旅立ちの日。
私が南国に立つその日の早朝、いきなりレオナルド様が訪ねて来られた。
「こんな朝早く、何なんです。」
父が怒りを隠さずに言う。
「護衛をしたい。国境まで。」
憔悴した顔のレオナルド様が頭を下げられた。
「済まなかった。」
「弟君のことは貴方様には関係ないでしょう。」
兄が静かに言う。
「ああ、だけど、止められなかった。」
「王に何か言われたのですか?」
「ラディルを…せめてアイツだけは…好きな女と添わせてやれ、と。
父上はアイツには甘いんだ。母を知らずに育ったからな。」
王妃様はラディル様をご出産なさってすぐに儚くなられた。
レオナルド様は唇を噛み締めた。
「私も甘いのさ。
…私には、出来なかったから…弟だけでもと、思って…しまったんだ。」
「勝手な。」
父は吐き捨てた。
「レオナルド様。東国から来た奥方とは仲睦まじくなさっておいでではないですか?まもなくお子様もお生まれになる。」
そう。二年前にレオナルド様は御成婚なされた。
「…彼女は同士だ。ちゃんとお互いの役割を知っている。」
そして私を見た。
「アルヴァロッテ嬢とラディルもそうなれると思っていたのに。」
胸が疼いた。
「…。私もね、母屋を貸して庇を取られるとは思いませんでしたわ。」
「それは?」
「…前世に住んでいた場所での言い回しですの。」
「ああ、そなたは前世持ちであったな。」
「…ネロリもそうですわ。」
「え!」
美貌の王子様は目を見開いた、
「ご存知なかったのですか?」
「…私はあの子が好きじゃなくてね。近づかないようにしていたのさ。何か…胡散臭くて。計算高い気がしてな。」
「…その通りでした。だけど…最初はわかりませんでした。
あの娘が優秀なのは間違いなかったのですもの。それに弱々しくて、可哀想で。守ってあげなければと思ってしまったのです。
お気をつけ下さいませ。彼女は心の隙間を突いてきます。」
「…心得るとしよう。」
庭を横切る。ユキヤナギが咲き誇っている。
「…ちょうどそなたたち姉妹と初めて会ったのもこの季節で、ここだったな。」
「はい。」
「…シルヴァンを見たとき、妖精かと思った。」
ふっ、と寂しげに笑うレオナルド様。
「妹よりご自分の方が美しいとおっしゃいませんでしたか?」
ゴーディ兄が肩をすくめた。
「そんな事言ったかな?…言ったかもな。何しろあの日はぼーっとしていて。何かめちゃくちゃな事を言ってしまったという自覚はある。」
ユキヤナギの花びらが風に舞う。
「確かに…みんなに私は美しいと言われていて、女神の絵姿の様だと。それを自慢に思っていたのさ。
髪もな、伸ばしていたな、あの頃。」
「そうでしたね。」
「シルヴァンを見て、ああ、これはホンモノだと思って髪を切ったのさ。
彼女の騎士になりたくて、彼女の気を引きたくて。
意地悪ばかり言ってしまって。鬱陶しがれているのに会いに行かずにいられなかったな。」
「…レオナルド様。」
「あの頃は良かったな。子供で、素直になれなくてさ。
無くしてから気がついても…遅かったんだ。」
「だけど、殿下は娘を妻にとは望みませんでしたね?」
「公爵。私はわきまえているつもりだ。東国の姫との婚約は重要だと。」
そこで自嘲気味に笑うレオナルド様。
「私は何しろ美しいから、彼女の理想の王子様を演じて、惚れ込んで貰える自信はあったんだ。」
「ほう。」
まあ、そうね。ご夫婦仲は悪くないと思う。
「だけど、シルヴァンには素でいられた。」
下を向いて口元だけで笑うレオナルド様。
「父上はね、そんなに好きなら側妃になるように打診しろ、と仰ったのだが。…彼女は日陰のモノにしていい存在じゃ無い。」
そこで手を握りしめられた。
「誰からも尊ばれて、敬われ、愛されるべきだ!!正妻でなければ!」
肩が震えている。
「だけど!こんなことなら!例え彼女に嫌われたとしても!
手を離すのでは無かった!」
顔を覆って…泣き声になっている。
「殿下。」
「私はね、公爵。初めて会った日に彼女が怒りながらこのユキヤナギの中を去っていった後ろ姿。」
「私も覚えておりますよ。ぷんぷんとほっぺを膨らませて。今でも目に浮かびます。」
「そして、北国に嫁ぐと私に報告しに来たときの姿。
私が早く遠くに行ってしまえ!と強がりを言った時。
シルヴァンが真顔で…すっと綺麗な礼をした。
あの姿がね、ずっとずっと忘れられないんだ。彼女は何を思ったのだろう。
…ガキだった私を見限ったのだろうね…どうしてもっと優しく出来なかったのだろうか…」
レオナルド様の手を伝って雫が落ちていく。
「…すまない。取り乱した。」
「シルヴァンを愛しているのは私達も同じです。」
父が静かに言った。
「そしてね、シルヴァンは貴方をきっと愛していました。」
「 ! 」
レオナルド様は目を見開いた。
信じられないと言う表情だ。
どこまでも青い瞳は涙で濡れている。煌めくサファイアのように。
「私もそう思います。妹は殿下といる時楽しそうでしたから。」
「ああっ…わ、私が相手でなくても!彼女が幸せであれば、生きていてくれるだけで良かったのに…!!」
さあっ、と風が吹き抜けていく。
「あの日も風が吹いてシルヴァンの髪を揺らしていた。昨日のことのようなのにな。
…もう10年も経つんだな。」
花の美しさも風もあの日と変わらないのに。
私達だけが変わっていく。
「…私は北国を許さない。」
「ええ、私も同じです。」
…あの後、シルヴァンの夫だったハーリーの怒りはすさまじく、王妃である母を蟄居させ、手を下した下女達を粛正したとは聞く。
中央国の王の親族を害した罪は重いのだ。
それでも。怒りは収まるわけではない。
「アルヴァ、キミを義妹として迎えることは出来なかったが、私はキミを本当の妹のように思っているんだ。何しろ昔から一緒だったしな。」
「勿体ない事でございます。」
「キミを南国からの迎えにちゃんと引き渡すのを見届ける。
そうしないとシルヴァンに申し訳が立たない。」
兄と父の顔が強張る。
「ラディル様との婚約がなくなったから、言い寄るモノは増えましたが…」
「ああ、やはり女神信仰に取り憑かれた奴らが狙っているんだ。縁談を申し込んでも跳ね除けられると思って、無理矢理攫おうとしていると。」
「まさか!」
「諦めが悪い北国だよ。どうしても女神の化身が欲しい派閥がいるらしい。
…以前のは偽物だったから、ホンモノが欲しい、とさ。ふざけんな。」
何ですって!
「ここ三年。シルヴァンが亡くなってから…ますます北国の作物が不作になったのは知っているな?」
「ええ。」
「女神の怒りを買ったのさ。シルヴァンが嫁いだ年は豊作だったのにねえ。」
レオナルド様は黒い笑みを浮かべた。
「私が護衛すれば、おいそれと手は出せまい。さあ、行こう。」
ユキヤナギの庭を後にした。
ふわり。
その時。誰かの気配を感じて振り向いた。
「…お姉様?」
「シルヴァン…??」
「え、いるのか?どうなんだ??」
花影の中に姉が手を振っている姿が。
……見えた気がした。
お姉様。美しいこの庭で、どうぞお過ごしください。
いつまでも。




