第54話 王国救済契約
王国に金を貸し、その代わりに誰へ先に払うかを決め直す契約だ。
沈黙は長く続かなかった。
先に口を開いたのは、財務卿だった。
「紙の責任は分かった」
声は硬い。
「だが、今必要なのは責任の話だけではない」
「金ですか」
レイジが言う。
財務卿は頷いた。
「兵士の給金が遅れている。城下の食材商への支払いもある。王国支援証書の返礼日も来る。教会、鑑定院、銀行の整理を放置すれば、王都の機能が止まる」
「王国は、払えるんですか」
財務卿は答えない。
王が、静かに手を上げた。
「財務卿」
「は」
「払えるのか」
財務卿は、机の上の紙を見た。
王国支援証書。
支払い延期記録。
白鷲銀行の貸付先一覧。
清算記録。
逃げる場所は少なかった。
「……全額を、期日に払うことはできません」
会議室が小さくざわつく。
王は目を閉じた。
それは、王国の財布が空だと認める言葉だった。
「なら、レイジ殿」
王が言う。
「そなたは何を求める」
レイジは、持ってきた最後の紙束を取り出した。
新しい紙だ。
まだ誰の署名もない。
まだ印もない。
「金は出します」
財務卿が顔を上げる。
「ただし、ただの貸付ではありません」
レイジは契約官を見る。
「読んでください」
王城契約官が紙を受け取る。
その手が、一瞬止まった。
題名を見たからだ。
「王国救済契約」
会議室がまたざわつく。
契約官は、王を見る。
王が頷く。
読み上げが始まった。
「第一。奴隷契約の罰則には上限を定める。返済不能者に対する罰は、回収を目的とする範囲を超えてはならない」
貴族席がざわめいた。
「奴隷契約に国が口を出すのか」
レイジはそちらを見ない。
「死体は返済しませんから」
契約官が続ける。
「第二。本人以外の家族を担保とする契約を禁じる。薬代、葬儀代、保護料の名目で子供や家族を拘束してはならない」
教会の司祭が眉を寄せた。
「孤児保護契約はどうなる」
リーゼが答えた。
「保護契約は残せます。ただし、保護した子供を担保にして鉱山へ送る契約はできません」
司祭は黙った。
契約官は次の行へ進む。
「第三。聖白教会は寄付金の運用先を公開する。炊き出し、医薬、寝所、孤児保護に使う分と、証書購入、箱商品購入、貸付運用に使う分を分けて記録する」
司祭の顔が赤くなる。
「教会の内側に、王国がそこまで」
「王国ではなく、契約です」
レイジが言った。
「金を借りたいなら、開ける。開けたくないなら、借りない。それだけです」
契約官が続ける。
「第四。王立鑑定院の金印は、返済を保証する印ではないと明記する。金印を販売文句に使った場合、その記録を残す」
院長代理は唇を噛んだ。
「第五。王国の支払い順序と金の出入りを、レイジ商会が確認する。王国財務府は、支払い記録、延期記録、証書返礼記録を月ごとに提示する」
財務卿の手が机を叩いた。
「王国の財布を、民間商会へ渡すというのか」
「違います」
レイジは答えた。
「空の財布を、いっぱいのふりで振り回すのを止めるだけです」
財務卿の目に怒りが走る。
「王国の支払いを、元契約奴隷が決めるのか」
「支払えない順番で払うから、王国支援証書も、銀行も、教会も燃えた」
レイジは机の紙を見た。
「次は順番を書きます」
契約官が次を読む。
「第六。支払い順序を公開する。食料、住居、仕事場、日雇いや小さな仕事の給金、兵士に必ず払う給金を優先する。貴族向け返礼、夜会関連支払い、使っていない建物の維持費は後回しとする」
貴族席から怒声が上がりかけた。
王が手を上げる。
それだけで、声は止まった。
契約官は最後の行を読む。
「第七。借金を返せる形に書き直す再契約窓口を、王国が認める。窓口を動かす責任者をリーゼとする。住居台帳、食料台帳、仕事場名簿、小口支払い表を同窓口に集める」
リーゼの名が、王城の会議室で読まれた。
彼女は背筋を伸ばした。
守られる令嬢ではない。
帳簿を持つ責任者として、そこに立っている。
財務卿は、王へ向き直った。
「陛下。これは王国の財務権を縛る契約です」
王は机の上を見た。
王国印。
署名。
支払い延期記録。
返礼日。
兵士の給金。
食材商の未払い。
「縛られていない今、財布は動いているのか」
財務卿は答えられなかった。
王はレイジを見る。
「そなたは、王冠を求めるのか」
「いりません」
「爵位は」
「いりません」
「では、何を取る」
「帳簿です」
レイジは言った。
「王国が誰に、いつ、いくら払うのか。その順番を見ます」
財務卿が低く言う。
「それが王国の財布だ」
「そうですね」
レイジは否定しない。
王は、しばらく黙っていた。
そして、王国救済契約の紙へ手を伸ばした。
財務卿が息を止める。
王の指が、空白の署名欄に触れた。




