飼い犬に手を噛まれたな、と父は言った。
ここはその中央国こと、リンデ国。
そしてその王城の中。
沈黙が支配するここは、第二王子…ラディル王子の執務室だ。
何度も訪れたこの場所には、私とリンデ王とラディル王子。そして私の父。ロード公爵。
それから…ウチで面倒を見ている少女。
ネロリがいた。
「ロード公爵。それからアルヴァ、いや、アルヴァロッテ・ロード公爵令嬢。
呼びつけて済まない、なるべくめだたないように。ここに来てもらった。」
王が軽く頭を下げられた。それも人目がないからか。
隣には王子とネロリが座っていて、
……ラディル王子はずっと顔を伏せている。
それと、対照的にネロリはまっすぐにこちらを見ていた。
その青い瞳は揺るがない。綺麗に結い上げられた濃い金髪も一筋も乱れていない。
「私も娘も毎日の様に登城しておりますから。うちにお越しになるよりは人目につかないと言うことですね。」
父の声は固い。
「そう言うな、従兄弟殿。」
王が眉尻を下げて困った顔をなさる。
「私とそなたの仲ではないか。」
「…あなたは王です。私達はそれに逆らえません。」
ミラン・リンデ王がまだ、第三王子のとき、お小さい頃からうちの領地に預けられて父とは兄弟の様に育ったと言う。
王の母…いまは亡き先代王妃様と私の祖母(父の母)は姉妹だったのだ。
それだけではない。五代前の王弟はうちに婿入りしたのだと言う。
七代前は姫が降嫁した。
我がロード家は尤も王の血筋に近い家のひとつである。
(うちに匿われていたから現王は、第一、第二王子の様に暗殺されずに済んだのだ。)
「御用件を。」
父が促す。
王がため息をひとつ吐いた。
「ラディル、自分で言いなさい。」
「はい。」
王子が顔を上げる。
「アルヴァ、私はこのネロリと結婚したいんだ。」
「…。」
「…キミが悪いわけじゃない。だけどキミとの婚約を解消したい。」
ギリ。
父が横で歯ぎしりをしている。
ああ…。
わかっていたことだ。最近ラディル王子とネロリが親密だったのは。
けれど。
実際に聞くと手が震える。
何故、どうして。と。
「ここは人払いをしてある。不満があれば、」
王はおどおどとしていた。
「不満だらけですな。」
そして王子を見据える。
「うちの娘の何処が気にいらなかったのですか?」
「い、いや。そうでは無くて…私はその…ネロリに惹かれてしまったんだ。
彼女は優秀だ。語学だって堪能だし…それにね、一緒にいると楽しいんだよ。」
「そうですか。」
そして次に眼光強くネロリを見た。視線で人が殺せるならば、彼女は即死していただろう。
「よくもまあ…娘の婚約者を取る様な真似を…教会の司教から頼まれた時に…面倒を見るなんて言わなけば!
それも娘の為になると思ったからこそ!!
おまえが将来娘の右腕になるからと思って!!
教育もし、人脈も使った!金もかけた!
なのに…なのに恩を仇で返すのか!」
「公爵様。学費や学びの機会をお与えくださったことは感謝しております。」
ネロリは背を伸ばしたまま、悪びれずに言った。
視界が霞む。手に落ちる温かいものが涙だと自覚した。
「…将来、王子妃になる私を支えると…立派な女官になって…私と一緒に苦しむ女性達を助けると…!!言ったじゃないの!」
思わず感情がほとばしる。構わない。ひと払いをしていると言うことは言いたい事を言っていいのだ。
ずっと仲良くしていた。心を許していた。
それなのに。
「アルヴァロッテ様。」
ネロリは私に向き直った。その瞳には少しも申し訳無さや罪の意識がない。
「…はい、その通りです。この国はあまりに女性の地位が低すぎる。」
「…だったら!」
「王子妃に仕えるよりも自分が王子妃になった方が早いと思ったのですわ。」
何ですって?
「…飼い犬に手を噛まれるとはこういうことなのか!
衣食住を整え、学園にも入れてやり、娘と同じ馬車を使うことを許した!
それもお前が優秀だから、このまま、名もなき平民として埋もれさせるのが、惜しいと!司教も村長もみんな口を揃えて言うものだから!
目を掛けてやったのに!」
バン!
父はテーブルを叩いて立ち上がった。
「帰るぞ、アルヴァ。」
「…はい。」
「待ってくれ、従兄弟殿!」
「何か?ああそうだ、慰謝料はいただきますぞ。
…それから。」
父は王に顔をぐっと近づけた。
「アルヴァに代わりの縁談とか、持ちかけたりなさいませんように?
19歳になる前なら引く手あまただろう?なんて言われたら、怒りのあまりに何をするがわかりませんよ!!」
「……!!いやそれは!私は息子に言ったんだ、せめてアルヴァが19になるまであと二年待てないのかと!」
――――やっぱり。
そう言う話がやはり出たのか。
19になったら伝説のように私が女神の化身の姿になるのでは無いかと??
それまで引き留めて、違ったら。どうする気だったの?
…捨てる気だったのね。きっと、そこで。
……馬鹿にしてる…人をなんだと…。
涙があとからあとから出てくる。あまりの怒りと理不尽さに。
私は黒い髪に深緑の瞳の容姿だ。伝説の女神像とは程遠い。
それなのに、やはり女神の化身になるかもしれないと、みんなそう思うのか。
……その価値しかないと言うのか。
「父上、それはかえってアルヴァに失礼です。」
「第二王子殿下。」
自分の声なのに遠くから聞こえた。
「私が泣いているのは悲しさではありません。」
「え。」
「誇りを傷つけられた悔しさ故です。」
そう、私の努力。王子と婚約してからの10年。
「私は!貴方の婚約者としてふさわしいようにと!勉学に励み厳しいお妃教育にも耐えてきました。
貴方はただの恋情ひとつで私の努力を無かったことにするのですか。」
「アルヴァ。」
「私を踏みつけて…馬鹿にするのもいい加減にして下さい。」
自分が無価値な人間になった気がする。
貴方はただの心変わりかも知れないが。私にとっては存在を全否定されたのと同じ事だ。
「行くぞ!」
父に手を引っ張られるように引かれて退場した。




