十月のエリーゼ 第六話
それから二日が過ぎ、決戦まであと四日と迫った、十月三日。
ポーラの熱は下がっていたが、ヘルダ達はポーラにもう一日だけ休むようにと言っていた。
「もう大丈夫です、私も働けます…」
「いいのよ、ポーラ…はぁ…こんな事言っては何だけど…貴女、もう五日ばかり寝込んでいても良かったのだわ…」
そんな朝。
「お嬢様!お嬢様はどちらですか!!」
血相を変えたサリエルが、エレーヌの部屋の方から出て来た。
学院の制服姿のサリエルは、エレーヌが部屋に居るものだと思ってたった今飛んで来たのだが、エレーヌは居なかった。
「朝から騒々しいわねサリエル…ポーラは良くなったけど、もう少しお静かに…」
通りかかったヘルダが嗜める。そのヘルダに、サリエルは一通の手紙を見せた。その封筒には、薔薇の封蝋がしてあった。
「きゃあああ!!」
今度はヘルダが悲鳴を上げた。
「お嬢様!どちらですか!!」「大変です!!お嬢様!!」
騒がしいメイドは二人になった。サリエルとヘルダは手分けをして、屋敷中を駆け回る。
「うるさいわね」
エレーヌはオーギュストのリビングの方から現れた。制服姿の伯爵令嬢は登校前だというのに、また隠し部屋で段平を振り回して一暴れしてきた所だった。
「お…お嬢様…」
ヘルダは必死で呼吸を整える。
「ク」
「嘘よ」
ヘルダが何とか口を動かし、最初の一言を発音した瞬間、エレーヌは目を見開き、ぴしゃりと言った。
「ク」
「お黙りなさい!!」
「クリス」
「嘘よ、嘘!!そうでしょう!?冗談だと言って!?」
エレーヌは青ざめ、ヘルダの両肩を掴んで激しく揺さぶる。
そこへ、サリエルが駆けつけて来た。サリエルは必死で口をぱくぱく言わせていたが、言葉が出なかった。それで代わりに…その封筒の薔薇の封印を指差す。
「きゃあああああああ!!」
エレーヌはますます目を見開き、悲鳴を上げて頭を掻き毟った。
「クリスティーナ奥様が…お母様がいらっしゃいます!!…お嬢様…」
クリスティーナ・ローザンヌは、エレーヌ・エリーゼ・ストーンハートを産んだ、実の母親である。彼女は結婚後もローザンヌ公爵家に住み続けており、ストーンハート伯爵屋敷には滅多に来ない。
エレーヌにとって、彼女の存在は「上位種」の一言だった。
自分は伯爵令嬢だが、向こうは公爵令嬢である。
身長も母の方が5cm高い。当たり前だが年も上だ。
冷酷さも苛烈さも声量も暴力も…全てが上の存在。
それがクリスティーナだった。
エレーヌは屋敷に住む使用人を一階の大きな部屋に整列させた。以前、ミリーナとコンスタンがレッスンに使っていた部屋である。
「全員揃いまして?」
「お嬢様、ポーラはまだ寝かせてあります」
「…仕方無いですわ。ポーラは…サリエル!後で貴女の部屋に移しなさい!匿うのよ…あの子には戦はまだ早いわ…」
「はい、お嬢様!」
綺麗に整列した使用人達。メイド、執事、コックに庭師…皆、一様に直立不動、その表情は緊張し張り詰めていた。
「状況を説明しますわ!本日午前八時、サリエルが正門で郵便配達夫よりこの恐るべき知らせを受け取りましてよ!今開封して読み上げますわ」
エレーヌは封蝋を引き千切り、中の便箋を取り出す。
「…ごきげんよう。お父様が居ないからといって、好き勝手にしてないかしら。レアルでおかしな噂を聞きましたわ。ピエロを呼ぶそうね?随分楽しそうですこと。私もお邪魔しようかしら、近いうちに。追伸。エリーゼ貴女ね、そろそろ縁談の一つくらいございませんの?…クリスティーナ…ローザンヌ!!」
エレーヌは便箋を封筒に戻すと、暖炉の火の中に投げ込む。
「お嬢様!」
「静かに!」
何かを言い掛けるサリエルをエレーヌが制する…普段のようにお黙りと言わないエレーヌの姿に、サリエルは引き下がり、沈黙する。
「今は規律と戦意以外必要ありませんわ。ジェフロワ…貴方の持ち場が主戦場になる公算が高いわね」
伯爵屋敷の料理長、ジェフロワは一歩前に出る。
「前回の教訓を生かし、必ず被害を最小限に食い止めてみせます…しかし…オルフェウスの代わりに入った新人はまだ教練中で…」
「不足は仕方ありませんわ。必要な資源があればその都度おっしゃって。ディミトリ。ジェフロワには出来る限り優先して供給するのよ」
「かしこまりました」
執事長のディミトリがきちんと礼をする。
筆頭庭師のエドモンが呟く。
「ブドウの収穫が終わっている事は、幸いでしたね…」
「そうですわね…本当に…」
エレーヌは目を細め、窓の外のブドウ畑を見つめる。
数秒。
「あの女は来ると言ったら必ず来ますわ。たった今現れてもおかしくなくてよ…各員よくよく肝に銘じて、如何なる時も怠らず準備に努めて。そして…」
エレーヌは一度言葉を切り、腕組みをして皆を見渡す。
「どんな状況に陥っても、決して諦めてはいけませんわ!あの女の姿が見えなくなるまで!油断せず!諦めず!前を向き続けるのよ!」
女主人によって戒厳令を敷かれ、伯爵屋敷の様相は一変した。
十分後。
「行ってらっしゃいませ、お嬢様」
綺麗に整列したメイド達が、馬車に乗り込むエレーヌとサリエルに、揃って礼をする。エレーヌとサリエルも、きちんと踵を合わせて礼をする。
「行って参ります」
今日のエレーヌは自分の鞄を自分で持っていた。そしていつもは自分で開け閉めする馬車の扉をディミトリに開けてもらう。
サリエルも馬車に乗り込み、ディミトリが扉を閉める。
エレーヌはサリエルに通学鞄を放り出す。サリエルは溜息をつく。
「大変な事になりましたねぇ…」
「貴女もね、古いガレージに篭って何を企んでますの?まさか去年みたいな事をするつもりではないでしょうね?」
サリエルはぴくりと震えた。去年は英雄譚の世界を再現しようとハリボテを製作したのだが、赤ら顔の男やグロテスクな怪物のハリボテをお嬢様は気に入ってくれなかった…というか激怒した。
だから今年はメルヘンチックな物にしたのだ、可愛い動物達やランプの魔人…今年は去年みたいな事は無いはず。サリエルはそう思っていた。
「は、はい!去年みたいな事はございませんわ!」
サリエルは笑顔で答える。
ランプの火が移り炎上する英雄像。爆発飛散する二頭身のお姫様を模した巨大風船。たちはだかるヒドラ像。炎に浮かび上がる憤怒するエレーヌ…大丈夫、今年はあのような地獄絵図にはならないはず…サリエルはそう思っていた。
活動報告に書かせていただいたのですが、個人的事情で今後は更新が遅くなるかと思います。
誠に申し訳ありませんが、今後ともお付き合いいただければ幸いです。




