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*Lost my name

そこは普通の闘技場のように見える。

普通の闘技場と違うところを挙げるならば、まずは会場の薄暗さだろう。

夜でもないのに暗く、灯りを付けなければならないのはここが地下であるからだ。

そしてこの場にいるのは一般人、堅気とはかけ離れた連中であり、当然出場選手も普通ではない。

一般では裏闘技場と呼ばれるここは、表の闘技場では飽き飽きした人間や表では顔を出せない訳アリなど社会の黒い裏側の一つである。当然ここでのルールは表とは全く違う過激なものが多い。このような裏闘技場はあまり珍しいものではないが、ここのように政府公認・・・・・・で規模が大きいものは他にない。


闘技場とはどのようなところか?

動物対動物、人対動物…色々あるが、ここでのメインは人対人の殺し合いである。

表では勿論殺すことは禁じられているが、この裏の闘技場ではそうはいかない。観客が楽しいことが一番に優先される。観客が望むなら戦意を喪失した相手でも戦闘を続行するし、命乞いをする人間を殺す。ここではそれが当たり前なのである。勝てばいい、力こそ正義だ。卑怯な手を使おうと、それで観客が良しとするならば許される。それがここ、『バラクラ』である。

「ハッハー!弱い弱すぎるぜぇ、糞つまんねえよぉ!」

闘技場の中、相手の死体を踏みにじりながらその男はそう吐き捨てる。

豪快な技に、徹底的に相手をいたぶる彼に最初こそは観客は熱狂していたが、あまりにも単調でワンパターンな試合に段々飽き飽きしているようで15回目となるこの試合ではまばらな声援しか出てこない。これではいけないと思い、司会進行の男は運営に合図を送る。目ざとくそれを見た一部の常連は目を輝かせ、知らない一般客も何かあるのだろうかと期待する。

「…さて、ザッハダイト選手。15連勝ということでかなりの賞金が出ますが…ここでやめますか?」

選手には二通りいて、オーナーといういわばスポンサーによって出される選手と自分からここに出場すると決めた選手。ザッハダイトは後者で、この闘技場での種目の一つ「百人切り」という連勝すれば連勝するほど賞金が跳ね上がるというものに挑戦しており、止めると宣言するまで戦い続けることができる。そして前者はオーナー所有の奴隷であることが多く、オーナーの意向に沿って戦う。オーナーが止めろといえば戦いたくても止め、逆に戦えなくなってもオーナーが言えば戦わされる選手である。

「勿論まだまだやってやるぜ!」

このまま100人殺っちまうかもな!そう豪快に笑うザッハダイトを、司会進行が心底同情するような目で見ていることに彼は全く気付かなかった。


そんな闘技場の、選手控室の中。

「いけるな、エスズ。今日も派手にやってこい。」

笑いながらそう言う男は穏やかな笑みを浮かべた老紳士に見える。背筋は曲がっておらず、きっちりと着こなされた礼服は細かな刺繍がされた高級品であることが一目でわかる。誰もがさぞ立派な御仁であろうと思うこの人物が、この闘技場に出資しているスポンサーの一人で自ら選手を出しているオーナーの一人とは誰が思うだろうか。少なくとも裏に関わっていない彼の友人は誰一人として彼のこの残虐な趣味と裏の顔を知らない。見た目通りの穏やかな紳士と心から思っているのである。

「……。」

対してエスズと呼ばれた男は、一目見たら忘れないような美しい人形のような中性的な青年である。

着ている服も高級な素材で織られた民族衣装のような服で、まるで声変わり前の子供のような無垢な神聖さを感じられる。しかしその首についたごつごつとした首輪は奴隷につけるそれとほとんど同じものである。そしてその手には、美しいけれどとても常人には持てないように見える大剣を持っている。

老紳士に言われた言葉に小さくエスズが頷く。

「私は上で見ているからな。」

そんなエスズの反応に気を良くして老紳士はその場を去る。

エスズがぼんやりとそこに立っていれば、しばらくして案内係の男が彼のもとにやってくる。

屈強な男だが、エスズを見る目は少なからず怯えを含んでいる。彼とエスズはエスズがこの闘技場に出るようになってからの付き合いだ。要するに、ここでのエスズの戦歴を誰よりも知っていると言える一人だ。

「…時間です。」

固い口調でそう言う案内役の男にエスズは軽く頷く。大剣をずりずりと引き摺りながら歩く人形のような男の姿は、知らない人が見れば滑稽なような微笑ましいような絵柄だ。しかし案内役の男はそれを化け物を見るかのような目で見る。まるで子供が使えない剣を引き摺っているような姿のまま彼は闘技場の中へ入っていく。


『さぁ、快進撃のザッハダイト選手!次のお相手は…エスズ選手!』

そうして自分の反対側から出てきた人間を見てザッハダイトは、目を奪われた。

さらさらと肩までの青みがかった黒い髪に、ガラスのような水色の瞳に感情の色はなく、白く美しい容貌も相まってアンティークドールのようだ。体のラインを隠すような何枚も布を重ねた女物の民族衣装のような服装はドレスのようにも見える。ずりずりと大剣を引き摺る服の袖から見える白魚のような手は貴族の女のようになめらかだ。ぱっと見たところでは男か女かと聞かれれば女と答えたくなるほどだが、首輪で隠し切れない確かな喉仏が彼が男であることを示している。

闘技場に、それも選手として出場するにはあまりにも場違いなその姿に、しかし観客は熱狂する。美しいものがズタボロの見るも無残な姿になる所も彼らの好物であったし、美しいものが残酷に敵対者の血にぬれる姿も好物である。要するに内容が先ほどと同じになろうが素材が良ければ良し、先ほどと違うならなお良し。冷めかけていた熱気が観客たちに戻ろうとしていた。

しかし先ほどと打って変わって冷水を浴びせられたかのようにやる気を失ってしまったのがザッハダイトである。強者を倒すのも、弱者をいたぶるのも大好きな戦闘狂ともいえる彼だが、女(のように見えるものも)を傷つけるのはどうも気が乗らない。脳筋の野獣のように見えるが、その実結構紳士的な男でもある。だから彼は戸惑いながら司会進行に言う。

「こんな嬢ちゃんが相手か?言っておくが俺は手加減は苦手なんだが。」

そんなザッハダイトに司会進行は読めない笑みを浮かべる。口こそ笑っているが、目は観察しているかのような無表情だ。司会進行に何を言っても無駄と悟り、今度はエスズに向かってザッハダイトは口を開く。

「なぁ嬢ちゃん、俺と本当にやる気か?」

それに対するエスズの答えはない。ぼんやりとした無表情でザッハダイトを見ている。クスリか何かキメてしまっているようなその様子にザッハダイトはため息をついた。綺麗な面をして得があるのはお貴族様ぐらいで平民貧民だとろくでもない目に遭うのが世の常である。ザッハダイトに出来るのは殺すことだけである。

「せめて楽に殺してやるよ。」

ザッハダイトが構えると同時に司会進行が戦いのゴングを鳴らす。ザッハダイトは得物を構えて駆け出す。巨大な戦斧はエスズの小さな体を真っ二つにするには十分な代物だ。大剣を持ち上げもしないその体にザッハダイトは斧を振り下ろして

『狂え』

エスズにしか聞こえない、老紳士の命令が聞こえた。

その時ザッハダイトは何が起こったかさっぱりわからなかった。気がついたら視界が回っていた。くるくる目が回りそうなほど回ったあと、ごろりと落ちた。視界に四肢と頭のない体とその前に立つ大剣をいとも簡単に持ち上げているエスズの姿。

四肢と頭のない体の傍には足らしいものが二つ、腕らしいものも二つ。ならば、頭はどこなのだろう?

あぁ、そんなの決まっているじゃないか。

だってあそこにある体は俺のなんだから

頭は俺に決まっているじゃないか。


一瞬で男を達磨にして首をはねたエスズには、惜しみない拍手声援がおくられる。これほど鮮やかに人を殺せるのは闘技場では彼ぐらいだろう。それも身の丈ほどある大剣を操って、となれば大陸を探しているかいないか。そんな神業に人々は魅せられ、熱狂するのだ。観客は盛り上がり、賞金は払う必要がなくなった。老紳士は満足そうに笑う。そんな中、エスズはただぼうっと闘技場の天井を見上げていた。

彼はなにも覚えていない。気がついたら老紳士の所にいて、エスズと名付けられてこうして生きている。何か大切なことがあった気がする。だけど何も思いだせない。…いや、一つだけ思い出せることがある。

目蓋を閉じれば思い浮かぶひとりの少女の姿。

自分を、自分の名前さえも忘れた彼が唯一覚えているもの。

「姉貴…。」


次で幕間は終了、主人公のターンです。

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