二話
ロードが唐揚げ棒を咥えたまま、じっと男を見ていた。
黒い眼球。
濁っているのに、人間みたいな感情がそこにあった。
警戒。
観察。
そして僅かな苛立ち。
近い。
店内に入ってきた事で余計に分かる。
デカい。
肩幅だけで人間一人分はある。灰色の皮膚は岩みたいに硬質化し、その隙間から黒い筋が血管みたいに浮かび上がっていた。
臭いも酷かった。
血。
腐肉。
濡れた獣の臭い。
その全部が混ざっている。
こんな化け物が、普通にコンビニで唐揚げを買っている。
頭がおかしくなりそうだった。
「そんな警戒しなくても襲いませんよ」
玖条がレジ越しに言う。
眠そうな声。
まるで客同士の揉め事を面倒がる店員みたいな口調だった。
「……襲わ、ない?」
男が乾いた声を漏らす。
ロードの黒い目がゆっくり男へ向く。
「……店ノ中」
掠れた声。
石を擦り合わせるみたいな、不快な音。
「殺セナイ」
男の背筋がぞわりと粟立つ。
理解している。
こいつは、この店のルールを。
「境界ですから」
玖条がホットスナックケースを閉じながら言った。
「世界と世界の間、みたいなもんです」
玖条が気怠そうに棚を見回す。
「だから店内で暴れると、結構怒られるんですよ」
「誰にだ……」
「店に」
意味が分からない。
だが。
玖条は冗談を言っている顔ではなかった。
ロードが唐揚げ棒を噛み砕く。
バキ。
骨まで砕く音。
熱い油が口から垂れ、灰色の顎を伝って床へ落ちた。
外のハウンド達が一斉にざわつく。
「ギィ……」
「グル……」
欲しがっている。
犬みたいだった。
「お前ら、唐揚げ好きなんだな……」
思わず男が呟く。
ロードの黒い目が向く。
「油、旨イ」
「……」
本当に会話している。
男は頭痛を覚えた。
昨日まで人類の敵だった化け物が、コンビニでホットスナック談義をしている。
しかも。
ロードは妙に賢かった。
言葉を理解しているだけじゃない。
感情がある。
知性がある。
それが逆に恐ろしかった。
「……なんで人間を襲う」
男が低く聞く。
ロードは少し黙った。
黒い眼球がゆっくり細くなる。
怒ったようにも見えた。
「人間、先ニ撃ッタ」
男の眉が動く。
「……何?」
「火。音。鉄」
ロードが低く唸る。
「子、死ンダ」
店内の空気が少し重くなった。
外のハウンド達まで静かになっている。
「最初、我ラ、見テタダケ」
ロードが続ける。
「違ウ世界。違ウ空。違ウ臭イ」
掠れた声。
だが、その言葉には確かな感情が混ざっていた。
「人間、捕マエタ」
男の顔が僅かに強張る。
「檻。薬。火」
ロードの鉤爪が床へ食い込む。
ギリ、と白いタイルが砕けた。
「子、燃ヤサレタ」
「……っ」
「腹、裂カレタ」
男が言葉を失う。
玖条は黙ったままレジを拭いていた。
「人間、怖ガッタ」
ロードが低く言う。
「ダカラ先ニ殺シタ」
男の脳裏に、空が割れた直後のニュース映像が浮かぶ。
“未知の生物を確保”
“危険性を調査”
“生体解剖”
専門家達が、恐怖と興奮を混ぜた顔で語っていた。
男は、何も言えなかった。
「……それでも」
絞り出すように男が言う。
「お前らは、人を喰った」
ロードは否定しなかった。
「腹、減ル」
静かな声だった。
「我ラモ、死ヌ」
店内の蛍光灯が小さく唸る。
冷蔵庫のモーター音。
肉まんの湯気。
その日常みたいな空気の中で、化け物が淡々と話している。
「向コウ側、壊レタ」
ロードが言う。
「食ウ物、ナイ」
そこで初めて。
男は理解した。
侵略じゃない。
こいつらは。
逃げてきたのだ。
自分達の世界から。
「……最悪だ」
男が呟く。
誰が悪いのか分からなかった。
人間か。
化け物か。
それとも。
世界そのものか。
その時だった。
ピシッ。
空気が震えた。
ロードの黒い目が細くなる。
外のハウンド達が一斉に低く唸った。
「グルルルル……」
さっきまでの空気が消える。
緊張。
殺気。
獣の臭い。
玖条が面倒そうに顔を上げた。
「あー……」
嫌そうな声。
「来ましたね」
「な、何が」
玖条は答えない。
男も外を見る。
そして。
息を呑んだ。
崩れたビルの壁。
そこに、“白い何か”が張り付いていた。
「……なんだ、あれ」
人型だった。
だが細い。
異様に。
骨だけみたいな身体。
白い外殻。
昆虫みたいに折れ曲がった四本の腕。
そして。
顔がない。
あるべき場所が、真っ黒な穴になっていた。
ぞわり。
男の全身に鳥肌が立つ。
本能が叫んでいた。
あれはヤバい。
ロードが低く唸る。
「……シェイド」
そこには、さっきまでの余裕がなかった。
明確な敵意。
いや。
恐怖に近い。
シェイドは動かない。
壁に張り付いたまま。
真っ黒な“顔”だけが、ゆっくりこちらを向いている。
その瞬間だった。
ギャッ!!
外でハウンドの悲鳴が響いた。
男の目が見開かれる。
一匹。
ハウンドが宙に浮いていた。
「な……」
見えない。
何が起きたのか分からない。
だが。
ハウンドの身体が、ゆっくり捻れていく。
みし。
みしみし。
骨が軋む音。
「ギ、ギィィィィィッ!!」
絶叫。
そして。
ぶち。
ハウンドの首が、雑に引き千切れた。
青黒い血が道路へぶちまけられる。
「……っ」
男の呼吸が止まる。
強い。
いや。
強すぎる。
ハウンドが。
あの化け物が。
虫みたいに殺された。
さらに。
もう一匹。
ぐしゃ。
今度は上半身ごと潰れた。
見えない何かに押し潰されたみたいに。
青黒い肉片が道路へ飛び散る。
ハウンド達がパニックになった。
「ギィィィィ!!」
「グルルルル!!」
一斉に逃げ始める。
だが遅い。
びちゃ。
一匹の身体が真っ二つになった。
遅れて、道路へ内臓が落ちる。
ロードの黒い眼球が細くなる。
殺気。
明確な怒り。
玖条が小さくため息を吐いた。
「店の前でやられると掃除が面倒なんですよねぇ……」
その言葉に。
男はゆっくり玖条を見る。
外では化け物同士が殺し合っている。
だというのに。
この男だけが。
本当に。
コンビニ店員みたいな顔をしていた。




