13話 個性豊かな遭遇者たち
「悪いな……お前にずっと構っていてやれるほど、暇じゃない」
そう大サソリに告げ、リアムは具体的な行動を開始した。
具体的な行動―それは、風魔術である。
刃などに形を整えるのではなく、ただ風を天井の巨大なシャンデリアに飛ばす。風でシャンデリアのオーナメントが揺れ、シャラシャラと涼し気な音が鳴るのを確認すると、風魔術を維持したまま、次に拡声魔術を構築した。
拡声魔術は普通、術者周辺で発せられた音を大きくし、遠くまで届けるものだが、術式にやや工夫を加えれば術者から離れた地点で発生した音の音量を大きくすることも理論上可能である。
少しずつ術式を組み上げつつ、リアムは詠唱までの間に独り言をこぼす。
「……僕は魔術をきちんと習ったわけではないからな」
実戦で思い通りに魔術式に創意工夫を施すことは中々難しい。組み立てるつもりの魔術式を思い浮かべながら、変更が生じる度にそれを作り変えつつ構築するのだ。難解な計算式を暗算でこなしつつ、途中で式に入る訂正を即座に反映させるのと同等の難しさだろう。
リアムは<従事者>の知り合いから二月ほど魔術教育を受けただけだ。その際にセレナイト学園にも入れるほどの才能はあると言われたが、任務でもないのにわざわざ通う気にはならなかった。多少忙しくなっても不自然でない年齢の内に通っておけば良かった、と言ってももう遅い。
レティアなら瞬時にやってのけるだろうが、もともと術式構築は不得手な方だから、かなりの集中力を要した。
それでも大サソリの振るう攻撃を回避しつつ、やり遂げた。拡声魔術を発動する。座標はシャンデリアに固定―それにより、オーナメントの衝突によって発生する音が何倍もの大きさに膨れ上がった。
そして、さらに今回は拡声魔術に指向性を持たせる。座標を指定し、そこに向けて音を集中させるのだ。結界術も応用すれば、特定の空間だけその効果を発揮させることも可能である。その座標として大サソリの位置を使用する。
すぐには大サソリの様子は変わらない―が、しばらくすると動きが精彩を欠き始める。
これには生態上の理由がある。
サソリは夜行性の生き物だ。故に視力は発達していない。その代わりとして、周囲を感知するのが腹部にある櫛のような形をした器官と、鋏などにある細かい毛なのである。その中で、音を空気の振動として感知するのは毛の方だ。聴毛と呼ばれ、それはシャンデリアが立てる音を感じ取る。
聴毛は過敏な器官だ。些細な変化も拾い上げる―それに、大音量を浴びせたらどうなるか。
答えは、大サソリの様子を見れば自明である。
大サソリの動きは数分も経たぬうちに狂乱へと陥った。
まるで絶え間ない激痛に晒されているかのように、前後不覚のパニック状態となる。その巨体をのたうち回らせ、出鱈目に鋏や脚を動かして屋敷の床を破壊する。
この拡声魔術が攻撃と見做されるかは微妙なラインだろうと思っていたが、問題なかったらしい。あの音を始めに鳴らしたとき、リアムの感想は『涼し気な音』ということだったからか。大サソリがあまりの巨体だから、涼し気なその音がしっかり届くように魔術を使った、という判定らしい。
どうもこちらの意識に効果が引っ張られる固有魔法である。
先ほど、途中で見かけた<従事者>にとあるものを頼んでいた。それを受け取りながら呟く。
「……まさか、ここまでとは思っていなかったが」
しかし、この方が都合はいい。散々に暴れまわったおかげで大サソリの巨体がひっくり返ったのを確認すると、リアムは右手に持った瓶の中身をチラリと見た後走り出した。
少し離れた所に立っていたのだが、すぐに大サソリのもとに辿り着く。瓶にナイフを打ち付けながら、床を強く蹴り上げ、空中に躍り出た。瓶にヒビが入る。そして、強固な殻がいくつも並んだそこに隙間を瞬時に見つけると、瓶の中身―ワインをぶちまけた。
ワインが破片とともに大サソリへと降り注ぐ。破片は攻撃と見做されたらしく、全身を引き裂くような痛みが襲ったが、反応は歯を食い縛るだけに留める。ワインが殻の隙間へと流れる瞬間を待ち、その手前で、ワインに炎魔術で引火した。
その刹那、炎は夜を染め上げるかのように燃え広がった。
強固な殻も、内側からの熱には無力であった。隙間からワインとともに炎が侵入した瞬間、まるで熱い鉄板に乗せられたエビのように大サソリの巨体は弓なりに反る。ワインが流れ込んだ箇所だけでなく、ありとあらゆる隙間から激しい炎と煙が噴き出す。
しかし―リアムは体内に入る前のワインに引火しただけである。
そして、ただの炎を殻に受けただけであれば、その魔術がそっくりそのまま返ってくるだけ。威力は弱くした。せいぜいマッチ程度だ。少し服の袖が焦げるが、リアムは負傷しない。
「何、すぐに終わるさ」
音に、炎にとのたうち回る様子があまりに痛々しく、しかしだからといって今から何かしてやることはできない。消火してやる気はない。トドメをさせばこちらにダメージが返ってくるのだから、その気もない。ただ、苦しむ様子を眺めていた。
その、強者ならではの余裕を感じ取ったのだろうか。
リアムとの格付けは済んでしまっている。大サソリはリアムにてんで敵わない。
そこで―怪物の本能が、不用意に近寄ってきた、協力してくれている<従事者>を道連れにしようと動き出す。
そこまで精彩を欠いていた動きが、意思を持った。
脚を必死に動かして移動し、太い尾を振り回し、何の警戒もしていないその男を殺さんとする。
その大サソリの行動について、男は手遅れになってから気付いたらしい。どうにもできず、悲鳴を上げて蹲る―が、男の想像のようにはならない。
リアムは両者の間に割って入った。タイミングを合わせ、尾に蹴りを落とす。衝撃と痛みが返ってくることを承知で、そのまま床にのめり込ませた。
想定通り、反射された衝撃と、全身を貫くかのような痛みが襲いかかってくる。
しかし、先程のように吹っ飛ばされたりはしない。
(反射されると分かっていれば、耐えられないものではない)
その場に踏みとどまり、大サソリの行動を封じ続ける。
そして、更に勢いを増して暴れる大サソリに告げた。
暗殺者という職業に違わない、冷淡な声で。
「痛み程度で止まると思ったか」
その言葉が聞こえたのではないだろうが、言い終わると同時、大サソリは力を失った。巨体がただの物体へと変わり、地響きとともに床に崩れ落ちる。
―リアムの完全勝利であった。
目を細め、大サソリを仕留めたことを確かめると、リアムは身を翻した。
「えっ、あの!」という、先ほど庇った<従事者>の焦った声には何の反応も示さず、レティアとの合流を図る。
普段なら手伝ってもらったことへの礼や、負傷がないかの確認、今後の動きについての連絡など、やるべきことはしっかりやる―が、なまじリアムは焦っていたのである。
故に、音も無く己に追随する黒い影には気付かない。
―リアムは黒い影を認知しないまま、さらなる戦闘に巻き込まれていくことになる。
しばらく進んで、ホールの近くまで戻ってきたタイミング。
リアムは首筋に何者かの殺意が走ったのを感じ取った。現時点ではただ後を追うのみの黒い影とは違い、これはリアムを害そうとする純然な殺意―見逃すはずもない。
チリ、と皮膚を撫でる殺気に合わせ、姿勢を低く落とした。膝を床に付けることはせず、しゃがんだ左足を軸に、後ろの右足ごと回転。振り向きざまに腕を振るい、風魔法で刃を飛ばした―が、避けられる。
体を回転させた勢いに乗り、素早く立ち上がった。
進行方向に顔を向けてみれば、そこに5人の男女がいた。
いくつかはホールで見かけた顔である。動きにくい服から装飾のない真っ黒な服に着替えていること、襲ってきたことから分かる―大方、連邦の残りの工作員だろう。
(…………レティアから、二人倒したと聞いたな)
連邦の軍部は基本、一チームを七人で構成する。その二人と合わせて考えれば、連邦の工作員はここにいる五人で全部だと推測できた。
流石に一チーム程度では王都でテロを起こすことはできまい。この屋敷に多くの人員が割かれているとはいえ、<従事者>の本拠地である。複数チームが王都の方に派遣されており、一チームでソレイユの誘拐を担当していたのだろう。
五人のうちの一人、色素の薄い橙の長髪を流した女が進み出た。
物腰柔らかに話す、リアムよりやや年上と見られる女だ。その隣には濃緑の短髪の男が並んでいる。この男は、つい数秒前リアムに距離を詰めて攻撃してきたのと同じ人物。
「先ほどホールでお見かけしましたね。<嚇焉>と仰ったかしら。一階級でしたね?」
目的が読めなかった。リアムはとりあえず、小さく問いを発することにする。
「…………だからどうした」
「折角単独行動している場面で出会えたのです……ここで削っておいたのなら、後が楽になると思いませんか?」
「………………」
リアムの問いへの答えのはずの女の声。それにリアムが返答しない代わりと言わんばかりに、隣の男が反応を示した。少し離れて立つ強く鮮やかな金髪の少年も続く。
「良い判断だ。そなたらしい」
「あんま<淡橙>ばっか持ち上げるんじゃねーよっ、クソ<常磐>!! オレの方が優れてるだろーが!!」
どうやらこの少年はまだ未熟なようである。
女と男はそれぞれ<淡橙>と<常磐>というらしい。両者とも色の名前なおかげで、連邦の工作員だろうと自信を持てる。
リアムはしばらく様子見することにした。
<淡橙>と<常磐>に噛みつく少年に、この二人の斜め後ろに立つ、灰色が混ざったくすんだ青髪の青年がわざとらしくため息をついた。
「猿でもお前より賢いな。他国での任務では名を口にするなと何度言えば分かる?」
色の名前を関する風習は、連邦内での任務を円滑に執り行うためのものだろうが、やはり他国では不利に働くのだろう。
青年の皮肉に金髪の少年が「うぐ」と詰まったのを見て、<淡橙>がおっとりと笑う。
「あら、構わなくてよ。ただし、きちんと処分できるのならね……そうでしょう? <灰藍>。<小豆>もそう思っているはずよ」
「……うぇっ? い、いえ、あ、<小豆>は、その……」
<小豆>と呼びかけられた小柄な少女はウジウジ、と俯いている。名と違わず小豆色の髪を所在なさげに手で弄っている。
金髪の少年が<小豆>に詰め寄る。
「相っ変わらず情けねえ面だな、<小豆>は!! <青鈍>さんやオレを敬え!!」
「ゃ、その……それは…………えっと、やだ」
「何だと!!」
「ひぃんっ」
<小豆>が<灰藍>の背中に隠れる。
<灰藍>は右手で、<小豆>に殴りかかろうとする少年の頭を掴んで止めた。<灰藍>と少年は仲が悪そうである。
「止めておけ、猿が」
「何だと!!」
そして、少年は随分と単細胞らしい。<灰藍>は毒舌、<小豆>は内気のようだ。性質がよく分かる会話だ。
<小豆>を背中に庇う<灰藍>と、<小豆>に殴りかかろうとする少年。そんな<小豆>を巡った諍いに、<淡橙>は「あらあら」と困ったように頬に手を当てるだけだ。その仕草を見て<常磐>が目を吊り上げる。
(中々に個性豊かだな)
名前やら性格やら関係性やら、いくつか情報を得られるかもしれない―と思って黙っていたのだが、ここまでとは。
反対に、彼らはリアムのことが目に入っていないようで、好き勝手やっている。
(とはいえ、これ以上続くのも面倒だ)
スッと息を吸う。誰から狙うか―と考え、<小豆>に決定した。
武器を床に配置している者は複数いるようだが、その武器が<小豆>のものとは思えなかったからだ。大層なものを服の中に隠している素振りはない。見るからに筋肉もなさそうだし、魔術師タイプと判断したのである。魔術師タイプならば、早めに殺った方が良い。
―静かに一歩踏み出そうとした、その瞬間。
「―ねぇ、今。<小豆>のこと、殺そうとしたでしょ?」
そんな幼い声が距離を詰め、すぐ近くにいた。その小さな手に、背丈を超えるほどの大剣を持って。
「ダメだよ、お兄さん……<小豆>はね、可愛がるための生き物なの。分からないなら、生きてちゃダメ」




