見習い庭師トマと新米菓子職人ブルーノ 第一話
(ヽ´ω゛)二週間のご無沙汰となってしまいました。申し訳ございません。
伯爵屋敷の庭の落葉樹が黄色く色づいていた。日々深まり行く秋の気配が庭の色彩を変えて行く。
「痛っ!」
落ち葉を片づけていた庭師見習いのトマが頭を押さえる。
「だから帽子を被れと言ってるんだ…ああ、大きな実が入ってるぞ」
トマの頭に落ちた栗を、師匠のエドモンが拾う。
確かに、いが殻の中に、真ん丸の大きな栗の実が入っている。
「ジェフロワ達に知らせて、美味い菓子でも作ってもらおう。その前に栗拾いをやらないとな……去年はちょうどオーギュスト様が御戻りになられたんだが」
屋敷の主、オーギュスト伯爵は西の海の彼方の新興大国への訪問を終え、首都レアルには戻っていたものの、ここカトラスブルグの屋敷には一度も戻っていなかった。去年は彼もここに居て、娘であるエレーヌと共に栗拾いに興じたのだが。
伯爵令嬢エレーヌ・エリーゼ・ストーンハートは、自分専用のリビングの奥の、寝室の窓辺に居た。近頃では学院から戻って来るなり部屋に篭ってしまうので、まるで本当に深窓の令嬢のようだ。
屋敷の庭には様々な工夫が凝らしてある。リビングの窓辺からは庭園やブドウ畑を見回す事が出来るが、寝室の窓辺、とりわけエレーヌの寝室の窓辺の周囲は幾重もの常緑樹の枝葉に覆われており、外からは見えにくいようになっている。
少し前まで段平の手入れをしてどこかで振り回していたり、鉄の箒を振り上げメイドを追い回していたりしたお嬢様が。窓辺に大人しく膝を揃えて座り、詩集などめくりながら時折ほんのり頬を染めておられる。
エリーゼには落ち着きが必要だと、その母親のクリスティーナ様はおっしゃっていたが。一体どんな劇薬を飲まされたらこうなるのか。
そして自分は名実ともにエレーヌの第一秘書ではなかったのか……サリエルはそう思っていた。今も側に居るのは自分だけだ。それなのに。
エレーヌに何があったのか。それを自分は知らない。
自分が知らないのは仕方ないが、どうもヘルダやディミトリは知っているらしい。
「あの……お嬢様……何かおやつをお持ち致しましょうか?」
サリエルは寝室の外から声を掛けた。別に寝室に入るなと言われている訳ではないし、今日だってシーツを取り替える為に入っている。
「……食欲がありませんの」
そして先日からずっと続くこの有様だ。おやつを欠かす事なんて今まで無かったのに。そして……
「でも……そうね、サリエル、私の代わりにいただいてきて下さらないかしら?」
エレーヌは振り向き、苦笑いを浮かべて言った。
「私、本当に食欲がありませんの。でも最近、ジェフロワが……ブルーノでしたかしら?若い人にデサートや菓子作りを任せる事にしたと聞きましたわ。私がいただかない理由はブルーノとは関係ありませんのよ?ですから……貴女が代わりにいただいて、ブルーノに感想を申し上げて下さるかしら?」
サリエルは挨拶をしてエレーヌの元を離れ、厨房に向かった。
厨房ではそのブルーノが、女主人からの知らせがあるのを、半分は待ち侘び、半分は恐れていた。その為ブルーノはサリエルが来たのを見て緊張感を露わにする。
「あ、あの……お嬢様は、何と……」
サリエルは息を呑む。こんな所にも、エレーヌの劇薬の影響が出ている……
「ブルーノ、お嬢様は本当に食欲がありませんの、それだけですのよ」
ブルーノはそれを聞いてガックリと肩を落とす。
「お嬢様も気にしてはいらっしゃいますのよ、だから私に味見をするようにおっしゃられて、ですからその……私がいただければと……」
若いブルーノの師匠である伯爵屋敷の料理長、ジェフロワは腕組みをして言った。
「サリエルは優しいからそうは言うが。あの食いしん坊のお嬢様が匙をつけないからには、何かがあるのさ」
「ち、違うわ!ジェフロワさん、それは違います!」
サリエルは即座に否定する。しかしジェフロワは腕組みを解かない。
「サリエル。料理人には料理人の勝負があるんだ……匙をつけて貰えない料理人を救う事は、今のお前には出来ない」
「そんな……」
「だが俺は、ブルーノの腕は決して劣っちゃいないと思う。試食してみてくれ。そして……お嬢様にとっては何が足りないのか、教えてくれ。それが出来るのは多分お前だけだろう、サリエル」
今日、ブルーノが用意したおやつは、カスタードプリンの周囲に生クリームやフルーツ、焼き菓子をあしらった物だった。正直これで美味しくない訳が無い。
強いて言えば甘過ぎる事くらいだろうか?だけどお嬢様は甘い物は甘くていいと考えているはず。ブルーノもそれを考慮して作っているはずだ。
結局の所、お嬢様は今本当に甘い物が欲しくないだけなのだ。一体お嬢様に何があったのか。それを知らないとブルーノを救う事も出来ない。
「……いかがですか」
サリエルは妄想から引き戻される。しまった。何も考えずに食べ終えてしまった。口の中には全く問題の無い幸せな余韻が残されているだけだった。
とても美味しい。だけど、今、席についてプリンを食べている自分をずっと見つめていたブルーノが待っている答えは、そんな単純な物ではないだろう。
何か。何か言わなくては。
「え、ええ……口当たりも味わいも完璧と思いますわ」
「だけど、召し上がっていただけないのです!」
「それは……普通に美味しいからかもしれませんわ」
サリエルは自分が何を言おうとしているのか、自分でも解らなかった。
「完璧なプリン、ふわふわの生クリーム、フルーツに焼き菓子、とても美味しいのですけれど、どれも一目見ただけでどういう味か解る物ですので……食欲不振のお嬢様にとっては、見ただけでお腹が一杯になってしまうのではないかと……」
ジェフロワが突然大きく手を打った。サリエルは少々驚いて小さく震えた。
「ほれみろ!それだ!」
ブルーノはがっくりと片膝を着き、掌に顔を埋める。
「お待ち下さい、あの、私、もしかしたらとか、そういう意味で申し上げただけで、私の感想は決してお嬢様の意思を反映したものではなくてですね、その」
サリエルは慌てて言葉を継ぎ足したが、立ち上がるブルーノとジェフロワが、厨房へ駆け戻って行く方が先になった。
ローゼンバーク男爵家。その屋敷はカトラスブルグ市街を挟み、ストーンハート家の屋敷のほぼ反対側、エイル河の畔にある。
いずれもカトラスブルグを代表する名家である両家の間には、昔から様々な誼も因縁もあったが、近年では大きな関わりは持って来なかった。
ローゼンバーグ家は伝統的にカトラスブルグの陸軍師団との関わりが深い。先に亡くなった当主は名誉師団長であったし、現当主のアンドレイ・アンセルム・ローゼンバークも少佐の階級でありながら名誉顧問として参与している。
一方、ストーンハート家はカトラスブルグに封土を持つものの、昔から中央との結びつきの方が強く、地元の軍閥とは疎遠だった。
そのローゼンバーグ家当主アンドレイは二十五歳。長身痩躯の美男子で、相応の浮名も流していなくはないのだが、未だ身を固めていない。
実の所ローゼンバーグ家の親戚筋は、以前からアンドレイとストーンハート伯爵令嬢、エレーヌとの縁組を打診して来ていた。
表向き、この話はアンドレイ本人は知らぬ事となっている。
ローゼンバーグ家の申し入れとあれば、ストーンハート家も無碍には出来ない。エレーヌの父オーギュストは以前、偶然を装いエレーヌとアンドレイをバルタザールの店で引き合わせてみたのだが。
何故か。
エレーヌの我侭でクビにした男が店の料理人に収まっていて、見事な腕を披露しており、それを知ったエレーヌが顔色を変え慌てて帰ってしまうという醜態を演じる事となり……それ以降。ローゼンバーグ家からの打診も無くなっていた。
この件については正直な所、オーギュストは少しホッとしていた。多分に政略結婚の臭いを含んだこの縁談は、最初から余り気が進まなかったのだ。
アンドレイ本人の性質についても、表向きは知性溢れる好青年だが、少し利口過ぎると思っていた。
そのアンドレイ・アンセルム・ローゼンバーグは書斎で、伯爵令嬢エレーヌ・エリーゼ・ストーンハートに関する最新の報告書に目を通し、顔をしかめていた。




