまでも続けばいい。そう願わずにはいられない。


 ふと見ると。屋敷の正門前に誰か来ている……背の高い美丈夫……あれはリシャール・モンティエ大尉だ。大尉がここに来るとは思わなかった。何かあったのだろうか。

 今日は門番をしている庭師見習いのトマと話しているようだが、自分は杖術で大尉の弟弟子に当たるのだから、挨拶に行くべきだろう。


 サリエルはポーラにそこに居てと手で合図し、自分は正門の方へ行こうとする……しかし。モンティエはサリエルに気づくと軽く会釈をして、軍帽を被り直しながら、そのまま振り返って立ち去って行った。


「……あら」


 サリエルはそれでもとりあえず正門まではやって来たが、モンティエは振り返らず去って行く所だった。


「大尉はどうなされたのかしら?」

「ちょうど良かった。お嬢様にこれを届けて欲しいんだって。君が持って行った方がいいな」


 トマが差し出したのは、一通の事務用の封筒だった。封もしていないそれは、少なくとも恋文などには見えない。



 サリエルは先日の、市街中心地のロータリーでの騒ぎを思い出す……あまりにも恥ずかしいので、意識的に記憶の中に居座らないように遠ざけていたのだが、こうして思い出してしまうと今でも赤面してしまう。

 そしてあの日のサリエルの記憶には曖昧な所も多い。確か大尉が空からお嬢様を助け出して、だけど山車とエレーヌを繋ぐロープが取れてなかったので、それを取ろうとしたら特大の静電気みたいなものに背中を打たれて……それからどうしたか。


 お嬢様はあの件について何も言わない。特大のお叱りを受けると思っていたのに。


 あの山車行列を魔改造した上、エレーヌを乗せて市街地へ繰り出したのはジョゼだが、そのジョゼを巻き込んだのはサリエルなのだ。そもそも山車行列を考案したのはサリエルだし、サリエルは主犯だと言ってもいいだろうに。


 エレーヌを、ジョゼを、沢山の町の人々を、そしてモンティエまでを巻き込んだあの大騒ぎ……モンティエがここに来た事は、あの騒ぎと関係があるのだろうか。


 サリエルは改めて、飾り気の無い字で「エレーヌに」とだけ書いてある事務封筒を見つめる。封はしていない。封はしていないが……中を見る勇気は出ない。

 警察からの呼び出しか。裁判所の出頭命令か。そんなまさか。それなら郵便で来るだろうし、封をしてない訳が無い。



 そこへ。屋敷の方からジェフロワの呼ぶ声がする。


「そこに居たかサリエル!ポーラも連れて、ちょっと来てくれないか!」



 二人が呼び出されたのは、伯爵屋敷のキッチンの隣にある、使用人用の簡素なダイニングだった。


「凄い……これ、お菓子で出来てるんですか!?」


 ポーラは目を丸くしていた。それはまるで動物園だった。ライオンの顔とたてがみは別々のドーナツ生地で出来ているようだ。チョコレートたっぷりのマーブルブレッドは象の形をしている。そしてチョコレートでコーティングされたバナナを組み合わせて作ったゴリラ。顔もチョコレートを組み合わせて作ってある。


 サリエルは溶けかかってしまったかのように、壁に半ば貼り付いていた。


「どうですか!これなら味が想像出来ないし楽しそうで」「有り得ませんわ!」


 得意げな料理人、ブルーノの台詞を、サリエルは途中で遮る。

 そうだ。お嬢様の誕生日、あの日はエレーヌがクリスティーナ奥様に手料理をせがんだ為、ジェフロワ以外の料理人は急遽休みになったのだ。

 つまりブルーノはあの行列を見ていない。だからこれは悪気は無い、悪気は無いのだが。何故……よりによって象とライオンとゴリラなのか。


「ごめんなさい、ブルーノ……貴方が悪いんじゃないの、だけど……今のお嬢様にこれをお出しするのは、闘牛の牛に赤いマントを振ってみせるようなものですわ」

「やっぱりそうか……俺もそんな気がしたんだが……」

「ジェフロワさん!見ていたならどうして止めてあげなかったんですか!」

「いや……俺が見た時には半分完成していたんだ、だから」


 ポーラが心配そうに、サリエルの袖を引っ張りながらブルーノを指差す。ブルーノは、ダイニングテーブルに両手を突き、俯いて震えていた。


「待って!本当にブルーノが悪いんじゃないの、強いて言えば悪いのは私で」

「そんな訳が無いでしょう……僕がお嬢様にと作った物で、サリエルが悪い何て話になる訳が無い……悪いのは僕だ……」


 ジェフロワも、震えるブルーノの肩を叩く。


「ブルーノ。ちょっとした誤解なんだ、お嬢様は今ちょっと象とライオンとゴリラが苦手になっているだけで……」

「そんな訳がありませんよ!僕に才能が無いんだ!」

「ブルーノ!!」


 ブルーノは師匠のジェフロワの手を振り切り、ダイニングの勝手口から裏庭へと飛び出して行ってしまった。



「……まあ、ブルーノには後でちゃんと説明しておくから。すまなかったな、騒がせて」


 ジェフロワはそう行って、ブルーノが作ったライオンドーナツと象マーブルブレッドとゴリラチョコバナナを片付けようとする。


「ああ……ポーラ、ゴリラだけでも食べてみるか?残りはリフォームして晩のデザートにしてみるか」

「あ、あの、私こんなに食べきれないです……」

「私と分けましょう、ポーラ」


 ジェフロワはライオンと象を持ってキッチンに戻って行く。サリエルとポーラはゴリラを分解して普通のチョコバナナにしてから食べる。


「美味しいです!私……バナナも初めてです」

「私も滅多にいただけませんわ……味は文句のつけようがありませんのに……」


 キッチンの奥からジェフロワが言う。


「だがこれは味が想像出来ないおやつではないな。ブルーノはその点ではどうなんだ……ライオンの姿をしていようが、ドーナツはドーナツだろう……いや、ちょっと待て!あいつ生地の中にカスタードクリームを仕込んでいるぞ!」


 ジェフロワは皿を手に、ダイニングに戻って来る。


「象には生クリームだ、よく見ると一度カットして中をくりぬいて、これを仕込んで綺麗に元に戻してあるんだ」


 次の瞬間、サリエルは思わずフォークを落としてしまった。


「バナナも……一度切って中にパイナップルや黒豆を仕込んでありますわ……」


 ブルーノの工夫はサリエルやジェフロワを驚かせた。ポーラはただ美味しいと思って食べる事に夢中になっていた。

 ジェフロワはブルーノに謝らなくてはならないなと思った。

 そしてサリエルは、驚いたせいで大事な事を一つ忘れてしまった。




 広い伯爵屋敷の敷地の周りは、色々な人間が通行する。

 それがごく普通の小作人のような格好をしていたり、鍛冶屋通りの見習いのような格好をしていれば、誰も気には留めない。ここはレアルのような大都会ではないが、街中全員が知り合いであるような田舎でもない。


 それでも一日に数回同じ人物が通るようだと、何となく記憶に残ってしまう。

 屋敷の外周の生け垣の手入れを任されていたトマは、鋏を振るうふりをしながら、その人物の動きを目で追っていた。

 どこにでも居るような中年男だが、この辺りの人間ではない。それがさりげないふりをして通りかかる。

 あの男、昨日はお嬢様が学校に出掛ける時と、戻って来た時にも現れた気がする。今日は休日でお嬢様はずっと屋敷に居るのだが……


 あの男、もしかしてお嬢様を監視してるんじゃないだろうか。トマにはそう思えた。

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