第45話 売った責任
グラント商会の奥の部屋には、昼過ぎから貴族が集まり始めた。
客としてではない。
箱を買った者たちだった。
机の上には、青い布で包まれた箱が置かれている。その横には、説明書と返礼予定表、購入記録、販売台帳の写しが重ねられていた。
販売台帳の写しを確認できる者を呼べ。
そう命じたのは、ハーゼン伯爵だった。
グラント商会の台帳だけでは信用できない。
鑑定院の写しだけでも足りない。
箱番号と販売窓口と確認印を、グラント商会の外から確かめられる者が必要だった。
そのために、レイジにも連絡が送られていた。
カシアン・グラントは、奥の席に座っていた。
顔色は悪くない。
声も乱れていない。
「返礼が遅れる可能性は、説明書に書かれています」
彼は言った。
「箱の中の一部契約に遅れが出た場合、予定日は変更されます。王立鑑定院の金印も、損失を保証するものではありません」
老貴族が説明書を机に叩きつけた。
「この小さい字か」
「小さくとも、記載はあります」
「売る時に、お前の商会員は何と言った」
別の貴族が台帳の写しを開いた。
「箱番号五。購入者、ハーゼン伯爵家。説明文言。鉱山権の損を、長く戻る契約収入で埋められる」
カシアンの目が、わずかに動いた。
貴族は読み続ける。
「一つの鉱山に賭けるより、複数の契約に分けた方が失敗しにくく見える。教会も一部を持っている。王立鑑定院の確認済み。説明担当、グラント商会。確認、カシアン・グラント」
紙の下に、朱印があった。
カシアンの確認印。
別の貴族が、自分の紙を出す。
その横に、箱番号八を買った老子爵もいた。
杖を握る手が震えている。
「箱番号八。説明文言。家を売らずに済む時間を買える。返礼予定は厚い。短期の遅れだけで判断すべきではない」
老子爵は、かすれた声で続けた。
「家を売らずに済む時間は買えると、そう言われた」
「その通りです」
カシアンは言った。
「短期の遅れで判断すべきではありません。複数契約です。一つが遅れても、他から返礼が入る可能性があります」
「可能性、か」
貴族の声が低くなった。
「売る時は、戻ると言った」
「戻る可能性がある、と説明しています」
「なら、なぜ教会の購入記録を見せた」
別の紙が出された。
聖白教会購入済み記録提示、あり。
「教会も買っているから安心だと、そちらが見せた」
「教会の購入は事実です」
「事実を、安心材料として使ったのも事実だ」
部屋の者たちが黙った。
カシアンは黙らない。
「皆様は説明書を受け取り、確認印を押されています。返礼が遅れることも、鉱山権の値が下がることも、相手が返せなくなることも、書いてあります」
「読んださ」
若い貴族が言った。
彼は、鉱山権で大きく損をした家の者だった。
目の下に、眠っていない色がある。
「読んだ。だから聞いた。危ないのかと。すると、お前の者は言った。一つの鉱山だけに頼るより、複数に分けた方が失敗しにくく見える。教会も持っている。鑑定院の金印もある。グラント商会が扱っている、と」
彼は箱の布を掴んだ。
「売る時は、鉱山は消えないと言った。小さい字より、その言葉を信じた」
カシアンは返事をしなかった。
その時、奥の部屋の扉が開いた。
入ってきたのは、レイジだった。
彼の手には紙束がある。
派手な登場ではない。
声も上げない。
ハーゼン伯爵が顎を動かした。
「確認しろ」
レイジは頷き、机の端に販売台帳の写しを置いた。
箱番号、購入者名、説明担当者、説明文言。
そこまでは、ただの販売記録に見える。
だが下の欄には、教会購入記録提示、王立鑑定院金印確認、そしてカシアン・グラント確認済みの文字が並んでいた。
販売台帳の端には、箱を保管した倉庫番号も残っていた。
グラント商会、第三倉庫。
鍵番号、黒三。
カシアンはレイジを見た。
「部外者が入る場ではありません」
「販売台帳の写しを求めたのは、こちらの貴族たちだ」
レイジは言った。
「俺は、記録を確認しに来ただけだ」
「何を確認するつもりです」
「箱番号七。教会購入記録を提示して販売。箱番号八。赤札の多い契約を含む。箱番号五。鉱山権の損を長期返礼で埋めると説明」
レイジは紙をめくる。
「全部、残っている」
カシアンの声が冷えた。
「残しているからこそ、正しい販売です。危険も書いてある。確認印もある」
「そうだな」
レイジはあっさり頷いた。
「買った側の責任は残る」
貴族たちの視線が動いた。
レイジは続けた。
「だが、お前は買っていない。売った」
部屋が静かになる。
「読まなかった者が悪い。そう言うには、お前は言葉を足しすぎた」
カシアンの指が、机の端に触れた。
「説明は、商売に必要です」
「必要だ」
レイジは否定しない。
「だから残る。何を説明したか。何を見せたか。どの印を安心材料にしたか。誰の購入記録を広げたか。どこに自分の確認印を押したか」
彼は台帳の一行を指で押さえた。
「ここにある」
紙には、言葉が残っていた。
鉱山権の損を、長く戻る契約収入で埋められる。
一つの鉱山に賭けるより、複数の契約に分けた方が失敗しにくく見える。
教会も一部を持っています。
王立鑑定院確認済み。
その下に、確認印。
カシアンは無能ではない。
危険は書いた。
説明書も渡した。
確認印も取った。
金印が保証ではないことも理解している。
だからこそ、逃げ道を作ったつもりだった。
だが、今は、その紙を貴族たちが読んでいる。
老貴族が紙を取った。
「写しをもらう」
別の貴族も言った。
「こちらもだ」
「箱番号ごとに揃えろ」
「説明担当者名も」
「カシアンの確認印があるものをすべて」
事務員たちが青ざめる。
カシアンは立ち上がった。
「これは商会内部の記録です」
「我々の購入記録でもある」
若い貴族が言った。
「売った時は、見せたではないか」
カシアンの顔から、初めて余裕が消えた。
怒りではない。
焦りでもない。
自分が売るために使った言葉が、今度は自分を責める材料になったと分かった顔だった。
紙の下に、自分の朱印がある。
カシアンは、自分の右手を一瞬だけ見た。
レイジはそれ以上言わなかった。
言葉で刺す必要はない。
その紙には、カシアンが売った時の言葉が残っていた。
夕方までに、販売台帳の写しは複数の貴族の手へ渡った。
どの写しにも箱番号があり、説明文言があり、確認印があった。教会購入記録と金印確認の横には、同じ名前が何度も出てくる。
カシアン・グラント。
グラント商会の看板は、まだ落ちていない。
カシアンも、まだ倒れていない。
ただ、彼の周りにある扉が、少しずつ閉まり始めていた。




